iaku「流れんな」│作・演出:横山拓也&異儀田夏葉&宮地綾 インタビュー

写真左より 横山拓也・異儀田夏葉・宮地綾

劇作家・横山拓也による演劇ユニットiakuの初期作品「流れんな」が東京・大阪・愛知・広島の4都市で上演される。本作は、小さな港町にある食堂を舞台に、母を亡くして店を切り盛りする父を支え続けてきた姉と、母の記憶が無く町を飛び出した妹の姉妹を軸に、周囲の人を巻き込んでさまざまな問題が浮き彫りにされていく対話劇。再演にあたり全編広島弁に改稿し、キャストには広島出身者など広島に縁のある面々などが揃えられた。作・演出を手掛ける横山拓也、姉の睦美を演じる異儀田夏葉、妹の皐月を演じる宮地綾の3人に、作品への想いなど話を聞いた。


――「流れんな」は10年ぶりの再演となります。どのような経緯で再演されることになったのでしょうか。

横山 iakuは立ち上げた当時から再演を繰り返す方針でやっていくつもりだったので、1年ごとに新作と再演を繰り返してやっています。意図としては、戯曲の普遍性を常に大切に作品づくりをしていて、再演ごとに強度を上げて、より残っていくような戯曲になるように意識しています。今回の「流れんな」再演も、その1つです。もう4~5年前には異儀田さんと「流れんな」を一緒にやれないかとオファーはかけていたんですよ。スケジュールの関係で今になってしまっただけで、10年ぶりになったのは本当にちょっとしたタイミングの問題です。

――以前から再演のタイミングは探っていたんですね。異儀田さんと「流れんな」が重なったのはどういうきっかけだったんでしょうか。

横山 睦美役を異儀田さんに、という想いは2018年の「逢いにいくの、雨だけど」という作品に主演で出ていただいた時でした。異儀田さんともう1度ご一緒したいと思いまして、「流れんな」が浮かんだんです。

異儀田 何回かお誘いいただいたうちの1つが「流れんな」でした。ただ、長年いろいろとお話をいただいていたので、こうやってちゃんと実現するとは、という気持ちです(笑)


――ちなみにタイトルの「流れんな」はどのような意味合いがあるのでしょうか。

横山 意味合いがいくつか取れるような感じですね。関西弁のニュアンスになってしまうんですけど、「全然流れないな」というニュアンスだったり、「流れてくれるな」というニュアンスだったり。今ここにある思いを大事にして、流さずに考えよう、問題を見つめようという意味合いも込めています。象徴的な場所としてトイレがありまして、そこも流す場所なんだけれども、ずっと留まっている思いがあるんですね。そういういろんな意味合いを込めています。


――異儀田さんと宮地さんは、作品にどのような第一印象をお持ちになりましたか。

異儀田 最初の印象はとんでもない暗い話。作品を上演するにあたって、時代とマッチするかどうかって結構大事だと思っているんですけど、今ってフェミニズムというか、女性が自立していて…っていう作品が割と多いですよね。そういう中で、この睦美という人物像がマッチするのか不安だったんです。でも稽古を進めていると、大きく声を上げたりするような強さじゃないけど、ある意味、睦美なりの強さは持っていることに気づき始めています。今の時代に、はっきり大きな声が出せる人じゃない人にもフィーチャーしていくこと、そうじゃない強さがあることも、大事なことかもしれないと思い始めました。

宮地 周りの人たちによって、自分の抱えているものがどんどん暴かれるような感じがあって、人間だからそこを隠したかったりごまかしたかったりするところもある。でも、ごまかしきれなくて向き合わないといけない、っていうところが、演じながらも難しいですね。そこに人間っぽさというか、キャラクターが出てくるような感じはあります。台本を読んでいても、このひと言がスイッチなんだな、というのがすごくたくさん出てくるんですよ。触れられたくない所に触れてしまう部分がいっぱいあるので、そこを逃さずにやっていきたいですね。


――横山さんは、どのような着想から本作を書かれたのでしょうか。

横山 初演はiakuの初期の頃で、それまでは他ユニットや外部のプロデュース公演に書き下ろしたものを上演していたので、iakuに新作を書き下ろしたのは「流れんな」が初めてだったんです。だから、すごく気負いもありました。iakuでは2012年にやった「人の気も知らないで」と「エダニク」という作品が女性3人、男性3人が議論するような芝居だったんですが、新作としてiakuで提示するにあたって、そういう討論や口喧嘩のようなものがエンターテインメントになる作品にしていきたいイメージがありました。あと、自分にとって近い関係である家族について描きたい気持ちもあって、そこが姉妹の物語につながっています。改めて見返してみると、ちょっと容量が多くて盛りだくさんに書いてますね。こんなに議題を並べる必要があったのかというくらい(笑)


