舞台『Too Young』|宮崎秋人・古川健・日澤雄介インタビュー

宮崎秋人

舞台『Too Young』が11月13日(木)より、東京・紀伊國屋ホールにて上演される。

本作は、ワタナベエンターテインメントが演劇の可能性を拡げるために立ち上げた実験的プロジェクト・Diverse Theaterの第2弾。主演に宮崎秋人、脚本に劇団チョコレートケーキの古川健、演出に同じく劇団チョコレートケーキの日澤雄介を配し、“トー横キッズ”を題材に、この時代が抱える孤独と生きづらさを炙り出していく。

なぜ少年少女は、新宿歌舞伎町に集うのか。三人に“トー横キッズ”に思うことを語ってもらった。

宮崎さんとまたご一緒できることが一番の楽しみでした

――お三方は2022年に上演された舞台『アルキメデスの大戦』でタッグを組んでいました。そのときの思い出をまずは振り返っていただけますか。

古川 宮崎さんに演じていただいたのが、主人公の相棒役。そんな役柄にぴったりの、舞台をしっかり支えてくれる俳優さんだなという印象を持ちまして、そのときからまたご一緒したいなと思っていました。

日澤 『アルキメデスの大戦』が会議中心の、動きが少ないお芝居だったんですよね。その中で演劇ならではのグルーヴ感を出していくには遊びのシーンを入れる必要があって、そこを担っていただいたのが宮崎さんでした。

宮崎 最初はこの感じで大丈夫なのかってちょっと不安でした(笑)。原作があって、映画化もされていて、すごく硬質な作品なのに、僕、わりとふざけてるけどいいのかなって。

日澤 舞台上で遊ぶって、そう簡単にできるものではないんですよ。役のキャラクターもあるし、他の登場人物との関係性もある。でも、宮崎さんはその制限の中にちゃんと自分の感覚を持ち込んで遊んでいた。だから、つい僕からもどんどんオーダーをしちゃった記憶があります(笑)。

宮崎 たとえば、ある人がしゃべってる横で自由に遊んでと言われても、役者としてはちゃんと台詞を話している人を立たせたほうがいいんじゃないかなとか考えるじゃないですか。

日澤 一幕のラストとかね。あそこはちょっと宮崎さんが持っていきすぎたかもしれないけど、まあでも楽しかったからね(笑)。

宮崎 楽しかったです。出すぎたら日澤さんが引っ込めてくれるだろうと思って、もう途中からは自由にのびのびやっていました。本来、自由って役者にとってはいちばん怖いことなんですよ。でも不思議と日澤さんの現場は怖くなかった。あれは自分にとっても珍しい感覚でしたし、今までに会ったことのないタイプの演出家さんだなと。

古川 台本を書いていた頃は、宮崎さんの演じた田中正二郎はもっとかっちりしたイメージだったんですよ。でも、宮崎さんは稽古を重ねるごとに、僕の考えた人物像をどんどん塗り替えていった。やっぱり作家が頭の中で考えるものには限界がある。むしろそうやって自分の想像を飛び越えていく姿を見させてもらうことは、作家冥利に尽きる嬉しさがありましたね。

――そんな三人が今回またタッグを組むことになったのは、どういう経緯があったのでしょうか。

宮崎 まず僕が今回のプロデューサーから「秋人を主演に舞台をつくりたい」とお話をいただいて。誰と組みたいか聞かれたので、お二人の名前を挙げたんです。そしたら本当に受けていただけることになって、僕としては「マジでやってくれるんですか」と信じられない気持ちでした。

日澤 むしろ僕たちとしては、宮崎さんとまたご一緒できることが一番の楽しみでした。ワタナベさんが日頃から精力的に舞台を制作していらっしゃるのは存じ上げていたんですけど、カラーも違うし、正直呼ばれるわけはないと思っていたんです(笑)。だから、声をかけていただいたこともうれしかったですけど、それ以上に宮崎さんが主演と聞いて、ならぜひやらせていただきたいと。

古川 もうまったく同じ気持ちですね。

古川健

“トー横キッズ”を大人たちが変な生き物として見ていることが怖い

――“トー横キッズ”という題材は、どういう流れで決まったんでしょうか。

古川 プロデューサーのみなさんからいくつかご提案いただいて。その中でいちばんピンと来たのが、“トー横キッズ”でした。というのも、自分発信では絶対に出てこない題材だなと。せっかくなら、自分がやりそうなものより、自分からは絶対に出てこないものをやったほうがいいんじゃないかと思って挑戦することにしました。

――“トー横キッズ”について、どれくらい関心をお持ちでしたか。

日澤 正直、世代的にも離れていますし、自分とは違う世界という印象でした。風邪薬を大量に飲んでオーバードーズするというのも話としては聞いていましたけど、実感はなくて。ただ、以前、新宿の薬局で風邪薬を買おうとしたら、濫用の恐れがないかチェックシートの記入を求められたんですよ。ああ、テレビやネットで見たことが実際に起きているんだなと初めて実感した。今回、“トー横キッズ”を題材にすると聞いたとき、その感覚を思い出して一気に興味が湧きました。

宮崎 僕も最初にニュースで見たときは、どうしてトー横に集まるのか理由がよくわからなかったんですよ。変な話、渋谷のハチ公前でもいいし池袋の西口広場でもいい。なのに、トー横なのはなぜなんだろうって。で、この話が決まってからいろいろ調べたら、新宿という街の特性がわかってきて合点がいくものがありました。

