【前編】玉置玲央と中屋敷法仁が語る、柿喰う客 新作本公演2024『殺文句』

柿喰う客 新作本公演2024『殺文句(ころしもんく)』が5月24日(金)に東京・本多劇場にて開幕する。
今回は、大河ドラマ「光る君へ」の藤原道兼役でも注目を集める玉置玲央、俳優以外にも活躍の幅を広げる七味まゆ味、そして5年ぶりに俳優としても参加する作・演出の中屋敷法仁をはじめ劇団「柿喰う客」のメンバー11名が出演する本作は、夢と絶望が支配するブラックオフィスミステリーになるという。稽古場にて玉置と中屋敷に話を聞いた。

インタビューは前・後編でお届けし、これはその前編。

物語の復権、言葉の復権、身体の復権、そして演劇の復権

――今回はどんな作品をつくろうとしているのでしょうか?

中屋敷 柿喰う客は、以前は開幕前に「こんなキャラクターが出ますよ」とか「こんな話ですよ」ということを懇切丁寧にご説明していたのですが、ある時、もしかするとその説明はお客様の想像力を閉じ込めちゃうんじゃないかなみたいなことがあって、今回も内容については謎が多い状態です。ただ「こういう作品をつくる」というミッションはあります。

――それはどういったものですか?

中屋敷 「復権」というものが僕の中にはあります。「物語の復権」「言葉の復権」「身体の復権」そして「演劇の復権」。演劇業界も最近は作品のバリエーションが増えて、その中には古典のリバイバルや、アニメや漫画、小説原作の演劇化などもあり、さまざまなお客様が劇場に足を運びやすいようになっていると思うんですね。ただ、そういう作品はどうしても「二次的なものである」ことからは逃れられませんから、「演劇のスタイルを使って何かの表現を劇場でたのしむ」というものになるんです。だけど本来の演劇の一次的な要素って「なにが飛び出るかわからない」という、マレビト(民俗学者・折口信夫の言葉で、異郷から来訪する神や霊的な存在のこと)を観に行くような、そういう興奮みたいなものを小劇場出身の者としては……小劇場なんて言葉、最近使わないです?

――使いますよ!

玉置 『リア王』に出演した時、「小劇場代表」って言われたよ。

中屋敷 ああ、たしかにあのメンバーの中だとそうか。でもそうやってメンバーもさまざまな仕事をする中で、じゃあそもそもなんで演劇を選択して、劇場に帰ってきているんだろうということをもうちょっと楽しみたいなという感じでつくっています。

――最近は完全新作って少ないですよね

中屋敷 現場で若い人に「原作なしの演劇とかあるんですか」と聞かれたこともあって。でもそうだよねと思いました。大きな芝居は新作が少ないんですよね。原作があるものだったり再演のほうが広がりやすいですし。安全性や興行性があるんだと思います。でも今回は劇団の「新作」を観てほしい。そして玲央くん(玉置)は旗揚げのメンバーでもありますから、最新作の玉置玲央さんを観てもらいたいなと思っています。

――玉置さんは作品に参加してどのように感じていらっしゃいますか?

玉置 まだ畑を耕しているような状態ですけど、今作は振付を大森瑶子さんに入ってもらって、ダンスのシーンがあるんです。柿喰う客で振付家の方を入れてのダンスシーンがあるのは『無差別』(2012年)以来なので、ダンスでヒィヒィ言いながら、あがってくる台本にヒィヒィ言いながらやってます(笑)。それと、劇団なのに僕は今回、初共演のメンバーが多くて。

中屋敷 メンバーが増えたからね。

玉置 (沖)育美とか(今井)由希とか、(齋藤)明里とかね。だから「こういう人がいる劇団なんだな」と思ったり、今まで一緒にやってきた人たちもいつつ、けっこう目まぐるしい人間関係の中で作品をつくっているなという感じです。

――目まぐるしい人間関係、というのは?

玉置 (旗揚げメンバーである)自分が柿喰う客でなにをやれるかとか、どういう振る舞いをすべきなのかというところで、先輩然としていなきゃいけなかった部分がだんだんなくなってきていて。

――あ、なくなってくるんですね。逆かと思いました

玉置 これがいいのか悪いのかはわからないですけど(笑)。でも自分は自分でやりたいこともあるし、自分がやりたいことをやるための団体でもあるしなと思って参加しているので。どう振る舞って、どう対応して、どういう姿を見せて、かつそのうえで自分がやりたいことをやるってどうしたらいいのかな、みたいなことを考えながら、この数週間は稽古しています。

中屋敷 今回、同じく旗揚げメンバーの七味まゆ味さんも出ているんですけど、僕たちは世間の人から見ると「自称俳優」「自称劇作家」くらいの頃に知り合って、演劇をつくっていた時期があって。今はもう玉置さんはどこに出しても恥ずかしくない俳優なんだけど、

玉置 やった!

中屋敷 そう。ただ劇団に帰ってきたら、俳優じゃなかった頃の感覚とか。

玉置 うん、そうそう!

中屋敷 僕も外では「演出家ですよ」「劇作家ですよ」というふりをするんですけど、劇団に帰ってきたらそのふりをやめて、もう一回ちょっとシンプルに、「言葉を書くヤツ」「俳優さんに指示を出してみるヤツ」みたいな感じになるので。そういう原始的な、まだ何者でもない自分として演劇をつくる、みたいなことが劇団なんだと思います。多分、玲央くんも、(稽古の序盤は)「先輩の俳優の玲央くんだ」というところから始まったんだけど、だんだんと「生き物」としてやっているような。

玉置 うん。そうだといいなと思う。

こうやって拾って汲んでやっていくんだよな、劇団って

――中屋敷さんが俳優として出演されることも、今のお話と繋がりますか?

