尾上右近自主公演 第九回「研の會」|尾上右近&中村種之助 インタビュー

若手人気俳優・尾上右近の自主公演「研の會」。右近のやりたいことを全力でやっていくというテーマで、大作や名作も臆することなく選んで、毎年上演してきている。第9回となる今回は、約40年ぶりの上演となる「盲目の弟」と、華やかな舞踊「弥生の花浅草祭」の2本立てで上演されることになった。どのような想いで公演に臨むのか、尾上右近と中村種之助の2人に話を聞いた。

――「研の會」も9回目となりました。この「研の會」はどのような意図で開催している公演なのでしょうか。

右近 今年で10年目を迎える自主公演ですが、本来ならば年1回ペース、今年で10回目という形になるはずだったんですが、コロナ禍で1年お休みしている関係で9回目の開催となります。10年前に第1回を始めたときは、まだ23歳の若手で歌舞伎の中でも群衆のような、たくさん人が出るうちの1人をやったり、主役の方を舞台袖などからお芝居を観たりと、いわゆる下積み時代でした。そういう中でも、自分としては主役をやる機会が欲しかったんです。焦りもありましたし、野心もありました。そんな自分のやっていきたいことを何とか表明したくて始めたのが、この自主公演でした。
なので、僕の中で自主公演っていうものは、自己研鑽、未来の自分に向けての自己投資という感覚ですね。自分が完全に主役です。毎年、やりたいテーマを自分の中で見つけて、プロデュースして、制作もやって、キャスティングも考えてます。今回は、中村種之助さんという同期の俳優と一緒に、この2人だからこそできる作品を、自分たちでやるということをテーマに、キャスティングや演目を選定しました。

――種之助さんは、右近さんの自主公演をどのようにご覧になっていて、今回のお話をどのように感じられましたか。

種之助 僕自身も自主公演をやったことがありますので、その大変さは身に染みて知っています。過去に2回、「研の會」には出させていただいていますが、その際は今回のような役ではなく、勉強させていただきつつ作品を進めるのを手伝うようなものでした。今回のような形で一緒にやってくれないか、と言われた時は…嬉しい気持ちもありながら、本当にいいんですか?という感じでしたね。それに、今回の作品は2つとも、いつか2人でやろうと話していた作品なので、今回まとめてやれることには、特別な気持ちではあります。

右近 このタイミングで?という感じはあると思います。過去に自主公演に出てもらったとき、出演してもらうということは彼を巻き込んでしまうということなんだな、と感じた瞬間があったんですよ。その時に「乗りかかった船なんだから、浮かぼうが沈もうが、私はその船に乗っているんで、ついていきますよ」というようなことを言ってくれたのがすごく嬉しくて。声をかけるということには責任があります。彼との今後の役者仲間としての関係値を見据えた上でも、今回の公演をやろうと僕は思ったし、それは自分のための選択、経験ではあるんだけれども、それよりも前に、純粋に彼とやりたいものをやりたい。2人でやるということが、どう見えるのかとか理由とか、そういうことは全然気にしていないんです。パッと思いついて、やりたいという純粋な気持ちを優先して、それを最後まで一番大事にしています。

――今回の演目は、お2人が若い頃に歌舞伎の資料室でこもっていた頃に見つけた作品だそうですね。当時を振り返るとどのような想いを抱えていらっしゃいましたか。

種之助 資料室で何か見よう、という時は話を合わせていくことになっていったんですけど、そもそも僕らは偶然会うことが多かったんですよ。例えば、その月にやっているお芝居を勉強するとなったら、公演中のどのタイミングで観てもいいし、何なら観なくてもいいわけです。でも、同じ日に、同じ場所で観ることが多くて。当時はその偶然についてあまり考えなかったけど、運命みたいな感じですよね。

右近 当時は、やりたいことができないとかへの苛立ちもあって、真ん中に立ちたいのに目立てない、みたいなイライラがあったんです。そういう中でも楽しく過ごしたい、何か充実感を得たいという気持ちが、僕はすごく強かったんだと思うんですね。今振り返って、あの時間が楽しかったと思えるのは、やはり仲間の存在がとてつもなく大きいんです。当時すごくイライラしていたのに、振り返ったら楽しかったな、と。置かれた状況に違和感を覚えていると言うか、その状況を受け入れて、それをどう捉えて推進力にしていくかということに、すごく思いを注いでいましたね。

