日本では1990年に上演されて以来、32年ぶりの上演となる舞台『M.バタフライ』が6月24日(金)より東京にて開幕!7月からは大阪・福岡・愛知へと公演が続く。
本作は、劇作家のデイヴィット・ヘンリー・ファンが実際に起きた事件を基に書き上げ、フランス人外交官の男と、男性でありながら京劇女優に偽ったスパイの奇妙な関係性を、「蝶々夫人」を下敷きにしながら、外交官の回想として語られていく物語。1988年トニー賞最優秀演劇賞を受賞しており、世界30カ国以上で上演されている名作だ。主人公の外交官ルネ・ガリマールを演じる内野聖陽は、本作にどのように挑むのか。話を聞いた。
――日本では32年ぶりに上演される幻の名作ともいわれる作品ですが、第一印象はいかがでしたか?
実際に起こった事件を題材にしているということに、ちょっと衝撃を受けました。プラトニックではなく肉体関係もあったのに、女スパイの正体に二十数年間も気付かなかった。強烈ですよね。もちろん、そこから戯曲としてフィクションにしているんですけど。フランスの外交官が、独房の中で1人、“そうありたかった物語”を描いていくんです。描くんですけど…こう、多分ノイズなんでしょうね、脳内のノイズが理想の物語を侵食していく…その作りは見事なシナリオだなと感じました。
役者としても、自分の中に入っていくような、幻想の中に入っていくような感覚が面白そうだと思います。人を好きになるときって、幻想というか、自分がそうあってほしいみたいなことを投影してしまうことありますよね。恋愛の初期の頃とか。けっこう特殊な人だけど、誰にでもありうるお話でもある。大変な役ですが、チャレンジしたいと思いましたね。稽古は明日からなんですが、どうなることやら(笑)。でも30年ほど前にトニー賞も取っちゃってるようなクオリティの高い戯曲なので、そのあたりは安心しています。気合と根気でやっていけるはず、ってね。
――ガリマールという男を現時点ではどのように捉えていらっしゃいますか?
アイドルでもなんでもそうですけど、美しい局面ばっかり見てしまって、汚れた部分は見たくないっていう心理って働くじゃないですか。美しいままでいてほしい、みたいな。彼のその心理には、魅力的というかちょっと惹かれています。でも、実際のところ難しい男なんですよ。こう、男性にも女性にも振り分けられない。ファジーというか、非常に不安定なところにいるような人なんだよね。そんな男が美貌の京劇女優に“男にさせられていく”様は哀れで面白いかもしれませんね。
このお話って、ガリマールの脳内で毎晩毎晩起こっていることなんですよ。その彼の苦しみ、そこから救われたい…実際、世間からもものひどくバッシングされて、突き落とされていますし、本当にひどい場所にいるんですが…彼女は完璧な女性だったと言って、語り始める。その理想の物語である脳内劇場で、彼は凹まされ、ボコボコされるわけですが(笑)、どう心地よくみなさんを脳内劇場に誘えるのかが一大テーマというか、カギになると思っています。
逆に、西洋人から見たオリエンタリズムの神秘みたいな部分にはそこまで興味がないんですよね。むしろそこは、演出の日澤雄介さんの大変なところなんじゃないかな。アジア人がやるわけですし、アジアの神秘性みたいなところをちょっと知ってしまっていますから。そこをどう出していくのかは、非常に興味深いですね。とはいえ、僕も“だまされる側”なので、一緒に考えていきたいと思います。
――今回は演出を劇団チョコレートケーキの日澤雄介さんが担います。彼の印象はいかがですか?
なんか、いじめられそうだなって(笑)。もちろん、いじめてほしいんですけど。今回の役って性的にすごく不安定な役で、でも僕はどっちかといえば自分の弱さを踏みにじろうとして生きてきたみたいなとこがあるんですね。でも日澤さんには「見ていると結構細かいから、めちゃ弱くて繊細なところを持っているはず。パキッと割ったらきっと面白いものが出てくる」みたいなことを言われているんです。いろんな役をやっていると、新しく出会う監督さんや演出の方に、そういうふうにパキッと殻を割っていただけることがあるんですよ。だから、僕はいじめられたいんです(笑)。だから、「えっ?これ無理でしょ」、っていうくらい違和感があった方が面白くなります。前に似たようなイメージの役があったので…っていうよりも、「いやいや俺でいいんですか?」っていう方がやりたくなりますね。
――毛沢東のスパイながら京劇女優に身を偽り、ガリマールと関係を深めていくソン・リリンは岡本圭人さんが演じられます。岡本さんについてはどのようなイメージをお持ちですか?
