ひとりの人間の人生を描く、戯曲に向き合う創作──│舞台『ブレイキング・ザ・コード』亀田佳明×稲葉賀恵インタビュー

第二次世界大戦でナチスの暗号「エニグマ」を解読した、イギリスの英雄アラン・チューリング。41歳で悲運の死を遂げた彼の生涯を、時代を交錯させながら描く『ブレイキング・ザ・コード』が、2023年4月1日(土)~23日(日)に東京・シアタートラムにて上演される。

1950年代、同性愛が犯罪だったイギリスにおいて、同性愛者だったチューリングが求めていたものとは。日本で33年ぶりに上演する同作にて、アラン・チューリング役を演じる亀田佳明と、演出の稲葉賀恵に話を聞いた。

劇団の先輩と後輩。俳優と演出家として初めての芝居作り

──おふたりは同じ文学座の所属ですが、いつからのお知り合いですか?

亀田 10年ほど前ですね。劇団の公演に僕が出演していて、彼女が小道具として必死にやっていたのが第一印象です。覚えてないかもしれないけど、その打ち上げかなにかで話しかけてきてくれたんですよ。

稲葉 そうでしたっけ……?

亀田 そこからちょっとずついろんな話をするようになった。 同じ劇団にいるので、同じ作品を観たりすることも多くて「あの芝居はこうだった」とか「僕の芝居を見てどうだった」だったなんて話をしてよくしていますね。

稲葉 そうですね。劇団は人数がすごく多いので、よく話す先輩と、あまりご一緒したことのない先輩もいるんです。そのなかで亀田さんは一、ニを争うぐらいお世話になっている先輩です。たぶん亀田さんの人柄だと思うんですよ。すごく後輩とのコミュニケーションをとってくださるので、後輩はみんな慕っていて。ラフな関係性でいてくださるので、甘えてその懐に入ってしまう。だから「いつか創作でご一緒したいな」と思っていました。あまりに話す機会が多いので、一緒に創作をしていないことがもはやちょっと恥ずかしいけど、今回ご一緒できることがすごく嬉しいです。

亀田 同じ現場にいることは2~3年に1回くらいはあるんだけどね。僕は俳優で、彼女は演出助手の時はアドバイスをくれたりするので、初めて一緒にやるという感覚はしないかな。あと、朗読を一緒にやったよね?

稲葉 そうでした!コロナ禍ですべてが止まって「何かできないかな」と思った時に、ラジオドラマで谷崎潤一郎の『刺青』を朗読してもらいましたね。今回もご一緒する阿部海太郎さんに音楽をお願いしました。全然会えなかったけど、かなり密なコミュニケーションをとって作りました。

亀田 まだネットで聞けるよね。その時もたくさん喋って、面白かったね。

──文学座と、稲葉さんご自身については、立ち稽古に入る前の読み合わせに時間をかける印象があります

亀田 自分も創作過程の始めの段階で、読み合わせなどのテーブル稽古を大切にするのが常になっています。そこに時間をかけることで、頭も体も馴染ませていく。あと、劇団では一週間くらいのテーブル稽古のうちに、先輩が戯曲を読んで「ここがわからない」「あそこがわからない」と発言するんですよ。自分が出ているシーンではなくても、わからないことを率直に言うことで明確にしていく作業があることは良かったですね。

稲葉 テーブル稽古が大事だという共通認識を持っている方が座組にいることは、すごく心強いですね。過去を振り返ってみると、たとえばテーブル稽古の時に発言をして、良い空気をパン!と作ってくださるのは、劇団の人が多かったです。いくら私が「皆さん、わからないことを共有してもいいんですよ。意見を言っても大丈夫なんです」と言っても、読み稽古って読むだけだろうと考えている方もいらっしゃるので。その中で「はい!自分はここがわからないんです」と言ってくれると、まわりも「そういうことを言っていいんだ」となっていく。とくに若い俳優さんは言いづらいでしょうから。

