左から、東宝・鈴木隆介、ヴィレッヂ・浅生博一、明治座・三田光政
明治座・三田光政、東宝・鈴木隆介、ヴィレッヂ・浅生博一、この同い年のプロデューサーが組んで、画期的なプロデュース公演を行う“三銃士”企画。その第1弾『両国花錦闘士』は、2020年12月5日に東京・明治座で幕を開け、2021年1月の大阪・新歌舞伎座を経て、2021年1月28日福岡・博多座までの全52ステージ、無事に幕を下ろした。
そのアーカイブ配信が、3月26日(金)から48時間限定で行われることが決定した。このコロナ禍において一度も休演することなく完走することができた、奇跡的な今作。さまざまな困難を乗り越えて上演にこぎつけたことを考えるだけでも胸が熱くなるが、とにかく歌も踊りも笑いもてんこ盛りだった、エンターテインメント要素満載のこのステージを配信でゆっくりと味わえるというのは至福の時間であること、間違いなし。そこで三田、鈴木、浅生の“三銃士”の三人に集まってもらい、せっかくなので忌憚なくぶっちゃけ話を語ってもらった。
――まずは、そもそもの話から伺います。“三銃士”お三方の出会い、このプロデュース公演をやることになったきっかけはなんだったんですか。
浅生 今日は同士という意味ですべて“くん”付けで呼ばせていただきますけれども。三田くんと僕は飲み仲間だったんです。最初「うちにも若手がいるから紹介する」と言われたはずだったのに、来たのが三田くんで。当然同年代ではあるけれど、まさかオーナーのおひとりが来るとは思っていなかった(笑)。だけどとにかく人柄はいいし、同年代とはいえ僕よりも彼のほうがいろいろな意味でキャリアをお持ちでしたからね。いろいろな話を相談させてもらいましたし、逆に三田くんからは明治座の話を聞かせてもらって。というのも実は明治座のお客様はシニア層がメインですが、これからはより幅広い年代の方にご来場いただきたい、と。それで、経営していく上で劇場をさらに発展させたいと思われていたんじゃないかと思うんですが。
――なんだか、三田さんの気持ちを浅生さんがしゃべってくれているようですが(笑)。
三田 いやいや、その通りなので大丈夫です(笑)。
浅生 そして僕は、劇団☆新感線に関しては宣伝とゲキ×シネ興行の営業がメインで、それと並行して落語や長唄のプロデュース、映像製作もやらせていただいていました。そろそろプロデューサー業を本格的にやっていきたいなと思っていたので、そういう思いも三田さんに話をしていました。具体的に何がやりたいかというと、やっぱり「スペクタクル感とケレン味満載のオモシロづくり」ということですね。僕が申し上げるのは僭越ですが、いのうえひでのりさんの背中、さらにはヴィレッヂのプロデューサー陣の背中を見て歩いてきた自分ではあるけれども、彼らが歩いてこなかった新しい道でスペクタクル、ケレン味のものでオモシロづくりをしたいんだということを相談したわけです。そうしたら自分も一緒にやりたいとおっしゃってくださったのが、“三銃士”の始まりにつながったんです。
――お二人で飲んでいる時にそういう話で盛り上がった、と。
三田 そうですね。私の場合2003年から2012年までは電通におりまして、浅生くんにお会いしたのは、明治座に入ってたぶん2年目か3年目くらいの頃で。だからある意味、明治座では外様の存在だったんですよ。電通では常に仕事が変わっていくので、同じことをずっと担当するということがあまりなかったんです。だから、いわゆる劇場の枠ということでは、周囲とちょっと考え方が違っていたというのもあったと思います。シニア層をターゲットにした興行も大事ですからそれはそれできちっとあるんですが、今までは9対1か95対5くらいだった若い人向けの公演を、まずは3分の1くらいにまで増やし、ゆくゆくは半分くらいにまではしたいんです。もちろんシニア層の方にお楽しみいただけるお芝居も残していきますが、その含有率を変えていく過渡期なんですね。その中で、ぜひ新しいものを、という想いがありました。それで、実は最初は『王将』をやりたいというように言われていたので「シブいなあ!」と思っていて(笑)。
――第1弾で『王将』をやられる可能性があったんですか?
