7月8日より明治座にて開幕!芸能生活50周年『吉幾三特別公演』│吉幾三インタビュー

芸能生活50周年となる吉幾三の「吉幾三特別公演」が、7/8(金)~7/24(日)まで明治座にて開催。第一部は妻を亡くし、経営する会社のことも家のことも娘に甘えっぱなしの父親が、意地の張り合いから大騒ぎを起こしてしまう人情たっぷりのお芝居を、第二部には馴染みの曲から最新ナンバーまで、笑いと涙にあふれた歌のステージをお届けする。

芸能生活50周年を迎えた今年、初めて明治座の舞台に立つという吉は、このステージにどのように挑むのだろうか。話を聞いた。

――ついに明治座に初登場となります。意気込みなどはいかがですか?

まぁ、新人じゃないんでね。東京も劇場が減ってきて、昔からやってきた人間としては、明治座は伝えていきたいものがある劇場だと思っていたんですよ。藤田まことさんとか、コロッケさんとか、よく観に行ってますし。だから、意気込みと言ってもご近所さんな感じでね(笑)。いや、ちゃんとやりますよ!

――ちょっとそこまで、の距離感だからこそ、少しラフなお気持ちで臨めるのかも知れないですね。お芝居はどんなお話になっていますか?

お芝居はバラエティというか、コントみたいなものなので、みなさんに共感をしていただけると思います。どこにでもある、家族のお話です。システムとかは違うけど、大衆演劇に近い形のアットホームな喜劇がこれからはいいんじゃないかな、って思ってるんです。

――今回のお芝居は、娘を想う親心が伝わってくるようなお話になっています。吉さんにも娘さんがいらっしゃいますが、作中の父親の子煩悩っぷりをどのように感じられますか?

まぁ、似てますよ。劇中では17年前に嫁が亡くなっているけど、うちは嫁が生きてます。今朝もね、そこらへんに居ましたよ(笑)。でも娘ってね、特に長女の場合はやっぱりかわいいじゃないですか。芝居の原案は私で、岡本さとる先生に潤色していただいて、いい形に直していただきました。

この間まで御園座でこの芝居をやってたんだけど、仏壇の前で私が歌って泣いてもね、客席から拍手も無くて。おかしいな、と思って「どうしてなんだろ?」って聞いたら、お客さんがハンカチで目を押さえてるからだったんだよ。男性の「うっ、うっ」って嗚咽が聴こえてね。劇中の父親に近い心境の中で生きているお父さん、お母さんがいらっしゃるんでしょうね。

そうじゃなかったとしても、親が子供に対してどう思うか、って気持ちはたいてい似たようなものですよ。成長がうれしい反面、遠くにはやりたくない。俺のところも長女はハワイに住んでいるけど、すぐに飛んではいけないじゃないですか。きっと、どこにでもあり得る話ですよね。親と子とは、なんであるのか。それが分かってくれたらいいね。

――原案を書かれたときのヒントや書かれたきっかけとなったお気持ちなどもお聞かせください

自分の子どもには、勉強するなという訳じゃないし、しなきゃいけないことなんだけど、学校の成績はあんまり考えなくていい。でも、「ありがとう」と「ごめんさい」はちゃんと言おう、と言ってきました。子どもたちは孫にもそうやって教えていますね。「ありがとう」と「ごめんなさい」が言える子になりなさい、ってね。

やっぱり親に感謝する子じゃないと、って思うし、それには親が良くないと。私自身は9人兄弟の9番目で、町で一番貧しかった兄弟・家族だったけれど、やっぱり親には感謝しています。亡くなってもね。親が産んでくれないと俺らはいないし、兄弟それぞれに結婚して、家庭をもって、孫もできて、ひ孫までいますから。そういうことを考えたら、親に感謝しなきゃいけないね。

――感謝の心が大切だ、というお気持ちが、今回のお芝居の原案に繋がっていくんですね

とはいっても、兄弟たちには「親に何してあげたの?」とは思いますし、そう言いますけどね(笑)。兄貴や姉さんたちは俺に「助けてくれ」って言ってきて、助けたのに何にも返してこないんだから(笑)。それでもね、やっぱり心配だから俺から電話するんだよ。「元気か?」ってね。

