1996年初演の、三谷幸喜による傑作二人芝居『笑の大学』。2004年には映画化もされ、さらにはロシア語、韓国語、中国語、フランス語に翻訳され世界各国で上演され続けているこの作品、実は日本では1998年に行われた再演以降は一度も上演されていない、幻の作品となっていた。それが今回25年の時を経て、初めて三谷自らの演出で蘇る。
物語は戦時色濃厚な昭和15年。舞台は警視庁の取調室。部屋にいるのは、検閲係の向坂(さきさか)と、劇団“笑の大学”座付作家の椿(つばき)の二人きりだ。非常時に喜劇を上演するなんて許されないと考える向坂は、椿が持参する台本に対し無理難題をふっかけてくるが、上演許可をもらうためとはいえ笑いを削りたくはない椿は、何度も工夫を凝らしつつ書き直す。そのやりとりを繰り返すうち、二人の関係は徐々に変化していく……。
検閲官・向坂には内野聖陽、喜劇作家・椿には瀬戸康史という、共に三谷作品経験者でありつつも共演はこれが初となる新鮮な顔合わせにも注目が集まっている。作品への想いや初演時のこと、このキャスティングの狙いなどについて、三谷に語ってもらった。
―『笑の大学』は25年ぶりの上演となりますが、今回初めてご自身で演出を手がけるにあたって、この演目を選んだ理由とは。
自分が演出するから、この作品を選んだというわけではないんです。この作品をやるにあたって誰に演出を頼もうかとなった時に、そういえばこの作品は自分で演出したことがなかったなと思ったものですから。それで自分を抜擢したという感じです。
――自分で演出するとなってから、改めてどんな作品だと思われましたか。
初演、再演時は山田和也さんという、プロの演出家の方に演出をお願いしました。僕自身は脚本家ではあるけれど、自分としてはあまり演出家のイメージはないんです。演出家としては、たいしたことをやっていなくて、稽古場で自分で書いたものの補足説明をしている感覚です。むしろ、なるべく何もしないようにするのが僕の演出だと言えますね。ここに登場する劇作家は僕にとっての理想です。こんな人でいたい、こんな脚本家でありたいという想いがとても強い登場人物で、ここまで自分を投影した登場人物は他にいないですね。そもそもこの向坂と椿のやりとりそのものが、この作品を書いた当時の自分とテレビドラマのプロデューサーとのせめぎ合いをもとにしているんです。つまり、もともと自分の話だから、そういう意味でもこの作品を演出するのに、すごく僕は向いている気がしました。
――『笑の大学』という作品を、このタイミングで再再演しようと思われたのはどうしてだったんですか。
僕にとっては特別な作品でもあるので、僕自身もまた観たいな、いつか上演したいなとは思っていました。だけど大事な作品だけに、それを託せる俳優さんが二人揃わなければやるべきではないし、やりたくなかった。それで25年も間が空いてしまったのですが、今回こうして内野聖陽さんと瀬戸康史さんにやっていただけることになって、このタイミングでの上演になりました。
――内野さんを向坂役に、と思われたのはどんな狙いからでしょうか。
内野さんは、実は高校の後輩なんです。その学校からこの業界に入ったのは僕と内野さんと左とん平さんくらいなので、そういう意味でもずっと後輩の面倒を見たいなと思っていたということがひとつと(笑)。あと、内野さんには大河ドラマ『真田丸』で徳川家康を演じていただいたんですが、その時に僕、ビックリしたんです。テレビドラマの場合、脚本家は現場には行かないので、基本的には俳優さんと演出家さんに全部を託すわけなんです。ときどき、何も打ち合わせをしていないのに僕がやってほしいことを100%具現化してくれる俳優さんがいるのですが、それは本当に稀なんです。たとえば西田敏行さんとか伊東四朗さんがそうなのですが、内野さんもその中のおひとりで、本当に驚きました、何も話していないのに、こんなにも僕のやってほしいことを完璧にやってくれる俳優さんがいるなんて、と。それ以来、内野さんは僕にとって最も信頼のおける俳優さんのひとりになりました。
――椿役の瀬戸さんに関しては、どんな印象を持たれていますか。
瀬戸さんとは、僕が演出したニール・サイモン作の『23階の笑い』(2020年)に出ていただいたのが最初の出会いでした。正直僕はそれまで瀬戸さんのことはよく存じ上げていなかったんですが、ご一緒してみるととても笑いに貪欲な方だったので驚いたんです。あの作品はニール・サイモンの自伝みたいなもので、アメリカの喜劇作家たちの話なんです。その中でまさにニール・サイモンが自分をモデルにしたキャラクターの役を瀬戸さんに演じていただいたんですが、瀬戸さんはお客さんを笑わせようとするんです。普通、俳優さんは照れもあるのか、自分は笑わせようとは思っていないというスタンスでいることのほうが多いのに、瀬戸さんは一生懸命笑わせようとする上に、それを隠さない。たまたま面白かったのではなく、計算で笑わせようと努力している。これはとても面白い俳優さんだなと思いました。それ以来機会がある度にお仕事をさせていただいています。この椿という人はコメディアンではないけれど、浅草の笑いの世界に足を踏み入れているひとりで笑いに対して貪欲なキャラクターなので、ここはぜひ瀬戸さんに演じてほしいなと思いました。
