TBS 開局70 周年記念 赤坂大歌舞伎 オンライン製作発表会見 中村勘九郎・中村七之助インタビュー

昨年中止を余儀なくされた「赤坂大歌舞伎」が2021年11月11日(木)~11月26日(金)の開催を決定。TBS開局70周年記念として TBS赤坂ACTシアターにて上演される。劇場は年内から改修工事に入るため(舞台「ハリー・ポッター」の専用劇場として当面運営)、「赤坂大歌舞伎」が当劇場のいったんの節目を飾ることとなる。赤坂氷川神社で参拝後の中村勘九郎と中村七之助が揃って製作発表と取材会に応じた。「お参りさせていただくのも4年前の赤坂大歌舞伎以来。いよいよ始まるんだと気持ちを引き締める思い」と勘九郎、「微力ながら赤坂を盛り上げる一役を担えれば」と七之助。その声には喜びが満ちていた。

 

十八代目中村勘三郎の「芸能の街・赤坂で歌舞伎を!」という一言から2008年にスタートした「赤坂大歌舞伎」。歌舞伎は初めての人々にも親しみやすい演目で人気を博してきた。2013年からは中村勘九郎、中村七之助兄弟が亡き父の遺志を継ぎ、新作に挑戦するなど新しいファン層も獲得しながら進化。昨年5月に予定されていた6回目の上演が、新型コロナウイルスの感染拡大により流れてしまっただけに、仕切り直しのこのたびには力がこもっている。

演目は『廓噺(さとのうわさ)山名屋(やまなや)浦里(うらざと)』、『越後獅子(えちごじし)』、『宵赤坂俄廓景色(よいのあかさかにわかのさとげしき)』の3作。見どころを2人が紹介した。

 

●『廓噺山名屋浦里』

勘九郎「『廓噺山名屋浦里』は笑福亭鶴瓶さんの新作落語を歌舞伎にしたもので、2016年の八月納涼歌舞伎で初披露いたしました。前年の2015年に鶴瓶さんの落語を日本橋へ聞きに行ったんですよ。最初の2分で歌舞伎の大道具が見えました。落語を聞いて情景が浮かぶことはありますが、鶴瓶さんのこれは見える情景がすごかった。脳内に場面転換の様子がめぐり、浦里というキャラクターは七之助にぴったり。兄弟で絶対に歌舞伎にしたいと思いました。わたしのような若輩者がお願いするのも失礼と思いつつ、終演後の楽屋で直談判させていただきました。鶴瓶さんは快く受け入れてくださり、一年も経たないうちに実現です。ハートフルな作品で、歌舞伎バージョンは落語ともまた趣が違うので、落語を聞いて歌舞伎を見に来られる、逆に、わたしどもの芝居を見て落語に行かれる方など、さまざまな波及がありました。当時の忘れられない記憶は、千穐楽のカーテンコールです。ふだん歌舞伎にはカーテンコールがありません。浦里もそういう大団円の終わり方ではないんですが、拍手が鳴り止まなかったんですよね」

七之助「あれは本当にすごかったですね。ちょうど鶴瓶さんとタモリさんが見に来られ、お2人が歌舞伎座の舞台に上がってくださったんです」

勘九郎「なぜタモリさんかというと、そもそもの発端が、『ブラタモリ』で吉原を訪ねたタモリさんが地元の方から聞いて来られたお話を、『笑っていいとも!』の楽屋で鶴瓶さんに、この話を落語にしてくれ、とおっしゃったから誕生した落語だからです」

七之助「シンプルな物語で、あまり長くないので、見やすさがあると思います。人と人との繋がり、愛情が前面に出ており、浦里の役がとても素晴らしいんですよ。鶴瓶さんの落語にはない、浦里が自分のお国なまりで身の上話をする箇所が歌舞伎にはありまして、その台詞がとてもいいんです。小佐田定雄さんという落語の脚本家さんが歌舞伎の脚本も書いてくださいましたが、ああ、落語の方が書かれるとこんな風に情景が浮かぶのか、と驚くようでした」