だから、やっぱり感謝ですよ。50周年を迎えられた、ってこともありますけど、感謝のひと言だし、人に恵まれていました。俺は千昌夫って人に出会ってから人生が変わりましたから。嫌いな人間なんていないんです。まぁ、寄ってこない(笑)。子どもも大好きなんだけど、この間、2~3歳の子どもさんに声を掛けたら、親ににらまれちゃってね。マスクを取って「吉幾三です」って挨拶したら、親御さんがびっくりしちゃって、それでお子さんが泣いちゃった(笑)。バカ野郎、大きな声だしてんじゃないよ、ってね。

会社でも時々怒鳴ったり、大きい声をだしたりもするけど、感謝しているんですよ。このコロナ禍で、俺は苦しいし、お前たちにご飯を食べさせていけるかどうかわからないから、去る者は去っていいよって言ったんですけどね。誰も手を挙げなかった。感謝しかありませんよね。

ファンの方にも感謝ですよ。お子さんを連れて見に来てくれたり、お身体が不自由な方もお越しくださっていたり…。お子さんをね、舞台の前まで親が連れてきて、頭をなでてあげたり、握手したりね。今はそういうことができないけど、俺の歌が好きな方はみんなファンだし、そうじゃなくても、来てくれてそういう1つの温かいものがあるのって、いいものですよ。

――第二部の歌謡ショー「頼り…頼られ…ありがとう」にもその思いが込められていそうです。どのような構成になりそうでしょうか?

これまでにやってきているものとはショーの一部をちょっとだけ変えます。変えた方が面白いと思うんで、明治座では楽しいものをお見せしますよ。世界各国の歌を、イントロの間に着替えて、その国の衣装を着ます。それがまだ、1回も成功していないんですけど(笑)。イントロ8小節とか4小節くらいの間に着替えるんですけど、みなさん爆笑になると思いますよ。…多分、成功しないと思います(笑)。やればできると思うんですけどね。後ろにいえる衣装さんとうちのマネージャー連中でやっていて、人も多いから。靴だけ持って出てきたりするんだけど、履き忘れたり、間に合わなかったり。それで袖から左の靴だけ投げてよこすんだから。歌はちゃんと歌いますよ!

――想像するだけで楽しそうな企画ですね(笑)

ほかには、ショーのために志村けんさんのお写真をお借りしているんですよ。彼との間で作った「二人のブルース」という歌がありまして、昔よく一緒にお酒飲んだりしてよく遊んだもんですから。あとは、3月に発売した「頼り頼られ…」のカップリング曲「天空へ届け」っていう歌はね、昨年にレコーディングをしていて、戦争や争いをやめろ、っていう平和の歌なんです。今年になってウクライナのことがあってね。歌うのをやめようかとも思ったけど、あえて歌わせていただいています。ニュースとかをテレビで見ちゃうとね、歌えないんですけど…どうにかこうにか、歌っています。

そして、みなさんが知ってくれているヒット曲も歌いますよ。でも、歌詞カードを見ないと歌えないので(笑)。「雪國」ってテレビでも2コーラス(1番と3番)くらいしか歌わせてくれないでしょ。間の2番は全然覚えてないよ。いまだに「雪國」も。「雪國」も「酒よ」も見ないでフルコーラス歌ってくれって言われたら無理です。吉さんフルコーラス歌えたら1000万差し上げますって言われても無理!

――(笑)。そんなにですか?

自信あります。嫌な自信でしょ? だから必ず見て歌うんですけど、見ても間違うので。なので、お客さんには間違えても指さしたりしないように。間違っても指ささないこと、リクエストはしないこと、帰りは必ず売店でCDを買うこと。この3つを約束してください(笑)

――しかと聞き届けました(笑)。またお芝居のほうのお話をお聞きしたいのですが、中本賢さんや芳本美代子さん、島崎和歌子さん、佐藤B作さんといった方たちがお芝居のキャストとして、50周年の記念すべき場に集まってくれています。みなさんの印象はいかがですか?

