天保十二年のシェイクスピア|藤田俊太郎 インタビュー

戯曲のせりふが“自分の事”になる
井上ひさしからの50年越しのメッセージ

シェイクスピアの全作品と人気講談の「天保水滸伝」を盛り込んだ、井上ひさしの「絢爛豪華 祝祭音楽劇 天保十二年のシェイクスピア」が再演される。舞台は江戸の末期、天保年間。下総国清滝村の旅籠を取り仕切る鰤の十兵衛は跡継ぎを決めるため、三人の娘に父への孝養を問う。長女・お文と次女・お里は父におべっかを使って取り入るが、父に真心で接する三女・お光は、そんな言葉が出ず、父の怒りにふれて家を追い出されてしまう。月日は流れ、天保十二年。跡を継いだお文とお里が骨肉の争いを繰り広げる中、醜い顔と身体、歪んだ心を持つ佐渡の三世次が現れる…という物語。今作を手掛けるのは、読売演劇大賞など多数の賞を受賞し、名実ともに演劇界を担う藤田俊太郎だ。

――「天保十二年のシェイクスピア」は、2005年に藤田さんの師匠の蜷川幸雄さんが演出されています。その時は藤田さんは演出助手としてかかわっていましたね

まだ演出助手になったばっかりのころで、現場についていくのに必死でしたね。蜷川さんが初めて井上ひさしさんの戯曲を演出した作品で、戯曲のパワーに加え、百姓たちがグローブ座を壊すシーンから始まり、あらゆる概念が変わっていく忘れがたい瞬間でした。稽古場でもすごく興奮したのを覚えています。

――その時からこの作品を演出してみたかったのでしょうか?

その気持ちは全くなかったです(笑)。そもそも演出家になれるかどうかも分からなかったですし、全く想像はしていなかったですね。蜷川さんが作る世界の何か力になりたいという思いだけでした。

――演出家になって、将来、手掛けてみたい作品のリストにはあったのでしょうか?

もちろん、ありました。井上さんの作品を演出したい思いは強く持っています。登場人物の出生が東北であるという作品がたくさんありますよね。僕は秋田出身なので、自分自身を重ねながら演出してみたいという思いがありました。蜷川さんが手掛けた作品をいつかは演出する機会があるかもしれないと思ってはいたものの、2020年の段階では、こんなに早く訪れるとは予想していなくて。心の準備はできていませんでしたが、これは巡り合わせの幸せということですね。時代やお客様の感覚、何を届けたいかという僕自身の思いも変わっています。当然、蜷川さんの演出とは違うわけですから。「天保−」に取り組むことにはプレッシャーがありますが、今はこの作品を作る喜びのほうが勝っていますね。

――藤田さんの演出で2020年に初演されましたが、コロナ禍で途中で中止になりました

届けたかったけど、届けられなかった方もいますし、亡くなった方もいる。2020年版を一緒に創ったカンパニーに対する敬意を持ちながら、皆さんの思いを胸に、新鮮な気持ちで2024・2025年版をお届けできたらと思っています。

――「リチャード三世」「ハムレット」などシェイクスピア全作品と「天保水滸伝」を基本にしつつ、井上さん独特の言葉遊びやユーモア、社会的なテーマが重厚に絡み合った戯曲です。藤田さんは「東北の怒り」を表現したいと思ったそうですね

この作品はカオスや群集劇とみせかけて、佐渡の三世次の一代記だと僕は強く思っています。これが井上さんの大きな趣向の一つですよね。百姓出身の者が最終的に侠客の世界の親分になり、村の代官になる。上に立った時に、百姓を搾取する。つまりかつての下層が最下層を搾取するという構造がすごく如実に描かれていて、それは底辺からの怒りではないかと思うんです。
そこから現代を見ると、この搾取構造や底辺からの怒りは何も変わっていないんじゃないかと。怒りの普遍性は2020年版でも感じていましたけど、今回はさらにコロナ禍を通して顕在化し、目に見える形で増幅しているのではないかと思うんです。それを僕は東北人の怒りとして表現したい。東北地方は米が全く取れない土地があり、作れない米をなんとか作り江戸に送り、それが時を超えて形を変えて、近代では誰か違う人が使う電力を作って送っていたという歴史があるわけですよね。戯曲を読んで搾取に近い構造は何も変わっていないと思い、それを三世次に投影したいと考えたんです。

