劇団4ドル50セント7周年記念イベント「追憶のガラス」│うえきやサトシ&前田悠雅&堀口紗奈 インタビュー

秋元康プロデュースにより2017年に始動した劇団4ドル50セント。劇団設立の7周年を記念するイベントが8月18日に東京・DDD青山クロスシアターにて開催される。今回の公演では劇団員が脚本や演出なども手掛け、これまでの経験やそれぞれのスキルを存分に発揮した公演になるという。メモリアルな公演を前に、劇団員は何を思うのか。1期生のうえきやサトシ、前田悠雅、堀口紗奈の3人に、話を聞いた。

――劇団も7周年を迎えることとなりました。振り返ってみて、どんな7年間でしたか

うえきや 旗揚げから公演をたくさんやらせていただいた2年間があって、そこにコロナ禍という大打撃を受けて…。また再建しているような感じです。やっぱり一度、見た大きなビジョンがあって、そこから落ち込んでしまったので…。そんな中で7周年を迎えられるまで続けられたのは、ありがたいことですし、自分で言うのも違うかもしれないんですが、本当に頑張っています。

前田 旗揚げの時は、大きく記者会見をしていただいて、新聞やテレビにも取り上げていただいて、芸能人になったんだ、という実感も大きくて。最初の本公演が紀伊國屋ホールで、紀伊國屋ホールがどれだけすごい舞台なのかもまったく知らない、そんな人間がその舞台に立ってしまっていたんです。それだけ、たくさんの夢を見させていただきました。ですが、この7年で悔しい思いもたくさんありました。仕事を頑張ることはもちろん、その中で自分たちをどう見せていけば好きになっていただけるのか…こういう時間を過ごしていなければ考えなかったと思います。正直、この人生でよかったと100%の気持ちで思えるわけじゃないです。けど、そう思えるようにこれからも頑張りたいですね。

堀口 よく7年も続けてこられたな、と思います。もちろん、私たちなんてまだまだですが、ファンの方、家族の応援、そして劇団に関わるスタッフの方々たちのおかげがあって続けられているわけですから、本当に純粋に、ここまで続けられて良かった。ただ、ある意味で負け癖がついてしまっていると言うか…他の誰かが上手くいっていても、ダメージを受けなくなっているんです。「自分はこうやしな」と落ち込まなくなった。自分に必要以上にダメージを残さない。良くも悪くもかも知れませんが、それが続けられた秘訣かも。

――印象に残っている大変だった出来事は?

うえきや 最初の公演の稽古ですね。堀口が言っていたみたいに、7年で打たれ強くはなっていますが、最初は素人集団でスタートを切っているので、演出家の方からボッコボコに怒られていたんですよね。あの時、100回以上は「もう辞めよう」って思っていました。年齢的にも27歳で、同世代だと結婚とかも考えるような年齢だし、何もかもが今までの暮らしや価値観とは真逆で。でもいい意味で、みんなの前で怒られて泣いて、プライドは無くなりました。そんなプライドは持っていちゃいけないし、そういう中で戦ってきたから、それが今に繋がっている。そう思いますね。 

前田 私たちはまだ、(その当時のうえきやの年齢に)なってないもんね。そう考えるとスゴイな。稽古場で泣いているところも、何度も見てますから。私もいろいろありますが、すごく覚えているのはコロナ禍の配信公演。集客と言う面でどうすればいいのか悩んでいる中でコロナ禍になって、配信公演をやることになったのですが…想像以上に見てくださる方が少なくて。配信なので客席には誰も居ませんし、カメラを通してみなさんに届けようと思ってやっていますが、その先にあまり人がいないことを知ってしまって。待ってくれている人がいるから頑張れていたのに、私たちはどこに向かってこのお芝居を届けているのだろうか、と気持ちがしぼんでしまいました。今は笑って振り返れますし、コメディな部分もあった作品なので、私たちが1番笑っていなきゃいけなかったと思えますが、その当時は気持ち的にキツかったですね。1人だったら乗り越えられなかった。そこも、劇団でよかったところです。

