「すべてを投げ打ってオススメしたい」二人の演出家が語る『我ら宇宙の塵』

俳優・小沢道成による演劇プロジェクト「EPOCH MAN」の新作公演『我ら宇宙の塵』が、8月2日(水)から13日(日)まで東京・新宿シアタートップスで上演される。

小沢が作・演出・美術を手がけるEPOCH MANによる約2年ぶりの新作となる本作は、「パペット」と「映像テクノロジー」を取り入れ、いなくなった父の行方を探す少年と、その少年の行方を探す母の物語を描く五人芝居。出演者は池谷のぶえ、渡邊りょう、異儀田夏葉、ぎたろー(コンドルズ)、そして小沢。

本作について、MANKAI STAGE『A3!』シリーズや「BANANA FISH」The Stageの演出を手がけ、この秋は「チェンソーマン」ザ・ステージ(脚本・演出)が控える演出家・脚本家の松崎史也を招き、小沢との対談を行った。

なんてすごい人なんだと今も思っている(松崎)

――お二人はこれまで同じ作品をつくったことはないと思いますが、出会いはいつですか?

小沢 僕の一人芝居『鶴かもしれない2022』ですよね。今作で僕の稽古場代役を務めてくださる椙山さと美さんが、そのときも代役で、松崎さんに「これは観てほしい」と伝えてくれて。

松崎 そうです。

小沢 椙山さんは僕の代役なので、本番は出ないわけじゃないですか。なのに宣伝をしてくれて。松崎さんも「椙山さんがそこまで言うなら」ということで観に来てくださったんだと思うんです。

松崎 お椙ちゃん(椙山)って普段は自分が出る舞台の宣伝もあまりしてこないような人なんです。役者にとって「演出家を呼ぶ」というのがハードルの高い行為だからと思うんですけど。でも『鶴かもしれない2022』は、「これは観てほしい!」と連絡がきて。僕も小沢さんの一人芝居を観たいなと思っていましたし、そこにお椙ちゃんからのプッシュも加わって、「これは観にいかないといけない作品だ」と思いました。それで観劇したらもう衝撃で。こんな一人芝居をしている演劇の人間がいるんだ!?っていう。なんてすごい人なんだと今も思っています。今年、拝見した『Slip Skid』も一人芝居で(THE RAMPAGE from EXILE TRIBEの陣による一人芝居、脚本・演出を小沢道成が手がけた)。一人芝居って本来は「本人だからできるもの」という部分が強いはずなんですけど、小沢さんは(陣に対して)技術としてあらゆるノウハウを伝えられていたので、そこも衝撃でした。ゲネプロ(リハーサル)なのにスタンディングオベーションしたいくらいの作品でした。

小沢 うれしい。

松崎 だから一人芝居に関しては自分の中でやり方が確立されてる状態で、どうして今回、五人でやることにしたのかは単純に聞いてみたいなと思って来ました。

小沢 僕は今まで一人芝居とか二人芝居しかやってこなかった、というか、自分の能力的にできないだろうなと思っていたんです。だけどそろそろ複数人の芝居も書きたいなと考えるようになりました。というのも、それができないと今後仕事は来ないだろうし、役者さんが観に来てくれることも少なくなってくるんじゃないかと思っているので。

――役者さんがですか?

小沢 そう。一人とか二人の芝居だと、自分が出られる可能性が少ないじゃないですか。

松崎 ああ、なるほど!その考え方は新鮮です。

小沢 僕は今、多くの俳優さんと出会いたいと思っているから、その入り口をちょっと広げるためにも、いつかは十人以上の芝居とかもやってみたいけど、まずは五人芝居から始めてみようと思いました。でも実際にやってみて、僕を抜いて四人の俳優さんと向き合うということの難しさにぶち当たっています。それぞれ育ってきた演劇環境も違うし、通じる言葉も違いますから。そういうところで、松崎さんはどうやって役者さんとコミュニケーションを取っているんですか?

小沢道成

――松崎さんは大人数の作品を多く手掛けていらっしゃいますね

松崎 一言で言えるものではないので回答は難しいですが、多分、小沢さんの場合はこれまで(出演・演出として)“自分が演じる”ということにかける時間が長かったんだと思います。そこに関して僕は(演出として)他者を眺めている時間が長いから、そこでの語彙が増えていったんだと思います。演技が良くなるようにかける言葉やそのタイミングは、その俳優ごとに違わないといけないですから。そこは稽古場で俳優を見てきた時間や人数だろうなと思います。

小沢 やっぱり経験ですか。僕は言葉をかけるタイミングが難しいなと思っていて。例えば演出家が「本番ではこうなってほしい」と思う100のことがあったら、いきなり100言ったとしてもきっとできないんです、誰も。いきなり100言われたらキャパオーバーになっちゃいます。だからまず20を伝えたとして、残りの80を伝えるタイミングを見計らう、ということが僕はなかなか難しいんですよ。早くその姿が見たくて。

