ワタナベエンターテインメント Diverse Theater 第2弾『Too Young』│稽古場レポート

2025.11.18

現在、東京・紀伊國屋ホールにて、舞台『Too young』が上演中(11月24日まで)。本作はワタナベエンターテインメントが、多様なコラボレーションにより演劇の可能性を拡げるべく立ち上げた実験的プロジェクト「Diverse Theater」の第2弾で、脚本を古川健、演出を日澤雄介(ともに劇団チョコレートケーキ)が手がける。キャストには、主演の宮崎秋人をはじめ、綱啓永、伊礼姫奈、朝海ひかる、玉置孝匡、岡島遼太郎、大石愛陽の個性豊かな7名が集結した。
物語の舞台は、新宿歌舞伎町。母親から依頼を受けた興信所の調査員・本郷が今は亡き一人の少女の足取りを追うところから始まる。開幕を間近に控えた稽古場から、その熱のこもった創作の様子をレポートする。

※本記事には「自死」にまつわる表現があります
※宮崎秋人の「崎」の字は、(タツサキ)が正式表記

稽古場に入ると、そこには“トー横”があった。雑踏の中、ビルの袂で座っているとも寝そべっているとも言えるような状態でいるカコ(大石愛陽)。その手にはストローの差されたストロング系缶チューハイがある。そこにふらふらとショーヘイ(岡島遼太郎)がやってくる。軽口を叩き合う二人はルームシェアメイトならぬタウンシェアメイト。どうやら“トー横キッズ”と呼ばれる若者らしい。

そこにもう一人の男・ジャック(綱啓永)が現れる。二人よりはやや年長者。ショーヘイいわく「この界隈でジャックの世話になってない奴なんかいない」、カコいわく「ジャックがいなかったらトー横じゃない」らしい。その愛称が語る通り、トー横を“ジャック”するその男はまさにこの町の“顔”というわけである。
どうやらその存在はトー横外でも知られているようで、ジャックを発見するや否や声をかける男がいる。興信所の調査員である本郷(宮崎秋人)だ。

「先月、この街で自殺した高田茉姫さんのことをご存知ですか?」
本郷は、茉姫(伊礼姫奈)の母である亀山(朝海ひかる)から「娘が生きていた足取りを辿ってほしい」と依頼を受けていたのだ。
茉姫の名が出た途端、同時に顔を見合わせる3人。
彼らは果たして茉姫の死の真相を知っているのか、いないのか…。

と、ここですかさず日澤の演出が入る。界隈での自然な言葉使いや用途、熟語の周知度などにも細かく気が配られ、それに対して、俳優陣もともに思考を重ねる。
「“詮索”って言葉が出てくるけど、日常的に使うにしてはちょっと不自然かな」
「このセリフはカッコイイことをカッコ悪く言っている感じにできたらいいと思うんですよね」
「そこの二人のやりとりは、いつものお決まりパターンきました!っていう雰囲気で、もっと互いに馴れ合う感じにしましょう。爆笑しちゃってもいいかも」

双方から意見が出され、実践を踏まえ、物語の文脈、人物間の距離感を整えた上での空気づくり、シーンづくりが重ねられていく。ふと、台本に目をやると、人物によって「トー横」と「トーヨコ」と発話の表記も分けられていることに気づく。誰がどんな言葉をどんな風に発するか。それによって目の前の風景が大きく変わるということを実感させられる一幕であった。

そんな演出を受け、俳優陣の表現も一つ、ふたつと変化していく。カコとショーヘイはより明け透けな雰囲気を醸し出し、ジャックは、さらに町の“顔”っぷりを極め、そして、本郷はそんな界隈内のムードに飲み込まれぬよう切々と茉姫の足取りを探ろうとする。

綱、岡島、大石の3名が立ち上げる、シェアメイトならではの付かず離れずの関係性と妙な連帯感。そこに通底するのは、たとえ明け透けな町であっても、誰もがそう簡単には“素顔”を見せない、ということであるようにも思えた。“顔”とその裏に隠す“素顔”。その二面性を、役の内外を横断してコミュニティを牽引する綱を筆頭に、3人の俳優が三種三様のアプローチを以て鮮明に表現していく。また、3人は出演シーン以外の時間を使って、ディスカッションをしている様子も伺えた。その能動的なアプローチが舞台上での3人の関係を確かなものにしていることは言うまでもないだろう。

