私自身、音楽に浸ってしまうほうだから
音楽の力に頼るようなミュージカルにはしたくない
アリソン・ベクダルの自伝的グラフィック・ノベルをミュージカル化し、2015年にトニー賞ミュージカル作品賞を含む5部門を受賞したことでも話題となった『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』。実はゲイだった父が自殺した43歳を自身が迎えたレズビアンで漫画家のアリソンが、父の想いに迫っていくという原作者自身の実体験が基になっている。さまざまな側面を持つ本作の演出を務めるのは、本作で初めてミュージカルを手掛けることになった小川絵梨子だ。彼女は、この家族の物語にどのように挑むのか。
――今回の作品の最初の印象はどのようなものでしたか?
小川「いくつかプロデューサーの方から本を提案してもらって読んだのですが、その中で一番ストーリーが自分の中に入ってきたんです。家族の話でしたし、遠い話には感じられなかった。そこが一番惹かれたところでしたね。同性愛の部分に関しても、主人公の彼女自身もそうですが、お父さんも苦しかったという部分が凄く切ないなと感じました。実体験の話なので、これが事実であるということに胸を打たれたんです。このストーリーは、お父さんという存在との、ある意味での和解の話なんですよね。父親に対する後悔や、なぜ心を開いてくれなかったのかという疑問。それでも、そういう人生を受け入れて自分の中に父親が居るんだということに気付いていく。彼女の強さは、父親の死があったからこそなのかな、とも思いますね。そこにマイノリティであるという部分が絡んでくるんだと思います。彼女がレズビアンであるということは重要なことではあるんですが、その社会問題を描いているわけではなくて、彼女のパーソナリティのひとつの要素なんですよね。LGBTの問題を描いているわけではないけれども、彼女にしか知りえなかった、教えてくれるところはたくさんあるので、真摯にやっていきたいなと思っています」
――初めてのミュージカル演出になりますが、意気込みはいかがでしょうか?
小川「わからないことがいっぱいありまして、それが不安です(笑)。聞かないとわからないこととか。これまで手がけてきた舞台とは要素が違ってくることがたくさんあって、何を良しとして何がダメなのか、手探りがいっぱいなんです。ああっ、そうだここ歌が入ってくるんだ、みたいな変な話ですけどそういう感じ(笑)。台本を読んでいると、歌詞もセリフの一部として読んでしまっているので、歌が乗ってくることが新鮮。音楽ってすごいパワーがあるので、そういう意味では楽しみでもあるし、不安でもあるし…。だから、いろいろな人に助けてもらおうと(笑)。ミュージカル自体、自分で手がけたことがなかったので。今回は音楽劇に近い感覚ではあるので、そこはありがたいとは感じていますね。でも、ミュージカルが嫌いとかそういうのでは全然ないんです。ただ、まったく音符が読めないから、歌稽古とかを聴いていて、この音が違うよと直されたりしているのを見ていても、全然わからないんですね。何が間違っていたのか。それでも、挑戦したい作品だったんです。読んだときに、もうこれがいい!ってすぐ決めましたから」
――今の時点での、演出イメージは?
小川「オリジナルが客席との距離感が近い見せ方をしていたのは、理解できる気がしていて。でも機構上できないこともあるので、どうやってシームレスにつないでいくかが重要になるかなと考えています。アルバムをめくっているような感じよりは、小説を読んでいるような流れにしないと。1個1個の思い出が孤立しているんじゃなくて、エピソードがつながっているひとつのお話しにならなければいけないので。アリソンと父親の人生が平行して動くときの、その距離感がストーリーの大きなラインになると思っていて、アリソンはレズビアンで漫画家になった、父親はゲイで自殺した、似ているけど違っている、違っているけど似ている。そういう差がストーリーラインになる。でも、そこはお客さんに脳みそで考えてもらうようなところではないので、ちゃんと組み立てていかないとつながらなくなっちゃうな、と思っています」
――ご自身でも翻訳はされますが、今回は翻訳を浦辺千鶴さん、訳詞を高橋亜子さんでの上演となります。
小川「浦辺さんはもう本当に大好きで信頼している方なので、共感しながら読んでます。ご一緒できてうれしいですね。あと、訳詞っていうのもあるんだよね、って思いました(笑)。そういう段階からなんですけど、今回の作品は伏線とかダブルミーニングみたいなものがすごく多くて。その辺は解釈の話になってくるので訳詞の亜子さんとお話しをさせていただいてます。たとえば、歌で歌いたいポイントはこれで、それを伝わるようにしたいなとか。ペンシルバニアという街の名前が重要なんじゃなくて、すべてを見渡せることの方が大事なことなんだとか。そういうお話しをして、選んでもらう言葉を変えてもらうことはありますね。ただでさえ、日本語にすると情報量が減っちゃうので、どう取捨選択するかが演出にかかわってくる。そこは相談させてもらいました」
――楽曲についてはいかがでしょう?
