ウーマンリブvol.15「もうがまんできない」│宮藤官九郎 インタビュー

2020年春にコロナ禍の影響を受けて全公演が中止となってしまった、宮藤官九郎作・演出によるウーマンリブ公演『もうがまんできない』。無観客で映像作品として収録はされていたこの幻の舞台が、一部のキャストを変更して2023年版として上演することとなった。阿部サダヲ、荒川良々ら初演からのメンバーに加え、新たに仲野太賀、永山絢斗、皆川猿時が参戦し、さらなるパワーアップを目論む。宮藤に、今作への思い入れや、再演に向けての意気込みを訊いた。

――まず、この『もうがまんできない』が初演時に書かれた時、どういうところから創作が出発したのかを教えてください

最初は、シチュエーションからだった気がします。たまたまスマホの人気ゲームアプリのことを知って、それが街中に出現するモンスターを捕まえるゲームで。いろいろな人がそのために道路に集まっていたあの状態が、僕からするとすごく奇妙な光景だったんです。「何をしてるんだろう、なんでここに大勢、人が集まってるんだろう」と思ったら、そこがゲームのためのスポットになっていたんですね。で、そこで出会うことで日常では無関係だった人たちにドラマが生まれたら面白いんじゃないか、というのがそもそものスタートだったように思います。そのあと、ビルの屋上を物語の舞台にしたら面白いんじゃないかなとか、そうやって少しずつシチュエーションを積み重ねしていった感じですね。

僕自身はちょうどその時、大河ドラマ(『いだてん』)を書き終えてからの一作目がこれになる予定だったので、表現としてもスケールの大きい話をやった後だからということもあって、逆にものすごく小さい、ミニマムな場所から始まる物語にしたいなと思っていたんです。それで、解散すると決まっているお笑いコンビが、たまたまネタ合わせをしていたら、同じゲームをやってる人たちが集まってきてそこで実は……と話を展開させていきました。と、こんな風に言語化すると、あまり面白くないですけど(笑)。そうやって日頃生活している中で感じたこと、思いついたことがその時の気分で、ひとつの作品として形になっていったということですね。

――3年前の初演時に上演されるはずだったものが、結局は公演中止となり、映像作品としては収録されましたけど。あの時、宮藤さんはどんな気持ちでいらっしゃったんですか?

あの時は、演劇含めライブが軒並みできないことになっていって。それでも「収録だったらやれるんじゃないか」ということになり、WOWOWさんが協力してくださって。時期的には比較的落ち着いてからの収録にはなりましたけど。でもそうやって一度稽古場で完成させたものをお客さんがいないところで上演したことで、改めてやっぱりお客さんがいないとダメなんだ、お客さんの笑い声と反応で舞台作品は完成するんだということを確認することにもなりました。

――収録されたものだけが残ったというのは、今までなかった経験だったと思いますが。宮藤さんの中では、この『もうがまんできない』という作品自体の出来映えはいかがだったんでしょうか?

やはりお客さんの前ではやっていないので、自分としてはちょっと点数がつけられないものになってしまいました。映像作品としてならともかく、あれは舞台作品だとは思えないんです。お客さんが笑っていないし。たとえば一度も笑わないお客さんでもいいので、いてほしいなと思うんです。もう、何のためにやってんだっけ、これ?という気持ちになってしまいましたから。それも芝居の完成度が上がれば上がるほど、みんなが本気でやればやるほど、その思いは強くなっていきましたね。だから収録が終わった後、阿部くんや荒川くんが「これ、いつかちゃんとお客さんの前でやりたいですね、やらないとですね!」と言っていて。自分も「そうだよな。ここまでやったのに何も返ってきてないし」と、これは体感として思いました。それは特に僕が作る作品がそうだからだとも思います、お客さんにウケるという感覚が、少なからず大きい要因になっているので。

――それで今回の再演に至るわけですが、キャストも少し変わりますし、時事ネタもおそらく変わりそうですし。今の時点では、どんなところに手を入れるつもりですか。または逆に初演通りにやりたい点などあれば教えてください

キャストが変わることが一番大きい違いになるとは思いますが。再演にあたっては、僕は特に書き直すつもりはなかったんです。だけど今回は太賀くんと絢斗くんになりますから、おそらく彼らが演じるお笑いコンビのネタは、やはり今の時代を生きる我々というかお客さんの気分を反映するものになるので、そこは書き換えなきゃなと思いますし。そこが変わると、コントの元のネタも変わっていくから、お芝居全体にも多少は影響があるので、そういう意味では自ずと変わっていくんだと思います。

