ハイバイ20周年『て』│岩井秀人×大倉孝二 インタビュー

写真左から)大倉孝二、岩井秀人

12月19日(木)より東京・本多劇場を皮切りに富山、高知、兵庫の全4都市でハイバイ20周年『て』が上演される。本作は主宰で作・演出を手がける岩井秀人の実の家族をモデルとした私演劇として2008年に初演。その後、三度の再演を重ねたハイバイの代表作の一つであり、劇作家・岩井秀人の唯一無二の作風を形成した名刺代わりの一作でもある。人物の視点の交錯と融合、切実と悲惨の往来によって、人間のアンビバレントな感情を浮かび上がらせる現代家族劇。家族であるがゆえの分かり合えなさと分かり合いたさ、その挟間で互いを傷つけ合わずには生きていけない人々の姿はこれまで多くの観客に共感と衝撃を与え続けてきた。

初演から16年、5度目の上演となる本作だが、今後岩井の演出による再演の予定はない。劇団結成20年の節目に “最期”にして“完全版”の上演。その意気込みに応答するのは実力と個性を伴った12名の俳優陣。一つの集大成となる開幕を前に、岩井秀人とハイバイ初参加であり、物語のキーパーソンとなる兄役を演じる大倉孝二に話を聞いた。

実話をもとに二つの視点で展開する、現代家族悲喜劇

――2008年初演の本作ですが、今回が“最期”の“完全版”ということで、まず、岩井さんに本作の誕生について振り返っていただけたらと思います

岩井 小劇場すごろく的な流れで下北進出をする、となった時期だったのですが、書きたいことがこれと言ってなく、かろうじて書けるのが自分の家族の話だったんです。当時、岩井家では祖母の認知症を機に介護について話し合ったり、バラバラになった家族の仲を復活させようと姉が動き出したりもしていて…。でも、父がゲンコツ野郎だったこともあり、集まってみたらやっぱり全然大丈夫じゃなくて、むしろ前より仲が悪くなったんですよね。僕はそれを面白がって、早速執筆に向けて母に取材をしてみたら、どうやら僕の見ていた景色とは全く違う景色があることがわかったんです。それは主に兄に対する視点なのですが、僕は兄のことを認知症の祖母相手にガン詰めして正そうとする人だと思っていたので「うちの兄は鬼です」という切り口で書こうと思っていたんです。でも、母に取材したら「あれは怒っているのではなく、別の感情だ」という解釈だった。それを踏まえて、二つの目線で同じ時間を二周する構造で書いてみることにしたんです。

――内容だけでなく、次男と母の二つの視点から描かれる本作の構造もまた実体験を元に生まれた発想だったのですね。『て』はご自身の作家性を形成した作品でもあると語られていましたが、岩井さんにとっては作風の転換期でもあったのでしょうか?

岩井 それまでの僕はどちらかというと岩松了さんの流派で…。アンチ構造というか、「この先の話をわかって書くんじゃねえぞ」と一筆書きで書くような台本をセオリーにしていたのですが、当時、柴幸男くんとか前川知大くんが台本の構造によってお客さんを巧みに導いていて、「(劇作において)効率がいいかも」と思ってはいたんですよね。それで、自分も二周の構造を用いた劇作を試しにやってみたという感じでした。同じ時間を過ごしていたのに、自分と母の見ていた景色が全く違っていたことが衝撃だったけど、人によって物事の解釈やフォーカスしているものが全く違うことって現実の世界では結構あるなとも思いましたし、そこを描く上でも必要な構造だったとも感じました。

――兄役を演じる大倉さんは、初めて台本を読んだ時どう感じられましたか?

大倉 字面だけで読むと、結構生々しい話だったので、これは大変だなと。あんまりこういうタイプの作品に慣れていないというのもあるのですが、「よくここまで自分のことをダイレクトに書けるな」という驚きが大きかったですね。自分はそういうことをなるべく避けて生きている人間なので…。ものを書いて作る人ってこういう風に思うんだな、って思いました。

岩井 そう感じていたんですね。僕自身は、生々しさなんていうのはもう感じないんですよ。「文章にするって、本当のことを嘘にすることであるし、嘘のことを本当にすることである」って誰かが言っていたのですが、まさにその通りで。本当を体験した方からしたら、文字にした時点で嘘、本当に寄せようとはするけど絶対本当にはならないんです。でも、読んだ人に生々しく感じてもらえるのは嬉しい。僕はむしろ兄を演じてくれる大倉さんを見ていて「大変そうだな」って思っています(笑)。

大倉 稽古をやり始めて思ったのは、楽しそうだな、楽しむものなんだなってことでしたね。こんな話なのに、岩井くんの顔を見たら、すごい楽しそうなんですよ。それこそ、生々しさなんてものをとうに手放しているからかもしれないけど、そんな様子を見て、「ああ、これは楽しそうにやるものなのね」と思ったというか…。内容はリアリティがあるけど、見せ方は抽象的だったりするので、その演出の個性も楽しみたいと思っています。

