『STAGE CREATOR’s FILE』vol.1 振付師・演出家 桜木涼介

一つの舞台が完成するまでには、様々なセクションの“プロ”が携わっています。この連載企画では、舞台を裏側から支え、第一線で活躍しているクリエイターの方々にロングインタビューを敢行。ご自身のヒストリーや創作のエピソード、仕事観などを伺い、作り手側の素顔に迫ります。

記念すべき第一回目を飾っていただくのは、数々のミュージカル作品に振付をし、昨年にはコンサートで演出家としての活動もスタートした桜木涼介さん。

客席で、気付かないうちに「実は桜木さんが振付をしているシーンを観ていた」という経験をしている観客は多いはず。ダンスとの出会いから、宝塚歌劇団での振付、演出家デビューで得た手応えなど、桜木さんの「過去」から「現在地」まで、じっくりお話を伺いました。

野球少年から、ダンスの世界へ

――桜木さんのダンスのルーツを教えていただけますか

小学二年生の頃に兄の影響で野球を始めて、高校も野球推薦で入学したのですが、投手として一軍のメンバーに入れなかったことや、家の事情などもあり、高校一年生の冬前頃に野球と高校を辞めまして。野球と入れ替わるように始めたのがダンスでした。

――ダンスを始めようと思われたきっかけは?

芸能に興味を持って、俳優としてテレビに出る仕事をしてみたいと思ったのが最初ですね。当時兄が舞台で俳優の仕事をしていたので、ダンスやミュージカルには触れる機会があり、「兄貴が舞台をやっているから、俺は映像の方をやりたいな」と思って。兄から、「運動やってたし、ダンスとかやってみたら?」と言われ、スタジオのレッスンに通い始めたんです。「芸事として武器になるんだったら」という感じで。

――そこからダンスが「仕事」になっていった背景を教えていただけますか

当時はまだ男性ダンサーが少なかったこともあり、ちょっと動けたら仕事があったんです。バレエも並行して習っていたのですが、バレエも男性はすごく少なかったので、呼ばれることも多くて。なのでわりと仕事はある状況でしたね。

――どういう方からお声がかかるのですか?

同じダンススタジオに通っている方からの依頼だったり、「出てみない?」っていうお誘いがあったり。とくにフリーで活動している人は、そういう繋がりで仕事が発生することが多いと思います。
そのあと、二十歳になる前頃に、スタジオの先輩の紹介で初めて事務所に所属しました。その頃はまだ映像の仕事をやりたいと思っていたので、「今はダンスをやっているけれど、いずれは…」という感じで。その事務所に入ってオーディションを受けたのが、ミュージカル『エリザベート』(2004年)で、一年間“トートダンサー”(※)として出演しました。

※ミュージカル『エリザベ―ト』に出てくる黄泉の王・ト―ト役の分身のように周りにいる8名のダンサ―達

『エリザベート』での出会いがきっかけで、演劇ユニットを結成

――“トートダンサー”を経験されていかがでしたか?

ダンサーを目指していたわけではなかったので、何か特別な思いというものはありませんでしたが、そのときにアンサンブルで出演していた俳優の俵和也くんとの出会いは大きかったですね。以前からお互いに親交のあった演出家の鈴木裕美さんの舞台を彼と観に行ったのですが、その作品がとても面白くて、立て続けに二人でいろんな舞台を観に行ったんですよ。そんな中で、「やっぱり芝居がやりたいな」という想いが再燃してきて。和也もそういう想いが元々ある人だったので、「自主公演をやって芝居の勉強をしよう」となり、二人で演劇ユニットを組んで活動を始めました。そのユニットでは、トータルで6作品くらい上演したと思います。

――演劇ユニットでは、脚本なども書かれて?

このユニット活動で始めて戯曲を書いてみたのですが、そのときに「あ、自分は書く才能はないんだな」って実感しまして(笑)。これは手を出しちゃいけないやつだと思いました。

――そのような気付きが(笑)。印象に残っている公演はありますか?

