
平野啓一郎氏による傑作小説を舞台化した新作ミュージカル『ある男』の世界初演が、8月4日に東京建物 Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)にて開幕した。日本文学とブロードウェイの音楽家ジェイソン・ハウランド氏による音楽が融合し、ミュージカル版だからこそ描かれる注目作だ。“アイデンティティとは何か”という深い問いにミュージカルというエンターテインメント性が加わり、本作の持つミステリーと心のドラマが掛け合わされ観客を心の旅へと誘う。
開幕前日舞台挨拶レポート

8月3日、開幕を前に、開幕前日舞台挨拶と公開ゲネプロが行われた。開幕前日舞台挨拶は、Hareza5周年イベントとのコラボレーションで、中池袋公園の特設ステージで行われ、浦井健治さん、小池徹平さん、濱田めぐみさん、ソニンさん、上原理生さん、上川一哉さん、知念里奈さん、鹿賀丈史さんが登壇。世界初演の意気込みなどを語った。
炎天下の中集まった観客を前に、浦井さんが「明日開幕ということで、皆さん応援の方よろしくお願いします」と声がけ。本作の見どころについて「ジェイソンさんの楽曲もそうですが、小池徹平くんのボクシングがプロ並みです!ぜひ見てください」とアピール。


小池さんは「良い感じに完成しております。劇場の中は涼しいですから、よかったら涼みに見に来てください」と呼びかけた。名前も過去も偽っていた男という役にちなんで、“もし別の誰かになれるとしたら?”という質問には、「浦井健治になりたい!かっこいいから」と笑顔で答えた。
続いて、濱田めぐみさんは楽曲の魅力について「何曲か歌わせてもらっているのですが、全部の楽曲がテンションや曲調が違っているので、いろいろなバリエーションの楽曲を楽しんでいただけたら」と語った。



世界初演をやるにあたり苦労した点などを質問されたソニンさんは「平野さん原作の世界観を崩さないように、ミュージカルとして素敵な形にするためにはどうしたら良いのか、みんなで意見を出し合って、細かいところを直前まで変更しながら作り上げたので、初日、どう皆さんにお届けできるのかドキドキワクワクしています」と心境を述べた。
上原さんは、ジェイソン・ハウランド氏の音楽の魅力について、「音楽は目に見えないもので、耳からの情報としてシーンの空気や雰囲気、緊張感を伝えてくれるものだと思います。ジェイソンの音楽はそれを的確に表現していて、見るうえでの手助けになってくれてると思うので、ぜひ、楽しみにご覧いただけたら」と話した。
役を演じるにあたって大事にしていることについて問われた上川さんは、「一生懸命やることです!ミステリーなので、ヒリヒリする感情がたくさん出てくるので、ひとつひとつリアルにお客様にお届けできるように頑張ります!」と意気込みを語った。



知念さんは、本作で伝えたいこと、テーマについて「人間の本質とは何か、愛する人の過去も愛せるのか、愛した人の選択を受け入れることが出来るのかという、深いテーマが込められた作品です。それを稽古を通して考えてきました。答えは出ていませんが、観終わったあと、静かに心に染みるような作品になっていると思います」と想いを伝え、個人的な注目点として、「鹿賀丈史さんのお芝居と歌を久しぶりに近くで見ることができて、大興奮しております」と明かすと、鹿賀さんは思わず笑顔に。
本作で2役を演じる鹿賀さんは「戸籍ブローカーの犯罪者とボクシングジムの会長の2役をやります。どちらも白髪で演じますが、見分けがつくような芝居をしますので、楽しみにしていてください」と意気込み述べた。
最後に、小池さんから「いよいよ明日から始まります。気を引き締めて、皆さんにこの夏良い作品を届けられるよう、怪我なく最後まで走り続けたいです。劇場に遊びにきてください」、そして浦井さんから「『ある男』がミュージカル化ということで、どんな風になるんだろうと興味を持っていただけているかと思います。僕が演じる城戸も小池くん演じる“X”という人物も歌います。原作に失礼のないよう、丁寧に丁寧に作ってきました。明日から応援のほど、よろしくお願いいたします」と挨拶し、会見を締めくくった。
あらすじ
「私はいったい誰を愛したんでしょう…」
「仮に、彼を“X”と呼ぶことにします」
一見幸せな人生を送る弁護士の城戸章良(浦井健治)は、とある奇妙な調査依頼をきっかけに深いうねりへとのめり込んでいく。調査の依頼人は谷口里枝(ソニン)。
理枝は愛する夫の大祐を不慮の事故で突然失い、悲しみに打ちひしがれる中、長年音信不通だった大輔の兄、谷口恭一(上原理生)から衝撃の事実を突きつけられる。
“愛した人は、名前も過去もすべてが偽りだった”
温泉旅館の次男である谷口大祐(上川一哉)と名乗っていた男、“X”(小池徹平)とは、いったい誰なのか。
城戸は、大祐の元恋人である後藤美涼(濱田めぐみ)と共に調査にのめり込んでいく一方、家庭では妻の城戸香織(知念里奈)との溝が深まっていく。
ある過去の事件を知る収監中の戸籍ブローカー小見浦憲男(鹿賀丈史)に翻弄されながら、Xの人生を通して、“人間の存在の根源とは何か”問いに導かれ、城戸は闇へと踏み込んで行く。
“普通”の幸せを求め続けた男
“普通”の幸せを生きるフリをしている男
二人の人生が交錯した先に待つ、この世界の真実とはーー。
静かで深い感動の物語。
公開ゲネプロレポート