――その三世次は今回、浦井健治さんが演じます。2020年版では浦井さんは、お文の息子・きじるしの王次役でした

王次はこの作品では光で、三世次は闇です。光と闇、全く真逆で相いれない存在だと思うんですけど、むしろ、光を経験した浦井さんだからこそ、とてつもない闇を表現できるんじゃないかと考えています。

――歌唱力はもちろん、出てきた瞬間から観客を引き付ける力もすごいです

すごいですよね。今、稽古をしていて、誰も見たことがない三世次が誕生していて、面白いです。悪でもあるし、聖なるものでありたいという三世次の願望も表現している。純度の高い役者さんだなと思いますね。完成度が高くて濃密で僕はにんまりしています(笑)。

――三世次は台本で読むと極悪人ですが、蜷川さん版の唐沢寿明さん、藤田さん版の初演の高橋一生さんと三世次を演じてきた俳優さんを通して見ると、憎めなくて応援したくなる人物です。そこは浦井さんとどう作っていますか?

まず、あらゆる独裁者は、なぜ支持されるかということです。たくさんいますよね。ものすごく残虐だけど、演説が巧みな人、言葉を使って心を動かしてしまう人など、歴史上でたくさんいるし、今もいます。三世次のように、「なぜ、この人が?」という相反する部分と整合性のなさは、歴史が実証していると僕は思うんですよ。

――確かにそうですね

どれだけ忌み嫌われようと、ユーモアがあって知的で魅力的。そんな人が選ばれることは、この作品と近いコミュニティーの大きさでいうと、村長選挙であっても起こりうることですよね?なぜ、この人がということを浦井さんと話しました。浦井さんも全く同じことを考えていて、つまり三世次を作りだしているのは自分自身でもあり、世間でもあると。世間であり、民衆である、両側面があるんじゃないかと。
今まで死んだものとして存在し、顔も火傷を負って身体も悪く、自分はいつ死んでもおかしくないというつもりで生活してきた無宿者の三世次が、最終的には生きることに執着する物語だと思うんですよ。それが、言葉を使い、暴力を手に入れ、清滝村そのものを動かす力を持ってしまった。その時に生きることを懇願してしまう。すごく逆説的なんですが、彼は何を発しているのか。どういう心理状況で言葉を発したかということを浦井さんと稽古場で話してきました。つまり、戯曲の中で三世次が言っているのに言っていないせりふがたくさんある。三世次が言っているのか、三世次が言わされているのか、民衆に言わされてしまっているのか、それとも民衆たちを代弁している声なのか。民衆自身の言葉なのか。これで戯曲のせりふが、私たちの「自分事」になるんです。浦井さんの自分事であり、そしてお客様の自分事になる。

――なるほど

なぜ、憎めなくて三世次を応援してしまうのか。そして、応援した瞬間に裏切られるのか。彼はお客様の代表として心の中の闇、心の中の何かを占めるパートでもあるんです。それは観客自身の言葉となり、三世次を応援したことを恥じる、もしくは後悔する。なぜ、そう思ったんだろう?と思ううちに戯曲は終わるわけです。上演を通して、客席を私たちの自己反省、自分事にしてほしいという井上さんの50年を超える壮大な仕掛けであり、メッセージです。

――納得です

「すべてを相対化したとき おれははじめて行くのだ!」という、三世次の一番最初の象徴的な歌があるんですが、「すべてを相対化したとき、お客様はどこに行くんですか」と問うているわけです。お客様には、震えるような瞬間と興奮するような喜びを両方感じていただけるんじゃないかと思います。

