【連載】第11回「ボクには下校のチャイムが聞こえない」

2018.10.17

「ゴジゲン」の目次立樹(メツギリッキ)です。
やってきました「ボクには下校のチャイムが聞こえない」!!
前回は本折最強さとしと善雄善雄(よしおぜんゆう)と、「好きな顔」について語りました。
今回はいよいよ作品の核心部分、「愛」についてのお話です。

今季最終回!!
でもさよならなんて言わせないぜ!
なかなか下校できない大人たちに贈る、甘酸っぱくない、むしろ饐(す)えたテイストのコラム、スタートです!!

 

最終回にどんな話題がふさわしいのか?
やはり「愛」について他語る必要はないと思われる。
もうすでに十分すぎるほど愛は巷にあふれており、語り尽くされたテーマかもしれない。
コンビニでも買えると草野マサムネさんも言っていた。
それでも最終回っぽく書くから!いいこと書くから!どうか読んで欲しい。

 

今回の稽古の初日、10月1日のことだ。
ゴジゲンの6人のアラサー男子たちは、臆面もなく各々の「愛」について語り合った。
ゴジゲンの作品の作り方はいつもこうだ。
初日から脚本があることなんてほぼない。
まずテーマについてメンバー同士ディスカッションして土台を固めていく。
そこからシチュエーションを松居が考えてきて、即興でそれを演じて、脚本へとおとしこんでいく。
その日のディスカッションも実りのあるものだった。
松居は、今まで愛と呼べるものに辿り着いた女性がいたかどうか、
最強は、愛って何だろう?「好き」と「愛してる」はどう違うのか?
目次は、愛は許して許してとことん許して、最後にその愛すら手放すことなのではないか?
東迎は、愛する人の愛する人(親や兄弟など)まで愛することの難しさについて。
ただ、現実を斜めに見がちな奥村は、ツッコミを入れたくて入れたくて左手がアシタカの呪われた腕のようにうずいて、それを抑えるのに必死だった。

その話し合いの中で、善雄の口から「時間」というワードが飛び出した。
時間が「愛」を語るうえで欠かせない要素だと。
善雄はそれを「星の王子さま」の有名なバラのエピソードを例に説明した。
王子が住む星には、たった1輪バラの花が咲いていた。
王子はそのバラを好きだった。
甲斐甲斐しくお世話をして、寒い夜にはガラスのおおいを被せてあげた。
しかしバラは日ごと傲慢になっていった。
とうとう王子はバラのことが嫌いになってしまい、自分の星を去ることにした。
地球に辿り着いた王子はバラ園に辿り着く。
そこにはたくさんのバラがいた。
王子は失望した。
バラはこの世に1輪しかいないと思っていたのに、こんなにもたくさん存在していただなんて。
その後、王子はキツネとの出会いで、自分の星にいたバラはかけがえのない存在だったことに気づく。
バラ園のバラと自分の星のバラ、ふたつの決定的な違いは、費やした「時間」であると。
バラ園のバラたちはどれも一様に美しい。
しかし、どのバラたちとも自分は「絆」を育んでいない。
毎日水をあげ、ガラスのおおいをかけたのは、自分の星にいるバラだけだ。

 

本当の「愛」は、相手に費やした「時間」によって育まれるのだ。

つまり、「運命の人」をまだかまだかと待つのではなく、今、目の前にいる人との時間を大切に紡いでいくことで、その人を「運命の人」にしていくことが大切なのではないか!?

 

みんな押し黙った。
さすが世代を超えて世界中で読み継がれる名著は説得力が違う。
前回で「運命の人理論」を唱え、ああだこうだ言ってた目次もこれにはうなづくほかなかった。
僕らは、善雄という男を決してあなどっていたわけではない。
いやほんとに。
あなどっていたわけではないのだが、この時ばかりは彼の横顔が伊勢谷友介よりもカッコよく見えた。

そして夜は更けゆく。
6人のおじさんたちは「愛」について、そして「恋」について、果ては「星の王子さま」について熱く語り合った。

この夜から約一か月半、この作品がどんなものになったのか。
ご覧いただいた方は、この話し合いがそれぞれのキャラクター設定に反映されていることに気づかれた方がいらっしゃるかもしれない。
まだご覧になっていない方は、ぜひ劇場で、発売されるDVDで確かめていただきたい。
そして、北九州公演始まります。
もしご友人、お知り合いの方が近くにいらっしゃいましたらお声がけしていただけると大変うれしいです。

 

今回で最終回でしたが、今年のボクチャイはいかがでしたでしょうか?
短い間でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
またお会いできる日まで!
そしてぜひ劇場でお会いできることを切に願っております!
この胸いっぱいの愛をこめて。