堀口 私は、やっぱりまだまだ劇団4ドル50セントが知られていないことがキツいですね。いろんな現場で「劇団4ドル50セント? そんな劇団あったの? 知らないな」「秋元さんが劇団やってるの?」って。その度に、もっともっと頑張らなきゃ、って思います。私は18歳でオーディションに受かって、大学を辞めて大阪から上京して…しばらくは、仕事があまりない自分が恥ずかしくて帰れなかった。啖呵を切って出てきたので。親や友達が、無邪気に「どんな仕事が決まっているの?」とか聞いてくれるのが、辛かった。向こうは応援してくれているし、純粋な気持ちなんです。それがわかっていても、キツかったですね。今は大人になって、打たれ慣れましたけどね。

前田 私も、成人式に行けなかったな。次が何も決まっていない状況だったから、会いたくなくて。だから、すごく気持ちはわかります。

――苦労もたくさんあったかと思いますが、逆に自分にとってポジティブなターニングポイントとなった仕事や出来事はどんなことでしたか?

うえきや 僕は「HiGH&LOW」シリーズですね。この作品に出演させていただいて、仕事への気持ちがガラッと変わりました。本気で劇団を辞めることを考えていた頃に頂いた仕事だったんです。共演したみなさんと仲良くなって、みなさんの芸能への熱い想いを目の当たりにして、負けてなんかいられないと思いました。劇団の中でも、ちょっとしたスパイスになればいいや、くらいのポジションのつもりでしたが、「HiGH&LOW」シリーズに出演させて頂いてたくさんの人に知っていただけたことも自信になりましたし、仕事への向上心も、この作品をきっかけに大きく変わりましたから。

前田 私は20歳の時に恋愛ドキュメンタリーの番組に出演させていただいたのが大きな経験でした。おそらく、たくさんの人に観ていただける最初の機会がその番組で、役者の卵が集まって競い合っていく中で恋愛が生まれるのかという企画だったんですが、役者としても、自分自身のこととしても、すごく揉まれました。ドキュメンタリーなので、役者としての自分だけじゃなく、私自身をずっと見られている状況で、性格上、真面目に取り繕ってしまう部分が多くて。その真面目さも、当時の私にとってはコンプレックスで、堅苦しくて面白くない、とネガティブに捉えていたんです。でも、そんな真面目さを見て、褒めてくれたり、応援してくれたりするようになって、真面目な自分も受け入れられるようになりました。その時のスタッフさんは今も公演を観に来てくださるんですよ。あの番組での経験や出会った人たちが、今につながる恩人と言うか、忘れられないお仕事になっています。

堀口 私は2年くらい前に「かまいガチ」のオーディションを受けて、出演させていただいたことですね。バラエティ番組に出て、仕事の幅も一気に広がるきっかけになりました。私は劇団の中でも端っこでキャッキャしているだけだったのですが、このオーディションがきっかけでドラマのお話に繋がったり、またバラエティにも呼んでいただいたりしたんです。ただお芝居が好きで、それだけで舞台に立っていただけの人間の世界を広げてくれました。バラエティは私自身の人間性が問われると言うか、どんなボールが飛んでくるかもわからないし、それを100%で打ち返さなきゃならない。すごく怖かったですけど、そういう現場を経験できたことが自分への自信にもなりましたし、お芝居が好きと言う気持ちは変わらずありますが、お仕事への向き合い方、捉え方がそこから変わったように思いますね。

――この劇団でよかった、と思えるのはどんなとき?

うえきや 自分がやらなかったであろうことも、やるようになったってことですかね。今回、7周年記念イベントの演出をやらせていただくのですが、ゼロから自分で考えて演出するなんて劇団に入っていなかったら絶対にやることにはならなかったはず。7年やっていて自分に身についたスキルを活かせる場所として劇団がある。それは本当にこの劇団に入れてよかったと思いますね。

前田 7年経ったからこそ思えることでもありますが、劇団は自分自身がどう思っているのかを考え続けられる場所なんです。もし1人でやっていたら、役のことや作品のことだけを考えて一直線だったかもしれない。でも劇団があることで、役のことだけじゃなく、自分の居場所として劇団を存続させたいという気持ちが常にあるし、そのために自分がこの場所で何ができるのか、というのをずっと考えるんですよ。最初は、プロデュースしてもらう側だと思っていました。それじゃダメなんだと実感し始めているところですし、劇団としてもまだまだ途中だなとも思っています。