――その三世次の言葉は冒頭からとてもひっかかっていました

すべての答えは戯曲にありきなんです。井上さんの上演台本には、「この混沌にしか おれは生きられぬ すべての値打を ごちゃまぜにする そのときはじめて おれは生きられる。すべてを相対化したとき おれははじめて行くのだ!」と、そこだけ太字なんです。

――三世次が「きれいはきたない」「きたないはきれい」「あの世はこの世」「この世はあの世」など相反するものを羅列して歌った後に、その言葉が出てきてフックになり、何だろう?と思わせますよね

そのフックを、すべてとは何か、相対化とは何か、おれとは何か、はじめてとは何か、行くとは何か、のだ、とは何かを問い続け、実践し対話し、具体的にすべてのシーンを積み上げていきました。それが今回の「天保十二年のシェイクスピア」です。また、今回は三世次の一代記であることに、一本芯を通して演出しているものの、三世次だけが際立つのではなく、三世次の一代記を合わせ鏡としてどうキャラクターが輝いていくか。キャストの言葉のとらえ方が深く、そして新しくなっていて、言葉に宿している重みが非常に変わってきています。言葉に真実や魔物が潜んでいることを発見する、非常に美しい瞬間と恐ろしい瞬間が交互にやってくる。発見をもたらしてくれているのは、役者の皆さんですね。

――相対性とは何かを考えさせられますね

三世次は自分を言葉つかいだと。言葉つかいというキーワードから、この作品に色んな言葉が発生するんですが、やはり井上さんですから、言葉つかいといいながら、全くそうではないシーンがあることに気が付きました。三世次が暴力を手に入れる瞬間があって、人をほぼ初めて斬ってしまう。その瞬間にドラマが一気に変わるんですね。言葉と暴力を手に入れてしまった男は、支配者で独裁者になっていくというのが物語の大きい流れで、その独裁を止めたのが、唯月ふうかさんが演じるおさち(お光と一人二役)なんです。これ以上、世界を悪くしてはいけない。今の世の中で、すごく重要なメッセージを持っているのではないかと思いました。百姓を搾取する三世次に対して、代官の妻であったおさちは非常に怒りを持っている。ふうかさんは、2020年版でも同じ役で出演していますが、「復讐は連鎖を断ち切ってこそ、初めて復讐たりえる」という解釈を今回は自分で稽古場に持ってきて、それを「おさちが担っている」と皆の前で話しました。役の解釈が非常に深まっていて、第2幕の最後のシーンの彼女は秀逸だと思います。復讐の連鎖というメッセージは、その後、井上さんが積み上げていく大テーマですよね。

――多くの作品に出てきます

井上さん特有の死者からのメッセージもあります。死するものが喜びを語っている。生きている間は悲劇しかないんですよということを死者がお客様に伝えていて、生きている間に幸せはあるんだろうか、独裁は止められるんだろうかという気持ちになります。この11月にアメリカ大統領選挙がありました。あらゆる階層で分断が進んでいる2024年世界で、おさちのメッセージは私たちの一つの願望ではないかと考えるようになったのが、今回の演出の変化ですね。50年前に井上さんが書いて、これだけの残酷さと豊かさのある物語を50年越しに伝える。「ことば ことば ことば」の井上さんなので、この世の残酷さを言葉の暴力性で表現しなきゃいけない瞬間がある。「人間の暗部を光でえぐる」と僕は稽古場でずっと言っているんですが、暗闇を光でえぐった時に、光が残るのか、暗闇が残るのか。登場人物の鮮烈な生き様や死に様が稽古場にはあります。

――この作品に初参加で、王次役を務める大貫勇輔さんはいかがですか。大貫さんといえば、ダンスを期待する人も多いと思います

王次はこの作品の陽の部分になっているので、そこをどう担うかを言葉を通して大貫さんが発見していて、すごく楽しいですね。王次の持っている喜劇のパワーが非常によく伝わるのではと思います。ダンスは和と洋の踊りの中を行き来しながら表現していて、登場シーンは客席もあっと驚くと思います。