世界初演ということで、東京建物 Brillia HALLで行われた公開ゲネプロには、多くのマスコミと関係者が詰めかけ、作品への期待度を感じさせた。
舞台上に現れたのは、ある男・“X”(小池徹平)が最後の時を過ごした森を思わせる背景に、木製の椅子やテーブルが無造作に置かれたシンプルなセット。アンサンブルが木製の枠を額縁のように動かし、登場人物たちを追いかける演出で、名前や国籍などの枠組みの中で生きる人々を映し出している。
仕事も家庭も順調で誰もが羨むような人生を送っているように見える弁護士・城戸章良(浦井健治)は、宮崎に暮らす谷口里枝(ソニン)から亡き夫・谷口大祐に関する調査の依頼を受ける。弟・大祐の訃報を聞いて訪ねてきた長年音信不通だった兄・谷口恭一(上原理生)が遺影を見て、弟とは全くの別人だと言ったのだ。夫は、ある男・Xとは何者なのか。恭一役の上原さんが不穏なトーンで歌うナンバーにより、ミステリーの世界観が広がる。


「Xは一体誰なのか?」遺影の男が別人だったという衝撃の告白を受けた城戸は、正体不明の存在、名前を失った男“X”(小池徹平)の調査に乗り出す。調査の入り口に立った城戸の心理に、“X”という存在が幻のように立ち現れる。ミステリアスで幻想的な、城戸と“X”のデュエットナンバーが観客をより引き込む。
城戸は真相を探るため、大祐の元恋人・後藤美涼(濱田まぐみ)を訪ねる。行方不明の恋人への想いを抱えている美涼と共に、調査にのめり込んでいく城戸。帰宅が遅くなることが増え、妻の香織(知念里奈)との溝が深まっていく。実は順風満帆ではない城戸の素顔も徐々に見えてくる。


“X”の正体を追う中で城戸が辿り着いたのは、戸籍ブローカーで刑務所に収監中の小見浦憲男(鹿賀丈史)という男だった。そのインパクトのある登場シーンは必見。怪しげな存在とは裏腹にキャッチーでポップなナンバーもいい。小見浦の振付にも注目だ。刑務所で城戸と小見浦が対峙するシーンでは、ゲスな男を怪演する鹿賀さんの迫力に圧倒された。
里枝から明かされる、“X”と里枝の馴れ初めのシーンでは、“X”の描いた絵をきっかけに二人の心の距離が縮まっていく過程を、小池さんとソニンさんの息の合った芝居と歌で美しく優しく描いていて印象に残った。
時に自分自身の境遇とも重ねながら“X”を追求する城戸を熱く演じる浦井さん。小池さんは、里枝と共に過ごした穏やかで素朴な“X”の人柄を柔らかく演じていく。主演の二人をはじめキャストの芝居と歌の力が素晴らしく、「Xは一体誰なのか?」気がつくと城戸の目線で物語に没入していた。


また、ミュージカルならではの演出として、“X”と本物の谷口大祐(上川一哉)の言葉が重なっていったり、夫への想いを語る香織と里枝の言葉が重なっていったりと、楽曲を通じて登場人物たちの心情の重なりが描かれていくなど、各所に見どころが散りばめられている。
戸籍を交換してまで別の人生を生きなければならなかった、“X”の壮絶な人生が明かされたとき、「アイデンティティとは何か?」を突きつけられたような気がした。派手なダンスシーンなどは無いが、じわじわと心に染みてくる名作だと思う。


取材・文:井ノ口裕子
写真提供:ホリプロ/撮影:田中亜紀