「エンタメと倫理のせめぎあい」高羽彩、芳村宗治郎、重松文が語る『ヒトラーを画家にする話』

高羽彩が主宰を務める「タカハ劇団」の第18回公演『ヒトラーを画家にする話』が7月20日(水)に東京芸術劇場 シアターイーストにて開幕する。

昨年上演された『美談殺人』でも高い評価を得た高羽による新作は、現代の日本の美大生が1908年のドイツにタイムスリップし、芸術家を目指す若かりし頃のアドルフ・ヒトラーと出会うというストーリー。ヒトラーを画家にして歴史を変えるべきか否か葛藤する学生の姿を描く。

稽古場にて、作・演出の高羽彩と、タカハ劇団には初参加となる芳村宗治郎、重松文に話を聞いた。

ヒトラーという存在を美化しない

――高羽さんがこの脚本を書かれた経緯をお聞かせください。
高羽「以前、高校を舞台にしたドラマの脚本を書かせていただく機会がありまして、そのときに高校の倫理の先生に監修に入っていただいたんです。そこで、脚本の中に「ヒトラー」と「アウシュビッツ」という単語を使ったら、先生が「いまの高校生はもしかしたら、ヒトラーとアウシュビッツの関連性がわからない人が多いかもしれない」とおっしゃって。(アドルフ・)ヒトラーが悪いことをした人だという認識はあるけれど、ユダヤ人の迫害やアウシュビッツ(強制収容所)での虐殺と結び付きにくいと。それは衝撃でした。ただ、その後も海外のドキュメンタリーなどで、(ヒトラーが生きた)ドイツの高校生であってもみんながわかっているわけではない、というエピソードも見て。もちろん日本でもドイツでも「当然知ってるよ」という高校生もたくさんいるとは思うのですが」

――世界史の中の出来事、というような認識なのかもしれないですね。
高羽「だからこそ、いま若い方々に向けた内容で、ヒトラーのことを取り上げるのはすごく意義があるんじゃないか、というのがこの脚本を書いた一番大きなきっかけです」

――20代の芳村さんと重松さんは、ヒトラーにまつわる出来事はご存知でしたか?
重松「私は(俳優)養成所にいたときにホロコースト(第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人の大量殺戮をさす言葉)の映画をたくさん観るように言われて、勉強のひとつとして観ていました。そういう意味では、「歴史的な出来事」というよりは「あの映画みたいなこと」というぼんやりした認識だったと思います。だから今回のお話をいただいて調べてみたら、知らないことばかりで。知識量としてはかなり少なかったと思います」

芳村「僕は中学の授業でホロコーストの映画を観たり、「アウシュビッツを題材にした映画を観て感想文を書く」という宿題が出たりしていたので、そこでなんとなく知った、という感じでした。でも僕もこの機会に勉強したし、興味深かったです」

――ヒトラーを題材にしようというところから、歴史そのものを描くのではなく、画家を志す青年時代のヒトラーのもとに、現代の日本で生きる美大生3人がタイムスリップして絵を教える、というファンタジー要素のあるお話にされたのはどうしてですか?
高羽「まず題材として「ヒトラーは画家になりたかった」というエピソードが魅力的だったというのはすごく大きかったです。自分自身がアート界隈にいるので、「画家になりたい」という若いヒトラーと自分に共通点を感じるし、それが挫折に終わってしまったところも、人間としてひとつ共感するところがあって。それに、自分のことを棚に上げて言うと、アートをやっている人はいい人であってほしい、みたいな幻想もある。だからこそ、“芸術”というものに惹かれて志した人(ヒトラー)が、なぜ人を人とも思わないような行為に及んだのか、その間に一体なにがあったのか、と思いました。とにかくそこが知りたい、書きたいっていう感じでしたね」

――どういうところを肝に書いていかれたのですか?
高羽「脚本を書いていく中で、私なりの「ヒトラーのこの部分が、あの結末を導いてしまったのではないか」という答えのようなものが出た気がしているんです。もちろんそれはあくまで私がいまの瞬間に感じているだけのことですが。でもそこにあるものは、おそらく誰にでも起こりうる欲求だと思うので、お客さんに「他人事」と思ってほしくない、ということは一番大事にしています」

