高杉真宙と藤野涼子による純愛悲劇の新演出版『ロミオとジュリエット』がこの秋、降臨!
おそらく全世界の誰もが知ると言っても過言ではない、シェイクスピアの代表作『ロミオとジュリエット』。花の都ヴェローナで街を二分する良家同士の対立を背景に、まっすぐに疾走する若く純粋な恋の悲劇を描いたこの物語が、新キャスト、新演出で上演される。ロミオにはドラマに映画にバラエティー番組にと八面六臂の活躍を見せている高杉真宙が、そしてジュリエットには鮮烈な映画主演デビューから8年、着々と演技力に磨きをかける藤野涼子が扮することになった。演出は、故蜷川幸雄の演出助手、演出補を長年務め、『オセロー』『夏の夜の夢』を演出してきた井上尊晶が手がける。シェイクスピア作品を多数上演していた蜷川幸雄はもちろん、さまざまなカンパニーにより数えきれないほど舞台化されてきた『ロミオとジュリエット』が果たして今回はどのような哀しくも美しいラブストーリーとして降臨するのか、興味は尽きない。これが初顔合わせとなる高杉と藤野、そして井上に作品への想いを語ってもらった。
――今日はイメージビジュアルの撮影があったとのこと。まずはそのご感想からお聞かせください。
高杉「キャストの方やスタッフさんにも初めてお会いして、いよいよ始まるという中での撮影でしたが、こうして稽古前にいろいろと直接お話できたことが嬉しかったです。そして僕らとしては今はまだロミオとジュリエットとしてではなく、高杉と藤野さんとしてお会いしていると思うのですが、イメージされた衣装を着て「こういう感情でやってほしい」と言われた時の、藤野さんの表情が本当に素敵だったんです。ですから、これからお芝居をご一緒にできることが今はすごく楽しみです」
藤野「高杉さんとは今回初めてお会いしたわけですし、私はこうして恋仲の設定で、というか男女で撮影していただくという経験があまりなかったこともあって、始まる前はとても緊張していたんですが撮影が進んでいくにつれ、どんどん二人の間に俳優同士の繋がり、まだ絆というほどのものではないのですが気持ちの繋がりみたいなものが生まれてきて、今後、稽古が始まったらどんな風にロミオとジュリエットになっていくのかということが、とても楽しみになってきました」
――今日が初対面ということですが、お互いの印象を教えていただけますか。
高杉「すごくお話がしやすかったです」
藤野「本当ですか、ありがとうございます!(笑)」
高杉「どんなお話をすればいいのかなと考えながら撮影に入ったのですが、そんな心配は必要なかったです(笑)。楽しく、明るく稽古期間、本番期間を過ごせるなと思いましたね」
藤野「まだ今回の出演のお話が決まる前から、高杉さんの出演されているドラマや映画を拝見していたので、最初のうちは大先輩が目の前にいるという風に思ってしまっていたんですけど。だけど実際には3歳くらいしか年齢も変わらないので、撮り進めていくにしたがって近寄りがたいイメージがほぐれていって、高杉さんがほぐしてもくださって、頼れるお兄さんという印象になっていきました。ちゃんと仲良くなれるかなと不安な気持ちも少しあったんですけど、今はすっかり稽古が楽しみになりました」
高杉「よかった~!(笑)」
――井上さんは、お二人の印象はいかがでしたか。
井上「今日初めてジュリエットの藤野さんにお会いして「間違ってなかった!」と思ったというのが、正直な今の気持ちです。とても表情豊かで、幼いところもあれば大人の部分も見えて、ジュリエットにすごくピッタリだなと思います。高杉くんとは今回お会いするのは二回目なんですけどれも。線が細くて華奢なんだけれど、芯が強いところがあるので、この二人が並ぶととても清潔感のある、いいロミオとジュリエットになるんじゃないかなという印象を持ちました」
――演出の構想としては、現時点ではどんなイメージでしょうか。
井上「まだ、具体的なことは決めていないのですが・・・(笑)。ただ、最初にこのお話をいただいた時にはまだコロナ禍だったということもあって。この『ロミオとジュリエット』と昨年演出した『夏の夜の夢』は16世紀の同時期に書かれたものなんですよね。その当時はペストが流行って、劇場が封鎖されていた中でシェイクスピアが書いたものにあたるそうなんです。なぜそういう時期にシェイクスピアはこれを書いたのかなと思うんですが、たまたま自分もこのお話をいただいた時が、まさに日本も劇場で演劇が上演できないような緊急事態の最中だったので。その時に漠然と描いたイメージは、誰もいない渋谷のスクランブル交差点でロミオとジュリエットが出会い、そしてそこに倒れていたらどうなんだろうなあ、と。そんな環境の中で誰もいない渋谷の街に二人が存在したらカッコイイかなと、そういうイメージはありました。あくまでもイメージです。なぜシェイクスピアがこの愛の物語をそういった時期に書いたのか。そこには何か意味があるのではないか、と。16世紀のイギリスより今は物に溢れている時代ではありますが、逆に何かが希薄になっていっているようなこの世の中で、二人の物語がいかにして観客に届くだろうかということを、今は一番考えています」
――設定を現代に置き換える、ということはありますか。
井上「いえ、現代に置き換えるつもりは全くないです。普遍化されたものにしなきゃいけない、あるひとつの限定されたものにはしたくない、という想いはあります」
――高杉さんと藤野さんは、これまでシェイクスピア作品と関わったことは。