――初演から25年が経ち、時代と共に笑いというものも変化してきた気がしますが。そんな今という時代に上演するにあたって、三谷さんはどんなことを感じていますか。
この作品、そもそも『笑の大学』というタイトルですし、もちろん笑いについての物語ではあるんですが、実は笑いがテーマの作品ではないんです。ものをつくることに向き合うこと、そして、ものをつくる上での妥協とは何なのか、そういう話なんです。これはたまたま、それを喜劇という世界で描いているだけで、きっとどんなものづくりの世界でも、これと同じようなことが起きているはずだと思います。だからこそ、この作品は海外のいろいろな国でも演じられていて、設定は少し変わったりしながらも、どの国でも受け入れられてきたんだと思います。そこには、笑いに限らず普遍的なテーマがあるからなんだろうなと自分では解釈しているんですけれども。だから、これでは質問の答えになってないかもしれないけど、つまり僕はこの作品に関してはそれほど笑いについてこだわりを持って書いたかというと、そうではないのが正直なところです。もうちょっと広い意味で、この作品を捉えています。
――その、ものづくりをするにあたって、この二人のようにかけあいをしたりアイデアを出し合ったりする相手みたいな存在が、三谷さんにもいたりするのでしょうか。
いや、この話の出発点となったのは“制約”なんです。僕は以前から舞台の脚本を書き、演出をしていたんですが、小劇場の場合は制約がほぼないんですね。なんでもありなので、自由にできてしまう。そういう世界からスタートした人間にとって、テレビドラマを初めてやった時は制約だらけで衝撃でした。それは予算のことも時間のこともそうだし、俳優さんもいろいろなところから集まってきた人たちだし、さらにプロデューサーの思惑もある。そういう制約をどうクリアして自分のやりたいものを作っていくか。そこが、僕にとっては新鮮な感じがしたんです。そこが、この脚本の発端になっているので、椿は僕自身だとして、その相手の向坂という人は僕の前に立ちはだかる制約というものを、ひとりの人間に置き換えて作ったようなものなんです。
――共に作品を作っている相手、というのとも違うんですね。
そう、ちょっとニュアンスが違いますね。だけどその制約がなければ、逆に言うと僕は何も作れない人間だとも思います。昔、伊丹十三さんがおっしゃっていたんですが、凧揚げの凧は、凧糸があるからこそうまく飛べているんだよと。糸がなければもっと遠くまで飛べるんじゃないかと思って切ってしまうと、その途端に落ちてしまう。その糸こそが制約だと考えると、まさに僕は凧と同じで制約がないと何も書けない人間だなという感じがすごくします。しかもその制約をただ制約として受け止めるのではなく、そこからさらに何かプラスのものに作り替えていく、それが自分の仕事のやりかたのような気がするんですよね。だから向坂はパートナーというよりは、僕にとっての凧糸みたいな、そんなイメージです。
――制約があるからこそ燃える、ということですか。
そうですね。今回、久々に台本を読み返してみたら、まさに25年前、当時の自分が新人に近い状態でテレビドラマを書いていた頃のプロデューサーとのせめぎ合いがまざまざと蘇ってきました。ああ、そうだ、あの頃はこうやって物語を作っていたんだなと思い出したんです。だけど、じゃあ今はどうなんだろうと考えると、これだけ僕もキャリアを積んできたのにあまり状況は変わっていなくて。いまだにやはり制約の中で作っているんですよね。テレビドラマを作るにあたっては昔と同じように予算のことやスケジュールのことが制約になっていますし、さらに今はコロナ禍の影響もあって、たとえば一回書いた台本が撮影のスケジュールの関係でこの俳優さんは出られなくなったとか、このシーンは今週撮るはずだったのが来週になる、そうなるとこの人が出られなくなるので書き直してください、ということも当然出て来る。既に理想だと思っている台本があるのにそこから遠ざかっていくのが耐えられないと思う作家さんもいらっしゃるかもしれないけど、僕は逆にうれしくなるんです。そういう制約があるのならそれを逆手にとって、もう一回書き直すことでもっと面白くしてやろうと思う。本当に、椿のような気持ちになるんですよ。僕が椿のようにうまくできたかはわからないですが、このシーンに本来ならいなきゃいけないはずの人がいないんだけど、それを見ている人に「もしかしてこの俳優は体調不良で休んでいたのかな?」と思われないように、その場にいない必然性を考える。その上で、さらに話が面白くなったらもっといいわけですから。そういうことに知恵を絞るほうが、たぶん自分には向いているんです。そうやっていつも物語を作ってきたんだということ、それは25年経っても今も変わらないということを今回、改めて自覚しました。
三谷の作家としての強さ、矜持、想いが伝わる名作が、この時代、このタイミングで観られるのはまさに幸せなことだと言える。貴重な機会となりそう、ぜひともお見逃しなく。
取材・文/田中里津子
ヘアメイク/立身恵(フレックルス)
スタイリング/中川原寛(CaNN)