おぼんろ主宰・末原拓馬インタビュー「何のために演劇をつくるのか」

売れるために、一生懸命大人になろうとしていた

幼い日に母の膝枕の上で聞いた読み聞かせのような寓話的なストーリー。ボロ切れやガラクタを集めた幻想的な舞台美術。一歩足を踏み入れた瞬間から世界が変わる祝祭性に溢れた空間。他のどの劇団にも似ていない唯一無二の世界観で、おぼんろは人気を集めてきた。

その主宰であり、脚本・演出を務める末原拓馬は天衣無縫をそのまま人の形にしたような男だ。無邪気で、ピースフルで、誰に対しても垣根がない。その明るい笑顔の裏側に、繊細な脆さを抱えながら、末原拓馬は演劇の世界で生きてきた。

20歳になる直前で始めた演劇のキャリアも、あと4年で20年。気づけば人生の半分をもう演劇と共に生きている。

インディーズから出発し、30代に入る頃から商業演劇にも携わるようになった。そんな中で、今、末原拓馬は何度目かの転機を迎えている。

「商業の世界に足を踏み入れて、様々な洗礼を受けて、いいものも悪いものもたくさん見てきた。俺って子どもっぽいじゃない? 劇団以外の場所でやっていくには大人にならなきゃいけないんだと思い込んで、一生懸命大人になろうとして。自分のやりたいこだわりと、求められるこだわりが違うの。一時期は本当悔しくて。グジグジグジグジすげえ泣いてたもん」


取材、というよりも、まるで雑談のような気安さで、末原拓馬はここ何年かの間に自分の身に起きた出来事を話しはじめた。

「おぼんろとしても、昔は吉祥寺シアターでやれるだけで大喜びしていたのが、いつの間にかそれが当たり前のサイズになって。それまではコケてもいいぜみたいな無鉄砲な感じでやれていたのが、そのうち劇団員の生活を守らなきゃいけないんだって責任を感じるようになって。売れにいかなきゃっていう気持ちがどんどん膨れ上がっていったわけ」


そして、末原拓馬はこんな寓話を例に挙げた。

あるところに踊りの得意なムカデがいた。無数の足を自在に操り、美しく踊るムカデのことがみんな大好きだった。それを羨ましく思ったヒキガエルは、ムカデに一通の手紙を出す。どうすればそんなにたくさんの足を別々に動かして踊れるんですか、と。ヒキガエルの手紙を読んだムカデは自分がどう踊っていたのかわからなくなり、ついには踊れなくなってしまった。

末原拓馬は、踊り方を忘れたムカデだった。

「俺の書いた物語って面白かったのよ。ただ無自覚に好きなものを書いていたから。でも、ここがウケてるんだとか考えているうちに、いつの間にか書けなくなっちゃって」


商業演劇と、劇団公演。2つの場を行き来するうちに、自分らしさを見失ってしまった。

「俺はね、これって何のためにやるんだろうって、それがはっきりしないとダメなの。前までは売れるためとか、仲間のためとか、いろいろあったんだけど。それがわかんなくなって、何も書けなくなった」

 

プロとは、常に自分の色を求められること

この世界は、純粋な人ほど生きるのが難しく出来ている。うまく立ち回っていけるのは、世の中のルールとシステムをわかっている人。そして、それを上手に活用できる人だ。末原拓馬は、商業の仕組みを理解し、バランスよく折り合いをつけられるほど、器用ではなかった。

けれど、そうやって洗礼を浴びたからこそ、わかったこともある。

「プロになるってなんだろうって考えたときに、ずっと自分の色を消すことだと思ってたの。変な主張とかしないでさ、空気を読んでちょうどいい受け答えができることがプロになることなんだって。でもそうじゃねえなと。プロになるっていうのは、どこにいても自分のスタイルを貫けること。誰から頼まれた仕事でも、どんな内容でも、自分の色を求められる。そういう人がプロなんだと思う」


ずっと売れるためには、選ばれなければいけないと思っていた。自分の人生なのに、いつの間にか受け身であることを普通だと思っていた。

「生きていくことって、オーディションを受け続けることなんだよ。でもそこで受からせてくださいって自分からすり寄るんじゃなくてさ。俺のことがいいって言ってくれる人を増やして、その中から俺が選ぶくらいでいいんだってことに気づいてからは、我慢して合わない仕事をするより、自分のことを好きだと言ってくれる人と仕事をしようって腹を括れるようになった。だから、今は一周回って子どものまんまでいいやって思ってる」

宇宙一綺麗な海を物語で見せようと思った

そして、いち表現者としてだけでなく、いち人間としても、末原拓馬は転機を迎えていた。父であるギタリストの末原康志が、今年7月、亡くなったのだ。昨年7月に食道がんが判明。そこから家族で支え合いながら、がんと闘い続けた。

末原康志は、大好きな父であると同時に、創作のパートナーでもあった。おぼんろをはじめ、末原拓馬が演出を務める舞台では、たびたび末原康志の音楽がその世界を彩っていた。8月におぼんろで新作公演をやると決まったときも、音楽は父以外に考えられなかった。

「パパはいつも早めにティザー用の音楽をつくってくれるんだけど、4月くらいに『次はどんな話?』って聞かれて。でも正直、頭のCPUの何割かはパパの病気で占められてたから、まだ全然考えられなくて。それで、今回は曲先にしてみようって話になったの。先にパパが1曲つくって、そこから俺が物語を考える。そういうのも面白いんじゃないって」


