寺山ワールド全開の伝説的名作が
美輪明宏ならではの演出で再び花開く
詩人、小説家、評論家、映画監督といった多くの顔を持つ一方で、演劇界では、1967年に演劇実験室◎天井棧敷を旗揚げし、アングラ演劇の一大ムーブメント巻き起こした寺山修司。その代名詞的作品である「毛皮のマリー」の美輪明宏演出版が、実に7年ぶりに再演される。
日本一ゴージャスな男娼・マリーと、マリーに過保護に育てられ、外の世界から遮断されている美少年・欣也とのなかでうごめく母子の愛憎が、退廃美溢れる世界観のなかで描かれていく。
美輪 「寒空のもと、青函連絡船の港を行ったり来たりしていた老残の男娼の切ない姿が最初のヒントになったと寺山さんはおっしゃっていました。でも私は、『いえ、これはあなたとお母様のハツさんとの話を他人事にすり替えて書いた私小説ね』と言ったんです。ご本人は返事をしませんでした。でも、ハツさんはそれを分かっていらして、『私をあんなに美しく表現してくれる人は他にいない』と喜んでくださっていたそうです」
もともと「毛皮のマリー」は、天井棧敷の旗揚げ公演「青森県のせむし男」同様、寺山が美輪のために書いた戯曲だ。関係の始まりは、かねてから親交があり、のちに寺山の妻となった元女優の九條映子を介しての手紙。「〝昭和の怪物〟と言われていた私に興味があったのでしょう」と美輪は笑うが、セリフや作品世界に対する理解度は、寺山本人を驚かせるものだった。
美輪 「〝世界は何でできてるか考えたことある?〟から始まるマリーが水夫に話す名ゼリフ。〝表面はウソ、だけど中はホント〟〝魂が遠洋航海するためには、からだの方はいつも空騒ぎ!〟〝ジャンケンで敗けた方がウソになってホントを追っかける〟といった言葉に込められている人生哲学について私なりの解釈をお話ししたら、寺山さんは『あなたは恐ろしい人だ』と (笑)。それから、初演の前日、横尾忠則さんのセットが劇場に入らなくてみんなで途方に暮れていたときに、『あなたは、マレーネ・ディートリッヒの映画「嘆きの天使」での楽屋の雰囲気が欲しいんじゃない? 私はその雰囲気で芝居をしていたんです』と尋ねたときにも、同じ言葉を寺山さんはおっしゃいました。それで、私の部屋にあった棚や長椅子、屏風、肖像画、ついにはカーテンまで運び出して上演にこぎつけたんです(笑)」
結果、劇場には観客が押し寄せ、急ぎ、深夜公演を追加するほどの大ヒット。寺山修司の劇世界は、今なお人々の心を魅了している。とりわけ生誕八十年にあたる今年は、若い世代も含めた演劇人たちによる寺山作品の上演が盛んだ。
美輪 「過去、現在、未来。文学にしても音楽にしても演劇にしても何にしても、そういった時間軸は天才には関係ないんです。シェイクスピアだって黙阿弥だって決して古くならない。『また再演ですか』なんて言うジャーナリストは、芸術の世界から身を引いた方がいいんじゃないかしら?(笑) 寺山さんの作品が色あせないのも、彼が持っていたものが本物だったからだと思います」
寺山の死後、美輪が自ら演出を手がけるようになったのが2001年。これが3度目の取り組みとなる。
美輪 「三島由紀夫さんの『黒蜥蜴』は先の公演で終わりにしましたが、三島さん、寺山さんのあの長ゼリフを話すのに必要な音域を自由自在に操れるうちは舞台を続けようと思っています。あとは、相手役の前に、シミやシワのない手を差し出せるうちはね(笑)。演出については、前回、ほぼ決定版に近いものができたので、それを少し膨らませる形になります。最後には青森出身の寺山さんにちなんで、東北の民謡『南部牛追い歌』を流して(67年の初演ではイブ・モンタンがかかっていた)。土着的な匂いと古き良き時代のフランスを思わせるエレガンスな薫り。そういったものをごった煮にしたいんです。というのも、それこそが寺山修司の世界ですから。寺山さん、ハツさん、それから映子さんも、きっと劇場まで観にいらっしゃるんじゃないかしら(笑)」
インタビュー・文/大高由子
Photo/御堂義乘
構成/月刊ローソンチケット編集部 12月15日号より転載
【プロフィール】
美輪明宏
■ミワ アキヒロ 長崎県出身。16歳でプロ歌手となり、「メケメケ」「ヨイトマケの唄」などが大ヒット。演出・美術・音楽などを手がける総合舞台人としても活躍を続ける。主な演劇作品に「黒蜥蜴」「双頭の鷲」など。また「紫の履歴書」「人生ノート」「花言葉」など著書多数。