中屋敷 それも「復権」ですよね。昔は僕も俳優として出ていたんですけど、それは単純にキャストが足りなかったのと、僕の演出意図を俳優さんに伝える時間がないから多少やってみせたほうが早くてそうしていたんですね。でも劇団というものは「演出家の方法論を体現できる俳優」を増やさなければいけない。演出家が一番体現できているというのは良くないですから。そしたらだんだん僕の書いた台詞を僕よりも上手に汲み取れる俳優さんが増えてきたので、出なくなりました。でもそうなったらなったで、俳優の「僕の台詞をうまく汲めるやつ勝負」になるのが良くないなと思うようになって、その中に、台詞の内容は理解しているけど俳優としての経験は少ない僕が「同じ空間にいる生命体」として台詞と物語を受け止めている、という状態をつくりました。それでまた目まぐるしい人間関係が変わっている気がします。

――玉置さんは中屋敷さんが出演者である環境をどう感じられていますか?

玉置 おもしろいのは、いま言ったとおり俳優としての力量はもしかしたら及ばないところとか足りないところとかあるのかもしれないですけど、この台本を書いてかつ演出している人間が板の上に立ち、俳優として台詞を吐いているという、その「説得力と責任感としての存在」みたいなところはすごく力があるんです。これはどこまで意図しているものかはわからないし、良い悪いもわからないですけど、この作品の中では功を奏している仕組みになっている気がします。

――二人の絡みはあるんですか?

玉置 あります。この前、僕が(中屋敷から)一方的に台詞を浴びるシーンをやったんですけど、事前に「舞台上にいてください」とかも言われずにそうなったんですよ。大前提として、柿喰う客の台本は台詞しか書かれていないんです。ト書き(状況などを示す言葉)もないし、「にやっと笑う」とかも書いてないし、出る・はける(ひっこむ)とかも書いてないし、誰に向かって喋るとかも指定がない。もちろんそれは稽古中に演出家(=中屋敷)が言うんですけどね。その中でこの一方的に台詞を浴びるシーンは、「これは僕に当ててる台詞だし、当ててもらったほうがおもしろくなるだろうな」と思って、自然と二人でのやりとりが始まったんです。それがすごく楽しかったんですよ。楽しいし、「こうやって拾って汲んでやっていくんだよな、劇団って」と思いました。こういうやり取りはやっぱ、さっきの「復権」じゃないですけど、僕らは最古参の最年長メンバーになっちゃっているので、率先してできたらなと思います。もちろんメンバーに見せるためにやるわけじゃないですけど、こういうやり取りができると、作品の構築だけじゃなく、この先の柿喰う客のこととか、劇団のこととか、小劇場のこととか、少し提示できるのかもなと思ったりしました。

中屋敷 そうかぁ。そのシーン、今日カットしようとしてた。

玉置 おい!(笑)

中屋敷 いや、やっててとても素敵なシーンができたなと思ったけど、これはお客様に届くのかなとか考えるから。厨房で料理を作っているようなもので、作ったけどこれはまかないでいいんじゃないか、みたいな。

玉置 お客様にお出ししていいんだろうかってことか。

中屋敷 うん。お出ししたらびっくりされるんじゃないかなとか。でも逆にこういうまかない飯みたいなものもお客様は食べたいかもしれないとか、食べてくれるのかなとかも考えるし。

玉置 だから難しいよね。やってる側はすごく楽しいやり取りができたシーンが、そのままお客様にとって楽しいかどうかは別問題じゃないですか。それをジャッジしながら、ある種シカトしながらやっていく。これは多分醍醐味だと思う。気にせずずんずん突き進むというか、そのジャッジを今はいっぱいしている段階です。まぁ、俺は別にあそこはカットしなくてもいいんじゃないかと思うけど(笑)。

中屋敷 じゃあ大丈夫かもしれない。

玉置 ははは!

中屋敷 でも、すべてのシーンにこういうことがあると思っていただけるといいなと思います。

玉置 うん、そうだね。

中屋敷 プロデュース公演(プロデューサーが企画し、参加者を集めて上演する作品)は、「作品」や「興行」ありきでいろんなものが組み立てられていくんですけど、劇団は家族旅行みたいなもので。……でも家族旅行ってなんで行くんだろうね?一回家庭を離れることによって改めて家族の関係値とかリレーション(関係やつながり)みたいなことがわかってくるのかな。劇団も俳優がそれぞれいろんなところに旅行しているのか。

玉置 うん、いろんな作品へ。

中屋敷 劇団公演はたまにある帰省みたいなものか。

玉置 ああ、そうだね!

中屋敷 たまに帰省して、「あれ、そんなだっけ」とか「方言が抜けてる」とかもあって。それをすり合わせるのではなく、それぞれやってきたものにどういう素敵さがあるかとか、どういうことを疎かにしていたかとかを改めて問うてみる、というような場になるんだと思う。劇団の仕事しかなかった頃はそうじゃなかったけど、いまは「ところで演技ってなにをしてたんだっけ」とか「台詞ってどうなってたんだっけ」みたいなことに自覚的になるのが劇団公演かもしれない。

(後編につづく)
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インタビュー・文/中川實穗