種之助 僕の場合は、単純に先輩たちの芝居が好きだったんですよね。亡くなられた先輩方もたくさんいらっしゃるんだけど、やっぱりあの方たちみたいな芝居を僕もしたい。僕がどうこうって言うよりも、先輩たちの芝居を観て感じたことを、お客さんにも同じように感じてもらいたいんです。そのためだけに役者をやっていて、そこは根本的に考え方が違っていたかもしれません。でも、違っているからこそ、同じ芝居を観ても、映画を一緒に観ても、後で意見交換することができて、その意見がまったく違うんですよ。重なる部分もありましたけど、その違うことが楽しかったんだろうな。

右近 そうかもしれないな。誕生日一緒なのに、血液型が違うみたいな…

種之助 (首をかしげつつ)こうやって、例えて話さないといられないんですよ(笑)

右近 首をかしげられるのをわかってても、言っちゃうんですよね(笑)。

――やりとりから、お2人の仲の良さが伝わってきます(笑)。「盲目の弟」については、その魅力をどのように感じていらっしゃいますか。

右近 「盲目の弟」を発見したのは、僕が先でした。それで、こんな作品があったよ、と共有したら、映像が残っている時代にも上演していたよ、ということを彼が発見したんです。僕としては曾祖父(六代目尾上菊五郎)に対する憧れがとても強くて、曾祖父が初演したもので、救いようがない話なんだけど、何とも言えないいい話だなと思っていたんです。その後、映像を見たときには、やはり役者に見入りました。種之助さんにとっては、演じていた役者が、自分の師匠にあたる中村吉右衛門(二代目)と白鸚のおじさん(二代目松本白鸚)という、ご兄弟で演じてらっしゃったのがとてもインパクトが強くて、思っていた話の筋を上回るような衝撃がありました。あのお2人でなければ絶対に出せない感じだよね、ということを当時よく話していたのを覚えています。さっきの種之助さんの話じゃないけど、先輩たちみたいに、という気持ちは僕もすごく考えるんです。でも観てもらうのはお客さまだし、自分自身で行かなければ、という気持ちもある。だから、今回は自分たちなりの「盲目の弟」でやりたいという想いはありますね。

種之助 最初はやっぱり、普段は英雄役者の吉右衛門のおじさんや白鸚のおじさんが、英雄からはかけ離れた姿で、庶民を描いていて、そのギャップに衝撃を受けました。ああいうお芝居を間近で拝見したことは無かったですし、こんなことも出来てしまうのか、というのが、この作品の入り口でした。「盲目の弟」をやらせていただくことが決まって、改めて見たときに、この芝居の深さを実感しました。お芝居を音だけで聴きながら歩いていたんですが、泣いてしまったんですよ。決していい話ではないのに、芸術として素晴らしいものとする、当時の皆さんのすごさを改めて感じたんです。見つけた当時は、いつかやれたらいいね、と話していましたが…もちろん本気でそう思っていたんですけど、やるにあたってはすごく大変な作品だと感じています。

――演じるにあたって、どのようなところが芝居の芯になりそうでしょうか。

右近 しっかり自分たちの世界に入ることは超重要だと思います。兄は弟に対して負い目というか、卑屈なまでの愛情を持っている人で、本当に弟だと思えるところまでいかないと。わかりやすい勧善懲悪やヒーローがいるような芝居ではないし、歌舞伎はそういうわかりやすさの中でエネルギーを放出していくところに美しさがある芸術的な演劇という側面はあると思っているんですけど、そういう畑に居ながらこういう話をやることは、自分自身に喧嘩を売っているようなところがあると思うんです。利き手と同じように、逆の手でもご飯が食べられるような…って、また例えてしまいましたけども(笑)、とにかく心が本気になるということに尽きるんじゃないかと。

種之助 僕自身、こういう作風の作品は経験がありません。そこはチャレンジな部分だと思いますけど、弟という役どころに関しては、結構これまでと一緒だな、と感じているところが無きにしも非ずで。準吉は、信じられるものが兄しかないんですね。そこに対する甘えや葛藤が、このお芝居の中の短い時間の中でも感じ取れるんです。そこをちゃんと演技として、自分自身になってしまわないように演じていきたいと思っています。

