舞台「てにあまる」インタビュー連載企画・第2弾!藤原竜也インタビュー

岸田戯曲賞受賞作家・松井周がオリジナル脚本を書下ろす舞台「てにあまる」。藤原竜也、柄本明が5年ぶりの共演、若手の高杉真宙、佐久間由衣と、わずか4人だけのキャストで濃密な会話劇を繰り広げる。演出も柄本が手掛け、ある男と老人のいびつな関係、男と離婚を考えている妻の駆け引きのような倦怠、上司と部下の畏怖と尊敬など、それぞれの心に渦巻くさまざまな感情が、入り乱れるように駆け巡る。主演を務める藤原は、本作をどのように演じていくのだろうか。


――少し久しぶりの舞台になりましたね。今の心境はいかがでしょうか

本当に舞台自体が久しぶりです。今年は舞台をやっていなかったからなぁ。今まで、1年に1本もやらなかったっていう年は無かったので…楽しみ、っていう言葉だけじゃなくて、きっとみなさんもそうだと思いますが、いろいろと思うところがありますよね。次の現場は、演劇は本当に自分に必要なのか確認するようなものになるんじゃないか、とか。舞台に立つということがどういうことなのか、とか・・・。お客さまにとっても、僕らにとっても難しい時期ですよね。だから、舞台に立てる、ということ自体が本当に大きなことだと思ったし、こういう企画に柄本さんが参加してくれるっていうことがまずありがたいし、新作というのも貴重ですよね。そこに若いお2人もを入っていただきますしれて。まだ脚本がも上がってないからどうなるかはわからない状況ですけれど、全員が同じような想いを抱えて臨む、っていう作品になるんじゃないかな。


――コロナ禍で舞台に立つことが難しい期間、いろいろなことをお考えになったかと思いますが、やはり舞台に立ちたい、というお気持ちになりましたか?

ちょうど違う撮影をしていたので、深くは考えなかったですね(笑)。現実的なところだと、再開した歌舞伎座の話を中村勘九郎さんとかに聞くと、1000人以上入る小屋に数百人しか入らないときもあるし、それでも歌舞伎というものを息子たちや次の世代に残していかなければならない。そういう熱い想いがあるんです。じゃあ僕たちは、演劇と向き合うときにそんなふうに捉えているか、と聞かれたら、そうでもない。リアルな話を言ってしまうとね。まだ密な状況に怖さもありますし。実際、演劇の現場はいろいろなケアや対策を万全にしてくれているんですけどね。でも、柄本さんともお話したんですけど、やっぱりお客さんが入って演劇って成立してきたものだし、生でしか伝えきれない部分もあると思う。お客さんが入ることの大事さ、というのは思うところがありますね。一歩踏み込んで、自分自身でその大事さを確認したいです。このお芝居を通して。


――期せずして時間ができてしまい、演劇の今後、俳優としての今後など、いろいろなことに考えを巡らせたりしたのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

そう答える方は多いかもしれませんが、本当に自分が求められているのか、必要とされているのか…。考えてしまう瞬間もありいましたね。個人的な理想は、家族とざっくばらんに本当にリスクなくハッピーに暮らせたらいいな、なんて思ったんだけど、そういうことも言っていられない(笑)。非常に難しい年になりました。

演劇から何かを主張すれば、叩かれるような風潮もある。それは正論を説いていたとしても、です。正論を想いを正しく伝えていても、叩く声も多くあること、そして、そういう声があるのもわかるんですよ。「演劇ごときが何を言っているんだ」「自分だけが大切なのか」って。すごくよくわかる。でもすべてをきちんと整えて、満を持して公演することを目指している人たちにとっても、中途半端にはやるべきではないし、仕事が無くなってしまっている人もいるけれど、賭けにでるような時期じゃないよな、と僕自身も思います。


――俳優仲間と、そういうことについてお話されたりしましたか?

しましたよ。先ほども話しましたけど、勘九郎さんなんかは子供たちのために、歌舞伎をなくしてはいけないという想いで必死になってやっている。そんな歌舞伎の方でも、配信という形を考えなければならないのかな、と話しているのを聞くと、難しい問題なんだなと改めて感じました。演劇の在り方、っていうのは…僕らのやり方が正しいんだ、他者とのコミュニケーションは僕には演劇でしかないんだ、と思いながらやってきた部分もあるんですけど、ちょっと考えを改めるタイミングにはなりましたね。正直なところ。もっと直視すべき物事、事案があるんじゃないか、そういう想いです。けれど、何もしないままでいるのか、というのも違うはずなので。だからこういう企画で一回、セーフティ・ファーストでやっていく時期なのかな、と思います。

先日、子どもを連れてヒーローショーを観に行ったんですよ。客席もソーシャル・ディスタンスが取られているので1席ずつ空いていて、正直に言うとすごく観やすかったんです。隣の人と肘が当たったりとか、嫌だったりするじゃないですか(笑)。だから、こういう形はこういう形でアリなのかな、悲しいけどそういうことを飲み込んでいかなければいけない時代なのかな、と思ったりもしています。仕方がないというか。最善を尽くしていくしかないですから。


――いろいろなことを考えた上で、初めて臨む作品としては、何か大きな意味を持つ作品になりそうでしょうか?

