はえぎわ『飛ぶひと』ノゾエ征爾×富川一人インタビュー

「飛ぶひと」チラシ表

広島市の公共ホール・アステールプラザが年1回、県外から劇作・演出家を招聘し、地元演劇人を中心にした舞台を創作する企画「演劇引力廣島」。ノゾエ征爾は3年前に続き今年1~2月、同企画に二度目の参戦を果たし、そこで生み出した新作『飛ぶひと』を、はえぎわでも上演するという連動公演を打ち出した。同じく二度、東京から参加した俳優・富川一人と共に、新たな挑戦と稽古の手応えを聞いた。

――2012年に「演劇引力廣島」に参加された際には、戯曲『ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~』を持ち込まれ、今回は広島でゼロから新作を立ち上げられた。しかも、劇団でも新作として上演するという。これは企画に参加を決めてすぐ、生まれたアイデアなのですか?

ノゾエ 一回目で触れた広島の演劇人の方たちから感じた純粋性、作品に真っ直ぐ向き合う姿勢などにすごく惹かれたこともあり、次に機会があったら是非ゼロから一緒につくりたいと考えていました。時期的に、はえぎわの公演が近かったこともあり、劇団でも同じ戯曲をやろうという発想はすぐに生まれ、広島の方にも快諾いただけたんです。

富川 僕も、二度とも参加させていただいたのですが、はえぎわでの自分の立ち位置とはまったく違うポジションを求められて、新鮮で面白かったです。劇団では一番若手の僕が、広島では男優最年長でしたから。

ノゾエ 大変な立場だな、と見ていて思いました。周りからは「東京のプロの方」という目で見られるし、稽古場で僕の作品を一番知っている人間ですからね、富川が。みんなが富川の振る舞いを注目するなかで稽古しなくてはいけないわけで。

富川 実際、ノゾエさんに直接聞けないような質問を聞かれたり、「ノゾエさんは今、こう考えているんじゃないかな」ということをコッソリ伝えたりしていました。

ノゾエ 新作なのに、劇団と同じような進め方をしたのも大きかったと思います、書きながら稽古を進めるという先の見えないつくり方をして。広島の方たちにとっては、このシリーズの中でも初めての経験だったんですよね。その不安から、富川にもかなりいろいろな質問が行ったのではないか、と。

――執筆と稽古が同時進行の場合、その俳優ならではの魅力や個性が戯曲に存分に取り込まれる反面、初めての俳優には不安もあるでしょうね。

ノゾエ 逆にそれが、戯曲をはえぎわに持ち帰ったときにハードルを上げる結果にもなりました。劇団にとっては初めて、劇団員に対するあて書きでない戯曲を上演することになったのはよかったのですが、何せ広島公演を終えて4、5日後にはこちらの稽古が始まったような状態。僕の中にも広島でのイメージが残りまくった状態で新たに創作するのは、想定以上に葛藤を孕んだ作業でしたね。

富川 僕も広島での「友達」という役から、「パン屋の男」と「ジョン」に短期間のうちに変わったので、最初はいっぱいいっぱいになりました(笑)。

――広島からも俳優三人が客演しています。

ノゾエ ええ、一人は広島と違う役を演じてもらいます。劇団メンバーはほぼアラフォーなので、20代中心だった広島とは、必然と空気は変わってくる。

――これまでもノゾエさんは、「老い」や「人類の進化」、「生命の連鎖」など大きな題材を戯曲に織り込んでいますが、今回は広島という「土地」や「歴史」に触れる創作をされている印象があります。

ノゾエ 東京以外で新作をつくるなら、その「土地」は是非絡めたいと思っていました。それに東京との「距離」も。それで、車で走り続けるロードムービーのような場面が多くを占めることになったのですが、広島という「土地」を考えたとき、切り離せないなと思ったのが「喪失と再建」の出来事で、それが作品の大きな軸になりました。その具体的な象徴が原爆ドーム。
劇場のプロデューサーには原爆ドームに少しだけ触れたいと事前に相談し、「是非」とおっしゃっていただいたんですが、そのことをキャストに伝えたときは、やはりその場がざわついたんです。

――戯曲を読んだ段階でも、そのシーンには特別な重さを感じました。

ノゾエ その場面だけが作品の核心ではありませんが、ドームとその「歴史」に触れるためには、僕なりの覚悟や決断が必要でした。戦争と原爆の投下は、広島や長崎という「土地」だけの出来事ではない。日本という国で、ひいてはこの世界で起こった出来事であり、人間が起こした以上、地球に住む人間の誰もが関わる人災だと思うんですよね。否応なく時は進み、人も基本的には前に向かって進もうとしているけれど、その過程で「壊れちゃいけないもの」を「壊してしまう」瞬間がある。せめて、それがどうして起きて、結果何を失い、どう進むかをきちんとみつめなければいけない、そんな気持ちを芝居の中に込めました。

――他の土地で創作する意味を、深く考えた結果選んだ題材なのですね。

ノゾエ ただ質の高い芝居をつくるだけではなく、演劇に関わる人、つくり手も観客も含めた環境にも働きかけ、少しでも持ち上げる役に立てたら、という思いは、こういう機会でないとなかなか意識できないので、本当に良い経験だと思います。

富川 僕も「呼ばれて来ている」という普段はない意識に、良い緊張や責任感を感じつつ、稽古できました。

――そんな過程を経た作品が、東京の観客からどんな反応を引き出すか期待が募ります。

ノゾエ 今回は、広島でつくられた作品が土地を越え、東京の身体に入り、東京の観客に観てもらうという公演。「広島産」であるということが大きくて、それに尽きると言えば尽きますが、そんな新しい試みだからこそ、本番を迎えてみないわからないところも多くて……正直いつもと違うコワさをはありますね。戯曲があるからもっと楽で楽しくなると思っていたのですが(苦笑)。
何せ広島のメンバーは「今、この作品しかない!」という純粋さと、非常に大きなエネルギーで舞台に向き合ってくれた。あのエネルギーは、容易に引き出せるものではないんですよね、やはり。

富川 でも、そういう大きなエネルギーが必要なのが、『飛ぶひと』という作品だと僕は思っていて。広島で僕が何より学ばせてもらったのは、創作に対する取り組み方、ひたむきな姿勢なので、そこは今回も大切にしたいと思っています。

ノゾエ なんか、広島から帰ってきてマジメになったよね、富川は(笑)。

富川 はい、自覚的です(笑)。

――東京以外での滞在型制作。今後も機会があれば参加されますか?

ノゾエ ええ、是非。広島とも既成作品、新作ときて次に何ができるか可能性は探っていきたいですし、未知の土地ならきっとまた刺激もらえる。ここ(東京)で勝負しなければいけないことが多いけれど、井の中の蛙にならないためにも、視野を広げてもらえる他の土地での創作の機会は、今後も大切にしたいと思っています。

富川 僕も是非参加させてもらいたいです。創作のための刺激はもちろん、他の土地に行くと珍しい美味しいものと出会えますから。僕、麺好きなもので広島でも色々堪能しました(笑)。

ノゾエ (笑)大事だけどさ、美味しいものも……。今回は、広島産、東京再構築の舞台の美味しさを、東京の観客に味わっていただく、いわば僕らが振る舞う側。緊張しますが、初めてのことが多いこの公演から、どんな成果が上がるのか僕自身も楽しみにしています。

取材・文:尾上そら