――役者さんの表現力を最大限に引き出す藤田さんの演出にいつも感心しています。どうやって引き出しているのですか

引き出すというよりは、気づきを渡すというか、何かきっかけになればいいと思っていて。僕は演出とは構成力だと思っているんですよね。最近、言語化できるようになってきたんですけど、演劇とは時間芸術の中で、一瞬ではないですから、ある時間の中で、どう空間や言葉を構成していくかが重要だと考えるようになりました。舞台を作る時は、すべての中心が役者になるんですよ。役者が生々しく存在し、戯曲を通して言葉の真実味を伝えるということが重要だと考えた時に、役者がそこにどう居ていただけるかということを稽古に入る前にかなり構成します。演出の構成が見えていれば、後は稽古を重ねながら、役者の皆さんが自由に舞台の上で生きるだけのような気がしているんですよね。そして、対話を重ねる。役者は生きる場所が板の上ですから、できるだけ風通しがよくて自由で、居心地のいい場所であってほしいと考えています。例えばこの作品のメインは悲劇の構造なので、常に生きづらい。その生きづらさを作ることも僕の至上命令じゃないかなと思います。生きづらさを演じる役者の心地良さを作る。

――おっしゃることは分かりますが、難しそうです(笑)

その難しいことを現場で軽やかにやることが大事ですよね。具体的に言えば、この一行をどうすればいいかを考える、戯曲の分析です。この人物はどういう人で、何を考え、どういうものを食べて、どう生きようとしているのか。戯曲の中にヒントや役につながることがあるわけですから、役者にそれを自由に発想していただけるような対話を重ねることが重要と考えます。僕は論理的に言いますので、堅苦しく感じるかも知れませんが、稽古場は「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく…」という、繰り返し語られた井上さんの理念が生きています。それを実践する場がまさに、今回だと思いますね。

――役者には現場で何を求めますか

相反するようで二つあります。一つは先ほどお話した、役を生きてほしいということ。役は自分ではないです。自分ではなく、役を演じることを通して舞台上にいるわけですから、役を生き切って、生き様をそこで見せてもらいたい。もう一つは、真逆なことですが、戯曲が自分にとってリアリティのあること、自分の事であってほしいということ。体は一つ、相反する二つですが、僕は表裏一体だと思うので。

――この作品のようです

精神も身体も一つですが、役になりきって生きて欲しいと同時に、自分の事であってほしい。その両方が幸運な形で一致した時に、いい役というのは生まれるのではないかなと思います。いい役が生まれる瞬間を導き出す、気づきを渡す手助けになる助産師のような役割が演出家だという感覚ですね。
役者というのはすごく大変な仕事ですよね。僕が役者だった頃、例えば自分とは遠い役が与えられるわけです。そのままの自分ではいけないわけですから、努力し、今の自分の身体と精神でどうやってなりきれるかと、役と手をつなぎ、自分事であるという舞台にとっては幸運な時間を作り出す。舞台上の役者が一致して自分の役と共鳴した時に、一体感のあるすてきな作品が誕生すると思いますし、それを目指して構成している。それが僕の仕事であり、役者に託していることです。

――それは演出家を目指した時から思っていましたか

役者をやっていたので、そうありたいと思っていました。自分の精神と身体が自由に板の上にいられたらどんなに幸せだろうと。僕はどっちもできなかったですね。自分事にもできなかったし、身体的にも優れていなかったですから。

――そこで向いてないなと?

向いてないとは思わなかったんですけど、続けても先がないなと。僕は昔、野球をやっていて、メジャーリーガーになりたかったんですが、早い段階で無理だと分かりますよね(笑)?役者は先がないと分かったんですが、やりたい思いはすごく強かったですね。その分、演出した時に過剰に出てくる。できるだけ役者と対話しようと思っています。

――稽古場で藤田さんが演じて見せることは?

