海老蔵「父をはじめ先祖に感謝」 『市川會』三代襲名披露 製作発表会見 レポート

左から市川ぼたん、堀越麗禾、市川海老蔵、市川紅梅

日本舞踊市川流では、令和元年8/3(土)~8/12(月・休) 東京・Bunkamuraシアターコクーンにて、『市川會』を開催する。

本公演は市川流の三代襲名披露の記念公演。十二世 市川團十郎の妹で、現在市川流の総代を務める二代目 市川紅梅が初代 市川壽紅を、若手舞踊家として注目を集める十二世 市川團十郎の娘・三代目 市川ぼたんが四代目 市川翠扇を、また十一代目市川海老蔵の娘・堀越麗禾が四代目 市川ぼたんをそれぞれ襲名する。
更に市川海老蔵、そしてその息子・堀越勸玄も出演。演目は、長唄『寿式三番叟』、能楽 舞囃子『高砂』、『口上』、清元『玉兎』、長唄『羽根の禿』、長唄『京鹿子娘道成寺』を上演する。

5/12(日)、本公演の製作発表が行われた。この日登壇した市川海老蔵・市川紅梅・市川ぼたん・堀越麗禾のコメントをご紹介。【家元 市川海老蔵コメント】
私と倅の時は、三代襲名を行うことはできませんでしたが、叔母、妹、娘という三代で襲名が行えるということで、こんなめでたいことはないと思い、娘にも「四代目 市川ぼたんになりたいか。」と確認したところ、本人もなりたいとはっきりと口にしましたので、この日を迎えることとなりました。
自分自身の襲名も重責は重いのですが、叔母、妹、娘の襲名に参加ができることをとても嬉しく思います。
市川流はまだまだ大きな舞踊ではございませんが、シアターコクーンという立派な劇場で、舞踊の襲名披露公演で10日間も出来ることは、父をはじめ先祖に感謝しなければいけないなと思います。


【市川紅梅コメント】

初代 市川壽紅という名前を名乗らせていただくことになりました。
今後ともよろしくお願い致します。


【市川ぼたんコメント】

この度、兄の勧めと長年、市川流を支えてまいりました叔母の許しを頂戴いたしまして、市川翠扇の名を四代目として襲名させていただくこととなりました。まだまだ至らないこともございますが、一生懸命頑張りますのでよろしくお願い致します。
また、襲名披露として「京鹿子娘道成寺」に出演致します。大変な踊りであることは間違いございませんが、 最後には兄も出演していただけるとのことで、正直恥ずかしくもあり、重責もございますが、演じ切りたいと思います。


【堀越麗禾コメント】

皆様こんにちは、本日はお忙しい中、お集り頂きありがとうございます。
この度、堀越麗禾は市川ぼたんの名跡を四代目として相続いたします。
よろしくお願い致します。

 

■市川流とは

日本舞踊市川流は、歌舞伎舞踊の流派の一つ。江戸時代末期に活躍した七代目市川團十郎がその礎を作り、「紅葉狩」「鏡獅子」など多くの名作を残した九代目市川團十郎が磨き上げ、完成させた。
九代目團十郎の死後は、その長女・二代目市川翠扇が市川流二世家元を継承し、門下の育成に力を入れた。
そして、二代目翠扇が亡くなると、しばらくのあいだ、市川流家元は、その夫である五代目市川三升の預かりとなった。
その後、二代目翠扇の姪であり九代目團十郎の孫にあたる初代市川紅梅が、三代目市川翠扇を襲名し、三世家元を継承。
三世家元没後は、五代目市川三升(十代目市川團十郎)が市川宗家に迎えた十一代目市川團十郎の長男・十二代目市川團十郎が市川流を継いだが、家元は名乗らず、市川宗家として責を負った。その間、妹の二代目市川紅梅が総代として実務を補佐、流派の統率にあたっている。
十二代目團十郎の死後は、十一代目市川海老蔵が引き継ぐこととなった。