浅生 長塚圭史さんが演出された三部作の『王将』(2017年、新ロイヤル大衆舎公演)を観させていただいた時に、これは商業劇場における公演でも成立するなと思ったんです。それで北条秀司作品の資料群を三田さんに貸していただきました。北条秀司さんご存命の頃にはよく明治座さんでも。
三田 いろいろ、かかってましたからね。
――貴重な資料が、いっぱいありそうですね。
三田 そのあと、もうひとり同年代のプロデューサーがいるということを浅生さんからお聞きして、それで三人でお会いしたんです。
浅生 というのも、三田くんは劇場のオーナーでもあるからプロデューサーとして入るといっても、たぶん現場にはつけないだろうなと思いました。それに僕も演劇のプロデュースをするというのは今作が初めてなので、ここはもうひとりいた方が良いな、と。それで、スペクタクル、ケレン味のあるものをやりたいとかねがね話していた相手は何人かいたんですが、そのうちの筆頭で浮かんだのが鈴木くんだったんです。鈴木くんと僕とはたまたま、高校1年生の時のクラスメイトで。
――それもまた不思議な巡り合わせですね。
浅生 文化祭の出し物で、演劇ごっこみたいなのを一緒にやったりした仲でもあり。それはドラマ「古畑任三郎」のパロディでした。
鈴木 そんなことまで言っていると、話が脱線し過ぎて時間が足りなくなるんじゃないの(笑)。
――では浅生さんと鈴木さんも前からつながりがあって、大人になってからも飲んだりされていた、と?
浅生 そうですね。互いに業界に入っていて、2011年、当時マネージメントをしていた女優が出演していた舞台がきっかけで、劇場で再会したんです。だから、高校卒業後から考えると13年ぶりくらいでした。
――それで同年代の演劇プロデューサーといえば、ということで引き合わせることに。
浅生 はい。それで鈴木くんに相談したら「うちも新しいコンテンツは欲しいから、ぜひ一緒にやろうよ」と言ってくれて、それで三人で会ったのが、もう三年以上前。
三田 2018年くらいだったんじゃないかな。
鈴木 2018年の2月に、僕が『ファンホーム』というシアタークリエの公演を担当していたんですが、それが終わる頃に浅生くんから夜中に電話がかかってきて「明治座さんで2020年に公演ができそうだ」という話を聞いたんですよ。まあ、その前から三田くんと近いうちに何かやりたいという話は聞いていたので、いよいよ本当にやることになるんだなと思って。そう考えると、話自体は2017年の夏くらいには始まっていたんだと思います。
三田 『ファンホーム』は私も、観に行ったので、それより前に話は始まっていましたね。
鈴木 北条秀司の研究をしていたのが2017年の9月。この頃は月イチペースで会っていましたね。
浅生 北条秀司の戯曲は、ほとんど読み漁っていました。
三田 となると、この企画は四年前からやっていたんですね。
――でもそれだけ北条秀司作品を勉強していたのに、なぜ『両国花錦闘士』をやることに?
鈴木 そこが、大事ですよね(笑)。
三田 実はその後、北条秀司ではなく別の作品をやろうかという線になっていて。
鈴木 三島由紀夫の作品をやろうとしていたんです。
三田 でも別のカンパニーが三島作品をやるとバーンと発表されて。
浅生 発表された日は正直、三人とも「あー……」ってなりましたね。
鈴木 それが2018年の春あたり。それで改めてもう一度上演作品を見直そう、ということになって。
浅生 その時、既に第2弾として『両国花錦闘士』をやろうというのはなんとなくみんなの頭にあったんです。だったら、あれを第1弾でやったらいいんじゃない?って流れになり、原作者へお願いに行きましょうという話になって。そこがスタートになりましたね。
鈴木 コンセプトとして、明治座の次なる一歩として、これまでのカラーとは違うものではあっても、やはり明治座でやる必然性のあるものを考えていたんです。過去に上演された名作をリニューアルして出すという形が、王道なんじゃないかと思っていました。それで文芸路線、名作路線として、三島作品に狙いを定めていたんです。一方、『両国花錦闘士』は、僕がもともと読んでいたマンガで。明治座さんに合うと思うけど、相撲が題材というのは、あまりにも突飛だよね、と。
――いきなり、突飛な作品は難しいのではないかと?