なおかつ、以前松尾スズキさんが演じていた役が皆川くんになるわけですから、そこはムードが一変するはず。当然それに合わせての書き直しも必要になるでしょう。だからその辺は大きく変わる可能性がありますが、でも物語自体はもう出来上がっているものなので、あまりいじらない方がいいと思うし。僕、再演というものをやる機会が少なくて。自分で演出する作品を自分で再演したのは、ウーマンリブでやった『熊沢パンキース』(1995年、2003年)の再演以来になると思うんですけど、あの時も確かキャストを増やして、かなり書き直していましたから。

――そのままの再演はできないってことですね

だったら再演しなければいいのにと思われるかもしれないですけど、でも前回とにかくお客さんの前でやっていないという想いが強いので。お客さんの前で、あれがウケるかウケないかを試したいんです。となると、本当は出来る限り変えたくはないんです。

――では、今後の稽古までの準備次第、稽古の進行次第ということですね

そうですね。正直に言うと僕はまだ以前の映像も見返してなければ、台本を読み返してないんで。まだ、いい思い出だけしかないんですけどね(笑)。

――新たに参加される仲野さんと永山さんと皆川さんには、どんなことを期待されていますか?

太賀くんにやってもらおうと思っている役は、実は僕自身が投影されている役でもあるんです。客観的に見たら俺、こんな嫌なところがあるよな、というか(笑)。自分は自分の正義を貫いているつもりではいるけど、きっとこういう風にも見られているんだろうなという部分を反映している人物で。たとえばライブ前にはものすごくナーバスになって他人にあたることで自分を保っているところとか。「俺たちが売れないのは、お前に向上心がないからだ」という方向に持っていかないと、自分を正当化できない。前回は(柄本)佑くんに演じてもらいましたが、それって若気の至りというよりある意味青臭い考え方だなとも思うし、これから世に出ようと思っているのにくすぶっているお笑い芸人という設定でもありますから、さらに若い人がいいのかなと思ったんですよね。太賀くんは、そういうナーバスなお芝居はとてもいいですし。それを演じても決して暗くならないだろうし、きっと可愛げもあるので。それでぜひ太賀くんで、と思いました。

それに合わせて相方を考えた時、僕は絢斗くんと一度お芝居をやっていて、その時も力一杯バカなことをやってくれるところが大好きだったんです。前回演じた要(潤)さんが持っていた、黙ってればいい男に見えるからみんないい男だと思っているけど喋った途端にバカっぽいみたいな雰囲気のことを考えても、これは永山絢斗がいいんじゃないか、と。それから、松尾さんの代わりができる人はもはや皆川くんしかいないんじゃないかなというのが正直なところで(笑)。

初演の頃は、ずっと皆川くんにいろいろな作品に参加してもらい続けていたので、ちょっと一回お休みかなということで呼ばかなかったんですね。だけど松尾さんが出られないとなると、じゃあ皆川くんしかいないじゃないかなということで。改めて考えると僕と同い年の50代半ばですし、ああいう父親としての哀愁みたいなお芝居もやってかなきゃいけないよな、この人もと思えば、あながち悪くないキャスティングなんじゃないでしょうか。

――前回、映像作品として残せたことでどんなことが得られたと思っていますか?そしてその中で今回の再演に生かされそうなことというと…?

ヤバイな、全然記憶にない(笑)。ただただ一生懸命やったという思いはあるんですけどね。だけど終わってからも、汗かいてハアハアしているのに、無観客だったから誰もお客さんは笑っていなかったということがショックだったんです。演劇っていつもは、お客さんに笑われて、僕らも楽しかったねと言いながら楽屋でクールダウンして、じゃっ!て気持ちよく帰れるものだったのに、無観客ではウケない。収録された場所がいつもウケてる本多劇場だったから、よけいにそう思えたのかもしれないですけど。そこでもやはり、ちゃんと人前でやんなきゃダメだよなって結論しかなかったんです。

仕上がった映像作品を観れば、このシーンは役者としてみんないいなとは思えるだろうけど。というと、なんだか自分がお客さんにウケることしか考えてない奴みたいでイヤなんですけど、まあ結局そうなんでしょう、舞台をやる時は特に。映像の時とは、やればやるほど違いましたね。完成に近づけば近づくほど、みんなプロの役者だから本気にはなるんだけど。自分はどうしても、聞こえない笑い声をどこか聞こうとしていたり、笑い声は来ないのについ笑い待ちしてたりしてしまって。

――そうなると、どうしても物足りなくなってしまう?