柴幸男さん(「劇団ままごと」主宰の脚本家・演出家)に、3回目の公演で戯曲を書いてもらったんです。まだ彼は大学生でしたが、戯曲の賞を獲っていたりと、当時すでに注目されるていたんですね。でも、僕らはそんなにすごい方だと知らなくて。自分たちのイベントとかで、彼がスタッフとして映像出しをしてくれていたので、僕の中では「映像をやっている学生さん」という認識だったんです。彼が戯曲も書くということを知って、「今度戦争を描いた作品を作りたいんだけど、書いてくれない?」ってお願いしたんです。そしたら、「僕は戦争を体験したことがないから書けない」と最初断られてしまって。「でも、今は戦争を体験していない人の方が多いわけだから、そういう僕らが思う戦争観を書いて、演じるのもいいいんじゃないかな」と口説いたら、快諾して書いてくれたんです。それは『十字星』という、アメリカ兵と日本兵の二人芝居の作品で、「言葉が通じない」という設定の作品だったのですが、とてつもないホンを書いてきて。「これがプロが書くホンだ」、って思いました。いろんな役者さんたちが観に来てくれたのですが、みんな「役者はおいといて、作品が良かった」って言ってましたね(笑)。

――今お話を聞いていても、新鮮で豪華なタッグですね。ユニット活動では、お芝居以外のことも?

そうですね、僕も和也も歌とダンスをやってきていたので、作品の中でライブ的なパフォーマンスを15分くらい入れたりしていました。

作品の一曲目の振りを付けるのが、一番緊張する瞬間

――ここからは振付師としてのキャリアについてお聞かせください。桜木さんといえば、宝塚歌劇団の作品で数多くの振付をされていますが、どのような経緯で歌劇団のお仕事をされるようになったのでしょうか

2007年に開催された、元雪組トップスターの朝海ひかるさんのディナーショーに呼んでいただいたのがきっかけでした。演出が小池(修一郎)先生だったのですが、そのときに出演と併せて3曲くらい振付をやらせていただいて。それがご縁で、宝塚で翌年上演予定の『スカーレット・ピンパーネル』(2008年・星組)という作品で数曲担当してみないか、とお声がけいただいて、そこからですね。
“スカピン”は関わった皆さんの功績で第16回読売演劇大賞優秀作品賞、第34回菊田一夫演劇大賞を受賞したのですが、そういった影響も後押しして、2作目、3作目と呼ばれるようになったのだと思います。

――歌劇団で初めてお仕事をされたときはいかがでしたか?

当時25歳くらいで、振付師としてもまだ経験が浅く、現場での居方もわからない状態だったので最初は大変でした。一組に80人ほどいるので、一人ずつ名前を聞いて覚えることから始めて。80人の視線が一斉に自分に向けられるのは、正直最初はしんどかったです。振りを付けるよりも、そちらのプレッシャーの方が強くて。これは今もですが、現場に入って作品の一曲目の振りを付けるのが一番緊張するんですよ。「この人はどんな振付をするのか」という目で生徒さんたちも見ていますから。旧知のメンバーがいてもそこは変わらず、毎回一曲目は構えちゃうところがありますね。

――今でも緊張感があるんですね

そうですね、まず最初に役者に渡して、彼らがどう思うかを気にしますし。そのあとに演出家が観て、幕が開いて最後にお客さまが観てどう評価するのか、三段階でジャッジされる緊張感がありますね。

――新たな場所での仕事で気付いたこと、新鮮に感じられたことはありましたか?

物語の中のナンバーでは、「シーンをつくる」ことになるので、お芝居をつくるのに近いんだな、と。その感覚を得られたのは新鮮で楽しかったですね。あと、大人数をさばいていかなくてはいけなかったので、大変でしたけれど、それを最初に経験できたことは大きかったと思います。
宝塚の場合は「人を出す」ということも重要な要素の一つなので、「今、この場面にこの人物は居る必要はあるのか?」と思うシーンも当然出てきます。その役をそこにどうやって存在させるか、調和させるのかというのは今でも悩むところですね。演者が「なぜ今自分はこの場面にいるのか」という疑問を持ってしまわないように、どのように役へのアプローチを伝えられるか、また、ただそこに居るというのではなく、演者のモチベーションが上がるようになるべく動きを付けていきたいというのはいつも思っています。

――スターをどう見せるか、というのも重要な世界ですよね

でも、周りがよくないとスターは輝かないので、そのためにもいかに周りをしっかり固めるか、というのはとても大事ですね。

人物の心情を汲み取って創り上げる、ミュージカルのダンス

――振付はいつもどんなふうに組み立てていくのですか?

