舞台『死ねばいいのに』新木宏典&シライケイタ インタビュー

写真左より 新木宏典・シライケイタ

「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」「百鬼夜行シリーズ」など、数々のベストセラー作品を生み出してきた作家・京極夏彦の異色ともいえるミステリー「死ねばいいのに」が、シライケイタによって舞台化される。主人公・渡来健也を演じるのは、演技力にも定評がある新木宏典。究極のミステリーとの呼び声も高い原作を元に、人間の本質に迫った本格的なセリフ芝居を繰り広げる。新木と演出のシライに本作への思いを聞いた。

 

――シライさんは、今回、どのようなところに惹かれて京極作品を舞台化しようと思われたのですか? その経緯を教えてください。

シライ 「まず、楽しいことやポジティブなものが求められている時代に、これだけ人間の深層心理に迫る、人間の内面や深淵を覗き込むような作品というのが珍しいと思いました。そもそも僕はそうした傾向の強い作品ばかり作ってきたわけですが、それをエンタメ作品として新木くんと一緒に作れるということにとても惹かれました。いつも僕がやっていることと京極さんの持つ魅力をどれだけ舞台の上に実現できるか。大きなエンタメ作品で活躍してこられた新木くんの魅力をどこまでこのストイックな作品で表現できるのかということにも興味があります。」


――数ある京極作品の中でも、この作品の舞台化を考えたのにはどんな思いがあったのですか?

シライ 「作品については、プロデューサーから提案されたものです。最初は驚きましたよ、ものすごく地味な作品ですから(笑)。ストーリーに大きな波があるわけでもなく、2人だけでずっと会話をしている。奇想天外な展開があるわけでもない。これをエンターテインメントの世界で作品にしていいんだということにまず僕は驚いたし、これならばやりたいと思いました。1対1で相手の内面に迫っていく。そして最終的に、本人の望むと望まざるとに関わらず、自分をさらけ出していくというのは、演技の基本でもあると思います。今作は、それだけで構成されている作品なので、ある意味では、非常にオーソドックスな演技合戦で作品を作れるのですが、つまりそれは裏を返すと地味な作品ということです。音楽を入れるとか、照明を派手にするとか、派手なアクションがあるとか、そうした付随する要素では一切見せられないので、演技で見せるしかない。そんな企画をよく僕に持ってきてくださったという嬉しい気持ちもあります。しかもそれをエンターテインメントの世界で活躍してきた俳優さんたちと一緒に作るということにワクワクしています。」

 


――新木さんは、今回のお話を聞いて、どんなことを感じましたか?

新木 「とても嬉しかったです。ただ、役柄が自分の実年齢よりも一回り以上離れているので、僕でいいのかなという思いもありました。周りの役者さんとのバランスもありますし、本当に僕で可能なのかを判断していただいた方がいいのではないかと思ったのですが、その後、原作を読んで、これは実年齢の役者が演じるのは不可能だろうと感じるほど難しい役だと思いました。自分の感性のまま演じてしまったら、きっと渡来というキャラクター自身を表現するところまでは辿り着けないんだろうなと感じさせる難しさがあったので、この小説を成立させるためにも、役者の年齢を上げてバランスを見直して作る必要があるのだと。なので、改めてこの年齢でこうした役をいただけるのはありがたいなと感じました。」


――先ほど、シライさんがおっしゃったように、1対1の会話劇というのもすごく大変なポイントだと思いますが、その辺りについてはいかがですか?

新木 「今は、本読みが少しずつ始まった段階でまだ稽古に入っていないので、これから詰めていくことにはなると思いますが、原作を読んだ時のシンプルさから、舞台化できるだろうと思われてしまう作品だと思います。僕自身も舞台化することはすんなり受け入れられたのですが、実際に読み合わせをしてみると、あの分厚い小説を2時間の舞台にぎゅっと詰め込んでいるので、感情をリアリティを持ってどう届けるのかということは役者のスキルにかかっているなと感じましたし、すごくシビアだなと思います。」

 


――現段階で、渡来についてお二人はどのように捉えていて、どんなところがキャラクターを構築していく上で大切だと考えていますか?