――出演者のおふたりは脚本を読んでどう思われましたか?
重松「この作品の舞台になる時代は、ヒトラーがあのヒトラーになってしまう前の、まだ若者だった頃で。高羽さんから「ヒトラーという存在を美化しないように」というお話もあったのですが、実際に演じていると、彼がちょっとかわいく思えるような瞬間とか、人間として興味を持つ瞬間がすごくあります。それはきっと犬飼(直紀)さんが演じるヒトラーの魅力でもあるし、脚本にヒトラーの人間味が描かれているからなんじゃないかなと思います。だからこその切なさがあって、さっき高羽さんが「他人事と思ってほしくない」とおっしゃっていましたが、実際に私も「自分にも起こりうる話」だと感じました」

芳村「僕も、脚本を読んだ第一印象は「ヒトラーも人間なんだ」というものでした。なんなら一番人間らしさを感じたりもします。その中で僕が演じるのは、現代の日本からヒトラーの時代にやって来た美大生3人のうちの1人なのですが、僕らがヒトラーの心のどこにいられるかは大事だなと思っています」

――ちなみに「ヒトラーという存在を美化しないように」というのは、彼が最終的に独裁者として行ったことがあるからということでしょうか。
高羽「はい。だからやっぱりどこかでヒトラーを“魅力的”に描くことに強い危機感があります。そこは今もすごく葛藤しているところです。ヒトラーという存在を「絶対的な悪」だと認識することはとても重要なことだと思うんです。現代にもヒトラーの信奉者はいますし、「あの時ナチスがやったことは正しかった」と言う人もまだたくさんいます。それを考えると、「彼にも良いところがあるよ」というような描き方は非常に危険だなと思っているんですよ。ただ、彼を人間として描いた脚本を素敵な役者さんが演じると……」

――魅力が出ちゃいますよね。
高羽「そうなんです。そこは私が脚本・演出としてどうケリをつけるかだし、コントロールが必要だと思います。もちろん登場人物にとっては、まだヒトラーは独裁者ではないですし、そんな彼に役者さんが感情移入したり、かわいいと思うのはかまわないんですけど、それを客席に届けるときに、どういうパッケージングにして届けるかっていうのは私が気をつけないといけないところだな、というのは毎日考えています」

芳村「ただそういう意味では、僕は「現代の人」という役どころなので、その後のヒトラーがやったことは知っているわけで。それをどう受け止めておくかは重要なんじゃないかなと思います」

――ウィーンにいる人たちの中では3人だけが「知っている人」ですもんね。ただの友達にはなれないですよね。
芳村「はい。なので生半可な気持ちじゃ(芝居を)受けられないというか。あのヒトラーが目の前にいる、というところでどう感じるか、というのは大事だなと思います」

――歴史ものとして描くのとはまた違う苦労がありますね。
高羽「私はすごく批判を浴びるかもしれないとも思っています。ただそれでも、ヒトラーに何が起きてあんなふうになってしまったのかということは、フィクションの世界ではありますが、後世の人間が考える必要があると思うんですね。そして「ヒトラーは狂人だった」で終わらせていいことではない。人間として描きつつ、彼のやったことを批判するラインも必要になる。エンタメとしての面白さと、倫理的に外れちゃいけない部分のせめぎ合いです。ドタバタコメディでつくっているので、その風合いを生かしながらちゃんとケリをつけなきゃいけない、というところに頭を悩ませています」

安心感があってやりやすい現場です

――おふたりは高羽さんの演出を受けていてどう感じていますか?
重松「高羽さんは絶対に「ダメ」とおっしゃらないんです。私たちの判断や直感に任せてくださりつつ、アドバイスをくださる、という感じで。いまは“現代の3人”が登場するシーンの稽古が多いのですが、その3人が役者として試行錯誤している感じがそのまま役づくりになっているのがわかるんです。私はそれを「いいなあ」「素敵だなあ」と思っていますし、それができるのは高羽さんが“考える隙”を与えてくれるからだと思います。きっと、すごく言葉を選んで演出をつけてくださっているんだろうなと思っています」

芳村「確かにそうですね。高羽さんの言葉を僕らがどう咀嚼して返していけるかなっていうのは大事にしています」

高羽「そもそも若い俳優さんたちが本当にびっくりするくらい素晴らしいんですよ。だからオファーしたわけですが、それをふまえても、ほんっっとうに素晴らしい。びっくりするんですよ。正直、映像を主にやられている方のほうが多いからもっとアワアワしちゃうかなと思っていました。ミザンス(位置関係)を決めるとか、客席側を意識して芝居をするとか、感覚を掴まないとできないことだったりするので。でもすぐできるようになっちゃう。そこに毎日びっくりしいていますし、私が想定している以上のものになっちゃうかもしれない!どうしよう!みたいな感じです(笑)。私の引きの強さが怖い……って毎日震えています」