●『越後獅子』

勘九郎「長男の勘太郎が赤坂大歌舞伎に初登場いたします。父(十八代目中村勘三郎)が残してくれた赤坂大歌舞伎、コクーン歌舞伎、平成中村座など、その空間に出てほしいと思いました。子ども心の記憶が大人になってどこまで覚えているかわかりませんが、劇場の空気を味わうのと味わわないのではぜんぜん違うので、体験させたい。勘太郎はいま10歳で、一人で踊るのは大変でしょう。絶賛お稽古中です。ちょうどいまの時間もやっているんじゃないかな。踊りの最後にさらしをふる箇所があり、体力的にも結構大変なので、しっかりお稽古をつけていただいています。わたし自身が演じたのは9歳だったかな。八月納涼歌舞伎で踊らせていただきました。歌舞伎座という大舞台に立ち、とても楽しかった思い出です」

●『宵赤坂俄廓景色』

七之助「まだ出来上がっておりませんが、「俄獅子(にわかじし)」という踊りをベースに、赤坂にある劇場の一区切りということで、いままでの恩返しではないですが、赤坂らしい華やかなフィナーレを飾ります。兄の次男の長三郎も登場し、勢ぞろいいたします。こんな風にしたらどうだろうというアイデアも出しているんですよ、通るかどうかわかりませんが」

勘九郎「振り付けはおばの中村梅彌です。赤坂のお祭りといえば、日本三大祭りの一つである山王祭ですから、その風情をぞんぶんに活かして鳶や芸者衆の方々も出られる、赤坂を象徴する舞台になるかと思います」

 

――質疑応答――

――赤坂という町への思いを聞かせてください。

勘九郎「本当に町ぐるみで応援してくださるんです。ポスターを快く貼ってくださり、終演後に赤坂の街に食事に出かけますと声をかけてくださいます。父がやっていたころも、終演後の食事や飲む場所には困らないと申して喜んでおりました」

七之助「赤坂大歌舞伎をやるようになって、赤坂の町がぐっと身近になりました。いつも見てくださる方はもちろん、思いがけず若い方々が声をかけてくださいます。ポスターを見てなんだろうとアンテナにピンと引っ掛かり、実際にいらしてくださり、初めて見たけれどおもしろかったですよと言ってくださる。声をかけていただく率が赤坂は高いですね。銀座を歩いていてもそんなにかからないのに(笑)」

 

――6年ぶりに上演する『廓噺山名屋浦里』の初演時の反応、人気のほどはいかがだったのでしょう?

勘九郎「感想で多かったのは、「七之助がきれい!」それを受けてわたしは、「でしょ!?」これに尽きます。落語を聞いたときから、このお話は美しさが大事だと思いました。歌舞伎座で上演したのは8月でしたので、最初の場面を夕涼みの絵にし、花火も出しました。今回は季節が違うので趣向を変えようと思っています。廓のラストシーンまで美を追求いたします」

七之助「わたしに届いた声は、女方の後輩たちが、ここぞととばかりに楽屋に押し寄せてきて、やりたい!やりたい!と。なぜかと申しますと、歌舞伎の女方は、前半一生懸命に死に物狂いで汗水垂らして演じるのに、死んで終わりとか、最終的に幕切れにいないとか。立役さんが出てきて見得をしておしまいで、さっきまでの女方のがんばりはなんだったの、どこに行っちゃったの、ということが多いのです。が、浦里に限っては、女方がメインです。いろんな色を見せながら最後まで舞台にいる。物語の初めで嫌なことをされた人たちへ見返しもできる。とってもきれいですし、得なんですよ。(尾上)松也なんかは、外に出るのが恥ずかしいくらいボロ泣きしたと言ってくれました。気丈な浦里も、ほんわかとした姿も、短い時間でアップダウンするところは見どころになります」

 

――赤坂大歌舞伎におけるお父さまとの思い出はありますか?

勘九郎「父が残してくれたさまざまな舞台、たとえばコクーン歌舞伎では現代劇の演出家さん(串田和美さん)でやったりしますが、赤坂大歌舞伎はそれらと違い、歌舞伎座と演出をほとんど変えずにやっております。なのに、わかりやすかった、親しみやすかった、赤坂だからセリフを現代風にしてくれたんでしょ? などの声がなぜか多いんです。いやいや、なにをおっしゃる、歌舞伎座と一緒ですよ。それだけ、赤坂の町が持つにぎやかさや、開放感といいますか、雰囲気には特別なものがあります」