彼はまだ若いですが、役に向かう気迫は素晴らしいと思っています。女性に偽る役も、本当にお似合いになりそうな印象です。びっくりしたのは、彼はすごい演劇の英才教育を受けているんですよね。ロンドンやパリ、ブロードウェイとか、海外にも行っていて。そのあたりはお父さんの血を引いているのか、本当に向上心が強い。彼の探求心と向上心ならば、きっと頑張れるんじゃないかと期待しています。なんて、ちょっと偉そうですけど(笑)。
やっぱり、彼に比べればキャリアはありますから、心配になっちゃうところもあるんですよ。とても真面目で、感性も豊かで、いろいろ勉強していて、戯曲の構造とかまでよく考えてきてる。台本をすべてノートに書き写していたりね。それくらいやる気満々。女方や京劇の訓練にも行っているし。でも、稽古に入れば対等な役者同士。先輩後輩なんて関係ありません。だから何かを教えるとかは無いですね。
むしろ、僕は失ったものに気付かされるんじゃないかなって思っています。初心の頃の、みずみずしい感受性というか、そのみずみずしさから教えられる瞬間ってあるはず。キャリアがあることだけがいいことじゃないんですよね。キャリアを積んで失ったものもたくさんある。そこを正すような瞬間みたいなものには期待しちゃいますね。
――映像、舞台といろいろなお芝居の形がありますが、内野さんが考えるお芝居や演技とはどのようなものでしょうか?
僕はやっぱり、料理でも熟成させたものの方がおいしいと思うんだよね。化学調味料なんかで舌を喜ばせる方法もあるんでしょうけど、熟成されたものって、化学調味料には出せない芳醇な広がりがあったりしますよね。そういうものが僕の演技の中にもあったらいいな、とは思っています。わかりやすいというか、口当たりのいい演技ばっかりしていてもいけないんですよね。こう、僕の毛穴からというか、僕の背負っている空気からとか想像されるような、そんな表現を目指したい。志のレベルの話ですけどね。それで、想像の余白を残したい。強調していないんだけど、感じ取ってくれたら嬉しいな、っていう部分はありますね。
役者やお芝居の稽古って、しんどいことの方が多いんですよ。でも生みの苦しみがあるほど、いい作品になるような経験があって、創作している最中は非常に苦しむんです。役者をやっていること自体にしんどさはないけれど、役者として作り上げるプロセスはしんどさだらけ。その分、初日を迎えて自分で及第点を出せたときは嬉しいし、公演の中で育って行って、より豊かなものをお客さんに提示できる喜びもある。そこは映像のお仕事と舞台とはちょっと違うかもしれない。
舞台って、やっぱりライブであることでお客さんからすごいエネルギーをもらっているんです。カメラの前でカットかけられながら演技するよりも、いきなりぶっ飛んだところに行ける可能性が高いんですね。勝手にトランスしていってしまうことがあるんです。もちろん、映像の現場でも長回しとか、監督に追い込まれたりとかすると話は別なんだけどね。思いもよらないところに役者としての快感がある感じは、好きですね。
――日々、お忙しくされているかと思いますが、オフの時間はどのように過ごされるのがお好きですか?
やっぱり、友達とかとお酒を飲んだりしている時間が一番楽しい。でも今は、コロナ禍でなかなかね。僕は特にそうかもしれないんだけど、役者って書斎の中にいる時間がけっこう長いんですよ。自分がやりたいと思ったら閉じこもってしまう。だから、その反動で誰かと触れ合いたい、外にでてコミュニケーションを取りたいって余計に思うんですよね。だから、外に出て何かしたい!っていうのはあります。今、こうやっていろんなお話をできていることも、実はすごく楽しいんですよ(笑)。
――それは良かったです(笑)。昨年には紫綬褒章を授章され、役者についていろいろと考える機会にもなったのではないかと思います。役者としての今後のビジョンなどもお聞かせください
そうですね。あまりこういう役をやりたいとか、夢を持っていないところがあって、それじゃダメだなと思っているんですけど…でも、先ほどの話じゃないですけど100でも200でもいろんな役をやってみたいという欲求はあります。具体的じゃないけど、今も自分とは違うものをやってみたい。例えば…何かいやらしい役とか。ちょっと雑すぎるか(笑)。人間って結構、小綺麗に生きているようで、汚らしい部分っていっぱい持っているでしょ?社会の規範とかそういうところから外れてしまっているキャラクターのほうが面白いかな、とは思いますね。非常に脆弱な部分をひた隠しにしているとか。そういう、自分があんまり人にみせたくない、醜悪な部分まで表現できたらと思っていますね。
――ますますのご活躍を期待しています!本日はありがとうございました
取材・文:宮崎新之