岩井 ずっと見ていられる面々なんですよ。稽古で「こういうことやりたいんだけどやってみて下さい」って言ったら、みんな一発でやってくれるので、すごいスピードで進む。それで昨日は休みになりましたよね。

大倉 俺は正直まだ迷子状態なので、進んでいる実感はないですけどね!この座組に入って思ったのは、「30年近く演劇をやってきたけど、俺ってあんまり演劇の人を知らなんだな」ってこと。初対面の方が多いんですけど、みなさんは共通の知り合いも多いみたいで、「俺のやってきた演劇ってどこなんだろう?」ってふと思ったくらい(笑)。いろんなお芝居をする人がいるから、一緒にできることを楽しみたいですね。

岩井 それは僕も思っています。ごっちん(後藤剛範)と大倉さんが二人並んでいるだけでもう面白いし、そこに川上友里さん、小松和重さんが絡み出すと、一生見てられる感じがあります。みなさん本当に面白いです。

同い歳の二人、それぞれが思う互いの個性と魅力

――大倉さんと岩井さんは『いきなり本読み!』でもご一緒されていましたが、岩井さんの思う、大倉さんの魅力は?

岩井 『いきなり本読み!』がきっかけではありますが、Bunkamura20周年記念公演『東京月光魔曲』でケラさん(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)に呼んでいただいた時が大倉さんとの最初の共演でした。でも、それ以前から大倉さんのことはずっと見ていましたね。「同い歳なのに、なんなんだこの人は!」って遠い存在として…。

大倉 そうそう。同い歳なんですよ。なのに、すごい気を遣ってくれる。僕はつい岩井くんって呼んじゃうんだけど、岩井くんはずっと敬語だし、俺のこと大倉さんって呼ぶ。

岩井 野田(秀樹)さんやケラさんの作品に出ているのを遠くからずっと観ていたので。大倉さんって、その日上がってきた台本の箇所も一発で仕上げるし、全力でやるんですよ。後から聞いたら「そうするしかないから」なんて言うんだけど、あの精度と強度と美しさでやられると、もう何も言えない。「この人は一体何を考えているんだろう?」ってずっと思っていました。その後、『いきなり本読み!』に出てもらったら、やっぱりすごく面白くて。僕の大倉さんへの印象は、「もはや俳優をやりたいかも定かじゃないけど、才能がありすぎて俳優の役割を与えられちゃった人」なんです。だから、『いきなり本読み!』というちょっとした天国みたいな場所でたまに休ませてあげたいと思ったりする(笑)。

大倉 いやいやいや、『いきなり本読み!』はね、めっちゃ緊張したよ。だって、何読むかわからないんですよ。そんなことないもん。

岩井 そっかそっか(笑)。

――大倉さんから見て岩井さんの印象はどうでしょうか?ハイバイ作品に参加してみての実感や演出における個性や魅力など、今稽古場で感じていることをお聞かせください

大倉 まだお芝居のことはあんまり言われてないですね。でも、結構ダイナミックな演出をされる印象はあります。「ここはこういう動きを見せたい」とか「そこは急にこっちの目線になるから体もこうなっていて欲しい」とか、そういった見せ方を感情から切り離して持っている感じがするというか…。野田秀樹さんの作品のような飛び越えた世界観の場合にはそういうことはよくあるけど、こういうリアルな作風の中で、時には俳優の生理や感情を切り離してでも「ここはこういう風に見せたい」と明確に演出をする人は僕の中では初めて。だから、このルールを楽しまなきゃと思っていますし、ハイバイ経験者の方に聞いても、「こうなんですよ、岩井ワールドは」という感じでした。あと、ずっと疑問に思っているのが「なんでずっと同じ作品をやるの?」ってこと。これ、いつか聞こうと思いながらずっと遠慮してたんですけど…。

岩井 旗揚げで『ヒッキー・カンクーントルネード』という作品を作った後に、「じゃあ次の作品を作ろう」というよりも、「まだ1億人以上観てない人がいるからこれを届けることがやりたい」と思ったんですよ。もちろん、新しい作品もやがては作りたいけれど、僕の中ではそっちの方を優先したかった。最初からそんなにたくさんの作品は書けないとも思っていたし、一人の作家の代表作なんて3,4本あれば十分とも思っていて…。だから、そのくらい作ったら、どんどんそれを回していこうと。

大倉 初日の稽古の挨拶でも「もう完成は見た」って言っていたんですよね。それをまだやろうとするって、一体どういうことなの?って。完成を見たものを今回はどうしようと思っているんだろう、とも思いましたね。ただでさえ再演って「前の方がよかった」って言われるかもしれない運命にあるじゃないですか。

