PARCO PRODUCE2026『カッコーの巣の上で』|松尾スズキ インタビュー

1960年代の精神病院を舞台に“人間の尊厳”や“社会の不条理”、そして“自由とは何か”を描いたケン・キージーの小説『カッコーの巣の上で』。1975年にはミロス・フォアマン監督により映画化もされているこの作品が、松尾スズキの演出で現代に蘇る。型破りなアウトローの主人公<マクマーフィー>に間宮祥太朗が扮するほか、吃音がある気弱な青年患者<ビリー>を坂東龍汰、優柔不断な医師<スパイビィ>を皆川猿時、患者たちを監視し統制している看護婦長<ラチェッド>を江口のりこが演じるという個性派揃いのキャスト陣の顔ぶれも実に魅力的だ。果たしてどのような形で、現代の日本社会にも重なる“人間賛歌”としての新たな『カッコーの巣の上で』となるのか、演出を手掛ける松尾に訊いた。

 

――『カッコーの巣の上で』の映画版は何度も観直すほどお好きだったとのことですが、たとえばどういうところが気に入っていたのでしょうか。

まず、俳優たちの芝居がとても素晴らしかったので。<ビリー>役のブラッド・ドゥーリフや<ハーディング>役のウィリアム・レッドフィールドや<マティーニ>役のダニー・デヴィートといった、当時まだあまり広く知られていなかった個性的な役者が精神病棟での閉鎖的な人間関係を醸し出している中に、<マクマーフィー>役のジャック・ニコルソンが入ることによって興奮と軋轢が生まれて……という物語の流れを、彼らの演技だけでずっと観ていられるんですよ。そもそもミロス・フォアマン監督の映画って、この作品にしろ『アマデウス』にしろ、かなり個性的なトリックスタアが出てきて、人々が魅了されたり反発を覚えたりしながら、そのうちにだんだんそぐわなくなって不幸になっていってしまう、というようなお話が多くて。この人はどの作品でもブレずに一貫しているなって、作品を観るたび思うんです。僕自身も学生だった頃は、同じように変わり者扱いされ疎外感を受けていた経験もあったので、なんだか感情移入してしまうんですよね(笑)。まあ、決して僕には『アマデウス』のような才能があったわけではないですが。なぜか、どうしてもちょっと変わった人のほうに気持ちが入ってしまう。おそらく「自由に生きるということって、実はすごく不自由なんだ」という感覚が僕の中にもあるんです。そこが一番、共感を覚えるポイントだと思います。


――ではこの作品の場合は、<マクマーフィー>に共感されているということですか。

そうですね。ただ、あんな暴力性は僕にはないですし、どっちかというと争い事は好まない人間ではあるんですが(笑)。心の中に棘みたいなものがあって、それで周囲にどう同調していいのかわからないみたいなところは一緒かもしれない。だいぶもう大人になって、さすがに棘も取れてきましたけどね(笑)。


――何度も観返しているうちに改めて気づいたことや、より理解が深まったことなど、ありましたか。

最初は<ラチェッド>という人のことをまともに職務を追求する人だと思っていたんですが、観れば観るほどどんどんタチが悪い女に見えてくるということはありました。つまり、正義というものをどう捉えるかを描いている物語でもあるんですよね。<ラチェッド>には<ラチェッド>の正義が、一貫してあるわけで。もちろん彼女は人に悪いことをしようなんてことは絶対に考えていないんですけど、だけど圧倒的な権力の傘の上から規律を乱すものを懲らしめたいという、サディスティックな欲を持っていることが最後の最後に露呈してしまうわけです。でもまた、そこもちょっと人間らしいなと感じられるところなんですけどね。


――そして今回、舞台版に取り組むことになって改めて戯曲に触れてみてどう思われましたか。

今回の戯曲に触れる前に、舞台版は何年も前に加藤健一事務所のお芝居で観たことがあるんですが、やはり舞台版は舞台版で面白かったです。映画版では、精神病棟が舞台になっているところは同じなんですが、庭に出る場面があったり、更に外に出てみんなで釣りに行ったりするような愉快なシーンがあったりする。それが舞台版では、もっとガチッと閉塞された空間の中だけでドラマが濃密に動いていくので。戯曲として改めて読んでみると、そこが逆にダイナミックな印象にもなるし、人間ドラマがそこで見事に凝縮されていて、演劇なのに小説を読んでいるような、映画を見ているような感覚にもなる。特に昔の西洋の演劇だと心理的な描写で終始する作品も比較的多いんですが、この作品はエンタメの要素がきちんと2時間の中にしっかり詰まってドラマが派手に動くので、僕としてはとっつきやすいなとも思いました。会話をずっと煮詰めていくような演劇は、個人的にはあまり得意ではないので(笑)。


――翻訳劇、ということでは以前に『キャバレー』(2007、2017年)などでも上演台本と演出を手がけられていましたが。今回に関してはたとえばどんな風に脚色するというか、手を入れようと思われていますか。

