2020年に初演された、絢爛豪華 祝祭音楽劇『天保十二年のシェイクスピア』が帰ってくる。初演で「きじるしの王次」を演じた浦井健治が、役を変えて「佐渡の三世次」を演じる。シェイクスピア全37作品を横糸とし、江戸末期の人気講談「天保水滸伝」を縦糸として、見事なまでに織り込んだ井上ひさしの傑作戯曲。初演カンパニーの魂と、自身が過去に演じてきたシェイクスピア作品の魂を併せ持つ浦井が、満を持して挑む今の思いを聞いた。
覚悟を決めて挑む「佐渡の三世次」
――この作品に取り組む今の思いをお聞かせください。
今のこの状況が、本当に役者冥利に尽きるなと思います。同じ作品で、同じ演出家で、役替わりで出演させていただけるなんて、こんな光栄なことはないなと感じます。「きじるしの王次」から変えて、「佐渡の三世次」のオファーをいただいた時に、一度「考えさせてください」とお願いしたくらい、大役だなと思ったんです。
みんなで作り上げた初演でしたが、2020年の2月に東京で開幕してから、だんだんお客さまもマスクをし始めたり、空席が目立っていったりという中で、千穐楽ができず、大阪は全公演が中止になってしまいました。無観客の中収録をしたDVDを見直しても、やはりみんなで作ったものの愛おしさとか、もう一度そのメンバーで集まれればいいなという思いもありました。
でも、今回演出の藤田俊太郎さんからは「初演の空気を感じた浦井くんにやってもらいたいというのが、東宝さんと藤田の思いだから」という言葉をいただいて、覚悟を決めました。僕は高橋一生さんの佐渡の三世次はまるでイギリスで演劇を観ているような感触があるくらい衝撃で、もちろん、上川隆也さんや唐沢寿明さんたちの三世次も素晴らしかったですが、そばで見ていたから尚更、あれだけ抑圧されて、人間の本当に不条理だとかに向き合って生きてきた人のまっすぐさが、逆に人間味があるというか、シェイクスピアが書いた『リチャード三世』に繋がる三世次でした。
井上ひさしさんが『天保十二年のシェイクスピア』で描きたかったのは、きっとそこなんだろうなと。信じることや、人にどう思われても自分のやりたいことをやること、業だとか、エゴというものがどれだけ人間味があるかだとか。実はこの作品はタブーばかりで、特にこの4年間をみても、扱うのが難しい部分も描かれているのではないかなと思いますけど、そこを敢えて絢爛豪華な音楽劇として提示することで、観ている人が、「明日自分はどうやって生きていこう」、「今の時代だからこうしていこう」みたいなことを学ぶ場所になったりするのかなと感じたのが初演でした。
ですから、今回はそれをちゃんとリスペクトして挑みます。初演と再演をつなげて、ひとつの作品になればいいなと思いますし、藤田さんにも提案させていただいて、浦井バージョンを今回のメンバーと一緒に作っていきますが、そういう思いもあって、ビジュアル撮影もスタッフみんなで意見を出し合いながら作っていきました。
――今回の再演が決まって、高橋さんにご報告みたいなことはされましたか?
改まってしてませんが、僕の中では一生さんは「じゃあ、自由に浦ちゃんらしくやればいいじゃない」と言ってくれているような気がしますし、今回も隊長として、木場勝己さんが蜷川組から同じ役でずっと作品を引っ張ってくださるので、もう間違いはないし、その中で三世次がどうやってもがいたかというのを、木場さんの隊長が時代も含めどう見たか、時代にどう問いかけるかだと思うので。藤田さんとも話しましたが、もしかしたら今回は、より隊長の目線を三世次は持ってもいいんじゃないかとおっしゃっていました。三世次と王次は、対というか、同じシーンはないけれど、同じものを実は表現しています。まったく別のことをやっているんですが、実は同じような欲を持っていたり、対人間として生きていった。丸腰だった。どちらも刀も持てず。
――言葉で人生を動かしていくふたりですよね。
でも、井上ひさしさんは、実はペンに刀を持っていたというか、同じような状況だったんじゃないかなとも思うんです。ずっと言葉を紡いで、『天保十二年のシェイクスピア』に37作品のシェイクスピアをまとめたという生き様というか。この作品は、今の時代に、きっと勇気をもらえるような音楽劇になっているんじゃないかなとも思います。目も楽しいけれども、もちろん耳でも宮川彬良さんの音楽で彩られているからこそ、本当に日生劇場や各地の劇場に華やかに咲く花じゃないかなと思えるくらい。それがどうやって咲いていくか、楽しみですね。
いつの時代も人間は変わらない
――初演がものすごいエネルギーに満ちた作品として、記憶に残っています。初演をご覧になっている方々には、今お話いただいたことなどが特に熱く響くのではないかなと思うのですが、逆に、初めてご覧になる方々に伝えたい作品の魅力はどんなことがありますか?
