ローチケ演劇部presents はじめてのミュージカル 編集長コラム「はじめてのその先へ…」2019年11月号

今月観た3本はどれも、何も考えずに観ればそれなり以上の満足感があったであろう出来ながら、ミュージカルを観すぎているせいで勝手に色々と考えさせられてしまい、ああ私もミュージカル初心者だったなら…と思うことしきりなものばかり。とはいえ、当然ながらもうその頃には戻れないので、考えてしまったことをほんの少しシェアさせていただく。


●日本オリジナル?『FACTORY GIRLS』

「日米合作」「世界初演」といったキーワードから、このサイトでも“日本オリジナル”として紹介していた『FACTORY GIRLS~私が描く物語~』。だが、日本でゼロから立ち上げたという意味でのオリジナルではなく、コンセプト自体は元からあったものだ。米国のソングライターコンビが大筋と楽曲を作り、トライアウト的な形では上演していたものを、大幅にリライトした上で初めて商業的に上演したのが今回の公演というわけ。

 

日本で初演される作品なのに、19世紀半ばのアメリカ・ローウェルの紡績工場という、日本人には馴染みのない場所が舞台となっていたのはそのためだ。楽曲はとても無名のソングライターコンビが書いたとは思えないほど力強く、闘う女性たちを描く本作にまさにぴったり。そして何より、その闘う女性たちを演じる女優陣がみな生き生きとして素晴らしく、柚希礼音もソニンも誰も彼も適材適所。日本ミュージカル界が誇る女優たち(と男優たち)の歌声とダンスが伝える説得力ある物語に、心震えたのは確かな事実なのだが…。

 

それだけに、これが日本の物語だったらさらに胸に迫ったかもしれない、との思いが拭い切れない筆者なのであった。いや、これはこれでいいから、せめてこのソングライターコンビに日本を舞台にしたミュージカルも作ってはもらえないものか。そんな二番煎じみたいな公演、成功するはずないのだが、そんなことを妄想するくらい、裏を返せば掘り出し物のコンビであった。さらなる妄想としては、そんな作曲家が日本からも出てほしいのだが。●古びない白鷗の『ラ・マンチャ』

まだ子どもと言っていい年齢の時に初めて観た時、よく分からないがすごいものを観たと思った。それから20数年。ブロードウェイを含めると4度目となる『ラ・マンチャの男』観劇に臨んだ筆者の感想は、変わらず「よく分からないけどすごいものを観た」だった。哲学的なテーマと複雑な劇構造を持っている上に、スペインの歴史や文化を知らなければ完全には理解できない作品なので、初観劇でその感想を抱くことには何ら問題がないと思う。だがさすがに4度目でもそれだったことに、我ながらがっかりしてしまったのだった。

 

一方、20数年前――否、さらにその20年以上前からタイトルロールを演じ続けている松本白鷗は、確実に進化を遂げていた。といっても、進化が目に見えたということではない。50年というとんでもない長きにわたって同じ役を演じていれば、古臭さやこなしてる感が漂ったり、かつての名作を紹介してます風の芝居になったりして当然なのに、20数年前と全く印象が変わらなかったのだ。それが進化でなくて何だと言うのだろう。

 

そんな白鷗が演出も務めている舞台には、かつての名作に出てます風の芝居をする役者は一人も出ていない。テーマも劇構造もスペインのあれこれもすべて理解した上で、真摯に、熱を持って役と向き合っていることが伝わってくる。原作や脚本、音楽の力もさることながら、やはりそれが「よく分からな」くても「すごいものを観た」と思わせるものの正体だろう。改めて、分かりやすいミュージカルが好きな層にもオススメしたい作品だ。●『LLL』からの、参加型ミュージカルに関する提言

シェイクスピアの中でも上演機会の少ない戯曲を、ブロードウェイの風雲児アレックス・ティンバースが野外(セントラル・パーク)で上演するために大胆に脚色・演出したミュージカルを、日本では上田一豪の演出により屋内の劇場で上演するという、なかなかに複雑な文脈を背負った作品。そこにきて、セントラル・パーク版を観ていないという個人的な事情も手伝って比べて楽しむという観方もできず、ちょっと何を観ているのかよく分からなくなってしまったのが『ラヴズ・レイバーズ・ロスト―恋の骨折り損―』だ。

 

だがシンプルに考えれば、野外劇らしい祝祭的なムードを、ミュージカル界の若手注目株と実力派と声優界のスターと元アイドルら玉石混交のキャスティングをもって再現する公演、ということで良かったのではないか。ここは誰か一人の出演者を目当てに観に行って、参加型の趣向に乗っかって一緒に盛り上がるのが、一番正しい楽しみ方だったような気がする。シェイクスピアがどうとか演出がどうとか、勝手に難しいことを考えて“損”をした。

 

もっとも、たとえオシの出演者がいたとしても、参加型の趣向にはきっと乗っかれなかったであろう筆者でもある。何を隠そう、著しくノリの悪い“見る阿呆”なのだ。近ごろ参加型のミュージカルが増えていて、そのこと自体や“踊る阿呆”派を否定する気は毛頭ないのだが、筆者と同じような“見る阿呆”派が疎外感を覚えたりミュージカルを嫌いになったりしなくて済むよう、いい機会なのでこの場を借りてひとつ申し上げたい。我々が踊らないのは別に恥ずかしがっているからとか遠慮しているからではないので、どうか参加の強要だけはしないでいただけないだろうか。踊る阿呆を存分に楽しませる一方で、見る阿呆にも優しい参加型ミュージカルが増えたら、どう考えても少なくともアメリカよりは見る阿呆派が多いに違いない日本のミュージカル界は、きっとさらに豊かになっていくだろう。文/町田麻子