TAAC「人生が、はじまらない」│タカイアキフミ・安西慎太郎・清水優 インタビュー!

公演のたびにキャストを新しくし、その都度でさまざまな物語の”その後”を捉えてきた、タカイアキフミを中心とする表現者たちの集団TAAC。今回「人生が、はじまらない」(8月3日~8月7日まで東京・新宿シアタートップスで上演)で描かれるのは、1988年に起こった「巣鴨子ども置き去り事件」を背景にした、子どもたちの”その後”の物語だ。彼らはどのような想いと覚悟で、この作品に挑んでいくのか。作・演出のタカイアキフミと、次男・夏生を演じる安西慎太郎、長男・進を演じる清水優の3人に話を聞いた。

――今回の作品は、ネグレクトを受けた子どもたちのその後を描いた物語とお聞きしました。なぜタカイさんはこの物語を描こうと思われたんでしょうか?

タカイ 細かい内容に関しては今回のキャストやメンバーが決まってから、決めていきました。1988年に「巣鴨母子置き去り事件」という事件があったんですが、この事件をきっかけにネグレクトという言葉の概念が社会で一般化されたと感じています。そこから30年くらい経って、当時子どもだった当事者たちが大人になり、もしかすると新しい家族を迎えて、新しい命を宿らせているかもしれない。そのとき、どんな親、どんな大人になっているんだろうかと思ったのがこの作品を描くきっかけでした。ネグレクトという言葉は浸透しましたが、”その後”の部分はまだ世の中に共有されていないと思うんです。TAACではこれまで、その当事者たちのその瞬間というよりは、”その後”を描いてきました。事件当時僕はまだ生まれていませんし、事件自体に以前から興味があったわけでもありません。是枝裕和監督の映画「誰も知らない」の記憶があったくらいです。なので、ネグレクトそのものを取り上げるというより、過去に社会問題として取り上げられたものの”今”。そういう”その後”を描きたいと思いました。

――キャストのお2人は、最初に物語に触れた印象はいかがでしたか?

清水 自分自身は恵まれた環境に育ったので、世間で言われるようなネグレクトの知識はあっても、直接的には知らなかった。ちょっと違う世界で起こっている話だと感じました。過去にそのような影響を受けてしまった人が、今、大人になってどういう生活をしているんだろう…とずっとクエスチョンマークだったのですが、今回の作品を通して、その疑問に少し近づけるんじゃないか。その気持ちをわかりたい、という思いはありますね。先ほども映画「誰も知らない」の名前が出ましたが、あの作品によってネグレクトを世間は認知できたと思います。でも、殊更かわいそうに描いたり、同情されたりするような作品にはしたくない。そのためにも、もっと知りたいと思うようになりました。不幸なことかもしれないですが、逆に幸せなことなのかもしれないですよね。なるべく寄り添えればと思っています。

安西 正直、ネグレクトについてはそこまで認識があるわけではありません。言葉として、その意味を知っているというだけでした。先日、似たようなニュースもありましたが、僕は「巣鴨子供置き去り事件」自体も知らなかったので、調べてみました。でも、何の感想を持つこともできなかった。それが素直な気持ちです。こういうことがキツかったのでは、とか、母親に対してこういう想いなのではないか、とか考えたことはあります。でも当事者ではない、と思うと、悲しくなるのも違うんじゃないか。事件はあったけれど、兄弟の時間の中で楽しい時間があったと思うし、母親ともいい時間があったと思うんです。そこを想像してしまった。実際に、タカイさんのプロットを読んで、”その後”に目を置くことはすごく素敵なことだと思いました。今、どうして生きているのか。実際の事件に着想はありますが、フィクションじゃないですか。それをフィクションではなく、どのレベルのリアリティをもってお届けするのかが大事じゃないかと思っています。今回出てくる3兄弟だけじゃなく、人生の中で、大なり小なり、人生が始められないと感じている方はきっとたくさんいらっしゃるはず。そういう方々の背中を少し押してあげられるような作品になればと感じています。

――役を捉えるにあたって意識されていることはありますか?