ないですね。ただ、藤田の身体や言語はこれだけ何も語らないですよという悪しきデモンストレーションとして使ったことはあります(笑)。いい例として伝えるにはおこがましくて、これは舞台に上がる演技ではないと(笑)。

――見てみたいです(笑)。話を作品に戻しますが、音楽は宮川彬良さんが作曲し、ブルースやジャズ、歌謡曲、童謡など幅広い楽曲ですね。宮川さんと一年近くもやりとりしたそうですが、お二人でどう発展させたのでしょうか?

シンプルに一つだけなんです。井上さんの言葉と闘いましょう、井上さんの戯曲の中から何が聴こえるかを大事にしましょうと。「すべてを相対化したとき おれははじめて行くのだ!」というセリフがキーだと解釈していたので、多種多様な音楽で、遠い価値観が一つになっていくのは音楽的にも一緒だと考えていました。(宮川)彬良さんも全く同じことを考えていて、「やはりト書きや行間、言葉から聴こえてくるんだよね」と、それだけです。彬良さんはその聴こえてきた音楽をまず譜面に乗せてみる。一年かけたのは、一曲一曲、丁寧に創りたかったからです。
全部通して聴くと分かるんですが、井上さんがリプライズ構造にしているんですよ。歌が生とするならば、その人物が死ぬ瞬間に構造がひっくり返るのを僕も彬良さんも発見したんです。舞台で宝物を探すような感じで見ていただきたいんですが、それぞれの人物のテーマ曲みたいなものがあり、死ぬときにそれがリプライズとして流れています。深層心理で、三世次が自分の策略や言葉、暴力で人を殺した時に、その人物を取り込んでいったという構成にしています。音楽の力ですね。

――音楽も含めて世界で通用する作品ですね

世界でドラマ「SHOGUN 将軍」が大ヒットしているのは様々な理由があると思うんです。自分たちのルーツはどこにあるのかと問うていて、すばらしいエンターテインメントだと思います。日本の美学や日本人であること、日本語の豊かさは、これからもっともっと評価されていくのではないかと考えますね。この作品も日本代表、アジア代表として世界中の劇場で上演され、井上さんの魔力に、国境を超えてかかってもらいたいです。最後はとてもハッピーで楽しい気持ちで劇場を後にできますが、その裏側にはどんな本音やタテマエ、自分の事と思える真実が潜んでいるのか、世界中のお客様に、ぜひ感じていただきたいという気持ちで作っています。

――藤田さんが演出するのは骨太な作品ばかりですね

どうしても骨太な作品をやりたいんです。今後、演出してみたい戯曲はたくさんありますが、全ては巡り合わせの幸せだと思っています。その一方で、自分の美学とは全く違う価値観の作品のオファーをいただくことがあります。その時、自分の言語にはないから自分の経験を生かすことはできないとは思わないで、新しい出会いにもドンドンと挑戦していきたいですね。昔はタイ料理は食べたことなかったんですが、食べてみたら美味しかった。それと同じことですよ(笑)。知らない世界を知ることはすごく重要だと思います。

――今後はどんな高みを目指したいですか

まだ僕はスタートラインに立ったばかりなので、今、言えることは、この作品をとんでもなく素晴らしい高みにして初日を迎えたいです。それが、今日の今、考えていることです。やはり目の前の今日の仕事ですね。初日を開けて、全国を回る。一つひとつ、一秒、一秒を大事にしていきたい。

――まず目の前の作品をというのが、ご自身の姿勢ですか

それしかできないと言えば、できないですね。やはり一歩一歩ですから。

――30代の若いころは「稽古場にしか自分の居場所はない」とおっしゃっていましたが、今は?

今は、ここが自分の生きる場所だなと強く思います。幸せに思いますね。

取材・文 米満ゆう子