台本を読みながら、曲の中で何が起こっていて、主人公がどういう思いを歌っていて、心情が変わっていくのか、というのをまず探っていきます。そこで大枠の方向性が決まり、そのあとは楽譜を見ながら、「この休符で何ができるかな」「ここにトリッキーな音があるけど、なんで作曲家はこの音を入れたんだろう?」とか思いながら、前後の歌詞を見て考えながら動きを付けていったり。さらにそこから、周りの人物たちがどう動いていくと効果的に見えるか―、という感じで、まずはぼやっとした構成の中で作り始めて、形ができあがっていくような感じですね。

――例えば、J-POPなどのナンバーやアーティストに振りを付けるのと、ミュージカル作品の中で振りを付けるのは別物だと思うのですが、その違いは具体的にどのように感じられていますか?

一度、SMAPさんの曲の振付をやらせてもらったときに、これは自分には二度とできないな、と思ったことがあって。あれはちゃんとしたダンススキルを持っている人たちがやる仕事だ、と痛感しました。SMAPさんと仕事ができたことは、僕の人生の財産になった出来事でしたけれど。
もちろんミュージカルにもある程度スキルは必要ですが、物語が重視されるので、登場人物の心情や感覚を汲み取ることができ、「ダンスが一番ではなく、総合的なエンターテインメントである」というのを理解して作れる人が向いているジャンルだと思います。音楽やダンスが華やかで面白いというのはミュージカルの魅力の一つではあるけれど、その面白さは“物語の一部”であって、歌やダンスが独立してあるわけではないですから。

――表舞台での経験もある桜木さんの視点が、ミュージカルの振付にも活かされているように感じました。プレイヤーから振付師への転身は、ご自身の中では自然な流れだったのでしょうか

事務所を辞めたのが一つの転機だったと思います。在籍していたときはテレビのバラエティ番組や映画などいろいろ経験させていただきましたが、自分は表に出るタレントとしては才能がないんだなと気付いて。紆余曲折あり2つ目の事務所を辞めたのですが、そのとき、本当に自分には何も残っていないと感じて。唯一あるのが、半年後に上演する宝塚の作品という状況でした。「今後どうやって生きていこうかな」と考えながら、久々にバイトを始めて、焼肉屋さんでお肉を揉んでいたんですよ、キッチンで。そのとき、「なんで俺は今肉を揉んでお皿に乗せているんだろう」、と思ったんですよね。このままでは駄目だと思い、一か月でバイトを辞めました。自分でこの業界に入った以上、この世界でどうにか生きていこうと決めて。もう肉は揉まないでおきたいな、と(笑)。

――(笑)。そのときに決意されて

そこから、どうにかこうにか人との繋がりでお仕事をいただいて。その頃、依頼されるのが出演よりも振付やスタッフの案件が多かったんですよ。なので、これは周りが「あなたはこっちが合っているんだ」と判断しているということなんだろうと受け止めるようになりました。自ら転身したわけでも、二度と舞台に出ないと思ったわけでもなくて、「自分が必要とされているのはそっちだからやらせてもらった」、という感覚でしたね。

ミュージカルコンサートで果たした演出家デビュー

――昨年の2月に行われた『古川雄大 The Greatest Concert vol.2 -A Musical Journey-』では、始めてコンサートの演出をされました

演出の仕事は数年前からやりたいと思っていて、周りのプロデューサーの方にも伝えていたので、それが叶ったのはとても嬉しかったです。実際にやってみて、やりがいもあり楽しかったのですが、スケジュールの都合で短期間で進めなければいけなかったので、短い時間の中でどれだけやれるか、という挑戦の場でもありました。歌だけでなく踊りもけっこうありましたが、座長の雄大も「やれる限りやります」と言ってできる最大限のことをやってくれたので、ありがたかったですね。

――古川さんとは直前まで公演していた『エリザベート』も含め、ミュージカル作品で何度かご一緒されていましたが、そのご経験は活きましたか?