小川「聴いているうちに曲って好きになってくるんですよね。最初は難しいね、って思っていたんですけど。耳慣れてくると本当に素敵な曲だなって思いますね。楽曲自体がカッコよかったり、上品だったり。でも何が間違っているのかとかは、やっぱりわからない(笑)。音楽があるということは、ある意味で助かるんですよ。音楽ってそれだけで、持っていく力があるので。BGM自体も私はあまり好きじゃないんです。煽るような音楽は出さないから…とりあえず芝居でやってみよう!…で、撃沈、みたいな(笑)。そういうのも多いんですけど、私の場合は芝居が良くわからないのに音楽だけが来てしまうと引いちゃうんですよ」
――ある意味、音楽の力をよく理解しているからこそ、使いどころに悩むというか。
小川「私自身、音楽に浸っちゃうほうなんですよ。そこに持っていかれちゃうんですよね。昔、音楽で感動したことがあって、その頃アメリカで、ミュージカルの現場でバイトをしていたんです。稽古場で、衣裳でもなんでもなく、ジーパンとかラフな格好なんですけど、ピアノ伴奏で歌っていたのを聴いたときに、すごい!って感動したんですよ。で、そのアルバイトは私は途中で交代だったんですけど、途中で出ていくスタッフのために歌う歌があって“エリコのために~♪”って歌ってくれて。なんかもう、泣いちゃうんだけど!ってなりました(笑)」
――そのエピソードそのものがミュージカルみたいですね(笑)。この作品の稽古は先日に本読みをやったところとお聞きしましたが、今後どのように稽古を進めていきたいと考えていますか?
小川「やっぱり役を掘り下げていくことを、一緒にやっていくことが大事かな。あまりすぐに結果を求めないで、お互いの関係性を作っていくことが大切だと思います。お父さんとの関係もそうだし、つながっている線を役者さんと作っていくのは大事にしたいですね。音楽のことはあまりわかっていないけど、あまり歌に寄りすぎないというか…。歌だけでもっていくようなことはしたくないです。あと、子どもたちがいてくれるのが本当に助かりますね。みんなしっかりしていて、挨拶もきちんとしているんですけど、雑談になると子どもは自由で。それが、本当に素敵だなと思うんですよ。本当にかわいらしくて、救われますね」
――楽しい稽古場になりそうですね。今回、3つの時代のアリソンを子役、大原櫻子さん、そして、瀬奈じゅんさんが演じられます。この3世代のつながりも重要になりそうですね。
小川「そうですね。3人のアリソンの時間をしっかり過ごしてもらうとか、お互いに話し合ってもらうとか、アリソンに何があって、どういう変遷をたどってきたのかというのをみんなで明らかにしていくことがまずは大事ですよね。あとは衣裳で統一していく部分とか。同じ人物を演じているのに、どこの誰なのかわからなくなるのが一番困るので。もともとこうだったから、こうなったのかというのを観ている人が納得できるようにしなければと思います。役者さんとくみ上げていく部分ですね。ミュージカルって登場人物も多いし、誰だっけ?ってなっちゃうこともあると思うんですが、芝居のやり方でつないで、アリソンの軸がブレないようにしていきたいですね」
――アリソンはどういう女性だと考えていらっしゃいますか?
