市川海老蔵改め、十三代目市川團十郎白猿の襲名披露巡業が全国18カ所23公演にて開催される。襲名から約2年、これまで35か所44公演を行ってきたが、今回の興行が最後の襲名披露巡業となるもの。襲名披露を寿ぐ舞踊『祝成田櫓賑(いわうなりたしばいのにぎわい)』、来場のみなさまへのご挨拶となる『口上(こうじょう)』、そして河竹黙阿弥の名作『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』からの一幕『河内山(こうちやま)』を上演する。
巡業に先立ち、團十郎による取材会が開催され、意気込みや歌舞伎にかける想いなどが語られた。
――今回の巡業が、最後の襲名披露巡業となります。今のご心境をお聞かせください
地方で歌舞伎をやることの大切さは、若い時より諸先輩方からもお話しをお伺いしておりました。ここ10年ほど、旅巡業公演を重視してきましたし、この2年は團十郎襲名披露巡業公演で『勧進帳』『毛抜』を開催してまいりました。今回は『河内山』をご覧いただくことになります。こちらは歌舞伎十八番ではないのですが、好きなお芝居です。この巡業で襲名披露巡業を終えることになりますから、ようやくホッとできますね。
――2年にもおよんだ襲名巡業でしたが、全国を巡る中でお気持ちの変化などはありましたか
歌舞伎と向き合う時間が、海老蔵時代よりもより深くなりました。今は、自分自身の欲として歌舞伎をもっと楽しみたいですね。その上で、それがお客様方にも伝わるように、古典も新作もやっていきたいです。そうしたい、というよりも、やらなければならないという心境になりました。それが運命であり、父に教わったことを次の世代に渡すという責務。それを強く感じています。その責務を果たすために、自分自身が楽しみ、それがお客様に伝わって、次代の人間たちが「ああいう風になりたい」と思ってもらえるような形が、結果として良いのではないかという心境になりました。
――今回上演される『河内山』はどのような演目なのでしょうか
質屋のお嬢さんが奉公に行ったところ、お殿様に気に入られてしまって、女性としては逃げられなくなってしまいます。そこに、御数寄屋坊主の河内山が高僧に扮して乗り込んでいきます。とどのつまりは、扮していることが見つかってしまいますが、「それがどうしたんだ」と、見つかっても怯むことはなく、逆に凄んでいきます。最後にはとても分かりやすい展開になっていて、襲名披露巡業で演じれることをとても嬉しく思っています。
――團十郎さんが扮する数寄屋坊主・河内山宗俊はどんな人物ですか
今の時代ならば、コンプライアンス的に存在できないような人物ですね。歌舞伎にはそういう役柄も非常に多いのです。河内山は、ただの御数寄屋坊主。ですが、ちょっと曰く付きを感じるような危険な人物です。ただの坊主なのに、200両という大金を吹っかけて依頼を受け、引き受けるだけで100両を受け取り、成功すればもう100両と要求しているので、例え失敗したとしても勝つことが確定なんですよ。高僧に扮していることがバレても、うまく切り返して勝つところが、実に爽快な演劇だと思いますね。
――巡業で全国をまわりながらも、お子さまとの時間も大切にされているかと思いますが、いかがですか
ぼたんはもう、思考がだいぶ大人になりまして、自分は歌舞伎ができないことがわかっています。だからと言って、果たして本当に出来ないのかどうかは、最近はいろんな事例もございますし、九代目市川團十郎はそういうものを打破しようという考え方もありました。私の家にはそういう考え方も元々あったわけなので、諦めて欲しくないというところはありますが、不確定要素の大きいものなので、責任をもってこれをやりなさいと言ってあげられるほど、私も無責任ではありません。彼女のやりたいことを学業以外でもちゃんと選択できるような環境を、ここ2~3年で作って、歌舞伎の興行に出演できるときは出演する。その心構えは一応、話します。実は今日も、オーディションを受けているところです。團十郎の家ということで、もちろん他の方よりアドバンテージはあるんでしょうけれども、そういうことよりも彼女自身の足で歩いていくことを彼女自身が選択しましたから。必要とされる人物になりたいと、彼女は進みだしました。
倅(市川新之助)のほうは、歌舞伎というものがまだわかっていないと思いますね。それでもやはり、『毛抜』や『外郎売』などの様々な大役を経験して、期待以上の成果を出したと客観的には思っています。そこからさらに、歌舞伎と言うものをわかってほしい。今日の朝も5時半から稽古をしましたが、歌舞伎の基礎的な動きでも難しいものなんですね。お酒を飲んで千鳥足になるというフリがあるのですが、当然彼はお酒を飲んだことが無いし、千鳥足もよくわかっていない。それを説明しながら40分くらいずっと同じ練習をしていました。やれることを、着々とやろうという話をしていますね。今は便利な時代で、カメラで撮影すればすぐに再生してシミュレーションできます。自分がいかにダメなのかと大爆笑しまして、非常にのどかな朝でした。
――襲名披露巡業と歌舞伎座などでの興行とで、何か違いは感じていらっしゃいますか
襲名披露巡業というものは、楽しめるものではありません。責務の大きさが第一にありまして、そこで楽しむ、楽しまないは別のお話なんですね。ただ、襲名披露巡業をやっている2年間の間にも、普通の興行が混じってきます。これがまた不思議なお話なのですが、歌舞伎座の團菊祭ですとか、新橋演舞場での子どもたちとの興行ですとか、来月には「星合世十三團」もございます。そういうものが混じってくることによって、襲名披露の巡業中ではあるのですが、普段の興行に戻ったときに解放感を感じられます。非常にレアなケースで、襲名中にしか起こらないことです。解放されているからと言って、手抜きをしているわけではもちろんないですが、解放されているからこそ芸事の楽しさ、深みなどを感じやすくなっているのではないかと思います。
それに、歌舞伎というものをもう少し分かりやすく、多くの方々に知っていただくことも私の一つの役目。もしかしたら、歌舞伎座のお客さまの中にはそれを良しとしない方もいらっしゃるかもしれません。ただ、歌舞伎座に来てくださるコアなお客さま方もいつかは減少していくことになりますから、どこかで新しい方々にも楽しんでいただけるような歌舞伎づくりをしていかなければならない。それは責任だと考えています。そういうことを考えていると、本興行の稽古をしていても見えている景色が変わってくる。襲名興行中に本興行がある時は、そういう変化が訪れるときですね。
――巡業に来てくださるお客様の印象と、お客様に届けたい想いをお聞かせください
東京の歌舞伎座のお客さまは、歌舞伎がお好きで、歌舞伎鑑賞を趣味にしていらっしゃって、どこか社交場的な要素があると感じています。今の言葉で言うと”推し活”と言うんでしょうか、そういうところが中心でございます。それもあって、歌舞伎座の客層は多様性のある客席になっているというのが現実です。しかしながら旅巡業となりますと、その地域では短期間の興行になりまして、歌舞伎が見たいというよりも、海老蔵が見たい、團十郎が見てみたいという、この人を見たいというお気持ちのお客さまが多いと思います。それで見ていただいた結果、歌舞伎って楽しかったねと思っていただけるように勤めてきました。とにかく全力で力を抜くことなくやり切ることに価値があると考えて、10年間やってまいりました。その思いが、今回の巡業でも実ればいいなと思っております。
インタビュー・文・撮影/宮崎新之