一同 (笑)

芳村「高羽さんってすごくみんなを褒めてくださるのも大きいです。こういう現場はなかなかない。僕は俳優という職業を「できて当たり前の誰からも褒められない職業」だと思っていたんですけど(笑)、こういう現場もあるんだなと感じています。それと、ベテランの皆さんのお芝居もすごくて。もちろん自分たちもがんばらなければいけないんですけど、皆さんがつくってくださる空気に乗ってやっていけば間違いないという安心感があります。とにかくやりやすいです」

重松「先輩方や高羽さん、制作さんが分厚い土台を作ってくださって、その土台の上で、私たち若者が楽しく踊っているようなイメージです。そういう気分で稽古場に来れているのは、初めてだと思います。アットホームで、「大丈夫」とか「何回でもやろう」とか声をかけてくださるんですよ。でも若手のメンバーもそれに甘えるわけではないので。自然とがんばろうと思えます。私はいますごく「生きてるな」って気持ちです。ありがたい現場です!」

――この作品ではハラスメントの対策も取られていますよね。
高羽「演出家なんて大体一人ポツンとしているものなんですけど(笑)、稽古場で若い皆さんがちょこちょこ「こうですか?」とか聞いてくれて。それはもしかすると「ハラスメントのガイドラインがあるし、怖くないから声をかけてください」ってお願いしたからかもしれないなって(笑)。積極的にコミュニケーションを取ってくださるのが嬉しいです」

――逆に若い皆さんは「こちらから話しかけたほうがいいかも」って行動に繋がったりするんですかね?
重松「最初だけはその考えがありました。ハラスメントのガイドラインを読んで、そこに先輩方の言動によって私たちが怖がってしまうという話もあったので、だったら私たちが前のめりにいくといいのかなとも思ったんですけど、実際、稽古が始まったら、先輩方がすごくちょうどいい距離を取ってくださって、みんなでちょうどいいコミュニケーションが取れているように感じます」

高羽「さっき若者チームが素晴らしいって話をしたんですけど、先輩チームも本当に素晴らしいんですよ。先輩チームは、金子(清文)さんと砂田(桃子)さんが初めましてで、それ以外の皆さんはタカハ劇団で何度もお世話になっている、すごく信頼している俳優さんです。この人たちがいればクオリティは大丈夫、みたいな、その力強さがあるので、とても楽しくお稽古できています」

――お芝居に関しても、ハラスメントに関しても、安心感のある稽古場だから生まれるものがありそうですね。
高羽「あると思います。今回は青春群像劇だと思っているので、余計にそういう空気感は舞台に乗るんじゃないかな」

バリアフリーの取り組みについて

――今作は25歳以下は2500円、高校生は1000円で観られますね。
重松「素晴らしいですよね」

――さらにバリアフリーサービスや、手話の通訳の方が入られる日もありますし。どういう考えでそうされているのですか?
高羽「そこは「演劇人口を増やしたい」っていう、その思いだけです。タカハ劇団の興行として考えたら、厳しい部分も出てくる試みなんですけど、それでもいろんな方が劇場に来るハードルを少しでも低くしたい。そして演劇を面白いと思ってくれたらいいなっていう。「小劇場でもここまでのことができるんだ」っていうことを誰かが率先して示していくことで、この試みは広がっていくと思っています。特にバリアフリーの取り組みは非常に注目していただいている実感もあるので。演劇界全体に、いろんなお客さんを想定する想像力が広がっていってほしいっていうだけです。うちができるんだから!ってところで、みんなが考えてくれたらいいなと思っています」

――提案という要素もあるわけですね。
高羽「はい。そこに興味がある団体が多いのはわかっていて。でもやり方がわからない、どこから手を付けていいかわからない、実際どんなものかがわからない、っていう団体もたくさんいる。うちはできる限りすべてのバリアフリーサービスを取り入れているので、その中のひとつでもいいから、できそうなところからいかがですか?みたいな感じです。そこが届けばなによりですから」

――客席にいろんな方がいるのはとても嬉しいことのように感じます。
高羽「劇場ってパブリックな場所なので、社会の縮図であるべきだと思っているんです。だから客席に多様性がないというのは、貧しい社会の象徴になってしまうなと思う。客席を多様にすることは、世の中の多様性を拡大していく糸口にもなるんじゃないかなという思いもあるので、そういう意味でも、ぜひいろんな方に観に来ていただきたいです」

取材・文:中川實穗
写真:塚田史香