鈴木 演劇としては王道ではなく、変化球ですから。ちゃんと一回成功させてからにしたほうが安心じゃないかなという話になっていたんです。だけど、三島作品がそういうことで難しくなり、それで変化球から始めることになりました。
――そういう流れだったんですね。
三田 先輩方からいろいろ意見を聞くと、やはりインパクトのあるものをやったほうがいいだろうとは言われていましたからね。僕が『両国花錦闘士』をコンセプトとして気に入ったのは、東宝さんでいくら提案しても誰ものってきてくれなくて、日の目を見なかったという墓場行きの企画だったと聞いたからだったんですよ。
鈴木 そうでしたね。
三田 そんな作品を磨き直してやるということ、デッドストックで風化してしまうものをよみがえらせるということが、すごく気に入って面白いなあーと思ったんです。
――そのポイントが響いた。
三田 響きました。
浅生 しかも、冒険にもなりますからね。
鈴木 まだ新入社員くらいの頃に出したアイデアだったんです。いま思えば企画書も未熟で、結果として瞬殺でしたけど(笑)。
浅生 瞬殺だったんだ。
三田 ハハハ。
――賛同者が得られなかった。
鈴木 どうしても、力士と恋愛がメインの作品なので、演劇にするイメージが共有しにくかったのだと思います。
――それが、ここにきてよみがえった。どうやって具体化していったんですか。
鈴木 2018年の7月、明治座さんでの打ち合わせで正式に「原作者にあたろう」という話になっています。だから他カンパニーの発表があってから、ほどなく『両国~』に照準を合わせたということですね。
浅生 出版社経由ではなく、直接、先生の事務所にご連絡させてもらって。
三田 三人で、行きましたね。
鈴木 2018年9月に、岡野玲子先生の仕事場に行きました。
浅生 結論から言うと「三銃士に乗った」とご快諾をいただけて。まだ、作演出も決まっていない、海のものとも山のものともわからない段階だったんですけど。そのあとで、作演出は青木豪さんにお願いすることになりました。豪さんは、女性的な目線の部分も持ち、“陰”の作品を書かれる秀逸な方。また、最近では劇団四季や歌舞伎の作品も演出されていたし。もちろん新感線公演の脚本も書いて下さっている方なので、これはぜひ相談させて頂きたいと。それでマネージャーさんに話をしたら即答に近いご快諾を頂きました。
――そこからキャスティングに取りかかるわけですね。
浅生 まずは、主要人物のキャストの候補を挙げていきました。何人も名前が挙がった中で、伊藤健太郎くんというのは僕が挙げました。映像の仕事の時、プロデューサーのひとりとしてご一緒していたのがきっかけで、その時はまだ健太郎という芸名だったんですよ。モデルから俳優になってこれからの時期だったと思いますが、連続ドラマにワンシーンだけ毎回出てもらっていたんです。とはいえ僕は、実は彼の出演シーンの現場には一度も行けなかったんですけどね。だから直接は会えていなくて。だけど編集で何回も同じシーンをチェックしますから、それで「この子は誰なんだろう」と気になっていたんです。他にも映画や正月・春の特番ドラマに出演したのを観ていました。だけど『両国~』の主演キャスティングの話をした時には、まだそれほど世間的には認識されていなかったんです。その直後の連続ドラマが話題になった感じでしたね。
――ではその前から、健太郎さんにしたいと。
浅生 はい、思っていました。直感です。僕が、真っ直ぐな気持ちで言っていただけだったんで。総論ですが、この“三銃士”の三人の間柄は、どちらかというと、まずは僕が暴走して。
三田・鈴木 ふふふ。
浅生 それに対して二人がかみ砕いて解釈し、うんうんと頷いてくれて。
鈴木 新しい試みですから、これまでの事例にのっとって決めていたら、新しいものにはならないので。そういう意味では、まさに健太郎さんのキャスティングというのは象徴的でしたね。でも、その後あっという間に国民的なスターになりましたね。あれには正直、驚きました。
三田 目利きだった、ってことですよね。
鈴木 でも当然ですけど、健太郎さんの所属会社は先々の大きな仕事が内々で決まっていたはずなので、超多忙な彼が決まるまでは容易ではなかったです。だから、本当によく粘って交渉したなあと思います。
三田 そして、そこに加えて周囲にもりょうさん始め、ベテラン勢に支えてもらえることになって。櫻子ちゃんもいいキャスティングでしたよね。櫻子ちゃんは鈴木くんともご一緒してたんで。
鈴木 『ファンホーム』に出ていただいたので。まずいろいろなスキルが高いし、新鮮な表現を持った方なので、新しいことをやるにはピッタリでした。そして(大鶴)佐助さんも年齢は若いですが、ほんとうに多彩な舞台経験を持った方なので。
浅生 紺野美沙子さんが今回のカンパニーの中でキャスト、スタッフ、カンパニー全員を一番じっと見ていてくれた人だったなとも思います。とても優しく、ものすごく頭脳明晰な方。結局、いろいろなことがあった中で僕自身もプロデューサーとして紺野さんに一番支えていただいていた気がするんですよ。カンパニー全体のことは、紺野さんに一番相談していたかもしれないです。
鈴木 青木豪さんと打ち合わせしながらキャスティングを進めていく中で、おかみさんの役どころにはやっぱり紺野さんみたいな、どしっと存在感のある方が必要だよね、となったんです。ご本人も、ものすごくお相撲がお好きでいらっしゃることですし。だけど、あの相撲愛は想像以上でしたね。
三田 愛、強かったですねえ。
鈴木 常に、溢れていました(笑)。カンパニー愛もすごく強くて、本当にみんなのおかみさんのような感じで目を配ってくれていましたね。我々三人のこともたぶん、子どものように接してくれていたように思います。そこまで年齢が離れていないので申し訳ない気持ちもありつつ(笑)、すごく愛情を感じていました。
――みんなのお母さんみたいな存在だった。
鈴木 それと同時に、本当にこの作品のことをお好きなんだなということも伝わってきました。
――この舞台に出られることが嬉しい、とおっしゃっていましたね。
浅生 そうなんです。心底そう思われていたんだと思います。
鈴木 カンパニーで一番経験値のある方のそういう姿勢を見れば、全体も自然とまとまります。もちろんそれだけではないけれど、とても大きな要素だった気がします。
取材・文 田中里津子
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