【連載】第10回「ボクには下校のチャイムが聞こえない」

2018.10.05

「ゴジゲン」の目次立樹(メツギリッキ)です。
やってきました「ボクには下校のチャイムが聞こえない」!!
前回は善雄善雄(よしおぜんゆう)との愛の交流を描きました。
今回は、「好きな顔」についてのお話です。
なかなか下校できない大人たちに贈る、甘酸っぱくない、むしろ饐(す)えたテイストのコラム、スタートです!!

 

今回の「君が君で君で君を君を君を」(略して君6)のテーマが「愛」というだけのことはあって、メンバー間の会話にやたら愛だの恋だの、好きだの嫌いだの出てくる。
先日は、ある電車の釣り広告に載っている女性たちの中で誰が一番好きか?などという高校生みたいな話題で、劇団員の本折最強さとしと善雄善雄(よしおぜんゆう)と三人で盛り上がった。
私以外の二人は趣味趣向が似ているらしく、同じ女性を指さしたが、私は全くタイプの違う女性を指さした。
そのうち、どんな美人でもどんなブスでも好きな顔嫌いな顔があるのはなんでだろうという話になった。
そして、どうしてその顔に惹かれてしまうのかという疑問についてそれぞれの持論を展開した。

 

まず、最強が「初恋理論」なるものを展開した。
簡単にいうと人間は初恋の人の顔を追い求めてしまうのではないかという理論。
世の中のほとんどの初恋は、はかない思い出に終わってしまうのではないだろうか?
その切ない胸の痛みをいつまでも引きずり、その面影を探し求めて生きていくのが人間なのではないだろうか?
なるほど、最強らしいペーソスに満ちた理論だ。
しかし、俺の初恋のあの子は自分の好みとは遠くかけ離れているため、おれにはいまいちピンとこなかった。

 

次によしおの「ママの若いころ理論」がさく裂する。
自分の好みの女性の写真を大量に集めて、その顔のちょうど中間を割り出すと自分の理想の顔がわかるのではないか?
そしてそれは自分の母親の若いころにそっくりなのではないだろうか?
という理論を、よしおらしくエディプスコンプレックスをからめて展開してきた。
たしかによしおの母ちゃんは美人だ。
それが理想の女性だとしてもそれは納得できてしまう。
しかし、うちの母ちゃんはハリセンボンの箕輪はるかにそっくりだ。
ということで、こちらの理論も私的には却下だ。

 

そこで私目次は「運命の人理論」という理論を提唱する。
人には必ず結ばれるべき運命の人がいて、美醜に関わらずその運命の人に似た顔を求めてしまう、という理論。
おれはもっぱらこれだ。
だってその手がかりがないと、広い世界でどうやって運命の人と出逢うんだということになる。
それを小賢しくプラトンだのイデアだのかっこつけて説明してみせた。
正直なんも哲学なんてなにも知らないけれども。

 

さて、みなさんはどの理論にグッときただろうか。
はたまた自分独自の理論がある方はぜひ聞かせてほしい。
ぼくたちもそれを聞きたい。
空いた車内で、おじさん3人が「好きな顔」についてこんなにも真剣に語り合った。
周りの乗客はどんな顔をしていたのか僕らは知らない。
そして話は、世の中には絶対的な美というものはなく、イケメンとは呼ばれないファニーなフェイスな人にも平等なシステムになっていることを僕らは願おうということに落ち着いた。

 

ゴジゲン「君が君で君で君を君を君を」は幕を開けています。
主宰の松居も「作品としては最高のものができた」と語っております。
舞台「極めてやわらかい道」、映画「「君が君で君だ」をご覧になった方はどう作り変えたのかを楽しみに来てください!
ご覧になっていない方はこの僕らの人生をかけてたどりついた「愛」を劇場で目撃してください!

≫過去の連載記事はこちら