とても感謝していますよ。うちで組んでいる座組の連中も下にいるけど、頭数だけですから(笑)。B作さんとはお会いしていたんですけど、しっかり芝居をするのは初めて。けっこうゲラなんですよね。島崎和歌子なんかは、笑うとき、フガッと鼻を鳴らしてて、おかしいんですよ。そのほかの人もゲラで、全然しゃべんないんです。それで、俺がずっとしゃべってて。変な劇団です(笑)

――その楽しい雰囲気が、お芝居にも出てきそうですね

おかしい芝居だからこそ、我々が真剣にやるんです。真剣にやればやるほど、おかしいんですよ(笑)。僕が真剣であればあるほど、こいつらは笑うんです。でも、みんなは顔の角度をつけたりしたら隠せるじゃないですか。俺はお客さんの真ん前、真ん中ですからね。隠せなくて。ひきょうなもんですよ(笑)

今は楽屋と楽屋を行き来できないような時期なのでね。毎朝、うちの座組の連中とか、みんなを呼んでコーヒーを淹れて飲んでたんです。芝居開始30分前にはみんなお化粧をしないといけないから、その前にね。でも、それもだんだん無くなってきて…。そういう場で、私と絡む人から情報を得るんですけどね。それを芝居に使うんです。

――情報ですか?

昔からそうなんですけど、例えば博多座だったりでね。芝居に出ている大俳優さんが、着物を着た女性と那珂川のほとりを歩いていた、と。番頭さんの役だったから「番頭はん、おいで」『何すか、ぼん』「あんたな、那珂川で着物の女と歩いてたって話やけどどやねん」って、本番でアドリブ入れるんです。そしたら『あ、呼んでます、誰か! 行きます!』ってハケてったんですけど「奥さんいてる話やけどあの人なあ」って、お客さんの方をみて話すんです。そういうことをやるから、全員の芝居のセリフを覚えないといけないんですよね。情報、お待ちしています(笑)

――(笑)。50周年というあゆみを振り返ると何日もかかってしまいそうですが、振り返ってみるとどんな日々でしたか?

最初は会社を設立したりもしていて、山岡英二という名前から吉幾三になった頃は苦労した記憶がありますね。というか、嫁に苦労をさせた記憶があります。嫁と、今のうちの専務と常務。彼らには苦労させました。それ以外のことは「あのとき大変だったな」なんて話したりもしますけど、大したことではなかったですね。周りから「あのとき大変だったな」って言われても「そう?」っていうくらいで。やっぱり人に恵まれていたからだね。歌詞に書いたってのもあるんだけど、やっぱり俺は生かされているんだ、って感じますね。

最近特にね、志村さんが亡くなって、上島竜兵もいなくなって…竜兵にはバカ野郎って言いたいよ。だけど、その分長く生きなきゃいけないじゃない。俺も手術とかいっぱいしたけど…生かされているんだな、って。

――50年、走り続けられたモチベーションの源はなんでしょうか?

家族だね。子どもたちがどんどん大人になっていくこと、孫たちがどんどん成長していくこと…。それが一番。

そして、今も青森に住んでいるんですけど、僕は青森と東京の両方を見ることができるわけじゃないですか。いいところも悪いところも、両方見ることができる。いろんな地方にも行けるしね。こういう仕事をしていてよかったですよ。行った先で飲みながら、「さっき渡った小さい綺麗な川、あれ何川?」「橋は?」って話してね。そういうのが歌の文句にもなるじゃないですか。ただホテルとホールを往復するだけじゃなくて、フラフラと歩いていくのもね、いいもんですよ。歩いていけば、何かがあるから。

――3月に発表された「頼り頼られ…」という新曲は、50年のキャリアを経て、という思いがあったんでしょうか?

作ったのは何年前だろ、ずいぶん前に作ってあったんです。ひとりじゃ生きていけないんだという言葉と、生かされているという言葉は、あとから付けました。やっぱり、そうだと思っているので。

(昔の話しですが、)3回ほど下血して、腸のポリープも破れて入院したときがあったり。それと今も入ってますけど、2回目のペースメーカーが入っているんですよ。8年たちましたからね。そういうのがあって、やっぱり死ぬんじゃないかなと思うことが何回かあったので、特にこっちの場合は心臓なので、脈拍が普通60回あるんですけど、35回くらいしかなくて、目が回って歩けないです。てことは歌も歌えないってことですよね。緊急の手術になって。そういうのもいろいろと考えれば、お医者さんにも恵まれてるし、生かされてるんだなと。

――そんな吉さんの50年の経験を経た想いを込めたステージ、楽しみにしております!

ありがとうございます。吉幾三のお芝居と歌を、トータルで3時間半くらい、明日につながる笑いと涙とを全部見せますので。そう毎年毎年っていうものでもありませんが、また皆様のご要望があれば明治座さんのほうにお願いしに行きますから、まずはとりあえず、吉幾三の50年の締めの芝居と歌を、ぜひみなさんに見に来ていただきたいなと思っております。よろしくお願いします。

 

取材・文:宮崎新之