――確かに、個人的な問題から社会的な部分まで、次から次へとエピソードが飛び出している印象です。

横山 作品で触れている出生前診断を受ける感覚だったり、脳内の記憶が映像化される技術に対する抵抗感だったり、そういう感覚って技術が進歩した現代でも10年前から本質的には変わっていないと思うんですよね。語りづらい、見づらい問題に置かれた人たちが右往左往しているさまは、非常に普遍的なように思いますし、観客に問いかけるべき意味のある作品だと感じています。


――キャストのお2人は今回、姉妹を演じられますが、役の印象をお聞かせください。

異儀田 睦美は、その土地に根を下ろした人なので、街とか家族とかが中心にあるんです。自分自身が子供であることとか、女であることとかをないがしろにして生きてきてしまった。そういう側面を、何か面白くできたらと思っています。難しいんですけどね。

宮地 皐月は、お母さんという存在を知らないから、知りたい。それって、家族に近づきたいってことなんですよね。年の離れたお姉ちゃんが、普通のお姉ちゃんではなくて、母親の顔とお姉ちゃんの顔の両方があって。お父さんも、皐月を”お母さんがいない子”として育てているから、普通に甘えることとか、皐月から甘えに行くことができなかったと思うんです。そういう気持ちがあるから、家族に近づきたい、ちゃんと話してほしい。ただ態度がまだ反抗期みたいな感じなんですよね。基本は家族思いで家族に近づきたいという軸があると思います。

横山 睦美と皐月は12歳離れている姉妹で、母が亡くなって母親代わりになった姉と、母の記憶が無いことにわだかまりを持っていた妹のコントラストは意識しました。家族のために自分を犠牲にしたような想いでいる姉、押しつけがましいと感じて反発心をもっていて、いつまでも反抗期みたいな妹。その対比の面白さですね。そして、入院している父親から、病気のことや姉の不倫のことを聞いてしまった妹は、当事者がいる中でひたすら姉妹喧嘩をし続ける。ちょっとドロドロしていて、隠せないものが暴かれていく、ぶつかっていって、姉妹だからこそ遠慮のない言葉でやりあう感じは、描きたかった部分ですね。

異儀田 この間、稽古場で話をしたんですけど、私ってどちらかと言えば妹の皐月の方が気持ちがわかるんですよ。パーソナリティが近い方は皐月だから。多分、私はまだ睦美を捉え切れていないから、一度交代してやってみたら面白いのかな(笑)。

宮地 皐月はずっと誰かを責めるような役なんですけど、私自身はどちらかと言えば何かを言うよりもみんなを見ているタイプ。お姉ちゃんの睦美がどういう感じで育ててくれたのかとか、周囲の人との関係性がどうだったのかなど、皐月のパーソナリティを分析していくのは、面白くもありますけど苦戦中です。

横山 そうだったんだ(笑)。宮地さんとは広島でのワークショップで出会って、そこから何度か広島で俳優と演出という関係でご一緒してて、俳優としてすごく信頼しているんですけど、そういう内向的なところがあるのは知らなかったなぁ(笑)。僕も大阪拠点でやってきましたけど、いろんな地方にいる全国で見てもらうべきと感じた俳優の1人ですね。関西や東京で演劇活動をやっている先輩たちと揉まれながら、広島にも凱旋して、地域で頑張る俳優の1つの事例になればと思っていたりもします。

異儀田 私も最初は睦美のことが全然わからなかったな。未来のことも考えないで何をやってるんだ、不倫なんかしてるんじゃないよ、って。でも、わからないからこそ面白いですね。

横山 前回、僕は演出をしていなかったんですけど、前回と比較するようなことはしていなくて、キャラクターを含め新たに捉えなおしています。異儀田さんに僕が感じているものは、いろんなものを抱えながらも表層をカラッとさせていて、そこに抱えているものが垣間見える感じが俳優としてすごく魅力的ということ。睦美にはまさにそういう部分があると思っているので、存分にその魅力を発揮してくれていると思います。2人には結構無理なことをお願いしているけれど、俳優が持っている変身願望とか、演技への欲求みたいなものを信じて、一緒に稽古場で作っています。


――今回、台本をすべて広島弁に改稿されているとのことですが、広島弁にすることでどのような効果が得られていますか。

横山 普段は関西弁で戯曲を書くことが多いんですけど、関西以外で上演したときに多くのお客さんから「自分の問題ではあるけど、少し離れている地域で起こっていることのように感じる」という声があったんですよ。逆にすぐ隣じゃないところにある妙なリアルさを感じてもらったり、関西弁のリズムが面白いっていう方言であることの評価をいただいたりすることもあったんです。だから、自分自身が”方言”であることの効果を稽古場で体験してみたかったというのが1つの理由です。純粋に、どんな感覚なんだろうという興味がありました。広島出身の役者さんに多く集まってもらって、一緒に広島弁に改稿していく作業をしながら、共有していく面白さを感じています。