シェイクスピア作品は世界中で愛されている作品です。それを井上ひさしさんが全37作品盛りだくさんにぎゅっとまとめて、ひとつの作品として『リチャード三世』を中心に「人間とはどんなものだ」、「どうやって生きていくのか」を描いているんじゃないかと思うんです。もちろんお客さまには自由に観ていただきたいですが、おそらく目線は隊長目線だと思うんですよね。冒頭から木場さんの隊長目線でいざなわれていくと、この天保の時代を生きているそれぞれのキャラクターの生き様に学びがあり、今後この作品を観た後に、自分が少しでも変わっているかもしれないという、学びの連続になるんじゃないかなと思います。井上ひさしさんがどれだけのものを書いたのかということと、そして、今の時代を切り取っているということのすごさ。シェイクスピアは「人間は何も変わっていないよ」ということを描いていて、当時から変わっていないことに気づかされる、そういうことをこの作品で感じることができる。また、ひとりひとりのキャラクターがあっという間に刹那で消えていく感覚があるんです。
――二役演じる方々もいらっしゃるくらいに、たくさんの役が登場しますよね。
ひとりひとり、衝撃なんですよ。だから、今やりたいこと、やらなきゃいけないことをやらないと、もう戻ってこないし、もう会えない。ということに、僕はこの作品で気づかされました。だからこそ、後回しにしないで感謝の言葉を伝えるとか、連絡取りたい時に取るみたいなことからスタートしようと思えたのも、この作品からでした。それはコロナ禍の中、上演していたのに翌日中止になるみたいなことも、お客さまの胸に刻まれているんですよね。でもそれをまたちゃんと蓋を開けて、花を咲かせようと動いた制作サイドと一緒に、ご迷惑はおかけするかもしれないけれど、浦井健治として三世次をちゃんと生き抜けるように、死ねるようにというか、散れるように頑張っていきたいなと思います。面白いのが、このビジュアルをやるに当たって、藤田さんが全部の役を自分で演じているというラフデザインチラシが1枚あるんです。
――これを全部ですか!?
それくらい思い入れがあるんですよね。もしかすると、他の作品でもそういうことをやっていらっしゃるのかもしれませんが、蜷川組で演出の蜷川(幸雄)さんの横に座っていた藤田さんを見ていた僕としては、今や日本を代表する演出家の1人になられても変わらず「演劇、演劇」と言い続けている方で、おこがましいですが、そんな時代をご一緒したこともあり、同志のような感触があります。
僕が初演で、きじるしの王次の時に「こうしたらどうでしょうか」と提案したことも、「1回やってみようか」と言ってくださって。そういう方だから、今回も一緒にいろいろやっていけたらと思っています。ただ僕の今回のお手本は一生さんがありますし、王次の時も「それは違うだろ!」とすぐに言ってくれた木場さんもいます。近道じゃなくて、間違ったほうへは行くなといってくれる先輩もいます。でも、藤田さんは何か新しい道があるんじゃないかと挑戦される方。だから、「間違っているかもしれない。でも、それもいい」と思いながら、三世次として、ある意味では悪の花として、ちゃんと大輪の花を咲かせられるようにやっていきたいなと思います。
――高橋さんの三世次が、ご自身の応援になる感じでしょうか。大きいお手本あると、囚われてしまうこともあると思うのですが。
本当に素晴らしい三世次でしたから。「あれ? ロイヤルシェイクスピアカンパニーかな?」みたいなお芝居なんです。「人を殺しておいて、そんなに淡々と(セリフを)言う?」みたいな。でも、それを上回る説得力と、狂気。僕はそれを観ていたからこそ、今回の浦井バージョンをつくるきっかけをいただけたと思ってます。
――王次を演じる大貫勇輔さん、お光とおさち二役を演じる唯月ふうかさんとは何かお話されましたか?
