自ら作・演出・美術を手がける演劇プロジェクトEPOCH MANの『我ら宇宙の塵』にて、第31回読売演劇大賞3部門受賞するなど、演劇界に新風を巻き起こしている新進気鋭の脚本・演出家小沢道成による最新作、紀伊國屋書店創業100周年記念公演『わたしの書、頁を図る』。
本作は、平凡に鬱々と過ごしてきた図書館職員の柳沢町子が、目の前に突如現れた、自主映画を撮っているという青年“慶太”の存在によって大きく心を揺さぶられ、また常連利用客の真の姿や想いを目の当たりにし、葛藤、変化していくさまを描いたヒューマンエンターテインメント。主人公の町子を木村多江、自主映画監督の青年・岸口慶太を味方良介が演じる。
図書館職員としてなんの変哲もない退屈な時間を過ごし、よく見かける利用客の人物像や日常を想像しては、また元の退屈な時間に引き戻されるという毎日を繰り返している、主人公の町子を演じる木村に、役作りについてや本作の見どころなどを聞いた。
――小沢さん、そしてプロデューサーさんから「木村さんにぴったりな役だ」と熱いオファーを受けての出演と聞いています。オファーを受けたときの率直なお気持ちを教えてください。
こうして主演という形でお話をいただき、とてもうれしかったですし、「こういう作品をやりたい!」と思いました。ただ、歌があると聞いてちょっと怯みまして(苦笑)。過去にミュージカルのお話しを多く頂いてきていましたが、辞退してきていたんです。自分の恐怖心を拭って一歩を踏み出せる自信がなかったのですが、小沢さんとお話をさせていただく中で、すごく役者に寄り添ってくださる方だと感じて、この方だったらきっと真摯に向き合ってくださるのではないかと。きっと歌の上手い下手ではなく、役を生きるということにフォーカスして演出してくださるのではないかという希望が見えたので、公演までに歌の練習をしようと決めて「やります」とお返事させていただきました。今もまだドキドキしていますが。
――歌唱シーンは木村さんにとってもチャレンジングなものなんですね。過去に一人芝居でも歌われていらっしゃいましたよね。
一人芝居のときにも少し歌はありましたが、それはお家で鼻歌を歌うくらいのものだったんですよ。今回は物語の最初から歌があるので正直、不安もありますが、昨年から歌のレッスンを始めているので、なんとか間に合わせたいと思っています。今回、ご一緒させていただく方には歌が得意な方がいらっしゃるので、皆さんに支えていただきながら取り組んでいけたらと思っています。
――「こういう作品をやりたい」と思われたということですが、具体的にどんなところに惹かれたのですか?
小沢さんが「ロックな木村さんが見たい」とおっしゃっていたんですよ。私自身、こう見えてロックに生きようと思っているので、その言葉に私の中の魂がブルブルっときました。

――脚本を読んで、町子という役柄には今、どんなイメージをお持ちですか?
町子さんは、自分が傷つかないようにどんどん鎧を着て、その鎧が体の一部になってしまって、鎧も含めて自分だという気持ちで自分を守って生きている人です。そうした町子さんの前にある男性が現れたことで、自分でかけた呪いを少しずつ消していき、「鎧にはチャックがついていた」「あれ、脱げたんだっけ?」と気づき始めます。ただ、その鎧は長年着ていたためにすでに肉になってしまっているので、チャックを開けたとしてもやはり血が流れてしまう。そこには、痛みや苦しみもあって…。そうした姿は時に滑稽で、でも、人としてすごく愛おしい人だと感じています。
――木村さんと町子には、共通点は多いですか?