作品に臨む気持ちとしては、あっ、柄本さんがやってくれるんだ、松井さんが新作書いてくれるんだ、楽しそうだな、やりたいな、っていう、今まで通りの気持ちです。そこに入るまでにいろいろ考えちゃったな、くらいで。柄本さんが下北沢でずっとご自身の劇団で演出をやってこられて、そんな柄本さんが下北沢を飛び出して池袋で演出をする。その瞬間を見られるのは嬉しいと思うし、柄本さんって劇団東京乾電池を44年もの長い間続けてこられて、演劇を極めているような方。そんな方と今、演劇を一緒にやらせてもらえるというのは、すごく楽しみですよね。背中を追いかけるというか、勉強になるだろうなと思います。


――柄本さんとは以前に共演されていますが、その時はどんなイメージを持たれましたか

その時は2人とも演者として出ていて、柄本さんも演出ではなかったから、参加する側だったんです。その時、柄本さんが袖でゴソゴソと「さっきの結構、良かったな」とか「竜也、ちょっと走り回ってセリフしゃべった方が面白いよ」とか、ボソボソと言ってくれるんですよ。それが非常に印象に残っていて、面白いことを言ってくれるなって思っていたんです。だから、今回演出を受けるのが楽しみです。変わった感性の持ち主ですし、俳優として本当に名バイプレイヤーで、あの年齢でもう一段、ひとつギアを入れて走り続けている人ですから。こういうコロナ禍のようなことがあったからかもしれないですけれど、こうやって演劇を持ち上げていこうとする力っていうのは、若い世代が見習わなきゃなと思いますよね。


――そんな柄本さんの演出を受けることになりますが、藤原さんは稽古の際に、演出家にこうしたい、とかのディスカッションをするタイプですか?

ほとんどないですよ。柄本さんとは初めてなので未知の部分もありますけど、演出家ってやっぱり大変じゃないですかだと思。演者よりもはるかに知識があるし、本の内容に対しての理解力がある。例えば、蜷川幸雄さんの後を継いで、シェイクスピアを演出されてる吉田鋼太郎さんの演出を受けても、やっぱりシェイクスピアを誰よりも理解しているな、わからないことを的確にアドバイスをくれるなと思うので、こちらから言うことがないんです。なるほど、こうやってみたらもっと違う自分が出てきたな、本を深く理解できたなって思うんです。だから、演出家に対してあまり何か言うことはないですね。

それ以前に、演出家からアドバイスを受ける前に俳優がもっと演技で提示をして、世界を広げて、その中から演出家にチョイスをさせられるくらいにしておくことが、大事なんじゃないかなと昔から思っています。


――藤原さんご自身が役を捉えるためにしていることや心掛けていることは?

現実的なところを言えば、稽古前に役を掴むとか掴まないとかっていうのは無いんですよ。やっぱりそこはひと月の稽古の中でしっかりとやって、より深く完成させていくものですから。でも、役について大きく逸れているものっていうのは間違いですから、ちゃんと役を理解したうえで、いろいろ試すっていうことが大事だと思っています。例えると、直球を投げられずに変化球を投げるんじゃなくて、直球を投げたうえで変化球も投げて、直球に戻ってくるような感じかな。そういう感じのやり方です。それが大事なんじゃないかなと思います。

もちろん、本を読んでわからないこともあります。稽古場に立ってみないと分からないな、実際にしゃべってみないとわからないな、っていう部分はある。呼吸とかもありますしね。そこがまた難しいところです。


――今回は4人でのお芝居になりますが、他のキャストのみなさんの印象はいかがでしょうか。

今、考えられるベストなカンパニーになるんじゃないかと思います。僕もまだ、柄本さんほどは年齢を重ねた人間のドロドロした部分がないから(笑)。でも、ほかのお2人ほど若い年でもない。だから、若い2人の肩を借りながら、柄本・松井のドロドロに入り込んでいけるのは非常に面白いんじゃないかなと思っています。


――松井周さんは以前にドラマの脚本や、舞台作品でもご一緒になったことがあるそうですが、どのような印象でしょうか。

とにかく人間の日常、その通りの表現というのをするのは、松井さんの中では嫌なことのようで。演劇的に、役者が感情にノッキングを起こすような、イラっとさせられるようなところで違う変化がでてきて、なかなかストレートに表現させてくれない、面白いタイプの方ですね。それを日常に見えるものとして何十回も稽古するわけですから、本当に緻密に、計画的に、表現されたものに仕上がっているんです。でも、その裏には松井さん的なノッキングを起こさせる異物が混ざっている。だからもう…変な人ですよね(笑)。面白い人です。


――そんな松井さんが新作を書きおろすわけですが、新作の喜びってどういうところにありますか?

やっぱり面白いでしょ。戯曲って回るものだと思うんです。やり継がれる戯曲っていうのは、それなりに理由があって続いているもので、そういう時代だったのかとか、まだ争いをしているのかとか、いろいろなことがあって上演すると思うので、再演されるものの良さっていうものもあると思います。

ただ新作っていうのは、こんなもの観たことないっていうものをできる喜びがあるんです。でも、失敗したら大変ですよね(笑)。そのあたり、作家さんはプレッシャーもあると思います。待ってたのがこんな本か、ってなったら全員総崩れですから(笑)。でも、初日が決まっているからやらざるを得ない。そういうこともあるのが新作だと思います。それでも、新作を書いてもらえるというのは、そう無いことなんです。当て書きのような部分も含めてね。だから、貴重だと思っています。そんなにこの先の人生でも、多くないと思いますし、ありがたいですよね。…ただ、崩れた時の幅はやっぱり大きいですから(笑)。再演されるような戯曲を、作っていけたらと思います。


――楽しみにしています! 本日はありがとうございました

 

インタビュー・文/宮崎新之