そして、本郷にもまた人には言えぬ秘めた過去があるようだ。時折虚をつかれたように、佇まいや眼差しを変える宮崎の俊敏かつ繊細な表現力に思わず目を見張る。体の重心がふと揺らぐような、瞳の奥がふと色を失うような、そんな一瞬こそが長く、そして雄弁な一幕であった。在りし日の残像を見つめるようなその横顔にこんなことをふと思う。本郷もまたこの町で何かを探しているのかもしれない。

日澤の繊細な演出は、もちろんセリフや言葉の使い方だけには止まらない。
スマホをいじりながら/タバコを吸いながら/缶チューハイを飲みながらと、人物のさりげない所作のディテールや役の感情や生理を都度確認しながら、丁寧に調整が加えられていく。どのシーンにもプランやバージョンが複数用意されており、俳優とともにより自然なアクション/リアクションが追求されていた。とにもかくにも緻密な空気作りが印象的な稽古場であった。

シーンは移り、本郷は亀山と対面し、調査の報告を行う。
そこで本郷はトー横でショーヘイから聞かされたこんな噂について話す。
「死んだはずの女に、トーヨコで会った奴がいるんだって」
思わぬ一言に戸惑いながら、調査を継続してほしいと伝える亀山。母娘としての空白の時間を悔やみ、どんな小さなことでも、たとえ関係がないかもしれないことでも知りたい、と食い下がる母の苦悩と執念。朝海の技量に裏打ちされた豊かな表現力が一瞬のシーンにもうねりを生む。死んだはずの女は茉姫なのか、そうではないのか…。

また、この日の稽古では時間の都合で玉置孝匡の出演シーンは見られなかったが、玉置は、茉姫の生きた時間を遡るにあたって非常に重要な登場人物を演じる。母とはまた異なる立場から語られる言葉、寄せられる眼差し、そして数多くの舞台に出演する玉置が見せる新たな役どころにも是非注目してほしい。

稽古も終盤に差し掛かり、生前の茉姫の姿を映すあるシーンが返された。そこにいるのは、笑うとたっぷりとあどけなく、声にもまだまだ幼さが残る、等身大の“若すぎる”少女の姿であった。目線や仕草の一つひとつを繊細にとらえ、“生きた足取り”を体現しようとする伊礼の姿が印象的なシーンである。今を生きる10代の俳優としてこの役を演じることへの意気込みが滲むような。そんな姿であった。

「人間ってどうして生きているんだろうね」
茉姫がぽつりとつぶやいたその言葉には、フィクションと現実の境目を飛び越えて迫るものがあった。今実際に起きているあらゆることを想起させられる。10代の少女にそんな言葉を言わせてしまうこと。それは、大人であり、私生活においては10代の母親でもある私にとっても決して無関係のことではない。今の世界に、社会に、町に地続きの様々な問題。そしてそれは観客にとってもまた同じことが言えるのではないだろうか。

“トー横キッズ”と呼ばれる少年少女が昼夜問わず彷徨う異常な町の様相、“若すぎる”世代が孕む孤独と葛藤、変容する死生観…。過去から現在へと一つひとつのシーンが丁寧に重ねられれば、重ねられるほどに「現代」が生々しく炙り出されていくような創作現場であった。ただ手放しに開幕を待望するのではなく、ある種の覚悟を持って上演に立ち会いたい。そんな気持ちであった。

また、本作は11月14日(金)の18:30回と11月20日(木)の13:00回の終演後にアフタートークイベント「語り合い~Too Young のあとで~」も開催される。それぞれゲストに演劇ジャーナリストの徳永京子氏、「歌舞伎町の社会学」を研究し、トー横の取材を重ねてきた文筆家の佐々木チワワ氏が登壇し、古川や日澤、キャストとともに作品を通じて考えを語り合う。「トー横」という喫緊の題材について、またそれを「演劇」で描くことについて興味や関心がある方には観劇と併せてチェックを奨めたい。

ちなみに、『Too Young』が上演されるのは、トー横と目と鼻の先の紀伊國屋ホールである。劇場を出てもなお、この物語は、演劇は、町の中へと続いていく。そのことが意味する本当のところ、その核心についてはどうか劇場で触れてもらえたらと思う。願わくば、今を生きる10代、そしてそんな“若すぎる”10代を守るべき大人にも、できる限り多くの人に。

取材・文/丘田ミイ子