そうですね。私も町子さんのように、人との関係をあまり作らずに、なるべく自分の安全なところにいて、分厚い鎧を着て、その鎧から自分が透けないよう距離を取るということをずっとしてきました。でも、役者はその鎧を着たままだとダメなんですよ。例えば怒っているお芝居をしても、悲しんでいるお芝居をしても、感情が伝わりにくい。私は、すごく厳しい学校に12年間も通っていましたし、優等生でいなくてはいけないと自分を抑えて生きてきたので、人前で自分を出すのがすごく怖かったのですが、あるとき、やっぱり役者として向き合わなくてはいけないと感じて、それをやってみたんです。自分の鎧を脱いで、怒りや悲しみ、役の感情を自分の中に入れたときに、自分自身とリンクして、魂が1つになってぶわっと吐き出す感覚がありました。そこで初めて新しい世界が見えて、「鎧なんかいらない。それが役者なんだ。役者としては全部脱ぎ捨てて、裸で戦わなければいけないんだ」と思うようになって。それからだんだんと私自身も変化していきましたが、それまでは町子と同じような状況だったのかなと思います。
――先ほど「鎧はすでに肉になっているから、チャックを開けても血が出てしまう」というお話がありましたが、木村さんご自身も鎧を脱ぐ苦悩や痛みがありましたか?
自分の嫌なところや傷ついたこと、生きづらく感じていることをなんとなくごまかして、表面上は人とうまくやって過ごしているのに、その自分の嫌なところと向き合わなくてはいけないですし、生きづらいというところにまた引き戻されてしまう感覚があって、それが苦しかったです。でも、その作品が必ず誰かの救いになると思って、覚悟を持って引き受けた役でしたから、向き合わざるを得ない。そうして挑むということは、感情のみで動いて芝居をするということでもあるので、主観しかなかった。人はゆとりがあるほど、客観的に自分を見ることができますが、当時は役に入り込みすぎて全く客観視もできなかったように思います。
――それは苦しいですね。
なぜ自分が鎧をつけてしまったのかというと、傷つくのが怖かったからなんですよ。知り合った方と仲良くなったと思ったら、それが社交辞令だったりすることもたくさんありました。そうしたことがあるとやっぱり傷つきますよね。それで、人と距離を保とうと思うようになったのですが、人と人の間にしか物語は生まれないものです。最初は、あくまでも役を生きるために鎧を脱いだつもりでしたが、そうして役を生きたことで、人を避けるのを止めようと思えるようになりました。「手を繋ごう」と言われても断っていましたが、「もし、その手を離されたとしても、それはその人の人生が違う方向に向かうだけのことなんだ」と考えられるようになりました。

――では、小沢さんが描く町子以外のキャラクターについては、どのような印象を持っていますか?
小沢さんは、多面的な人物をすごく魅力的に描いているなと思います。ただのアイコンにはならない。嫌な面があっても、そうなってしまう理由があるということを描いてくださっています。今回、初めて共演する方もいらっしゃるので、その方たちがどんなふうにその人の人生を紡いでいくのか楽しみです。そうやって紡がれたキャラクターと町子が関わることで生まれるものがあると思いますし、そうして化学反応が起きる。町子さんは、化学反応を起こしたくないから、自分のテリトリーに人を入れないようにしていましたが、その化学反応が起きていく姿をお客さまは楽しんで観ていただけるのではないかと思います。
――そうした化学反応が舞台の面白さにもつながっていくのですね。
そうですね。ただ、化学反応は、舞台に限らずドラマでも映画でも同じです。どのメディアであっても、化学反応が起きたときには興奮しますし、会って数日しか経っていない共演者であっても抱きしめたくなります。舞台ではそうした化学反応にプラスしてお客さまと作り上げるものがあります。お客さまが感じることを私たち役者がその場でキャッチて、役者同士だけでなく、お客さまともキャッチボールして芝居を作り上げていきます。それはライブでしか起こらない感覚で、舞台のすごさであり、怖さでも面白さでもあるだと思います。
――ところで、本作は、図書館を舞台にしていますが、木村さんの図書館や本、読書にまつわるエピソードを教えてください。