どこまで脚色していいものかをまだ僕自身がわかっていなくて、今はまだ探り探りやっているところです。つまり、どこまでやったら怒られるだろうか、という(笑)。でも、実際にそれほど脚本を動かしたりする要素はないんですよ。そのまま、普通に読んでいて笑えるところもたくさんありますし。翻訳もの特有の「日本人はこういう言葉遣いはしないぞ?」みたいな部分を、うまい具合に日本人の会話に落とし込んでいく、という作業を中心にやっていますね。「ここは笑わせる意図で書いているんだろうな」と思える場面を、もう少し笑いやすいようなリズムにしたり。あと「こういう言い回しにしたほうがもっと残酷に聞こえる」みたいな部分を、特に<ラチェッド>役の江口さんがもっともっと冷酷で残酷に見えるように書き直したりしました(笑)。


――演出面では、たとえばどういう風にしようと考えていらっしゃいますか。

先ほど会話ばかりの物語が苦手だと言いましたけど、僕も年齢を経てそろそろちゃんと会話と向き合ってみようか、とも思ったんです。がっつり2時間、同じ場所で人間ドラマを見せられるというのは、ある意味チャレンジングですし、ストレートプレイの翻訳ものということでは『欲望という名の電車』(2011年)以来になりますからね。そう考えると、PARCO劇場と組む時にはこういう芝居が自分としては相性がいいのかもしれないと思ったりもしました。でもやはり心が激しく動くという点では『欲望~』も、ものすごくダイナミックな物語なんですよね。結局のところ僕はしんみりした芝居がそんなに得意ではないからこそ、このくらいエモーショナルな空気感を持った作品がやりたいんだと思います。


――こうして翻訳ものに取り組む際に、松尾さんはどういうところに特に魅力を感じていますか。

翻訳ものだからできることという意味では、舞台にあるものを、観客がある種のファンタジーだったり、象徴として見やすいかもしれないな、という気がします。


――ちょっとワンクッションあるというか?

そうですね。だから逆に物語に入り込めるのではないかというか、虚構感が楽しめるというか。だけど、どうしても役の名前が<マクマーフィー>とかなので……。


――名前からして虚構感が?

そんな名前の日本人はいませんからね(笑)。だから、いつもそういう“外国人感”をどう処理するかというのも、僕にとってはテーマになっています。


――“外国人感”がうまく出るように、と?

いや、外国人感を目指すというよりは、この時代のアメリカの文化はどうだったとか、そういう点をどこまで突き詰めていけるかということのほうが大事ですね。あまりそこばかり煮詰めすぎてもよくないだろうけど、でもそこにこだわるべきなのか、もしくはそこまですべきではないのか。そういうところの線引きを今、上演台本を作りながらいろいろ調べているところです。たとえばインディアンの歴史についても、この物語には重要な要素で関わってきますから。しかも映画より、戯曲ではその点をもう少し深掘りをしていますしね。<チーフ>と<マクマーフィー>が、ふとした瞬間に結びつく、その二人の異なる民族の精神的な共闘みたいなところが上手いこと描けたら、人間ドラマとしては映画よりも深くなるのではないかと思っています。


――しかも、そこを掘ることで今、現代の社会問題にも少しリンクしそうな気がします。

そうですね。今のアメリカの動きも非常に嫌な感じですし、外国人に対する問題に関してもどんどん人間の不寛容が露呈してしまっているというか。


――観る側もなんとなくその辺りの問題について、連想してしまいそうです。原作が書かれた時代からこんなに時間が経っているのに、いまだに何も解決できていないですし。

移民とか先住民の問題とか、いろいろあるけれどなかなか良い方向にいかないですしね。こういう、社会的な部分をどこまで際立たせるのかというのも悩みどころです。人間ドラマでありつつ、これはとても社会的なドラマでもあると思っているので。


――その匙加減が難しそうですね。

守るべきものが違う人間同士の生々しいぶつかり合い、というところに結局は集約されていくとは思うんですけどね。


――ここのところの松尾さんの舞台といえば、どちらかというとショーアップされた作品が続いていましたが、今回のように閉塞された病棟を舞台にした作品を立ち上げるためには、特にどんなことに心を寄せていこうとお考えでしょうか。

やはり俳優の演技というものをしっかり信じていくことが第一かと思っています。だから演出で盛り上げるというよりは、俳優の演技だけで見ていられるような舞台を作りたい。そういう意味でも、演出としてはあえて凝ったことはしないつもりです。


――それぞれの役者の芝居を引き出すというのも、演出家としては大きなやりがいを感じられそうですが。

そうですね。今回は初めましての方もいますし、よく見知った俳優もいますし、30年ぶりにご一緒する方も2人いますから。


――30年ぶり、ですか!