シライ 「最初は、渡来は自分の信念や信じたものを全くブレずに持っていて、常に世界の中心にいる人間だと考えていました。当時の演出プランとしては、彼が世界の中心でその周りにいる人物たちが右往左往していると。そのイメージを反映させたのが、メインビジュアルになっているわけです。ただ、台本に起こしていった時に、そうじゃないかもなと。文章を読んでいるのと、自分で文字に書くのでは、全く感じ方が変わってくるんですよ。しかも、この原作を2時間に収めないといけない。(原作では)渡来はそれぞれの人物一人につき2時間くらい話していると思いますが、それを(舞台化するにあたって)1人20分くらいにしなくてはいけないんです。なので、その20分をどういうふうに生きれば最終的に「死ねばいいのに」というセリフにたどり着くのか。そして、相手役は自分の内面を引っ張り出されるような状況に陥るのか。たった20分ですからね。そのシーンのおしまいには、人間が180度変わっているというあの体験を20分の間にどうしたらできるのかと考えたら、渡来健也が不動だと無理なんですね。それだと辿り着けないんですよ。それで、渡来も能動的に動いていますし、自分の生き方を探っている。もしかしたら、渡来という人物が一番揺れ動いているんじゃないかとも台本を作る段階で思い直したんです。なので、このポスターのイメージを持ってきていただくと、ちょっと違うとなるかもしれません(笑)。渡来はすごく揺れ動いていると思います。ものすごく繊細にいろいろなものをキャッチしていながらも、筋の通ったことはしている。今、本読み稽古を少しずつ始めていますが、そうした思いは確信に変わりつつあります。」

 


――新木さんは、渡来にどんな印象を持っていますか?

新木 「原作を読んだ時は、すごくシンプルな人だなと思っていました。同時に社会で生きていく上でのしがらみや、多くの人がそういうものだと受け入れてしまっているような事柄に全く無頓着で、ある意味では社会不適合者ですが、それがプラスに働いている。だからこそ、シンプルに生きていられるのだと思います。そして、すごくシンプルな発言をするからこそ、感覚が麻痺している大人たちには刺さりやすい言葉を発しているのかなと。
ですが、脚本を読んで感じているのは、「無欲」に近い人だなということです。彼の姿から欲望を感じないんですよ。お金持ちになりたいわけでもないし、女性といても簡単に体の関係を持つようなタイプでもない。欲に純粋に生きているわけではないけれども、模索し続けている。分からないことが多すぎる人だなと。何のために生きているのかも分からなくなるくらい欲がないというのは、生きる目的を見失うことなのかもしれないと脚本を読んでいると思います。彼が揺れ動いている理由は、人がなぜ生きているのかが分からないからなのかなとも思いますし、その姿は「悟りを開き切っていない、現代版のブッタ」という印象です。稽古が進んでいけば、そこに人間らしい生臭さが入ってくるのかもしれないと思うので、しっかり台本を読んで、相手のセリフとの掛け合いの中で感じられる匂いや空気感をしっかり拾って演じていきたいと思います。人が生きている中のごく一部を切り抜いた生々しい演劇になればいいなと個人的には思っています。」


――本読みがスタートしたということですが、実際に本読みをされて、どんなことを感じましたか?

新木 「肉付けが必要だということが理解できました。原作を読んだ時は、その肉付けは必要ないと思ったほどドライで淡々と進んでいくことで成立する物語だと感じていたので、それを実際に2時間の舞台とした時に肉付けが必要なんだということは改めて感じました。表現で見せなければいけないものや、原作には書かれているけれどもセリフにはない部分をどう表現に取り入れるかが必要になってくるのかなと。」

 