私の母は幼稚園の先生だったのですが、幼稚園では「私のお母さん」ではなくて「みんなの先生」なので、「お母さん」として過ごす時間に、絵本を読んでもらうのがすごく大事な親子の結びつきでした。そうした思い出もあり、私にとって本は愛おしいものです。苦しいことがあったときに本に助けられたことがたくさんあります。知り合いに何かを差し上げたいなと思ったときに、本をプレゼントすることも多いんですよ。その人はどういう本が好きなのかなとか、お子さんに読んであげるとしたらどんな本がいいかなとその人のことを考えながら本屋さんで選びます。その方の人生にふっと入り込むような本がいいなと思って探すのがすごく好きです。

――では、普段は見られない「意外な一面」が明らかになっていくという本作にちなんで、木村さんの人にあまり見せない「意外な一面」は? 「ロックに生きようと思っている」とおっしゃっていたのも意外でしたが。
何がロックなんだと言われるとすごく難しいですけど(笑)。年齢を重ねていくと、保守的になっていくのが怖いですし、私はとにかく成長したいという思いが常にあります。だからこそ、「何くそ」という想いをいつも持っているんです。その想いが、きっと私の中の「ロック魂」なのだと思います。
怖いことを乗り越えると新しい自分が見えることもありますよね。『忍びの家 House of Ninjas』という作品に出演したときにアクションに挑戦したのは、私の中でも大きなことでした。元ボクサーの男性と戦わなくてはいけないシーンだったのですが、それが本当に怖くて。恐怖が先に立って、体が動かないんですよ。本当に殺されるかもしれないという状況になったときは、この恐怖心を超えて戦わなければいけないんだと。ただ、撮影前にはアクション稽古があって、そこでいろいろな動きを教えていただいていたので、やってみたら意外とできたんです。そうしたこともあり、固定概念にとらわれてはいけないと改めて思うようになりました。私たちはいろいろな固定概念に固められて生きていますが、「何くそ」という想いがあるからこそ、私はそれを壊していけるのだと思います。普通ならば40代、50代は仕事が終わりに近づいていることを感じて、落ち着いていく年代だと思いますが、私からすると何を言っているんだろうと(笑)。きっと私は、みんなが持っている固定概念を「何くそ、壊してやる!」と20代の頃からずっと思っているのだと思います。
私はコメディをやりたいとずっと言い続けていますが、人を殺すような役ばかりいただくんですよ。だから、みんなに「詐欺師」と言われますが(笑)、でもそれを裏切る楽しさもあると思っています。やっぱり私には、「人を楽しませたい」という思いが根底にあるんです。小学生のときに弟とコンビを組んで漫才をやっていたのが私の原点なのだと思います。母が病気で入院していたので、その場を楽しませたいという気持ちでやっていたんです。そうした気持ちが全て集まって、私は役者をやっています。そして、それが私の心の中の「ロック魂」になっているのだと思います。
――ありがとうございました! 最後に改めて公演に向けての意気込みや読者にメッセージをお願いします。
私が演じる町子さんは二面性を持った女性です。きっと多くの人が、人に見られることを意識した表面的な姿と、その裏にある隠しているものを持っていると思います。この物語では、それが二面性となって出てくるという面白さもあります。それから、音楽が物語に与える影響も感じていただけると思います。妄想の延長に音楽があって、その音楽があることによってお客さまは現実の痛みをダイレクトに受け取らずにすむのかなと思うので、音楽の果たしている役割が大きい作品なのだと感じています。決して音楽劇ではないけれども、音楽が心の声を代弁してくれます。そこでは本当のことだけを歌っているわけではなく、時には嘘だったり、理想だったり、想像だったりするので、それもまたこの作品の魅力です。観ている方が「こういう人、いるよね」と思う人物がたくさん出てきて、自分を振り返るきっかけにもなると思いますし、人の愛おしさも感じられる作品です。「一人ひとりみんな価値観が違っていい。そして、そんな人たちとみんなで一緒に生きていくんだ」と寛容に受け入れて、みんなを愛おしいと思っていただきたい。優しい気持ちになったり、前を向いたり、一歩前に進んでみようと思っていただける芝居をお届けできたらと思います。
インタビュー・文/嶋田真己
スタイリスト:森保夫(Leinwand)
ヘアメイク:谷口ユリエ