古川 実際に現地に行ってみると、子どもだけじゃなく、いろんな人が集まっているんですよね。外国人観光客もいれば、コンカフェの客引きもいて、年齢不詳の人たちがお酒を飲みながら輪になっていたり、警察がいたり、華やかでありながら、カオスでもある。この混沌とした感じが、この場所の魅力なんだろうなと。

宮崎 僕は知れば知っていくほど怖さを感じました。子どもたちが勝手にあそこに集まっているわけではないじゃないですか。みんな何かしらあの場所に行くしかない理由がある。それを社会が突き放しているというか、大人たちが鼻で笑って見ていることが、なんだか怖いなって。

古川 先進国にこそ心の貧しさがある、というようなことをマザーテレサが言っていて。まさにその貧しさが行き着いた形の一つが“トー横キッズ”なのかなという気がしました。ただ、若者文化というのは得てしてそういうものでもあるんですよね。学生運動やタケノコ族、僕らの時代で言えばチーマーといったふうに、文化の一形態としてそれらは存在し続けた。それが今は“トー横キッズ”として表層化していて、その根っこには子どもたちの抱える心の問題があり、犯罪や生き死ににもつながっている。そこをどう捉えていくかが、今回の創作の鍵なんだと考えています。

日澤 今、こんなにも“トー横キッズ”が社会問題化しているのは、犯罪の温床になっているからというのも当然ありますけど、メディアがつくり上げた印象というのも大きい気がするんですね。僕は、トー横に集まる子どもたちに対して、実は普通の子なんじゃないかなという印象を持っていて。“トー横キッズ”という括りを外してみたらどうなるんだろうって、まだ稽古に入る前というのもありますが、そんなことを考えたりしています。

日澤雄介

卒業式の後に卒業証書と制服を捨てて帰りました(笑)

――古川さんのおっしゃる通り、学校や家庭に居場所を見出せない子どもたちというのは、いつの時代も普遍的に存在していると思います。ご自身の10代を振り返って、孤独を感じたり、社会を拒絶していた時期というのはありましたか。

日澤 僕はあんまり人付き合いがうまいほうじゃなかったんですよ。決して暗かったわけではないんですけどね。小中とサッカー部だったし。部活の中の何人かとは喋れたし、今でも友達付き合いは続いていますけど、クラスの中では極力話さなかった。考え方が幼くて不器用だったのもあって、コミュニケーションはかなり下手でした。

古川 僕は両親が教員という家庭で育ったのもあって、真面目でいなきゃという自分の縛りが強くて。その反発が強かったのが高校時代。決して何かわかりやすい行動に出るわけではなくて。むしろそうやって行動に出せたら発散もできたんでしょうけど、それができなくてずっと悶々としていた。やっぱりあの時期って自意識が強いから。今なら誰もお前のことなんか見ちゃいねえよと言えるんですけど、すごく息苦しかったのを覚えています。

宮崎 僕は……なんの辛さもなかったですね(笑)。

日澤 いいことだよ(笑)。

宮崎 勉強はできる方だし、友達も多いし、先生からは好かれてるし(笑)。

日澤 最高だね。

宮崎 暇さえあればバイトしてました。

日澤 やっぱり家庭環境ってあるのかな。うちは両親が僕のことをすごく大切に育ててくれたんですよ。何かあっても逃げ場として家があった。もしかしたら自立しなきゃいけないときに、ちゃんと自立しきれなかったのかなって。

――では最後に、みなさんのToo Young(あの頃の自分は若かったな〜)なエピソードを教えてください。

古川 僕は高校時代の鬱屈した気持ちをパンクに求めて、ものすごくパンクにハマっていました。で、何に縛り付けられていたわけでもないのに、卒業式の後、卒業証書を破り捨て、制服をゴミ箱に捨てて帰りました(笑)。

日澤 結構昔からの付き合いなんで、その話を聞いたときは「コイツ、マジなんなんだよ」と思いました。やっぱり破壊力あるね、The高校生って感じで(笑)。

宮崎 僕は中学のときにバスケ部だったんですが、コートに立ったときの目がチームメイトから見てもすごく怖かったらしくて。引退のときに、副キャプテンから「お前にはバスケを続けてほしくない」と言われて(笑)。で、「わかった」って言って、二人で一緒にバッシュを燃やしました(笑)。

日澤 いいなあ、そういう若気の至り。ないんですよ、僕は、そういうのが。優しく育てられたから(笑)。反抗期がなかったというか、反抗するという種すら植わらなかった。ただ、22(歳)ぐらいのときに猫を拾って、飼いたいって親に頼んだらダメだって言われて。そのときは悔しくて部屋の壁に穴を開けました(笑)。あれが僕の初反抗期です。

宮崎 22で初ですか(笑)。

日澤 かなり牙を抜かれていたんだろうね。よく若いうちに遊んでおかないと、年をとってから変なものにハマって痛い目を見るって言うじゃない? 完全にあれです。だから若気の至りは若いうちにやっておいたほうがいいんですよ。

宮崎 そのほうが健全ですよね。

日澤 ああいうことがあったなって後から恥ずかしく思うような経験を重ねて、人は大人になっていく。それでいいんだと思います。

取材・文/横川良明