七之助「父がまだ居りましたころ、玉三郎のおじさまが見にいらして、楽屋でお稽古をつけてくださったことがありました。そういうことはなかなかないことなんです。気づいたところを口だてでお稽古してくださったのですが、父も傍らにおりまして、とてもうれしかったです」

――勘太郎さん、長三郎さんへの期待を聞かせてください。

勘九郎「舞台に出演しなければ、出来ないものがあります。わたしどもは有難いことに、父のもとでいろんな作品に出していただき、経験を積み重ね、いまの自分があります。与えてもらう有難さがたくさんあったんですね。そして、与える側にならなければならなくなり、演目もしかり、芯に立つ経験も与えなければなりません。やらなきゃ、できないですから。やはり、そこなんです。結果を出すのか、出せないかは、本人たちの問題です」

七之助「わたし自身にも、毎年8月に大役をやらせてもらった思い出があります。色々なお役をやらせて頂いたのでそれはもう8月が楽しみでした。いまはコロナのせいで、勘太郎、長三郎だけでなく、若手が本当に機会を失っております。兄が言わなければ、勘太郎、長三郎を赤坂大歌舞伎に出す頭がわたしにはなかったのですが、ああ、そうか、と同意しました。もちろん稽古も大切です。しかし、お客様の前で披露する、たった一度の舞台でドンと役者の力量が上がる、ということもあります。8月の歌舞伎座では鶴松にも機会を与え、苦しみながらも勤めきったことで彼も変わったと思います。若手にどんどん機会を与えるのは、父のお弟子さんを思う心でしたので、受け継いでいきたいです」

 

――歌舞伎をいまに生きるエンターテインメントにするためにどのようなお考えを?

勘九郎「歌舞伎の財産、魅力のひとつは、優れた名作がたくさんあることです。綺羅星のごとくあった先人たちの努力や切磋琢磨により、いまの演出、いまの型が残り、受け継いだわたしたちが追及していく。やはりそこが一番の課題であり、歌舞伎の魅力です。そのうえで、どのような演目も、いま生きているわたしたちが、ちゃんと生きている芝居をしなければならない、と心がけております。自分自身が生き、生きた芝居をする。古典も、新作も、心は一緒です」

七之助「兄が言う通りでございます」

勘九郎「あなたね、それ、いつもずるいのよ(笑)」

七之助「いやいや本当にそうだから(笑)。素晴らしい古典をつまらなくするのも、おもしろくするのも、わたしたちです。新旧を問わず魂を込めてやる。かといって、いまっぽくするためにプロジェクションマッピングを使ったり、なにか新しいもので現代の芸能にするのは、絶対に違うと思います。人間ですから、江戸で起こった事件も、いま起こる事件も、同じことがたくさんあるんですよ。人間を見せることで、おのずと、古典であっても新しく見えるのではないかと思います」

勘九郎「現代に需要のある役者に、需要のある作品に、積極的にやって参ります。このたびの浦里に関して言いますと、生きている落語家さんの新作落語を歌舞伎にして上演する、それは、三遊亭圓朝さんの怪談噺の牡丹燈籠を歌舞伎にしたときもこんな感じだったのかな、と彷彿いたしました。生きている原作者、発案者、脚本家、生きている役者。これは強い。生きた作品になります。季節で違う着物、着方、そうした細かな点も徹底してやる。キセルの持ち方ひとつをとっても、キセルのどこを持ったかで、その人物がどれくらいの労働をしたかがわかるよう、書物をひも解きながらきちんと追及する。皆で話し合うカンパニーでありたいですね」

――最後にメッセージをお願いいたします。

勘九郎「じゃ、あなたから(笑)」

七之助「はい(笑)。これまでお話してきたとおり、赤坂大歌舞伎は、なぜか、わかりやすいとの評判でございます。もうなにも考えずにお席に座ってくだされば大丈夫です。わたしたちもお客様の反応をダイレクトに感じさせていただきます」

勘九郎「弟の言う通り、ここまでのお客様の盛り上がりを、役者が舞台上で受け取れることはめったにないものです。どうぞ、耳の解放、心の解放をなさってください」

七之助「赤坂大歌舞伎で3作やるのは初めてだよね」

勘九郎「初めてだね。休憩時間も少なくなるよう組み立てましたので、ぜんぶで2時間ちょっとというコンパクトさも、見ていただきやすい点です」

七之助「劇場でお待ちしております!」

 

取材・文/丸古玲子