亀田 わからないことがわからない、ということもありますしね。それも言っちゃって良いですし。この作品にもわからないことがいっぱいありますよ(笑)。

──とくに翻訳劇だと、戯曲の書かれた背景が今の日本とは異なるので「このシーンはいったいどういう意味だろう?」「この戯曲ってなんなんだろう?」と様々な角度から考える時間は大事なのだろうと思います

稲葉 そうですね。今回は新訳なので、読み合わせを聞いた後でもう一度、言葉を洗い出して、疑ってみることができる。翻訳の小田島(創志)さんが何度も戯曲を書き直してくださっていて、それはありがたく、大事な作業になりそうです。

亀田 言葉が変化していくことは大きいですよね。

稲葉 そうなんですよね。ユーモアひとつとってもチョイスによって全然違いますから。

1月、一度目の読み合わせでの発見

──実際、皆さんで集まって戯曲の読み合わせをしてみていかがでしたか?

亀田 もうどれだけ喋ってもページが終わらない!1行置きくらいに自分の台詞があるので、終わんね~な~、なんだこれ~って(笑)。

稲葉 すごく喋っていますよね。ずっと出ているし。

亀田 数学的な理論についての台詞なんかもカオスですよ(笑)。ただ、一人で読んでいるだけだと登場人物たちの声や雰囲気があまり入ってこなかったんですが、皆さんの体温を感じる声を聞いていると孤独じゃなくなる感じがしました。頼れるような、一人じゃない感じがちょっとしたんですよね。

稲葉 私はまず「よくできたホン(脚本)だな」と思いました。一人で読んだ時もそうは思っていましたが、同時に「ちょっと一面的になりそうかも」とか「キャラクタライズされすぎて類型的になるともったいないな」という懸念点があったんです。でも俳優さんの実際の声で聞いた時に「この脚本は、すごく純粋で、かなり複雑で、とても繊細な会話でできていて、それがすごく絶妙に伏線を張っているんだな」とはっきり感じられました。

──読ませていただきましたが、まさに「戯曲」という感じがしました

稲葉 そうなんですよね!

亀田 うんうん。

稲葉 白か黒かはっきりしているホンじゃない。すごく繊細なグラデーションの話をしているから、文字で読んでいるとちょっとわかりづらいけど、俳優が声に出していくことでその場で変化していく。読み合わせを聞いていて「これは戯曲なんだな」と感じました。

亀田 映画(『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』2014年)の方はもう少しエンターテインメント性が強くて、それに比べるとこの戯曲の方が複雑性を帯びているぶん、重厚な何かが生まれてくる可能性はあるなという気はするんですよね。

──読み合わせで印象的だったことや、予想外な発見などありましたか?

稲葉 ちょっと重い作品になるかなと思っていたんです。深刻なことをシリアスにやりすぎるよりも、愛されるキャラクター達にしたいなと考えていました。でも皆さんの声を聞くとコメディ的なところが結構あったので、それは大事にしなきゃなと。とくに、一人で読んでいる時よりも亀田さんの声がなんというかちょっと……(笑)。

亀田 ちょっと、なに!?

稲葉 なんだか……すごく愛嬌があるなって。

亀田 ええ?(笑)。

稲葉 すごく愛すべき人達だなって感じたんですよ。誰も悪者が出てこないんだなって。俳優の皆さんがあまり暗くならずに読んでくださったので、あんまり頭をこねくり回してキーッ!とならなくても、「じゃあ合わせてみよう」とトライを重ねていけば広がっていくんだろうなという予感がしました。

あと、この戯曲を最初に読んだ時に、天体のようなイメージを持ったんですよ。構成としては時系列がどんどん飛ぶので演じる俳優は大変なんですけれど、芝居を観ているときっと、全員が天体のように居て、そこを巡ったり過去や未来へ行ったりする感覚になるんじゃないかなと。ビジュアルイメージも天体ですが、実は、最初は繊細なレースにしようかと考えたりもしました。規則性があるんだけど無機的ではなく有機的なもの、決定的な答えがなくて有機的なものというのは、数学とも重なるかなと。また、温もりはあるけれども規則性があるということは、人間関係とも似ているなと。そう考えるうちに、作中にも出てくる天体のシーンが素敵で、宇宙的な視点が良いなと思いました。