そうして出来上がった曲は、「明るい南の島のような曲だった」と言う。

「パパはロックな人だからさ、楽しい作品が好きなの。あの人がおぼんろで良かったって言うのは、『ルドベルの両翼』とか『ヴルルの島』とか終わった後に明るい気持ちになれるのばっかりなんだよね。パパがつくった曲を聴いて、今は本当に明るいものが観たいんだなって、そう思ったの」


父との想い出は、尽きない。

「去年、病気のことがわかってから、2人で買い物に行ったの。普段服なんて買わないのに、入間のアウトレットまでドライブして。そしたら、人の運転にすごい言うんだよな、『送りハンドルするな』とか。家に帰った後も、鍋の蓋持ってきて、『もっかいやってみ?』って。で、俺もやってみるんだけど(笑)」


何気ない、でも、かけがえのない父とのやりとり。そんな中で、父が早起きをして、よく湘南に出かけていたことを、末原拓馬は知った。じゃあ今度は一緒に海に行こう。そう約束を交わしたまま、父の入院生活が始まった。

「帰ってきたら海行きたいねって話もしてたんだけど、なかなか病院から出てこられなくて。それで、今度書くのは海の話にしようと思った。宇宙一綺麗な海の景色をね、物語で見せようって」


それが、8月12日から上演される新作『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』だ。人生に絶望した初老の男性の前に現れた、1人の少年。少年は、「海を盗んできた」と言う。彼が手に持っていた小さな瓶の中には、海がつまっていた。そして、少年は男の前で瓶を叩き割る。すると、そこから大海原が広がる。末原拓馬らしい、極上のファンタジーだ。

劇場は、Theater Mixa。これまでアクティングエリアと客席が混在したような演劇空間をつくり上げてきたおぼんろにとって、初めてのプロセニアム・シアターでの上演となる。また、劇場に来られない観客のために生配信も行う。

「おぼんろは上演形態が面白いと言ってもらえることが多くて。ありがたいんだけど、ちょっと違和感があったのね。俺の書く本はしっかりしてるし、気づいていないかもしれないけど芝居も上手い(笑)。それを証明するためには同じ条件で実験するのが早い。だから今回は正々堂々とプロセニアムで勝負してみようかなって気持ちがある」

 

海賊船に乗っていくような気持ちがある

何のためにやるのかわからなければ、自分は演劇をつくれない。試行錯誤を経て、そう気づいた。では、今、末原拓馬は何のために『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』という物語を新たに紡ぐのか。

「最初はパパのためっていうのが大きかった。チャイルディッシュって言われるの嫌だな~とかいう気持ちはあるわけ。でもそこは腹を決めようと。海が見たいと言ったパパのために、海を見せたかった」


けれど、創作を進めていく中で、少しずつ気持ちは変わっていった。

「これで金持ちになろうなんて思っていないし、有名になりたいっていう気持ちも別にないからね。ただ、お守りを押しつけたいんですよ。あの日みんなでこれを観た、私はそこにいたんだ、っていうことが思い出として残ればいいし、そこで観た物語がずっと勇気を与え続けるものであれば、それはすごくいいよね」


その場に集まった人たちが少しでも楽しい気持ちになれますように。幸せを感じられますように。末原拓馬にとって、演劇は祈りだ。その祈りをたくさんの人とシェアすることが、彼にとって演劇をするということなのだ。

「なんかね、海賊船に乗っていく気持ちがあるわけですよ。でもそれは、自分でこっそり宝物を独り占めにするのが目的ではなくて。拾い集めた宝物をみんなに届けて、『すげえもの拾ってきたぞ。さあみんなで持って帰ってくれ』って振る舞うような、楽しい海賊。そういうことをやっていきたい」

最悪のときに楽しいものをつくりたい

堰を切ったようにどっと話した後、取材でパパの話をするつもりはなかったんだけど、と末原拓馬は照れ隠しのように笑った。感動ポルノみたいになるのも嫌だ、とも。確かに、亡き父のために贈る息子からの物語なんて、これ以上ないくらい美談だ。そういうふうに消費したい人も多いだろう。

それも全部わかった上で、彼はこの夏、とびきり明るい物語をつくる。

「いい夏にしたいよね。楽しいときに楽しいものをつくるのも、悲しいときに悲しいものをつくるのも、もちろん必要だけど、それは俺がやらなくてもいいこと。そうじゃなくて、こういう最悪のときに楽しいものつくれるやつが、表現者なんだと思う。それって戦いだから」


この日、末原拓馬は何度か「戦い」という言葉を口にした。「生きるってやっぱり戦いなんだよ」と確かめるように、そう噛みしめた。まるでピーターパンのような顔をしている彼も、人には見せないだけで、たくさんのものと戦っているのだろう。演劇界だとか芸術だとか、そういう巨大なものから、大切な人を守るというミニマムなものまで。戦う相手は、数限りない。

それでも、彼は傷口なんてひとつも見せずに、あの陽気な口上と共にまた観客の前に現れるだろう。魔法使いみたいな衣装と、目元には涙のメイク。世界は苦しいことに満ち溢れ、生きることは困難で、涙が枯れることはない。そうした現実を受け止めた上で、彼は見せる、きらめくような夢の時間を。

海水浴もままならない2021年の夏、宇宙一綺麗な海が、劇場に広がっているはずだ。

 

インタビュー・文/横川良明

 

【プロフィール】
末原拓馬(スエハラ・タクマ)
1985年7月8日生まれ。おぼんろ主宰。おぼんろ全作品の脚本・演出を務める。外部の出演作に音楽劇「黒と白 -purgatorium- amoroso」などがある。