異儀田 みんなで集まって広島弁に変えていく作業をやったんですけど、関西弁だとどういうニュアンスですか?とか聞いたり、そういうことが読解にもつながるんですよね。すごくいい時間でした。私は子どもの頃に少しだけ広島に居ただけなので、そこまで広島弁に詳しいわけじゃなかったんですけど、不思議とわかってきたというか、自分の中にあったものが出てきているような感覚があって面白いですね。両親は広島弁ですし、おじいちゃんやおばあちゃんの言葉とかが呼び覚まされたような感じがしています。

宮地 私は現在も広島に住んでいるのですごくやりやすいです。言いやすさもあるし、ニュアンスもわかる(笑)。でもこの間、稽古場で言われたりもしていたんですけど、広島弁って、結構強いイメージがあるから責めやすさはありますよね。~じゃろ、みたいな言い回しも、関西弁だとツッコミっぽく聴こえるところが、また雰囲気が変わってくる。そこは改めて、そうなんだ、と思って結構面白いです。

異儀田 昨日ちょうどそんな話をしてて、広島弁は語尾をちょっと引くというか、投げ切らないみたいなニュアンスがあるんですよね。改めて言語を捉えなおすというか、県民性とかも方言に出るんだな、と思います。


――横山さんの演出の印象や特徴はどのようなところですか。

異儀田 横山さんって、本当に書いたんだよね?って言うくらい一緒に考えてくれる演出家さん(笑)。演出家に答えを求めてしまうことって俳優は割とあると思うんですけど、横山さんに関してはそれがまったくないです。むしろ、私の方が役について知っている人として接してくれるんですね。それが私にはすごくありがたいです。なかなか作・演をされている方だとできないことだと思うんですよね。だからこそ、より考えるし、役への責任感も生まれます。一緒に、この役って、この物語って何だろうね、と寄り添いながら並走してくれている感じが、もう大好きです。

宮地 本当にそうですよね。一緒になって、この役ってどういう状態なんだろうね、どう思っているんだろうね、ということを一緒に考えてくれるんです。そして、そういう問いをもらったら、共演者の方も一緒になって考えてくださって、こうかもね、という着地点を見つけられる。役者としてすごくリラックスして対話させていただいています。

横山 良し悪しはあると思うんですよね。もうちょっとグイグイと先頭に立っていくことが必要な瞬間もあると思います。ただ僕の作品の性質上、役者と一緒に稽古場で発見していくことにこそ価値があって、一緒に見つけたことはすごく強固なものになっていくし、作品の核を全員で共有できる。それは、提示されたものに近づいていくよりも、みんなで見つけて磨かれていったものができていく稽古場の方が、演劇を楽しんでいる感じがしますね。この1週間で稽古は活性化しているし、みんながどんどん良くなっているんです。言葉で確認し合うことで、すごく見えてきましたね。

異儀田 すごく奥深い本だと改めて感じています。それで、みんなでディスカッションしたり、話したことがちゃんと稽古に乗るんですよ。それが面白い。

宮地 自分としてもみなさんから言っていただいたこととか考えたりしたことで、すごくやりやすくなってきている部分がいっぱいありますね。大人数の舞台だとどうしてもチームができてしまいますけど、俳優は5人なので、一体感もあるし、みなさんとお話できるので、全部を吸収してしまいたいと思いますね。難しいところや、まだ戸惑いはあるんですけど、そこも早く自由にできるようになりたいです。

横山 今はいろんなことを書き留めているような感じだけど、それを一旦すべて忘れた上で、残ったものを大事にしようと、まさに今取り掛かっているところです。


――最後に、公演を楽しみにしているみなさんにメッセージをお願いします。

宮地 人間らしさの部分で、わかる、と思っていただけるところと、いやそれはちょっと…と思ってしまうところ、それぞれすごく出てくると思います。そこを、まさに体感してもらえる作品になっているので、ぜひ観に来てください!

異儀田 感覚としては、ほぼドキュメンタリーです(笑)。そうなるために役者は没入するし、役者が没入していれば、お客様も没入してくれるはずだと思っています。ものすごく密度の高い、人間味のあるキャラクターを役者は作りあげていますし、「こんな顔見せたくない!」っていうくらいの恥を晒すつもりでやっているので、ぜひ目撃しにきてください。

横山 日本人が普段やらないような、議論や口喧嘩のエンターテインメント化だと思っています。それを広島弁という独特のニュアンスで上演します。iakuでは初めての、関西弁以外での上演というのも魅力のひとつだと思っていますし、それを主に広島出身の俳優たちが生の声で演じていきますので、その濃密さを楽しんでいただければと思います。

 

取材・文:宮崎新之