安西 今回だから、というわけではないですが…いつも考えているのは、極論、お芝居をすることは無理だということ。結局は自分の体で動くし、自分の声でしゃべりますから。そういう概念でいるからこそ、役に寄り添える。タカイさんが描いてくれたこの世界の中に生きているので、寄り添ったうえで、考えたうえで、自分の言葉でしっかりとしゃべることが、お客様から見ても見やすいと思っています。ネグレクトがあったことで、夏生自身は、精神的にも肉体的にも大きく変わったことがあると思います。でも、ネグレクトがあったから変わったというところじゃない、そもそもの部分を僕は大切にしないといけない。夏生はすごく優しい子ですが、その優しさはすごくあいまいで。そのあいまいさが良くもあり、悪くもあり、人生を始めるための1歩が踏み出しにくい人になっている。そこを大切に演じたいと思います。

清水 僕も安西くんと同じ感覚。本人になることはすごく難しいし、おこがましいことだと思っています。当事者ではないけれど、気持ちを分かりたいという作業を毎回しているからこそ、わからないことは知りたくなるし、なるべく寄り添いたいと思うようになる。僕が演じる進は長男で、一番の当事者、兄弟の中で一番覚えている。そこは大事にしたいと考えています。子どもの頃の記憶って濃いし、つらいことを忘れるため、逆に記憶を塗り替えるようなこともありますよね。そういう想像力は今回、結構あったんじゃないかと思います。そして、作品で役を演じるにあたって、失礼の無いようにしたい。気持ちを入れやすいタイプの作品ではあるのですが、デリケートな部分なので、僕の勝手なイメージで浅はかには伝えたくない。真実はまた、存在しますので、デリケートにキャラクターを作っていきたいと思います。

――タカイさんは物語を描いていく際に意識されたことはありますか?

タカイ 実際にあった事件をベースにはしていますが、だからといって紋切型に人物を描きたいわけではありません。20年後の今も兄弟一緒に住んでいる、ということにはしたいと思って、その時にこの兄弟たちはどうなるだろう、と考えていく中で、この物語になったように思います。過去の事件を、一番の当事者として経験していた長男。それをただ見ることしかできなかった次男。一番幼かったがゆえに知らないことにできた長女。ざっくりと大きくは全員当事者ではありますが、その中でもレイヤーがあると思ったんです。その違いが、今の3人の共同生活の中で徐々にズレていることを表現できるといいのかな、とは思いましたね。

――稽古でたのしみなことやワクワクしていることは?

清水 僕は、みんな同じ方向に歩けるような方とご一緒したいと思って、TAACのオーディション含めて企画から参加しています。個人個人がしっかりと意見を持っている人たちばかりなので、稽古が単純に楽しいです。一つの作品を一緒に作り上げようという会話ができる。今後もその作業が続いていくのだと思いますが、ある一定方向にみんなでしっかりと歩いて行ける人たちなので、勉強になるし、楽しい作業です。恵まれているなと感じます。

清水 優

安西 被っちゃいますけど、楽しいんですよ。それくらい、みんながお芝居を好きだというのがあるんだと思うんですけど、ずっと見ていられるんです。話し合う時も、真摯に考えている姿を見ると自分のモチベーションも上がりますね。今はコロナ禍なのでできないんですけど、こんなにも稽古後に飲みに行きたくなってしまう現場はなかなかないと思います。本当に、この時間を大切にしたいですね。

タカイ TAACは毎回、キャストを新たにしていくプロジェクトで、今回は七味まゆ味さんだけは以前にもご出演いただきましたが、それ以外のみなさんとは初めて。各個人とそれぞれにお話はしていますし、その中でこの人にはこういう役を描きたい、と思ったり想像したりということはあるんですが、稽古に入ってみると「この人、こんな人だったんだ」という発見があるわけです。ですが、先ほどお2人がおっしゃっていたように、すべてのディスカッションが、その人の個人的な感情ありきのものではないんですね。基本的に、作品を良くしたいという、作品への想いがベースにある。だから非常に健康的というか建設的ですね。ただ仲がいいだけじゃないというか、関係性から見るとドライにも思えるかもしれません。作品が終わって、全員がその後もずっと友達、みたいな現場でもないと思います。ただ純粋に、モノづくりを楽しめていますね。

――オーディションの際はどのようなところを見て選ばれたんですか?

タカイ 少人数で2時間くらいかけて人間性を見ていくようなものでした。ほかの人がお芝居をしているときに、どういう姿勢で見ているのか、とか。僕が何かを聞いたときに、どう答えるか、とか。もちろん芝居の質やセンスもありますが、結局のところ演劇は映像とは違って、1カ月くらいかけて作っていくもの。そこをみんなで協力して積み上げていくことができる、楽しくできる方を選びたかった。それは外れていなかったようで、よかったです。演技力はもちろん大事ですが、それよりも大事なことはあるかもしれません。

――演出の際に大切にしていることや、特に今回で特徴的なところなどはありますか?