作品では何度か一緒にやっていますが、プライベートについて話す機会はなかったので、彼のことは稽古場での姿しか知らないという状態でした。「こうしたいんだよね、ああしたいんだよね」と話していく中で、だんだん信頼してくれたような感じがありましたね。僕が演出したものを観たわけでもないですし、彼の立場からしても不安な部分はあったと思うんです。その中で引き受けてくれて、本当に感謝しています。

――歴代のミュージカルナンバーがストーリー仕立てで披露され、ダンスも含め盛りだくさんの内容で、古川さんの魅力が最大限に引き出されていたコンサートでした

雄大の魅力をどれだけ多面的に見せられるか、輝かせられるか、というのをとにかく一番に考えて作っていましたね。あと、アンサンブルのメンバーを“ただのアンサンブル”にしたくなくて。ピックアップの役割や見せ場があると、やっぱりみんなのモチベーションが上がるので。そうすると、作品全体が良くなっていくんですよね。彼らも短い稽古期間で期待に応えてくれて、ありがたかったです。

――今年は3月に開催される、望海風斗ドラマティックコンサート『Hello,』でも演出を担当されますね

雄大のコンサートの情報が解禁になって、一週間経たないくらいでこちらの依頼が来たんですよ、まだ一年以上先なのに(笑)。びっくりしましたが、周りに「演出もやる」と知ってもらうことって、とても大きなことだったんだなとそのとき気付かされました。

――実は皆さん待っていたのかもしれないですよね。望海さんとは宝塚時代からご一緒されていますが、在団中で印象に残っている作品やエピソードはありますか?

印象に残っているのは、『ドン・ジュアン』(2016年)ですね。プレイボーイの男が主人公なのですが、演出の生田(大和)さんが、「桜木先生みたいにやってください」って言い出して。「誰がチャラい男やねん!」とか返しながら(笑)。

――(笑)

当時、あやちゃん(望海)に「こういう感じでやったら男臭くなるんじゃない?」とアドバイスしたりしていました。彼女は歌の素晴らしさはもちろん、ダンスも上手いので、圧倒的な存在感があって「素敵だなあ」と思って見ていたのを覚えています。そのあとに、トップお披露目公演の『ひかりふる路(みち)〜革命家、マクシミリアン・ロベスピエール〜』(2017年)でも一緒にやらせてもらい、偶然にも卒業公演の『シルクロード~盗賊と宝石~』(2021年)というショーでもご一緒したので、やはり思い入れがありますね。

――コンサートに向けて、どんな構想でいますか?

今回はいろんなジャンルの楽曲が集まっているので、ストーリー仕立てという感じにはならないと思います。まだ詳細は言えませんが、これからの望海風斗が目指す姿が表現できるようなコンサートをつくっていければと思っています。

――最後に、今後やってみたいことや展望についてお聞かせください

一番やりたいことは何だろう、と考えたときに、真っ先に思い浮かんだのが「芝居」でした。なので、久々に自主公演をやりたいですね。小さな箱で、自己満足的な公演を(笑)。
あと、以前から周囲のプロデューサーに「やりたい」と言い続けているのが、『白鳥の湖』のミュージカル化。バレエをやっていた影響があるのかわかりませんが、これは十数年ずっと思い続けていることです。チャイコフスキーの曲をアレンジして、日本人に合った作風のものをいつかつくってみたいですね。

――『白鳥の湖』のミュージカル、ぜひ実現を期待したいです。貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。今後のご活躍も楽しみにしています!

★☆★リフレッシュ方法は?★☆★
4年前から都心から離れた場所で友達と畑をやっていて、じゃがいもやさつまいもを栽培しています。土に触れると良い気分転換になるので。登山も好きで、昨年の夏は初めて富士山に登りました。毎にも毎年必ず行っています。釣りもやりますし、基本的に自然に触れることが好きですね。最近は一人旅をして、温泉や地元の方々との交流を楽しみました。

インタビュー・文/古内かほ

桜木涼介
東京都出身。17歳でダンスを始める。振付の主な宝塚作品として、『スカーレット・ピンパーネル』、『オーシャンズ11』、『ロミオとジュリエット』、『眠らない男・ナポレオン‐愛と栄光の崖(はて)に‐』など。その他、『エリザベート』、『ニュージーズ』、『ローマの休日』、『1789‐バスティーユの恋人たち』、ミュージカル『刀剣乱舞』など、数多くのミュージカル作品の振付に携わる。2023年『古川雄大 The Greatest Concert vol.2 -A Musical Journey-』で演出家デビュー。同年、『浦井健治 Live Tour 2023~VARIOUS~』にて演出、振付を担当。

【お仕事情報】
<演出>
望海風斗ドラマティックコンサート『Hello,』
 3月20日(水)~3月25日(月) 東京・日本青年館ホール
 3月30日(土)~3月31日(日) 福岡・キャナルシティ劇場
 4月20日(土)~4月21日(日) 愛知・東海市芸術劇場大ホール
 4月24日(水)~4月28日(日) 大阪・SkyシアターMBS