『無駄な抵抗』渡邊圭祐インタビュー

前川知大と世田谷パブリックシアターが4年ぶりにタッグを組み、新作『無駄な抵抗』を上演する。前回のタッグでは古代ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」を原典にしたSF作品『終わりのない』を上演したが、今回はギリシャ悲劇の「オイディプス王」に代表されるテーマ「運命」を取り上げた作品となっている。前川作品への出演は今回が初めてで、舞台への出演は3回目となる渡邊圭祐に、今作へ挑む思いを聞いた。

 

 

──渡邊さんの初舞台は2021年の『彼女を笑う人がいても』で、その後、『アンナ・カレーニナ』を経て今回が3回目の舞台出演となります。

やはり舞台はすごく学びが多いです。舞台にたくさん出演している俳優さんたちは、皆さん化け物じみているというか(笑)、とにかくパワーがすごいので、見ているだけでも勉強になります。あと、舞台の場合は映像に比べると“ダメ出し”がすごくあって、非常に貴重な場というか成長できる場だなと思ったので、舞台はコンスタントにやっていきたいな、と思いました。

 

──初舞台の演出は栗山民也さんでした。

栗山さんの稽古は、自分で考える時間を多くもらえました。ダメ出しもピンポイントのものではなくて、考える余地のあることを言ってくださるので、それを受けて自分の考えを次の稽古で試してみる、という形でやっていました。映像の仕事では撮影したらそのシーンはそこで終わりですが、舞台の場合は今日やったシーンのことを次の日までずっと考え続けるという、それまで経験したことがないやり方で新鮮です。稽古を重ねて行く作業というのは、濾過を繰り返して最後には綺麗な水になる、みたいな感じですごく良い時間だなと思いました。

 

──2回目の舞台の演出はフィリップ・ブリーンさんでした。

日本で生まれ育った自分とは感覚が違うところも多く、苦労を感じたこともありました。原作がロシア文学ということもあって、僕の感覚からすると「そこは感情をグッとこらえて静かにやるかな」と思うところでも「もっと憤慨してくれ」と求められることが役柄的にも多かったので、自分の中で整合性を取るのがちょっと大変でしたが、ぶつかり稽古みたいな感じで楽しかったです。フィリップは真正面からぶつかってきてくれて、自ら演じてみせてくれたりもするので、「なるほど、それぐらいの感じが欲しいのか」とすごくわかりやすかったです。初舞台のときとはまた別の学びがたくさんあった舞台でした。

 

──これまで舞台に2回挑戦したことで、ご自身にとってどのような変化や収穫があったと考えていますか。

具体的にこれ、とお話しするのは難しいのですが、確実に糧になっているな、というのは感じます。映像の現場も含めて、台本をいただいたときの理解の深め方がこれまでとは違ってきていて、言葉の捉え方とか、感情の表現方法とかの彩りが自分の中に増えた気がしています。

 

──今回は3回目の舞台ということで前川知大さんの作品ですが、前川さんの作品はご覧になったことはありましたか。

この作品に出ることが決まってから、前川さんの劇団「イキウメ」で上演された『人魂を届けに』を観ました。すごく複雑なことをやっているのに、観た後に持って帰るものはとてもシンプルなメッセージだったな、という印象がありました。観ている間、戯曲の力や演出の力、出演者の力で物語にたぐり寄せられるような感覚がありました。最後には物語の中にあったたくさんの点が全部線になって、その作り方のうまさを堪能できて面白かったです。

 

──今回渡邊さんは全員と初共演とのことですが、お稽古を重ねる中での皆さんの印象はいかがですか。

皆さん器が大きくて優しい人ばかりです。イキウメの劇団員の皆さんに関して言うと、なんでこの人たちが集まって劇団を作ったんだろう、と思うぐらい個性がバラバラなんですよ。この人たちが同じクラスにいても、絶対修学旅行で同じ班組まないよね、と思ってしまうくらい(笑)。まず前川さんの本があって、劇団員の皆さんの芝居に対する熱量が同じベクトルだから成り立つんだろうなと思うと興味深いです。

 

──作品のテーマは「運命」ですが、渡邊さんご自身は、運命は決められていると思いますか、それとも自分の力で変えていけると思いますか。

決められている、とは思っていないです。いろいろ今作について話したり考えたりしている中で気づいたのですが、どうやら僕は「運命」という言葉が嫌いみたいです (笑)。都合のいい言葉だな、と思ってしまうというか、結果が既に出ているから「運命」と言えてしまうだけのような気がするんです。今の自分が過去を振り返ったときに、いろんな出来事を「運命」と言ってしまうことはできるけど、そうしたくはないな、と思います。ある決断をしたときに、それを「運命」と言うのは簡単ですけど、でもその決断をするに至る自分の性格はそれより前から培われていたわけじゃないですか。環境だったり、親だったり、出会ってくれた人だったり、いろんなものが影響していると思うので、だから「運命」は変えられるし、決まってない、と思っています。

 

──では、普段の生活の中では「運命」を意識することはあまりない、という感じでしょうか。

そうですね。僕は「なるようにしかならない」精神が強くて、考えていてもしょうがないと思っています。立ち止まって考えることが重要なときはもちろんありますが、ダメだったらダメでしょうがないから、とりあえずやってみよう、成功したらラッキー、ということの方が多いです。考えている時間のせいで動き出せないのはもったいないな、と思います。

 

──映像と舞台と両方でお仕事をする中で、違いを感じるときはありますか。

俳優としてやっていることは根本的には変わらないです。舞台の場合は稽古期間もあって、稽古をやってきた自負があるので、より自信に満ち溢れている感じはあります。稽古期間の大切さは、特に本番に入ると強く感じます。セリフがちょっと出て来なくなりそうになっても、体が覚えているというか、勝手に出てくる体に仕上がっているんです。舞台は映像と比べると長期的な集中力が必要だし、生ものだし、相手の芝居の温度感が毎回微妙に違ったりもするので、その機微を見逃さないようにしていたり、客席の一番奥まで届かせようと神経を張り巡らしたりもするのですが、「やっていることは映像と変わらない」と思うことで、逆にそんなに意識をしなくても結果的に集中できてしまうという感じです。上演中は袖にはけたらめちゃくちゃ集中力切っていますけど(笑)。

 

──最後に、公演に向けての意気込みをお願いします。

今はまだ稽古中で、どうなるのか僕たちにも予想ができていない状態です。前川さんらしさ全開で、物語は『オイディプス王』が下敷きに分厚く敷いてあるので、骨太な作品に仕上がっていて。現代を生きる僕たちにもリアルな感覚で見ることができる作品になっているので、共感していただける部分も多く、最後には明るい気持ちで帰っていただけるんじゃないかなと思っています。どんな作品に仕上がったのか、ぜひ劇場に確かめに来てください。

 

取材・文:久田絢子

撮影:伊藤大介(SIGNO)