うえきや そうだね。まだまだ満足してないです。役者としても、劇団としても。

堀口 私は純粋にものづくりが好きで、外のお仕事ももちろん楽しいですが、劇団のチームメイト感というか、同じメンバーでものづくりに取り組んでいるという感覚はすごく楽しいです。ちょっと甘えちゃっているかもしれないけど、悩みとか気持ちとかを共有したり、指摘したりし合える。お互いがいるから自分も成長できるし、誰かの成長にもつながるんです。仲間は鏡のような存在だから。本当にカッコいい仲間たちで、自慢できますね。

――7周年記念イベント「追憶のガラス」はどのような公演になるのでしょうか

うえきや 今回はゼロから劇団員で構成して、脚本は久道成光、演出は僕がつけて、ダンスの振付も中村碧十がやります。そして主演のWキャストはと堀口紗奈と前田悠雅で、もう自信しかありません。演出として、この2人だったら、と頼れる部分もあります。この間までパリ五輪がありましたが、試合の瞬間だけを見ていても、選手がこれまで努力してきた結果がメダルにつながっていることを感じられて、感動できるじゃないですか。自分たちも7周年を迎えるまで、いろいろな経験を積み重ねてきました。このイベントで、それがすべて伝わるかどうかはわからないけれど、劇団の公演を初めて観る人にも伝わるくらいの熱い気持ちを届けたい。それをお客さんに喜んでいただけて、自然とまた足を運んでいただけるようになりたいですね。

前田 外部の舞台などに出させていただく時は、いただいた役をどう成立させるかとか、作品の中で自分はどんな役割を担っていくかを考えると思いますが、今回はギリギリまで…今でも脚本とかを書き換えているくらい、いろいろなことを検討しているんです。劇団4ドル50セントをこれからどうしていきたいかとか、これまでの自分たちがこうだったんだからこれじゃないと、みたいな。ただ作品を成立させるだけじゃない強い思いを込めたいと、みんなが思っているから、ずっと疑い続けているんですよね。これで8年目に踏み込んでいいのか、をずっと考えている。それが劇団でしかできないことだと思うし…それで一番苦労している演出を目の前に言うのも何だけど、それを私は楽しめています(笑)

うえきや かなりアツいよね(笑)

前田 言い合っているときは、楽しくないです。言わずに済むなら言わない方がいいし、和気あいあいとしている方がいいのかもしれないけど、言わないと気が済まないし。もしここを妥協してしまったら、劇団が終わるかもしれない、っていう覚悟をもって、みんなやっていますから。

堀口 私も結構、今の稽古が楽しくて。劇団員とこんなにセッションできるのも嬉しい。ものづくりに対して「ちょっとそこどうなん?」みたいな指摘って、言われる方はちょっと嫌かもしれないけど、アイデアを出し合って「いいじゃん!」ってなったらメチャクチャ楽しい。すごく有意義なことができている感じがするんよね。

うえきや 演出としてはプランを立てているから、あれ、このシーンだけでもう1時間たっちゃった?ってなるけど(笑)

堀口 それももっと楽しんでほしい!

うえきや 楽しくない訳じゃないよ。やっぱり他の現場では言えないような言い方もできるというか。劇団員の言葉も全部聞き入れて、こっちの気持ちも伝えて…お芝居のプランって何通りもあるんだ、って感じています。

堀口 今回のお話の主人公って、夢とかを諦めちゃったり、大切な友達も失っちゃったりしていて、それでも普通に生きていくために仕事をしていないといけなくて…っていう、きっと誰しも共感してもらえるような役なんです。そんな人がひょんなことからまた夢を追いかけるようになって、輝いていくのが、本当に素敵なことだと思うんですよね。それを、みなさんに見ていただいた時に、何か熱い気持ちが生まれたり、救われたりしてくれたら嬉しいです。

前田 夢を追い続けていることで、親への申し訳なさを感じたりとか、叶わなかったら負けだと自分を否定してしまったりとか、私たちもこの7年でそういう経験を何度もしてきました。この作品では、そういう夢を諦めた子がもう一度夢を追いかけて、その夢を追いかけている状況を楽しめているんです。いつかチャンスを掴めるときまで頑張り続けるには、その過程を自分が一番楽しめていないと続かないと思うんですよね。そういう姿を認めてほしいというか…。もし、同じように苦しんでいる人がいたら、それでいいよ、と思ってもらえたら。