より、物足りない気持ちになりました。しかも、本多劇場でしたしね。

――場所も、その気持ちに繋がっているのでしょうか?

あれが、映像用にロケーションで探した屋上が舞台になっていて、それをカメラで収録していたとしたら違うところによりどころが求められたとは思うけど、舞台装置の中、それも本多劇場の舞台上で、となると。もちろん、あの作品をやれたこと自体にすごく意義はあったと思うし、そういう意味ではなかなかできない経験が出来た貴重な機会ではあったんですけどね。

――では、稽古開始までにもう一度、映像で見返して思い出す作業からのリスタートになる?

それはもちろん。おそらく稽古場でも、いろいろといじったり変えたりしつつ、だけどやっぱり前回のほうが面白かったねとなって元に戻したりとかもするでしょうし。そうやって最終的には、2023年にやるのにふさわしい『もうがまんできない』になると思います。

――映像作品を拝見すると、これまでのウーマンリブ作品とはちょっと違う空気も感じたんですが。それは映像作品として観たから感じただけなのか、宮藤さんがこの作品ならではのこだわりを持っていたからなのかが気になりました

ウーマンリブという公演自体がもう20年以上やってきていて。毎年やっていた時期もあり、いろいろなことに挑んで変遷を経てきたわけです。中には“七人”シリーズであったり、劇団☆新感線のキャラクター・轟天が参加する作品があったりして、バラエティに富んだものをやるようになっていたから、そう感じたのかもしれませんけど。でもウーマンリブを始めた当初の3作品くらいまでは、わりとワンシチュエーションの芝居を書いていたんですよ。だから今回のは、その頃の気分に一番近かったのかもしれない。役者から発想したお芝居、というか。あの時は要(潤)さんと(柄本)佑くんがお笑いコンビで、片方が全然お笑いに対して向上心がない人で。それを相方にしたがためにイライラが募っていくんですね。その、解散が決まっているお笑いコンビと、一方で不倫状態なんだけれどもたまたまサプライズパーティーのためにサプライズ要員としてベランダに出されたまんま戻れなくなった人がいて。そういう人たちが集まった場所から物語が始まる、というのは確かに初期の頃の発想に近いように思います。

――なるほど、確かにそうでしたね

その後のショーアップされたものをいくつかやった後だったから、というのもあるんですけど。でもウーマンリブ自体が、そうなのかもしれないです。真面目な作品を書くことが続いたりすると、もっとはっちゃけたことをやりたいなと思って生バンドを入れてみたり。映像のほうでものすごく長いお芝居を書いていたから、その反動で次のウーマンリブではコントにしようと思ったり。そうやってバランスを取ってきた気がするので。そういう流れで、あの時の気分が『もうがまんできない』みたいなお芝居だったのかもしれないですね。という意味では、前回やったシチュエーションがちゃんとある芝居というと宮崎あおいさんが出てくれた『SAD SONG FOR UGLY DAUGHTER』(2011年)になるのかな。あれも、自分の中では演劇寄りの作品でした。たまに、そういうのがやりたくなるんですよ。あんまり型にはまりたくない、という気持ちもありますしね。

――ちょうど、大河ドラマ(『いだてん』)の直後の公演だったから、というのも大きな影響にはなっている?

そう思います、今思えば。『いだてん』を書き終わって、すぐ書き始めた作品だったから。東京オリンピックに向かってとにかく広げていった世界をひとつにまとめて一番いい時代の日本の高揚感で終わっていたから、その裏側で溜まってたものがダイレクトに出ていたんじゃないかな(笑)。

――そして、音楽に関しても伺っておきたいのですが。じゃがたらの同名楽曲を劇中で使われていますよね。あの曲にこだわった理由とか、たとえばあの曲が創作の原動力になっていたのかとか、そういうことはあったのでしょうか?