――今回、初タッグとなるお二人ですが、お互いにどのような印象を持っていますか? また、今回のタッグで楽しみにしていることを教えてください。

シライ 「面白い方だなと思っています。何が面白いのかと聞かれると言葉にしづらいのですが、僕が今までお仕事をしてきたどの俳優さんともタイプが違うのでとても楽しみです。僕たちは育ってきた畑も全く違います。僕は超小劇場でやってきたので、新木さんのように華やかな世界で育ってきた方と一緒に作るというのは本当に面白い。元々、僕自身がエンタメ気質ではないですし、ついついマニアックにものを作りがちなので、そうではない作品を作り上げていくということも非常に楽しみです。少し話をしただけでも、(新木は)ストイックで表現に対して真摯な役者さんだということがすぐに分かったので、頼りにしていますし、心強いです。」

新木 「きっと(シライは)役者が自由でいられる現場を作られるタイプの方なのかなとお話をしていて感じました。その人が持っている感性や個性をうまく作品に取り入れてくださる演出家の方という印象を今、抱いています。もちろん演出家として目的地を見失わないように大まかなルートは決めているけれども、目的地にたどり着くまでの道のりに関しては、それぞれの個性をうまく利用して、目的地以上のところまで進める可能性を潰さないように進めていかれるのではないかと思っています。」


――劇中では、渡来は6人の人物と対話し、その中でそれぞれの人物の心を揺さぶられるような生き様が明らかになっていきます。お二人が特に印象に残っている登場人物はどなたですか?

新木 「僕は母親です。ああいった価値観の人は多いように思います。自分に責任があると責めすぎる必要はないと思いますが、「自分は悪くない」が基本ベースにある人たちは多いなと日々の生活の中でも感じます。それを分かりやすく表現するためにも、母親という立場でその性格を書かれている京極さんのすごさを感じました。」

シライ 「僕も女性二人は印象的です。強いですよね、女性って。この原作では、(京極が)意識的にセクシャルなものを混ぜて描いているんですよ。例えば、母親にわざわざ下着を持たせていたり、原作ではかなり赤裸々な心の声も出てきます。表向きは社会的な極めて真っ当な顔をしているけれども、心の中で、例えば「この女、いい女だな」とか「この男と寝たいな」といったことを考えている。そこが面白いところでもあると思うので、今、それをどう見せようか迷っているところでもあります。そういう意味でも、女性二人は面白いなと思います。」


――男性のキャラクターも4人登場しますが、その4人については、共感できるところはありますか?

シライ 「僕はものすごく共感できます。みんなそれぞれすごく人間的に、ある意味では醜く描かれています。自分の欲望や自分を守るために、ある種、死者を利用しているわけですから。みんなが色々な形で利用して、醜さや浅ましさが抉り出されていきます。でも、そうしたところに人間としての魅力もある。僕自身、愚かに生きようと努めてしてきた部分もあるので、共感できました。今はもう、社会的な責任を伴わなければいけない立場なので、あまり愚かすぎずに生きようと思っていますが(笑)。」

新木 「理解はできます。それは多分、男性キャラクターに限らず、女性キャラクターに関してもですが。そういう人もいるよねと。こうした人たちは、美談にしたいとか、自分を正当化したいとか、相手の気持ちも自分の考えのもとに構築させて完結させることでしか整理がつかないんだと思います。結局、他人のことなんて分からないので、どんなに考えてもズレは出てしまう。なので、全て自分の都合のいいように答えを出すというのはすごく理解できます。世の中、こうだと決めきれないことも多いですから。ただ、決め切ってしまった方がそこに費やす時間が減るので、そう考えれば、社会で生きていく上では、この6人の生き方が正しい気はします。まだ理解しきれないところはあると思いますが、公演までには一つの答えを出しておきたいと思います。」

 

 

取材・文:嶋田真己

スタイリスト(新木宏典)/当間美友季(KIND)
ヘアメイク(新木宏典&シライケイタ)/太田夢子(株式会社earch)
衣裳協力(新木宏典):セットアップ ¥69,080、シャツ ¥25,080(Ayne tokyo @ayne_tokyo)、レースアップシューズ ¥21,780(Ayne doppio @ayne_doppio)