――それぞれ4役を演じ分けることになる「弥生の花浅草祭」についてはいかがでしょうか。

右近 とても華やかな作品ですよね。でも、全部男なんですよ。種之助さんの方は、男勝りな女方のお役が一つありますけど、ほぼ男寄り。歌舞伎には女方っていう手法があるので、男をやって、女をやって、っていう場合は明らかな違いがつけられるんですけど、今回はそうじゃない。それに、最初はゆったりですけど、かなりアップテンポが続くので、扮装が変わっただけでずっと同じに見えちゃう可能性もある。だからしっかりと役を深掘りしておかないといけないですね。

種之助 さっきと同じような話になってしまうんですけど、やっぱり先輩たちを見てやりたいと思った作品なので…いろんな先輩がやっているのを見て、すごいと思ってきた作品なので、後輩にも「先輩がすごかった」って思わせたいですよね。

右近 ある意味、その連鎖だもんね。

――お2人は同期、同級生という間柄ですが、お互いのことをどのように見ていらっしゃるのでしょうか。

種之助 僕は100%で尊敬していますよ。舞台の上でも、常にお役に対して深掘りして、勉強しているし、感情が豊かなタイプだからセンスでやっている感じがしますけど、実際は知識の人。話をしていても、なるほどな、と思うことが多いし、勉強になることが多いんです。同い年とはいえ、やっぱり尊敬で僕は成り立っています。

右近 そこは僕もまさしく尊敬ですよ。僕はもう、表に出たい、前に立ちたい、有名になりたい、っていう思考を持っているような承認欲求が強い人間です。だから、歌舞伎に対するアプローチの仕方は違うと思います。でも種之助さんの持っている愛情と憧れの力は、ものすごいパワーとエネルギーなんですよ。それは役者だけではなく、人として、人への接し方にも感じます。静かに見守るような接し方は、僕にはとてもできないですから。

種之助 そこはもう、お互いにそう思ってる(笑)。だから僕は仲良くなれる人が限られているんです。

右近 って言うけど、不思議なことにこの男のことを誰も嫌ってないですから。みんなに好かれているんです。

種之助 好かれよう、よりは、嫌われないようにしたいだけで…。

右近 いや、誰も嫌いじゃないんですよ。みんなが大好きなんです、この人のことを。やっぱり、自分にないところですよね。僕は勢いだけで行ってしまうところがあるけど、彼はそうじゃない。

種之助 でもその勢いあってこそだとも思うので、そのまま行ってほしいって思いますね。僕はこうだけどね、っていう感覚です。

右近 そこも同じ。若い頃は結構、そうじゃない方がいいんじゃないの?って、言ってたこともあったと思うんです。でも、それは違うんじゃないかと自分で思うようになりました。若いときは自信を獲得しようと思っていて、でも全然獲得できなくて、自信っていうものがあんまりアテにならないこともだんだんわかってくるんですよね。自分でいいと思っていることも、他から見れば良くないこともある。だから、それぞれでやっていって、僕はこのやり方でやっていくよ、というのがいいんじゃないかな。

――そんな2人がタッグを組むように上演される9回目の「研の會」、会見では10回で終了するとも発表されました。最後に、ラスト2となる今回の公演への意気込みをお聞かせください。

種之助 僕はもう、やると言いましたから。この2つの演目を言われて、正直嬉しくもありながら、こういうおんぶに抱っこの状態が悔しくもあるんです。それでも、僕はやると言いました。やってやろうと思います。そういう自分に、期待したいと思います。

右近 実は、ずっと悔しいって思ってほしいみたいな気持ちもあったんですよ。今、初めて自分にこういうことを言うんですから、この人は。本当に、いい奴だなって思います。愛してます。

種之助 いや、公演の見どころとかを…(笑)

右近 そうですね…人は約束を破る生き物なので、10回で終わるって言ってますけど、9回で終わってしまうかもしれません。思い切りやりますので、ぜひ、観に来てください。

取材・文/宮崎新之