【劇評】明日のアーの新喜劇『親切な寿司屋が信じた「3000万あるんですけど会ってもらえますか?」』│文:西森路代

2023.04.14

ちょっとシニカルな視線、分かる人には分かってクスっとできる暗喩、それに加え、くだらなさや、身体性によって無条件に生まれる笑いなどが入り混じっていることが、大北栄人が主宰する「明日のアー」の特徴と言ってもいいだろう。

3月に3日間にわたって上演され、4月に追加公演の決まっている明日のアーの新喜劇『親切な寿司屋が信じた「3000万あるんですけど会ってもらえますか?」』は、西の人間であれば、土曜日のお昼時にジャンキーな昼飯を食べながら見た、あの「新喜劇」のスタイルで見せる舞台になったことで、その特徴が、まんべんなくちりばめられた作品になっている。

物語の舞台は、再開発問題に揺れ、存続をあきらめた日の出商店街にある寿司屋。親切すぎる店主の八木光太郎が切り盛りするその寿司屋の壁には、「ちょっと良いことを、人にする。見た人もやる」と、誰かの筆文字で書いてある。それを見た若いカップルの客は、「Twitterですか?」「ハッシュタグみたいですよね」とつぶやく。八木は、この言葉は死んだおっかさんが言っていたことで、自分にとっては「呪いのようになっている」と返すのだった。

若いカップルの男性は、この街のことを「昔ながらのあったかそうな」ところと表現するが、女性の方は「見た目だけだよ」と返す。確かに、そういうところは日本のそこかしこに存在しているようにも思う。この最初の目線が、どう変わっていくのだろうかというところにまず興味を覚えた。このお芝居を、人情溢れるイメージがあり、古き良き部分が残った街、浅草の木馬亭で上演するのも、ぴったりでもあり、クリティカルでもあるなと思いながら見ていた。

次第に、人の好さが次々と八木の身に困難を呼び寄せる。客のことを思ってやることが次々と裏目に出てしまうし、したくないのに親切にすることが身に沁み込んでいて、体が勝手に動いてしまう。タイトルにあるように、「3000万あるんですけど会ってもらえますか?」という、明らかな特殊詐欺組織によるフィッシングメールを信じて、次々と金を借りて、寿司屋は火の車であった。

こうしたストーリーがありつつも、これまでの明日のアーのファンなら登場するだけで「待ってました!」と言いたくなるようなお馴染みの強烈なキャラがどんどんと飛び出す。特に高木珠里による「アニメに出てくる姉御肌の人」が、レザー調のツナギを着て出てきて、バイクにも乗っていないのに「乗りな!」「気に入ったよ!」と次々に声をかけまくるくだりは、無条件に笑ってしまう。また、暴れ草刈り機に振り回される7A(ななえ)の画もやっぱり面白い。

とは言っても、今回は新喜劇の体をとっていることで、これらのお約束を知らなくとも、すっと入っていけるし、知っているものにとっては、そんなお約束が、その中にたくさん散りばめられているので、より面白く、集大成のようにも思えるのだ。

最終的に、笑えるだけでなく、八木が特殊詐欺に騙された顛末が大団円を迎えて、なぜか涙が出そうになってしまった。ちょっと「いい人情噺」に落ち着きすぎていて、戸惑いもあるのに、八木の大声での「身体性」を伴った芝居に、こちらの「身体性」が反応してしまったのだろうかと思った。大団円は、新喜劇のお約束でもあるから、その形にのっとっただけかもしれないのにと。

しかし、この原稿を書くためにもう一度、定点でこの舞台を撮影した映像を見せてもらって初めて気が付いたのだが、この舞台の最後、登場人物たちが八木を取り囲む構図が、まるで何かの宗教画のように見えるのである。

そう考えながら、舞台を振り返ると、「神」や「復活」という言葉も随所に出てくる。「神」の「復活」は、犠牲をともないながらも行った善行が鍵となる。今回の新喜劇も、八木が母親から常に言われていた「呪い」のよう言葉「ちょっと良いことを、人にする。見た人もやる」によって、苦しみを伴いながらも善行を続けたこと、そしてあるものが、その言葉を掲げて伝える旅(これは拡散の旅ともとれる)を続けていたことで、最後に登場人物全員を伴って復活する物語になっていた。これは、舞台を俯瞰で捉えた映像によって初めて私には分かり得たことだが、実際に劇場で見ていたときは、そんなことが描かれていることも分からずに、でもなぜかそれが伝わってきて妙にジーンときてしまったのだなと思った。

ということは、これは「明日のアー」の復活劇ということだったのだろうか? いや、もっと他にも何かがあるのかもしれないが……。

しかし、明日のアー、そして大北の書くものは、その通りにとっていいものかどうかもあやふやだ。最後のシーンにジーンと来たあとに、別の場面で被り物をしたとあるすっとぼけたキャラクターの「復活」の絵面を見ていたら、そこが一番くだらなくて、家で映像を見ていて一番の大爆笑をしてしまっていた。

「単純」と「複雑」は共存できるし、「復活」は何度したっていい。その場では、汗をかきながら大声を出す八木の演技と被り物やクソデカい物体にストレートに刺激されつつ、見終わってから、こうしてあれはどういうことだったのかと、考えをめぐらすこともできるのが、やっぱり「明日のアー」の魅力だと思うし、新喜劇という形は、そんな魅力とフィットしていたように思う。

文/西森路代
写真/明田川志保