高杉「僕、出演したことはないんです。だから、初めての出演が『ロミオとジュリエット』だというのは嬉しいですね。舞台で観たことがあるのは『オセロー』なんですが少しアレンジが効いた作品となっていたので、純粋なシェイクスピア作品とは言えないのかもしれませんが、だけどこれだけ長い時間愛されてきたものですから時代によって変化するのも当たり前だとも思います。また、作り手側とか読み手側によっても作品は変わってくるでしょうしね。その時は少し笑いどころがあったりしてエンターテインメントとして楽しく拝見した記憶があります」
藤野「私は一昨年、PARCO劇場で『ジュリアス・シーザー』に出演させていただきました。吉田羊さんが主演のブルータスで、私がその妻のポーシャ役でした。高校生の時に初めてシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を読んだ時には、ちょっと言葉回しが難しくていまひとつ内容が入ってこなかったんです。だからシェイクスピア作品に挑むにあたっては壁をすごく感じていたんですけど、実際に稽古場に入り台本を読み進めていくと、細かく分けられていったものが単純化されているように思えてきたのです。意外とシェイクスピアって難しいことを伝えているようで、ひとつのテーマが分かりやすかったりするんだなと気づけた時にはすごくびっくりしました。それに私、単純に言葉遊びというものもすごく好きで、特に『真夏の夜の夢』で野田秀樹さんが演出されていた舞台では、日本語で言葉遊びをより簡単にされていて、こんなに面白いものなんだ!という気づきがたくさんあったので、そこからどんどんシェイクスピアの戯曲を読むことにハマっていったという感じがありました」
井上「ちなみに『ロミオとジュリエット』は、高杉くんは舞台では観ていなくて、映像で観たんだっけ」
高杉「はい、映画では観ました」
藤野「私はまだ、映画も観ていないです」
井上「それだったら別に観なくてもいいですよ(笑)」
藤野「あ、はい、わかりました(笑)」
井上「このお二人のスチール写真撮影を見ていると、本当にものすごく初々しくて。そのくらい、まっさらな二人なんですよね。このまま、シェイクスピアを怖いと思わずに飲み込んでくれるといいな、と思います。それでも大変だとは思うんだけど。それでも今のまままっすぐ突き進んでくれるといいなって、さっき撮影を見ながら思っていました」
――井上さんはシェイクスピア作品では、ものすごく多くの演目に関わってこられたと思うんですけれど。特に今回手がける『ロミオとジュリエット』に関しては、どういうところに最も魅力を感じられていますか。
井上「個人的に言うと、理想であって自分にはできないところというか。つまり、これだけ人を好きになって突き進んで死にまで至る、というところ。僕の若い頃は、三島由紀夫や、石川啄木などの世界の詩人と呼ばれる人達が夭逝していることに憧れた世代です。若くして死ぬことの美学、その美しさ。究極の理想で、自分にはできないことだとわかっていても若い時には常に妄想していました。ここまで激しく周りを顧みずに愛に突き進めるというのは、やっぱりいいなあってちょっと羨ましい気がするんですよ、そこが一番の魅力ですかね。シェイクスピア作品の中でも、まだそれほど複雑な話ではなくて、親の世代であったり民衆たちが出てきたりもしますけど、でもやっぱりロミオとジュリエットという二人の物語が主軸であって。そういう意味では、シェイクスピアでは珍しくタイトルロールと中身が伴っている作品なんだろうなという気もしています」
――『ロミオとジュリエット』はキャピュレット家とモンタギュー家の家同士の対立であったり、若者たちの疾走する恋や仲間との友情であったり、大人と若者の世代間の価値観の違いなど、いろいろなテーマが含まれた作品となっていますが。それぞれ、特に気になっているテーマはありますか。
高杉「戯曲を読んで感じたのは、無謀な戦いというか、抗うということ、ですかね。抗いきれなかったのかなとか、いや、抗った結果なのかな、とか。そういうイメージがあります。つまり運命との戦い、です。だけど、どの作品でもみんな戦っているんですよね。その戦いに抗う、ということなのかなとも思いますが」
藤野「私は、大人と子どもの対立というか、若者が行動していること、考えていることが大人には理解できているようでちゃんと奥まで理解できていないというか。表面上のことだけでシステムを作っていたりする中で、どうして若者たちが反対してルールを変えてほしいと言っているのに、根本的には分かっていないんだろうと思ったりして。それで若者は若者で、大人が考えている気持ちだったりルールだったりをちゃんと理解できていなかったりもする。こうやって、大人と若者で簡単に区切ってしまうことも良くないことだと自分では思っているんですけどね。カテゴライズすると、どうしてもそういう対立が生まれてきてしまう。これはシェイクスピアの時代でも今の現代でも同じことなんだなと、改めてこの戯曲を読んで私は思いました」
井上「いやあ、どっちも大人だなあ(笑)。でも二人とも、もっともっと理性を通り越えたところまで突き進んでほしいな。そして、そういう環境を僕こそが作らなければいけないな、とも思っています」
――まだ稽古も始まっていないので難しいとは思いますが、現時点でロミオ役、ジュリエット役とご自身が重なる点や、こんなところが活かせるかもしれないと思われるところはありますか?