いや、実は台本を書き始める前にプロットとして物語を考えていた時点で、『がまんできない』というタイトルが思い浮かんだんです。いろんな意味でがまんできない、俺がくすぶっているのは相方のせいで、あいつの一挙手一投足にがまんできないって気持ちと、不倫することをがまんできないっていう気持ち、物語に登場することがとにかくすべて“がまんできない”というくくりになっているなと思って。だけどそういえば、じゃがたらに『もうがまんできない』って曲があったなと思い出して、どういう内容だっけと歌詞を振り返ってみたら意外と歌詞はどっちかというと前向きで。ちょっとの歪みならなんとかやれる、心の持ちようでなんとかやれるみたいな歌詞だったんですね。

たぶん、あれは江戸アケミさんが一度具合悪くなった時の前後に書かれたものだったのかもしれなくて、きっとそういうストレスを抱えていたんだろうななんてことも思ったりして。それで、『もうがまんできない』ってタイトルがいいなと思ったんです。もともと音楽は向井秀徳さんに頼もうとしていたんだけど、向井さんもじゃがたらと近いし好きなはずだから、きっとわかってくれるんじゃないかなということで。それで『もうがまんできない』の曲のコード進行とか、フレーズを解体して劇伴音楽を全部作れないかなとお願いしたんです。つまり『もうがまんできない』しか流れない、2時間のお芝居ってどうなるんだろうということですね。だから、じゃがたらの曲を聴いてそこから発想したお芝居なのではなく、自分が考えた芝居にタイトルをつけようと思ったら、じゃがたらと被りそうだったからいっそのこと乗っかっちゃえと思って同じタイトルにした、ということです。

――そういう流れだったんですね

本当なら「じゃがたらの曲にインスパイアされた」と言ったほうがいいんだろうけど。

――そうではなかった(笑)

後づけしたというか、こじつけたというか(笑)。そういうわけで、音楽としては再演でも丸々あのまま変えずにやりたいなとは思っています。もともとすごくいい曲ですし。『もうがまんできない』というネガティブなタイトルなのにも関わらず明るくてメジャーで、じゃがたらの中でもかなりポップな曲だから。今回もそこは変えずに行こうかなと思っています。

――また、デリヘル嬢役の中井千聖さんは確かこのお芝居のためのオーディションで選ばれた方だったんですよね。映像で拝見した時、とても面白い雰囲気の方だったので再演にも出られるようなので良かったなと

そうなんです。前回、公演が中止になってしまった時、最初に思ったのが中井さんに申し訳ないなということでした。せっかく大勢の中からひとり選んだのに、あの芝居で初めて舞台に立つことになっていたのに、コロナ禍のせいとはいえ本当に申し訳ないことしたなと。だけど、その後に松尾さんの芝居に出たりもしていたので、結果的にはちゃんと女優さんになれて良かったな、と思ってはいたんですけどね。でもせっかくあの時一緒に稽古をしたんだから、またお願いしようと思って声をかけさせてもらいました。

――そして宮藤さんもご本人も、役者として出演されていますが

そうですね。でも前回は、それほど出番の多い役ではなかったんです。だから今回はそこもちょっと見直したいなと思っていて。というのも今回は半分以上のキャストが既に一度やっている役ではあるので、演出を担当する自分としては楽だろうなと思ってまして、別に演出するために出番を減らしていたわけではないんですけど。だから今回楽をしていることがバレないように(笑)、なんかちょっと考えなきゃなとは思っています。とはいえ現時点では具体的にはまだ何も思いついてないですけど。

――では、そこの変化も楽しみにしておきます!

そういう不可効力で変わる部分というのは、絶対にあるものなので。だからやはり全くの再演にはならないと思います。

――3年越しでお客様もこの公演を楽しみにされているはずですので、改めてメッセージをいただけますか?

3年前にチケットを買っていたのに結局観られなかった方もいたでしょうし、太賀くんや絢斗くんのファンの方も今回はいらっしゃってくださるかもしれません。若い方でこういう舞台に触れたことのない人もいるだろうと思いますので、より多くの人の前で上演できることはとても嬉しく思います。前回と比べてパワーアップはすると思うんですよね。アイデアはまだ出てはいないんですけど、ギャグのボリュームが増えたり、アップデートする部分はいくつか考えていますし、当時思いつかなかったことを今思いついている部分もあるので確実にパワーアップはするはずです。

辛い現実を忘れるためにフィクションの世界として楽しむ演劇もありますが、これはわりと「あなたたちや私たちってこういうところがありますよ」とか「周りからはこう見えていますよ」ということを、それほど鋭い切り口ではないものの、突きつけるようなつもりで初演は書いていたので。そういう意味ではヒリヒリする演劇体験にはなるかなと思いますし、そうなってほしいなと願っています。

取材・文/田中里津子
撮影/三浦憲治