松崎 早く言うっていう誠意もありますしね。

小沢 誠意なのかな、せっかちなんだと思います。でもそれがダメなことに気づき始めているところでもあるので。

松崎 たしかに待つことは大事だと思います。やはり自分で身につけた実感のある演技のほうが強いですし。

小沢 そうですよね、わかります。

松崎 自分が考えてきた演技が、「だから届いているんだ」ってことを実感できると、(その後も)再現性がすごく高くなる。もっと言うと、音が同じじゃなくても、間(ま)が同じじゃなくても、“同じ演技”ができやすくなるんですね。そこを実感する前に「こうしてほしい」と教えちゃうと、どうしても「フォーム」になりやすい。

小沢 それはつまり、「言い回しが」とか「声の高さが」とかじゃなくて、今そこにあった目的とか動機、この人がその台詞を喋ろうとした想い、みたいなところの話ですよね。でもその想いって日々何ミリかは変わるじゃないですか。それは許容しますか?

松崎 そうですね。

小沢 すごい。それは役者さんを信じてるからできることです。松崎さんは、稽古場ではダメを出すより褒めるほうですか?

松崎 「褒め」と「ダメ」の2個というよりは、「見てる」って感じかな。役者って絶対に見られることでしか演技が成立しないから、「今、さっきと違う演技をした」ってことに対して、それを「理解している」という姿勢を示すことが大事だと思うんですよ。

――小沢さんもそうなんじゃないかと、私は先日稽古を見学していて思いました

小沢 そこはがんばろうとしている最中です……!

松崎 いや、絶対できてるんだよな。できてるのに聞いてくるんだもん。

小沢 いやいや(笑)。松崎さんの舞台を観たときに、まず役者さんが楽しそうに見えたんですよ。ひとつの公演に対して、「おもしろいものにする」っていうことを諦めていないメンバーが揃っている感じがした。ってことはきっといい稽古場だったんだろうなって想像がついて。役者さんに楽しんでもらうというのは一番難しいですから。

演劇で楽しめる映像ってなんだろう(小沢)

――松崎さんは『我ら宇宙の塵』の脚本を読まれていかがでしたか?

松崎 ほんとにめっちゃとにかくひたすらおもしろかったです。

小沢 ありがとうございます。よかった。

松崎 おもしろかったし、「役者はこの台詞言いたいよな~!」って思いました。

小沢 役者として書いている部分がまだ大きいからかもしれないです。

松崎 でも、役者にしか書けない台詞なのに、役者には書けない台詞です。舞台とか稽古場で“言葉にする”前提で書かれているから、それがすごく心地いいけれども、物語の芯を食った本当に重要なことと、かわいげを見せたり曖昧にしたりしていることとのバランスがとてもよくて。

小沢 うれしい。

松崎 この脚本を渡される役者はしあわせですね。しかも当て書きだというのもめっちゃわかる。キャストのみなさんがどういう方かがすごくわかります。

小沢 もともと当て書きするつもりはなかったんです。いつもだったらインタビューして、今回で言えば、大切な方を亡くされた経験はありますか?とかそういった話を脚本に取り入れたりするんですけど、今回はそういうことを一切せずで。みなさん一方的に昔から知ってる人たちなんですけど、頭の中にある顔とか声とかだけで書けた。結果、当て書きになっていたなと思います。

松崎 あと、この脚本はかなり演出を見越して書かれていると思うんです。今回、作品として(演出の手法に)「パペット」と「LEDディスプレイ」が打ち出されていますが、もともとどっちが先だったのですか?

小沢 LEDディスプレイですね。

松崎 それがあって、あの脚本なんだ。なるほど!

小沢 ただLEDディスプレイに映す映像に関して、僕は、例えば「病院です」とか「学校です」みたいなものを説明的に使うと、演劇の余白を削る可能性があるなと思っているんです。お客さんの想像の余地がなくなるというか……。その中で今回、舞台装置としてLEDディスプレイを壁一面に使えるという機会を得られたので、僕なりに挑戦してみようと思いました。もちろん挑戦するからには、お客さんが演劇として楽しめるものってなんだろうということを考えてつくっています。

――パペットはどうして加わったのですか?

小沢 パペットは、LEDディスプレイといういわゆる「テクノロジー」と反対のものってなにかなと考えているときに思いつきました。昔からあるパペットを使えば、「デジタルとアナログ」じゃないですけど、おもしろくできるんじゃないかなと思って。

松崎 宇宙は先に決まってたの?