高杉「まだ今日、ポスター撮りをしただけなので、どんなロミオになるかはまだまだこれからですね。自分の中ではこれもあるしあれもあるし、こんなのもあるよねみたいな、ざっくりとしたキャラクター像はあったりするのですけど。明るくて陽気なのかな?とか。それともロマンチストで詩的なのかな?とか。たくさんのキャラクターの中から、その選択をすることになるわけですが、でもそれこそ藤野さんと一緒にお芝居をしてみたら「こんなロミオじゃないな」と思うのかもしれないし。やってみて「ちょっと違うかな?」ってなるかもしれないですし」
藤野「本当にまだ始まったばかりですしね。私も、どういうジュリエット像を作っていくのかは、まだ全然自分の中で出来上がってはいません。だけど自分の経験を重ね合わせた時にジュリエットと似ているかも?という話があります。その話をしてみてもいいですか?(笑)私もどちらかというと一途な恋をするほうだというか、ひとりの人を思う気持ちがわりと強いほうなのかなと思っていまして、小学生の頃に、ある男の子のことを6年間ずっと好きだったんです」
高杉「へえ、それはすごいですね」
藤野「いまだに同窓会に行ったりすると「あの子のことが好きだったよな」って言われるんです。クラスのみんながわかるくらい、気持ちを表に出してたみたいで」
高杉「しかも、一途なんですね」
藤野「一途に思ってました(笑)。そこがちょっと似ているかもしれないな、と思いました」
――井上さんとしては、お二人にどんなロミオ、どんなジュリエットを演じてもらいたいと思われていますか。
井上「ここ最近、自分が芝居を観ていて思ったことでもあるんですが。やはりシェイクスピアの言葉の難しさについて、難しいとわかった上で正しくそこを身体に置いて、ちゃんと身体から言葉を発してほしいなと思うんです。もっと違う自分になったり、スケールの大きい欲望を表現したりしてみてもいいんじゃないかと、思い切り大胆にやってみてほしいなという気はしています」
――高杉さんも藤野さんも、映像作品もたくさん経験されていますが。今回は演劇に出るということで、特に演劇ならではの醍醐味や面白さは、どういったところに感じられていますか。
高杉「何度もやれることですかね。それが一番、楽しいですね。もちろん、大変だなと思う時もあるんですけど。何度も同じ芝居をやったあと、「まだ見つかるか!」と新たな発見ができた瞬間の楽しさがどうしても忘れられなくて。だからいつも「まだまだ、もっと見つかるはずだよな!」って思いながら、稽古も本番もやっています」
藤野「それ、私もすごくわかります。あとは、稽古をする期間がちゃんとあるということが、演劇ならではだなと思っていて。やっぱりドラマや映画って、どうしても自分で事前に作ってきたものを「こういう感じなんですけど」って監督やいろいろな人に見せて、それを数分で直さなきゃいけなかったりとかするじゃないですか。でも舞台の場合は稽古があるので。そこで「自分はこう思っていて、ここはちょっとまだわからないんですけど」って状態でも他の人と意見を共有できたり、役を作っていくことができる。そこは本当に、舞台の醍醐味だなって思います」
高杉「観る側としては実際、目の前でお芝居を見ることが面白いんですよね。人が、自分の目の前で泣いたり、怒ったり、喜んだり、歌ったり、踊ったりする。それも知らない人が。そんな機会、日常ではないじゃないですか。ストーリーとは別に、純粋に人間がそういう感情をあらわにすること自体、僕は見る機会がないと思っているので、それがまず面白いのかもしれないなって勝手に思っています。あとはストーリーとか、芝居の熱とか、人と人がぶつかり合ってる姿とか。あと僕、舞台を観る側として一番好きなのは、始まる前、真っ暗になった瞬間。あれが高揚感をいい具合に煽ってくれるというか。「始まる!」っていう、人の息が止まる瞬間が大好きなんです。あの瞬間も含めて、舞台の面白さなのかなと思っています」
藤野「私も、生で目の前でお芝居をしていること自体が面白いなと思っていますね。ドラマや映画でももちろん感動しますし共感もできるんですけど。たとえば舞台だと、どうしても人間だから俳優が失敗しちゃうこともあったりするじゃないですか。そういうのをマイナスに捉えたりする人もいるでしょうけど、自分が観客側から観ている時は「やっぱり人間だったんだな、人間が演じてたんだ」と改めて気づけるので。そういうことも含めて楽しむと、より面白く思えるかもしれないなと思ったりします。今回の舞台も、いろいろな視点から楽しんでいただければ嬉しいです!」
取材・文:田中里津子
撮影 :山口侑紀(W)