亀田 なるほど。

稲葉 場面が次々に変わる展開は映画のカット割りのようで、そこでなんのためにシーンが飛ぶのかが明確できちんと編集されている印象なんです。「ああそうか、このアップの後にこのシーンが来るんだな」という納得感が強い。声に出して戯曲を読んでもらった時に映像のように浮かんで感じられて、「もう少しエンタメ性を意識してもいいのかも」と思いましたね。

アラン・チューリング役はぜひ亀田さんに。その理由は……

──お話を聞いていると、この戯曲を深刻に読みすぎていたかもしれないなと思いました

稲葉 私も、最初は深刻に読んじゃっていたんです!すごくセンシティブな問題が描かれていますし。でも、生きている人間達はものすごく瑞々しいから、深刻なことを喋っているけれどそれをどうやって軽やかにしていくかが私の仕事として大事かもしれないなと、皆さんの読み合わせを聞いていて思いました。

亀田 人物描写は興味深いんですよね。この戯曲の作者はヒュー・ホワイトモアですが、もともとの原作はアンドリュー・ホッジスの書いた900ページくらいある本で、数学理論みたいなことが1/3ぐらい書かれていてかなり読むのが大変なんです。ほとんどわからない(笑)。でも物語としては戯曲と同じことが描かれていて、その中でアンドリュー・ホッジスが書いたアラン・チューリングの性格的描写が多くあります。そこでのアラン・チューリング像は、どうにも一つにもまとまりきれないような性格や思想を持っていて、常に不安定で矛盾している。大人のようでもあって、子どものようでもあって、ものすごく神経質なようでもあって、ものすごく雑でもある。短気でヒステリックかと思えば、すごく誠実で柔和だし……よくわからないんですよね。ただ、とにかく前に前に進んでいる印象をうけました。数学や学術のことをひたすら追求し続けているところもそう。近くにいたらはた迷惑な人かもしれないけど、すごく興味深い魅力を持った人だなと思います。一面的にならないような人物にしたいです。

稲葉 一言にすると陳腐ですが……やっぱり愛の話だと思うんです。不器用だけど向き合おうとしている人の感情や心を大事にしないと、どうしてもただの性格描写みたいになっちゃうから。

──最後に、演出家と俳優として初めて創作をご一緒するうえでの期待や楽しみなどは?

稲葉 たぶん亀田さんご本人にも伝えたと思いますが、10年前に出会った時のお芝居で「こんなに色っぽい人がいるんだ」と思ったんですよ。エロティックというわけではなくて、俳優として色香がある。開いてるんだけどもどこかで鋭いナイフを持っているような人。そういう俳優が私はすごく好きだなと。その代名詞が亀田さんなんです。そういうところが、アラン・チューリング役にもぴったり。プロデューサーの笹岡(征矢)さんとほぼ同じタイミングで「この役は亀田さんしかいないだろう!」と合致しました。

亀田 プレッシャーでしかない……

稲葉 私としては「亀田さんしかいないよね!じゃあすぐ電話かけますね!受けてくれるかな?」って(笑)。でも「やっぱりすぐには返事はもらえないかなぁ、ダメか……?」とそわそわしていました。引き受けてくださって嬉しくて、すごく楽しみです!

亀田 はい……(笑)。出会いから10年以上経ちますけれど、彼女自身の良いところは、人間に対する探究心や追求心がすごく強いところ。だからいろんな話をするようになったんですよね。そういう人と、かなり重量感のある役で一緒にお芝居を作れるのは相談しやすいし、幸せですし、楽しみにしています。

取材・文・撮影/河野桃子