うえきや 1人じゃないよ、っていうことが伝わるといいな思っています。劇団もそうですが、みんな1人じゃないんですよ。もし、今1人になっていたとしても、過去にはいろんな人と出会っていて、その過去を振り返れば1人じゃないって気付ける。それが次の未来に進むための、いいきっかけになればいい。人生を振り返ったら、挫折もいっぱいあったと思うけど、その過去があるから未来に踏み出せる。そういう作品になっていると信じています。

――劇団には後輩団員も入っていますが、劇団4ドル50セントのどんなところを伝えていきたいですか

堀口 ダサいことすんなよ、カッコよく生きろよ、ってことですかね。ダサいとかカッコいいって人それぞれだし、ダサいことって結局、しちゃうことはあると思いますが、劇団4ドル50セントなりの人としてのカッコよさが絶対にあると思っているので、ダサくなるなよ!と伝えたいですね。

前田 偶然にも同じ言葉を浮かべていたのでビックリしたんですけど(笑)。私もダサいってワードを出そうとしたんです。きっと、紗奈ちゃんの言うダサいって、自分が納得できるように生きるとか、嘘をつくな、妥協するな、みたいなニュアンスだと思うし、そこは私もそう思っているのですが、その上で私は「ダサくあれ」って思うんです。泥臭く、汚く、泥まみれになってナンボ、というカッコよさもあると思っていて、内側に収まってしまうスタイリッシュさじゃなくて、存分にはみ出して、カッコよすぎて笑えてきてしまうような感じ。最初の本公演とか、それが劇団4ドル50セントのはじまりだったと思うので、そういう意味で「ダサくあれ」と。2期生とか、その頃の公演を見て憧れて入ってくれた子もいるのでそこを忘れずに、それこそが劇団4ドル50セントと言えるようにしていきたいです。

うえきや 後輩たちを見ていて思うのは、芯を貫き通せ、ってことですかね。まだまだ後輩たちは、おんぶに抱っこ、みたいな雰囲気があると思うんですよ。どこかに寄りかかってしまっているようなところもある。でも中には信念や熱量があるはずだから、それを見せてぶつかって来い!って思っています。7年前に結成した俺らですが、やっていることはすごく昭和というか(笑)、涙を流しながら稽古に食らいついていた時代があって、時代の変化ももちろんありますが、後輩たちにもその強さを持てるようになってほしいですね。

――最後に、この先のみなさんのビジョンを聞かせてください

堀口 私はとにかく、この劇団を頑張って続けること! 大きなことは言いません。まずは10年を目指して、この劇団という場所を残していけるようにしていきたいです。もう、意地ですね(笑)。この劇団を選んだ自分の選択を間違いにしないためにも、絶対に続けます!

前田 劇団に入った時は10代でしたが、同世代も社会人として活躍するような年齢になって、弟も仕事をするようになって…私がこの仕事を続けられているのは、家族のサポートがあるからだとより強く感じるようになりました。芸能の仕事にしがみついているような気持ちに、ここ数年はなっていましたが、先日ふと親が「長い道のりだからね、まだまだこれからだもんね」って言ってくれたんです。それが何よりの支えになったし、私もまだまだやれる、どんなことにも挑戦できるって思いました。家族にそこまで言わせてしまったからには、絶対にこの劇団という場所で成功する、それが何よりの恩返しだと心に決めました。もし辞めることを選ぶとしても、めちゃくちゃ全盛期のカッコいい瞬間に辞めたい。辞めませんけどね(笑)。それにはまだまだ足りていないので、そういう自分になれることが目標です。

うえきや とにかく、この劇団で食っていくことですね。そしたら、劇団としてやりたいことがもっとできるようになるだろうし、いろいろな挑戦もできるようになる。それぞれでいろいろなお仕事ができるようになりましたし、自分もいろんな仕事を頑張ってきましたけど、まだまだ全然満足していないので。いろんな夢を掲げて、たくさんの挑戦をして、劇団で食っていきたいです。

取材・文/宮崎新之