岩井 それにはもう慣れていて、前の作品への愛だと受け取って、ありがたく思うと同時に再演する時は気にしないようにしていますね。

大倉 そうなんだね。稽古始まったばかりですけど、このお芝居の見せ方を岩井くんもハイバイに出たことある人たちもみんながきちんと理解していて、できていないのは芝居だけという状態なんです。不思議な現場ですよね。その中で、俺とか小松さんとかの初参加の人がちょっとオロオロするみたいな…(笑)。

岩井 特になんの抵抗もなくやっている伊勢佳世さんも実はハイバイ初参加です。ある意味一番前を走ってくれていることもあって、頼もしいです!

今だからこそ上演できる、“最期”にして“完全版”の『て』

――大倉さんが仰ったことと通じるかもしれないのですが、何度も再演を重ねてきたこの作品を今、「完全版」として発表することにはどんな思いがあるのでしょうか?

岩井 最初に大倉さんが言ってくれたみたいに、生々しさを手放した状態だからできるのだと思います。初演ではそれこそ内臓を触られているような感覚で演劇にしていたし、二つの視点を体験するために母を自分で演じてみたり、人生のプレイバックシアターのようにも考えていたのですが、どこかのタイミングからそういった感覚が抜けていったんですよね。それは、お客さんから予想もしない様々な感想をもらえたことや、自分の母や父をこうしていろんな俳優さんに演じてもらっていく中で徐々に手放していったものだと思うんです。そう思うと、結構年月がかかった気もするし、自分自身が体験と感情をガチガチにくっつけて抱え込んでいたんだな、ってことにも時間をかけて気が付いていったと感じていて…。そして今、「これは自分の体験だ」という気持ちは全くなくなった。だから、やっと純粋に一つの作品として作れるような感覚がある。そういう意味での完全版ですね。

――“完全”という言葉の意図が伝わるお話です。この数年で家族の在り方や問題もますます多様化し、かつそういったことが可視化されやすくなってきた気もします。そんな中でこの家族劇を今を生きる人がどう感じるのかも楽しみなのですが、お二人の思う「家族劇」の魅力や難しさとはどのようなところでしょうか?

岩井 たしかに昔に比べると、隠しておくことでもなくなった感じがあるというか、みんなが自身の家族や生い立ちを振り返って「あれは変だった」、「大変だった」って言いやすくなったのかなという気はしますよね。言葉での暴力も認定されやすくなったし、言葉によって圧力を感じて動けなくなる人がいることも周知されつつある気もします。当時の僕は、自分の被害届を出すような感じで「みんな聞いてくれ」って始めたのですが、「自分も似た檻に入れられていた」ってことを思い出してもらえたり、それを感想という形で言葉にしてもらえたことはすごくよかったと思っています。いろんな家族の話やケースがあると思うので、こういった作品をきっかけにでもどんどん話していけたらいいし、プラスそこを面白がっていけたらいいなと思います。

大倉 こういう家族の話を観てみんなは何を楽しむんだろう、と思うんですよね。共感なのかなとは思いつつ、これまで自分はなるべく共感させないように頑張ってきた節もあるのでまだちょっと分からなくて…。ただ、家族ものも少ないながらやったことはありますけど、その時は自分の実体験や家族との関係性みたいなものを少し持ち込んで演じようとしていた感じもあったかもしれないけど、今回はなるべく役の人の主観でやりたいと思っていますね。自分のものを持ち込まず、この世界の人としてやりたい。そんなふうに思っています。自分が見どころを作ろうという意識も全くないし、始まった日からずっと迷子だから僕に言えることは何もないんですけど、お客さんの方がよくわかるんじゃないかな。そんな気もしています。

岩井 この数年で僕自身の活動も変化してきて、『いきなり本読み!』やワークショップを通じて俳優の機能を劇場の外側に持っていくことなど、お芝居の演出以外の役割について考えることも増えました。これまでは自分の作品は自分のみで演出するようにしてきたのですが、今月『夫婦』が廣川真菜美さんの演出によって上演されますし、若い俳優や作家との関わりが増える中で、自分の作品を徐々に手渡していけたらという気持ちにもなってきました。お芝居の演出をやる人は他にもたくさんいるから、演劇をめぐる他の役割にも目を向けたいと思っています。そんなこんなで、岩井の演出としてはなかなかやらなくなりそうなので、ハイバイ、岩井って聞いたことあるけど、詳しくは知らないって人もぜひこの機会に観てもらえたら…。どこへ行くにも最初に持っていこうと思っている名刺代わりの作品なので、自信を持ってお届けできたらと思います。

インタビュー・文/丘田ミイ子
撮影/山口真由子