小川「お父さんの影響をすごく受けているし、とても正直な人という印象ですね。これは台本とかだけの印象じゃなく、アリソン・ベクダルさんについての記事なんかも読んだからというのもあるかもしれません。素敵な人なんだな、という印象です。レズビアンの方はニューヨークにはいっぱいいたので、あぁその人たちに似ているなと思ったこともありました。やっぱりマイノリティとしての社会的な弱さからくる個人の強さや賢さ、豊かさという側面は、あぁニューヨークの彼女たちもそうだったな、と思いましたね」
――今回の舞台で、アリソンをどのように作り上げていきたいですか?
小川「ご本人そのものを描くというよりも、今回の舞台の中のアリソンであればいいとは思っています。本人には近づけない部分もたくさんあるし、今回の作品に必要なアリソンをキャストの方々と作っていきたいですね。あと、多分彼女自身も抱えた葛藤も、父親の葛藤として描かれている部分もあると思うんです。父親の気持ちもわかるから、描けているわけで。その二重構造があることで、ただアリソンも苦しい、父親も苦しい、という苦しいだけの作品にはなっていないんですよね。そこが面白いところだと思います。私自身、先日父を亡くしたばかりで、思うところがあるんですよね。本当はこういうことを言いたかったのかな、こんなことを考えていたのかな?って思ってしまうんですよね。そういう部分は、誰しも共感してもらえる部分だと思います」
――亡くなった後でも、その人との絆を結べるということを伝えているような作品でもありますね。主人公の43歳のアリソンを演じる瀬奈じゅんさんの印象はいかがでしょうか?
小川「本当にすごい素敵な方で、本を読むときもとっても素敵でした。繊細なんですけど、さっぱりもしているし、飾らないし。本当に、よかった~って思いました。ひたすら楽しみですね。みっちゃん(父親役の吉原光夫)はお友達なので、もう、助けて!って感じです。違う現場で一緒になった時に、私何もわかってないから…って言ったら、大丈夫!大丈夫だから!って言ってくれたので。信頼できる人が現場にいるのは、本当に助かります。いいチームだなと思いました。瀬奈さんをはじめ、みなさん変なエゴとかがなくてさっぱりしているんですよ。すごくやりやすい空気があります」
――作品を作っていくうえで一番大切にしていることは?
小川「やっぱり、誰とやるかが一番大事なんですよ。私にとって。私に大きなビジョンがあってそのために作り込んでいくというよりも、誰と誰がそこにいてなんとなく仕上げていくことが多いので、本当に誰とやるのかが一番重要なことなんですよ。誰とどういう関係を持てるのか。だから、顔合わせのときはいつも緊張するんですよね。今作は本当に皆さんが素敵で、嬉しかったんです。そんな方たちと、舞台上で人と人の間に生まれるものを丁寧に、そして生き生きと描いていければと思っています」
――芝居の力の上に、セットや衣裳や音楽がないと無意味ということですね。初のミュージカル演出作品、期待しています!
小川「このミュージカルは、本当にストーリーもいいし、キャストもスタッフも素敵な人が揃ったので、頑張ります! 多分、ストーリーを詳しく知らない方だと、イメージがまったく違う本だと思います。『ファン・ホーム』っていう言葉は、実はすごくシニカルな意味があって“funeral home=葬儀屋”のことを指してもいるんです。だけど楽しい家(fun home)でもあるし、和気あいあいの家族劇だけでもない。社会問題でもなく、“家族の悲喜劇”というのが本当にそうだな、と。音楽もすごく素晴らしいので何度聴いても素敵だし。ミュージカルが苦手という方にも、ぜひ観てもらいたいですね」
インタビュー・文/宮崎新之
【プロフィール】
小川絵梨子
■オガワ エリコ 聖心女子大学を卒業後、渡米し名門アクターズスタジオ大学院に進み、演出を学ぶ。ニューヨークで現地の劇団で演出家として活動を続け、日本では2010年「今は亡きヘンリー・モス」の翻訳・演出で注目を集める。以後、「12人」「夜の来訪者」「プライド」「ピローマン」など数々の作品の演出で高い評価を受ける。受賞歴には第19回読売演劇大賞杉村春子賞・優秀演出家賞、第48回紀伊国屋個人賞、第16回千田是也賞、第21回読売演劇大賞など。2018年9月より新国立劇場演劇部門芸術監督を務める。