劇団スポーツ NOWHERE #1『CONSTELLATIONS』稽古場レポート

2025.09.09

9月10日(水)より早稲田小劇場どらま館にて上演される『CONSTELLATIONS』。劇団スポーツの最新公演であり、彼らが新たに始動させた「NOWHERE」の第一弾となる作品だ。

演目は劇団スポーツのオリジナルではなく、イギリスの劇作家であるニック・ペインによるもの。大宮二郎、輝蕗、庄子紗瑛、田島実紘(劇団スポーツ)、星野李奈、宮地洸成が出演し、内田倭史が演出を務める。

“物語の中で起こること”と“舞台上で実際に起こること”の両方を楽しめる演劇の創作を目指してきた劇団スポーツが、いったいどのような『CONSTELLATIONS』の世界を立ち上げようとしているのか。そのユニークな稽古場の様子をお届けする。

■まるで遊びながら演劇の可能性を探求する稽古場

なんてバカバカしくて、なんでこんなにも感動するんだろう──。

劇団スポーツの作品を観るたび、体験するたび、そう思う。荒唐無稽な物語や突飛な展開を前にゲラゲラ笑っていると、うっかり落涙していることがある。この不可逆的な現実の中で、右往左往、東奔西走、悪戦苦闘する登場人物たちの姿がバカバカしければバカバカしいほど、そこに生じる切実さが私たちの胸に迫ってくる。劇場を出てしばらくして、「ああ、大好きだ……」と、劇中の登場人物たちや、それを演じる俳優たちのことを思い出しては余韻に浸る。愛しさで胸がいっぱいになる。そう、それが劇団スポーツの作品だ。

彼らの作品はいつだって熱量がすごい。ノリも勢いもハンパない。しかし、先述した観劇体験は、ノリや勢いや熱量や演劇愛のみによって生まれるものではない(もちろん、このすべてがある)。劇団スポーツが演劇作品を創作して上演することにおいて、彼らならではの方法論がそこにはあるのだ。

新シリーズの「NOWHERE」とは、

No Where──なにも決められていない自由な空間で

Now Here──いま・ここにいることを遊びながら

Know Where──戯曲の世界を探求する

上記の三つを創作の軸とした演劇の実験場だ。その最初の試みとして、ニック・ペインの『CONSTELLATIONS』が選ばれた。この作品の登場人物は、物理学者のマリアンと養蜂家のローランのみ。出会い、すれ違い、別れ、再び出会う──そんなマリアンとローランのやり取りを描く二人芝居である。

物語は同じような会話劇を反復させていくのだが、同じようでありながら、二人の関係性はちょっとずつ変化していく。いまこの瞬間を生きる私たちにあらゆる選択肢があり、その先に未来が待っているように、マリアンとローランの関係性にもあらゆる可能性が存在する。これを二人ではなく、六人の俳優が代わる代わる組み合わせを変えつつ演じていくのだ。

この日の稽古は初日まであと約三週間というところ。まずは一人ひとりが、いまこの瞬間の自身の状態について話すことからはじまった。そこからはメンバーの演劇の世界の外(=日常)の様子が見えてくる。そして、一人ひとりが無数の可能性をたどり、いまこの場に集まっていることが分かる。当たり前のことだが、日によって人間の心身の状態は簡単に変わるものだ。人が一つの場に集い、何かをしようというのは、小さな奇跡の集積によって実現しているのだとしみじみ思う。

続いて行うのはシアターゲームのようなウォーミングアップだ。本作の稽古では、イギリスの演出家で演技指導者でもあるマイク・アルフレッズ提唱のプロセスを導入している。彼の著書『Different Every Night』に基づき、俳優の動きや配置をあらかじめ決めることなく、自由な選択とやり取りから作品を立ち上げていこうというのだ。

しかしだからといって、なんでもありというわけではもちろんない。『CONSTELLATIONS』にはウィットに富んだセリフたちが連なっているし、そこにはやはり物語がある。これを立ち上げていくためには、作品の核となるものが必要になってくるだろう。それが、感情と意識の共有だ。この共有さえできていれば、あるシーンのマリアンとローランを演じる者たちがどのようなルートをたどっても、次に演じる者たちはバトンを受け取ることができる。これを実現していくことを目的としたアップのようだった。そしてこの流れに乗り、シームレスに『CONSTELLATIONS』の稽古へと、本格的に入っていく。

いや、“本格的に”と記したものの、ウォーミングアップと台本を用いた稽古は地続きだ。劇団スポーツが2月に開催したワークショップオーディションが、この場のこの瞬間につながっている。だから本作のために集った俳優たちは、通常の演劇の創作にかけるよりもいくらか長い時間を『CONSTELLATIONS』とともに過ごしてきたらしい。だからこそ、稽古ではセリフに命を吹き込む前のウォーミングアップ=準備運動に時間をかけることができるし、いくらでも実験を繰り返すことができるわけだ。

「スポーツ」には「準備運動」が欠かせない。というか、「準備運動」は「スポーツ」の一部だ。ピッチを走っている最中、あるいはバッターボックスに立つ前、選手たちがストレッチをしているのを見かける。たぶん、あれと同じ。「NOWHERE」の稽古場ならではのものであり、おそらく本番でもそんな瞬間があるのではないだろうか。

『CONSTELLATIONS』は、マリアンとローランのやり取りと変化していく関係性を描くもの。先述したとおりだ。ぐるぐるとシチュエーションを変えながら、二人の会話劇が展開していく。けれども一口に「シチュエーション」といっても、じつは複雑だ。たとえばそれが「庭」の場合、どのような環境なのかは演じ手ごとに捉え方が異なるだろう。役をとおして見えているもの、聞こえているものはそれぞれ違う。地面が芝生なのかどうか──もしも芝生ならば、それはどんな状態なのか。天気はどうなのか──もしも晴天ならば、それはどれくらい晴れているのか。手にしている飲み物は冷えているのか。木が生えているとしたら、それはどんな木なのか。といった具合に。

これらの「場面/環境」がどのようなものなのかを、座組のみんなの想像力で探っていく。テキスト外の情報に積極的に触れていくのだ。すると、戯曲の全体像やシーンの輪郭が鮮明になってくる。行間を読むことや、言外の意味を汲み取ることとは違う。それらよりもっと手前にある作業だといえるかもしれないし、あまり重要視されないものだとも思う。意識と感情を共有し合い、認識をすり合わせ、戯曲/シーンの可動域の大きさをみんなで確認していく。そのうえで、各シーンをどのように生きるのかは、個々の演じ手に委ねられている。これが「NOWHERE」だ。地道な作業をにぎやかに積み重ねては、各シーンの持つ面白さを、ひいては戯曲の魅力を掘り下げていく。これが「NOWHERE」なのである。

こうして文字にしてみると、劇団スポーツは何やら小難しい方法論に挑んでいるかのようにも思えてくる。しかし、まるで遊びながら演劇の可能性を探求する稽古場は、笑顔と笑い声が絶えない。見学者である私も、何度もつられて笑った。「芝居」は英語で「play」であり、「play」は「遊ぶ」を意味する語である。「NOWHERE」では非常に興味深い「場」が醸成され、風変わりな「スポーツ」が繰り広げられている。感動した。物語に対してではなく、『CONSTELLATIONS』が立ち上がりつつあるこのプロセスに触れて、である。9月10日から、上演ごとに、それぞれのシーンごとに、いろんな星々がきらめくはず。早稲田で確認できる日が待ち遠しい。

文/折田侑駿
撮影/hondayumika