そう、徳井(優)さんと金子(清文)さんとは30年以上ぶりなんです。逆に新人ということでは吉田ヤギなど自分がCAS(コクーンアクターズスタジオ)で育てた新しい俳優もいますから。この新旧織り交ざった今回の松尾組がどういう舞台を作れるか、自分にとってもこの化学反応を非常に楽しみにしています。


――<マクマーフィー>役の間宮さんに感じている魅力については、いかがですか。

等身大の人間のお芝居って多いと思うんですけど、でもこの<マクマーフィー>という人の場合、僕がこれまで作ってきた役の中でも特に<ふくすけ>と同じくらいのカリスマ性を感じるんですよ。終盤ではなんだかキリストとユダ(ビリー)の関係みたいにもなっていきますし。そのくらい、この小さなコミューンの中ではとても象徴的な存在なんですね。だけどそういう人って、現代の芝居ではあまり描かれないキャラクターだとも言えるので、そこがこの地味な芝居の中で突出した部分ではあるなとも思います。非現実性というか、それを背負わせるのに値する存在感がある。『ツダマンの世界』(2022年)の時にもそう思いましたけど、映画やドラマなどで見る時とは異質なムードがあるんです。単純な二枚目でもないし、なにしろでかいし(笑)。そういう面を考えると前回よりも役としてはピッタリくるかもしれないですね。


――<マクマーフィー>を演じるための心構えとか、間宮さんご本人には何かお話しされているんですか?

「とりあえず映画版を観て、あの時代の雰囲気を感じておいてほしい」ということと「トランプさばきが巧くなっておいてほしい」ということは言ってあります。あのシーン、かっこいいですからね。あとは、間宮くんが感じたものと江口さんが感じたもののぶつかり合いみたいなものを、稽古場で作っていけたら。だから今回は特に、実際に稽古に入ってみるまで、あまり具体的な演出プランも立てないでいこうかなと思っています。


――江口のりこさんの<ラチェッド>役に関しては、松尾さんはどう思われているのでしょうか。

彼女は、普通の人に見えるのに普通じゃないんです(笑)。江口さんは江口さんで<マクマーフィー>とはまた別のカリスマ性がある人なんですよね。周りはみんな「江口が言うことは、みんな正しい」みたいな気持ちになるんです。「何がいけないんですか?」と詰められたらそれが極論だとしても「それはそうか……」と納得してしまいそうで、そこがなんとも魅力的ですよね。しかも身長も高いから、間宮くんと対峙するのにもすごくいいなと思っています。ご本人は決して<ラチェッド>みたいな人ではなくて、とても自由な人なんですけどね。だけど、<ラチェッド>だって<マクマーフィー>が入院して来なければ、あんな風にはならなかったはずで。あの二人が出会ってしまったがために生まれたコラボレーションで、あの悲劇が引き出されてしまったわけです。


――今回のキャストについても、もう少し。坂東龍汰さんとは初顔合わせですね。

坂東さんだけ、今日の時点ではまだ直接お会いしていなくて。でも、岩松(了)さんが演出する舞台に二度も出られているんでしょう? ということは既に「演劇とは何ぞや」という心構えが叩き込まれているはずなので、まず大丈夫だろうと踏んでいます。<ビリー>役なので、間宮くんと対称的に繊細に見える男性がいいなと思って。でもバラエティ番組で見かけたらめちゃくちゃ明るそうだったので、彼が稽古場にいてくれたらラクかもしれないと期待しています。


――松尾さんの作品には馴染みの深い方々も多く出演されます。

近藤(公園)は本当に達者な俳優に育ってくれたんで深みのある芝居をしてくれると思いますし、菅原(永二)くんや黒田(大輔)くんは達者過ぎるくらいで(笑)、いかようにもやってくれそう。金子くんもかなりいい風貌になってきたからめちゃくちゃ説得力がある。さらに<チーフ>役の山口(航太)くんはまだあまり知られていないかもしれませんが、とても芝居が上手いんです。あんな肉体を持っている人もそうそういないけど、しかも芝居が出来る俳優を探すのって本当に難しい。僕が怖がりなもんだから(笑)、自分にとって怖くない“巨人”ということでもピッタリなわけです。また、皆川(猿時)に演じてもらう<スパイビィ>が出て来る場面は、いい意味で息抜きになるというか。唯一、中立な感じで存在してくれる人なので。


――ひとりだけ“普通の人”という印象があります。

しかも<マクマーフィー>のことをちょっと面白がっている人でもあって。そういう人が、この緊迫したお芝居の中の緩衝材になってくれればいいなと思っています。皆川ももういい歳なんで、そういつまでもふざけているだけでもいられないよな、とも思いますしね。


――いつもよりも少し真面目にやってもらう感じですか?(笑)

「普通の芝居もできるんだぞ」というプレゼンもしておかないと(笑)。


――松尾さんの前作の『クワイエットルームにようこそ The Musical』からの振り幅がより大きくなって、その点でも面白いことになりそうです。

そうですね。同じ精神科病棟ものでも、全然違いますから。といっても、続いたのはたまたまなんですけどね。だけど続くからこそ、その違いがより際立って楽しんでいただけるのでは、とも思っています。

 

取材・文:田中里津子