小沢 はい、宇宙空間が見たいなとは思ってました。ただ、観ていただくとわかると思うのですが、あくまで物語が主軸になっていて、星太郎(しょうたろう)という男の子が旅をする話でもあるから、そのためにつくられた映像ではあります。

松崎 「人間と映像の間にあるもの」を楽しむのが、演劇的な映像の使い方だと思うんですけど、そこに「人間」を軸に「映像」の反対側のアプローチである「人形」を配置したら、それは人間と映像の両方が豊かになるなって思いました。

「演劇を観るってこういうことだ!」という演劇になる(松崎)

――話は戻るのですが、松崎さんは『鶴かもしれない2022』を観て、なにを良いと思われたのですか?

松崎史也

松崎 全部なんですけど、まず絶対的にエンターテインメントだったことですね。「なにかを考えさせたい」とか、「自分は演劇の道を追求しているんだぞ」みたいなことを見せるそぶりもなく、いま劇場に来ている観客を、演劇の第一段階の入口として楽しませようとしている。それが、舞台美術、衣裳、脚本、台詞の言い方、演技を放出するときの意識の向きから感じられました。そしてやっぱりとにかく脚本が洗練されている。さっきの「役者にしか書けないけど、役者には書けない」に通じる話で、本人的には「自分が演じるから書ける」と思って書いているかもしれないですけど、普通絶対に書けないですよ。仕掛けと、反転させるタイミングと、小さなセクションの中にあるサプライズの位置が、役者として「この辺でおもしろいことが起こるといい」ということを経験してきているから、そこに配置されているんだと思う。でも普通そこに配置できないんです。「物語」を書きたいでしょうから。なのに小沢さんはそれを両立している。なので、誰が観てもずっと面白いんだと思います。フォーカスすれば一つひとつが素晴らしいです。一人芝居でああいう舞台美術は配置しないと思いますし、衣裳替えも飽きさせないように入っている。そして後半のネタバラシになるところでは思いっきりケレン味も見せてくれる。だから本当にね、『鶴かもしれない2022』は信頼している演劇好きな人と二人で観に行ったんですけど、本多劇場出て、無言で下北沢の駅まで歩いて(笑)。最後、別れ際に「(しみじみ)素晴らしかったですね」「そうですね」って(笑)。

小沢 (笑)。よく言われます、「帰り道、無言」って。みんな喋ってほしいんだけど。

松崎 語りたくなるのはもっと後なんです。もう少し時間が経ってから。

小沢 うれしいです。

松崎 今回の『我ら宇宙の塵』も、どの観点で観てもきっとおもしろいと思っています。まずこの五人の出演者は、きっと役者人生を丁寧に生きてきた方々なんだということが、脚本からもうわかります。この台詞を託すということはそうだよなって。おおよそ一筋縄ではいかない演技を要求されていて、でもその演技について毎日考えることはこの仕事をしていて一番しあわせなことだと思う。そしてパペットを操る、触れる、言葉を発する、周りには星やそれ以外のものが(映像として)流れる……その風景は、俳優も劇場に入ってから見ることになるのかな。

小沢 そうですね。稽古場では映像はモニターで確認できるくらいなので。

松崎 つまり俳優と観客が一緒にそれを体験することになるということだから。いろんな演劇があるし、どこにいても配信で演劇を観られるようになったのは非常にいいことだと思うし、見やすくなったんですけど、だけど圧倒的に劇場で観ること、つまり体験……いや、体験という言葉でも追いつかないと思う。とにかく「演劇を観るってこういうことだ!」というような演劇になるだろうから。僕は普段、他者の演劇をオススメしない……できないんですよ、演劇のクオリティや好みってすごくそれぞれなので。

小沢 僕もそうです。

松崎 でもこれだけは、すべてを投げ打ってオススメしたいし、できる!

小沢 わ~、見出しにしたい(笑)。「すべてを投げ打ってオススメしたい」。

松崎 こういう演劇をみんなに観てほしい!

小沢 僕が好きだった演劇はこういう感じっていうのを詰め込んでいます。

松崎 でもだからといって過去の演劇じゃないじゃないですか。これはめっちゃ令和5年の演劇だから。いま観てほしい!

小沢 そうですね。80年代の演劇が大好きなので、「あの頃の熱い感じを令和5年にやるならこんなカタチじゃない?」でやってる感じです。

松崎 (声を大にして)そうそう!そうですよ!!そうなんですよ!!!

小沢 うれしいです。

――小沢さん、今日松崎さんとお話ししてどうでしたか?

小沢 一番良かったのは、松崎さんが役者を信頼している方なんだとわかったことです。そして脚本も信じている。僕は自分の書いた脚本を誰かに託すのは嫌なタイプなんですけど、松崎さんだったらおまかせしてみたいなという気持ちになるお話でした。今日話せてよかったです。ありがとうございます。

松崎 とんでもないです。本番たのしみにしています!

取材・文/中川實穗
写真/山岸和人