タカイ 僕自身、まだ本を書いて6作品くらい。ようやく、自分の本のやりづらさ、役者にとってのやりづらさがわかってきました。僕の本のセリフはどうとでも取れる言葉がすごく多くて、僕自身、言葉にできない言葉のようなものを演劇という空間で表現したいと思っているんですね。それは稽古を繰り返していく中で、言葉ですり合わせていくしかない。矛盾しているのですが、言葉にできないこともできるだけいろんな言葉を埋め尽くしていくことで共通理解を得ていくんです。そこは、諦めたくない。すごく、遠回りでも。簡単な形容詞で「寂しそうに泣いてください」って言ったら、皆さん達者な方ばかりなので、すぐに出来てしまうけれど、僕はそれをしたいわけじゃない。いろんな言葉で埋め合わせていって、その輪郭で浮かび上がった何かが、今回はできるといいなと思っています。

――言葉の外にあるものを、言葉ですり合わせていくんですね。キャストから見て、タカイさんの特徴的な部分はどのようなところでしょうか?

清水 考え方を共有してくれるので、こちらも発言しやすいし、わからないことも、みんながわからないままではなく納得出来るようにしてくれる。一緒に作っていこう、という意識は強く感じるし、発言しやすい空気を作ってくれていますね。

安西 発言しやすかったり、聞いてくださったり、何かを言ってくださることが、新たな何かを生み出す可能性につながっているというか…。とにかく、言い方が平凡ですけど、お芝居がしやすいです。心を閉じたままではなく、オープンにしたままで居られるので、間違っていたとしても、気持ちよく間違いを認められる。もちろん、合っていること、よかったことも行ってくださるので、お芝居が凄く楽しいですし、どんどんチャレンジしたくなります。

――アウトプットすること、表現することが、良い方向になると確信を持てる

安西 現場にもよりますが、たまにすごく空気が重かったり、ミスしたらどうしよう、という雰囲気の現場もあったりするんですよ。そういう時って、視野が狭くなって、相手と何かを生み出す、という行為がとても難しくなる。そういう時は、自分だけで生み出すしかないんですね。今回は、人とともに生み出せる方向に進んでいると思います。

安西慎太郎

――最後に、公演を楽しみにされている方々にメッセージをお願いします

清水 コロナ禍がある中で、劇場に来てくださるだけで本当に感謝です。来ていただくことでしか、僕らは表現できないので、なんとしても来ていただきたい。こういうご時世だからこそ、感謝をしながらお芝居をしていますし、モノづくりの感覚も変わってきました。劇場に来ていただけたら、とにかく面白いものをお見せします。それだけです。汗水たらして稽古しますので、強要はできませんがぜひ一歩前に踏み出して、劇場にお越しいただければ幸いです。

安西 まずはご来場いただけることが一番。それが僕らの生きがいでもあります。今回は「巣鴨子供置き去り事件」のネグレクトに着想を得た物語ですが、人生が始まらない、始められない、ということを感じている方もいるかもしれません。どこから始まっているのか、と聞かれても、我々も今はじまっているのか、正直わからない。始めているんだよね、という感覚です。そんな中で、何かを生み出す1個目というのはすごく大きい。その1歩が重くて、深くて、大切な一歩だと思います。その瞬間のために、薄い翼を授けてくれるような――飛べるかもしれない、そういう小さな勇気を感じていただけるものになればと思います。言語化できない何かを、ぜひ楽しみにしてください。

タカイ コロナ禍という上で、空間をともにして、役者と美術とお客さんがいる尊さ、だからこそ伝わるものがあると思います。コロナ禍に関してはいろいろな考え方がありますが、この時代を生きているというのは不変の事実。せっかくお客さんに集まってもらって空間を共有できたときには、中途半端なものを作ってはいけないという覚悟はあります。センシティブな部分もある作品なので、反発のような気持ちになる方もいるかもしれませんが、2割くらいの方が熱狂的に好きになってくれたらいいなと思っています。もちろん、少数の方に満足してもらえばいいという訳ではなく、それくらいの覚悟で、今この時代で作る意義、それを稽古の中で役者がしっかり見出したうえで、劇場でお伝えしたいと思います。演劇は、社会から逃避できる媒体でもあるんですけど、社会をもう一度考え直すこともできる媒体だと思うんです。僕は後者を選ぶし、そこに対して真摯にやっていきたいと思います。劇場から出た後、お客さんたちが世間や社会を見る視点が優しくなれば――そういう願いや祈りを込めて、劇場でお待ちしています。

 

インタビュー・文/宮崎 新之