連絡は取り合いましたけど、ふうかはちょっと緊張しているかもしれませんね。多分、一番大変なのが実はふうかで、三世次と王次の両方を相手にしなきゃいけないんですよ。ずっと舞台に出ているので。三世次は王次たちを見ている。王次が亡くなった後に三世次が台頭していく。その両方と関与しているから、時代をどう鏡として映したかというと、鏡はきっとふうかの役なんです。
――このビジュアルの真ん中にいる役ですものね。
そうなんです。初演のビジュアルはお光だったんですね。でも今回おさちでトライしているんです。王次はお光、三世次はおさちなんです。多分、藤田さんの意図があって、浦井と対峙した時にふうかに出るもの、お互いの引き出しを、藤田さんは求めているんじゃないかと思うんです。
役が役者を選ぶ、敬意を持って演じたい
――浦井さんはシェイクスピアにとてもご縁がありますよね。
ありがとうございます。新国立劇場シェイクスピア歴史劇シリーズでは、薔薇戦争の白薔薇派と赤薔薇派の、ヘンリー側の赤薔薇派の血筋、ヘンリー四世、五世、六世、七世を演じさせていただいて、かれこれ十何年経ちました。
――新国立劇場シェイクスピア歴史劇シリーズの第1作目『ヘンリー六世』三部作が上演されたのが、2009年でしたね。
その対峙していた、白薔薇派のヨーク家のリチャード役の岡本健一さんをずっと見てきましたし、そのリチャードの苦悩というものを近くで見れる場所にいました。鵜山仁さんの演出では「オーバー・ザ・レインボー」をかけながら、「俺はどうして生まれてきたのか」、「母親の元に帰りたい」というような思いで「馬を引け」というリチャードのシーンなどを見てきたからこそ、役にも少なからず反映されると思いますし、実は、僕自身今回初めて白薔薇ヨーク家を演じることになるんです。ここで生まれるものは、お客さまに楽しんでいただきたいですし、色気とか妖艶なとか、狂気的なものが出せればいいなと思っています。
――シェイクスピア作品を演じてきたご経験と、『天保十二年のシェイクスピア』初演で演じたご経験と、今の浦井さんにはどちらも積み重なっていると思いますが、そういうご経験が演じるときに顕著に現れると思いますか?
間違いなくあります。まず、初演を経験し、みんなで作ってきた空気を背負って、それを知っているという強みはあると思いますし、だからこその、今回の配役だと思いますから、間違いなくそういう部分はあります。
そして、シェイクスピアの台詞とか、シェイクスピアが何を考えていたかとか、イギリスのストラトフォードやシェイクスピアの生家に行かせていただいたり、シェイクスピアを深く理解をする時間を重ねて、リチャード三世を学べていたから、初演ではそういうことを当たり前のように経験されている先輩たち、辻萬長さん、梅沢昌代さん、木場勝己さんと一緒にやることで自分も活性化されたというか。なんか突拍子もないところまで飛んでいける感覚があったんです。役が助けてくれたこともありました。
一生さんから学んだこともたくさんありましたし。それを踏まえて何ができるかは分からないですが、ゼロからじゃなく、初演からの流れで頑張っていきます。非常に難しい役だと思いますが。
――逆に言うと、初演を経験しただけだったら、難しいということですよね。今までのシェイクスピアのご経験もあるから引き受けられるみたいなところはありますか?
シェイクスピア作品での経験は僕に取っての財産なので、その経験を活かしたいですし、その役が役者を選ぶというか。その時期じゃないとその役が来なかったりするんだなと、僕はこの二十数年で感じたんです。役が呼ぶ。その役によって、その役者の色が変わったり、成長したり、また面白いことになっていったりする。役に潰されることもあるかもしれません。だけど、三世次という役が選んでくれたと思っているので、散る思いで、とにかくやり切る。やっぱり自分にとっては大きなトライだと思います。
――ありがとうございます。最後に、皆さまにお伝えしておきたいことをお聞かせください。
2020年の初演をご覧くださった『天保十二年のシェイクスピア』のファンの方も、もちろん上川さんや劇団☆新感線、そして蜷川さんバージョンの『天保十二年のシェイクスピア』をご覧になった方も、各地で上演された『天保十二年のシェイクスピア』をご覧になった方も楽しめるような今回バージョンを、初演をリスペクトしながら、このメンバーで作っていけたらと思います。
観終わった後にものすごくどんよりして、「生きていくって大変だな」と思っていただいてもいいですし、「なるほど、こんな考えでいけば、もしかしたらこの世の中生きていけるんじゃないか」という学びにつながっていただけたら。井上ひさしさんの戯曲のメッセージ性がお客さまに伝わればいいなと思っていますので、どんな見方をしていただいてもかまいません。きっと隊長がいざなってくれると思います。『天保十二年のシェイクスピア』の世界に身を浸せると思いますので、三世次の悪の血しぶきを浴びに来てください。
取材・文:岩村美佳
写真提供:東宝演劇部