中村雅俊芸能生活50周年記念公演|中村雅俊・久本雅美・田中美佐子 インタビュー

俳優、歌手として活躍し続ける中村雅俊の芸能生活50周年記念舞台が、2024年6月に明治座で上演される。明治座「中村雅俊芸能生活50周年記念公演」は、昭和歌謡音楽劇とコンサートの二本立て。上演に向け、中村雅俊、久本雅美、田中美佐子の3人に話を伺った。

――共演に対する思い、楽しみなことを教えてください

中村 過去に共演経験がある方も多いんです。美佐子ちゃんは1991年、92年にフジテレビのドラマで共演しました。夫婦役、その次は亡き妻とその双子の妹役。結構共演していて。

久本 でも舞台は初めてでしょ?

中村 初めて。でも人となりは知っているので覚悟してきています。

一同 (笑)。

中村 知っている人と、初めてに近い人と一緒にお芝居をする。どんな化学反応があるのかすごく楽しみにしています。

田中 (中村と)ドラマで共演させていただいてよく知っていますが、舞台は初めてですし、雅美さんも初めて。皆さんとの繋がりといえば明治座。明治座のことは皆さん知っていて、それぞれが集まった感じなので、どんなものが生まれるのか。実力派の皆さんのお芝居を近くで見られるのも楽しみです。

久本 コロッケさん以外は皆さん初めて舞台でご一緒します。どんなセッションや化学反応があるかとっても楽しみです。バラエティではお会いしていて人柄はわかるので、居心地は良いですね。舞台の上での共演に関してはみんな「いいものを作ろう」、「雅俊さんを盛り上げよう」という思いがある。それぞれの良さが出て、お客さんに喜んでいただけたら最高だと思っています。

――中村さんにこの50年を振り返ってみての印象をお伺いしたいです

中村 振り返ると短く感じるのが常ですし、時間の塊でしかない部分もありますね。でも、あるところにフィーチャーすると思い出がどんどん出てきます。大学卒業してすぐに放送されたデビュー作の『われら青春!』の初回放送時には自宅にテレビがなかったので、近所のトンカツ屋で見て「やっぱりテレビがないとダメだ」と気付いたり(笑)。デビューから10年くらいは同じプロデューサーのドラマに出演していたのですが、プロデューサーも脚本家も監督もずっと一緒だったから温室育ちみたいな感じで、環境に甘えてて遅刻ばっかりしてたこととか。

一同 (笑)。

中村 デビュー当時は50年先どころか1年先も考えたことがなかったですね。それが50年経ったと思うと感慨深いです。

――振り返って、転機になったことはありますか?

中村 意識として変わったのは『俺たちの旅』ですね。大学在学中に文学座に研究生として入り、そのままテレビドラマの主演デビューが決まりました。学校の先生役や松田優作さんと二人で刑事ドラマをやってた頃は学生気分みたいなところがありましたが、この作品をやった時に「こんな考えでやってちゃダメだ」となったんです。

久本 デビューして何年目ですか?

中村 3年目。「この世界でやっていくんだぞ」と思ったんだよね。

田中 いきなりスターになったもんね。

中村 デビューが主役だったのと、先生役は必ず歌を出すと決まっていたので出したらオリコンで一位になっちゃって。

久本 どの曲ですか?

田中 「ふれあい」ですよね。本当にテレビに出た次の日にスターになった人だから。

久本 そこからなんで3年後に「このままじゃいけない」と思ったんですか?

中村 よく松田さんにも言われていたけど、「役者は歌なんか歌うもんじゃない」と。

田中 全然違うタイプだもんね。

中村 そのくせ自分も出すんだけど(笑)。文学座の1年先輩でマネージャーも一緒だったんだよね。松田さんの言葉もあったし、『俺たちの旅』が思いの外ヒットした時に、「甘えた学生気分じゃダメだ」と思って。あの作品は俺もプロデューサーも試行錯誤で。大学生を主役に、わかりやすいドラマを作るための苦肉の策が詩だったの。

久本 あれ、ノートに書き写してた!名言ですよ。

中村 「こういうドラマでしたよ」を捕捉するための詩。あの作品との出会いで……。

久本 でも待って、そこで「これじゃいけない」と思いながら10年間遅刻してたんでしょ?

田中 10年以上ですよ!芸能界って絶対に遅刻しちゃいけないのに、周りも許しちゃうんだよね。

久本 人柄がいいからかなぁ。

中村 時代もあったかもね。

田中 それから私、遅刻って全部許せるようになった。

久本 馬鹿野郎(笑)!

中村 デビューした頃はすごい数の作品に出ていたんだよね。1つのドラマが終わるかなという頃に違う作品にも取り掛かっているのが常で。

久本 アイドルでしたもんね。芸能雑誌にもポスターとか独占インタビューがたくさん載っていたし、見てましたもん。

中村 働き詰めではあったよね。あと、歌を歌うことになって、あれは随分人生を変えたと思う。役者でデビューしたから歌う予定はなかったんだけど。歴代の先生役、俺の前の村野武範さんとか竜雷太さんとかみんな歌っていたから歌うことになり、「ふれあい」が売れたのでライブをすることになって。

田中 結果論ですけど、歌は合ってましたよね。

久本 小さい頃からやってたんですか?

中村 高校の時からね。大学の時に曲を作るのが好きで、80曲くらい作った。

久本 すごい!それを自分のライブで活かしたりもしてるんですか?

中村 「ふれあい」が売れたのでアルバムを出したんだけど、2枚目は俺が大学時代に作った曲だけで作ったアルバム。2024年5月29日に50周年記念の4枚組のアルバムが出るんだけど・・・。

田中 明治座で売るんだな(笑)。

久本 絶対売るね(笑)。

中村 そのうち2枚はファンの方が選ぶベスト30で、残り2枚は全部俺が作った曲になってます。

――今回は宮城の震災をテーマにしていますが、作品に込めた想いは

中村 表面的には喜劇っぽく思う方も多いと思いますが、根底にあるのは震災、そこから復興した街や人々のたくましい戦いを表現しています。表は明るいけど裏にしっかりテーマがある。スタッフ・クリエイター陣が俺の故郷の女川を思わせる物を作ってくれて。色々な要素が集まって、最終的に役と自分が一致するようなものになるのかなと。

――演じる役との共通点、似ている部分はありますか?

田中 私はまだ稽古をしていないんですが、普段の中村さんをよく知ってます。共演した時も仲が良かったし、なんでも言い合える関係なので楽しかった思い出しかないですね。今回の役は雅俊さんとの場面が多いので仲が良くないと軸ができない気もしています。めいっぱい仲の良さを見せて、お客さんがにっこり笑ってくれたらいいなと思っています。

久本 秘めた思いがあり、引きずりながらも、震災の被害を受けた彼をなんとか助けたいという乙女心を持って地元に戻ってくる役です。看板娘としてお役に立ちたいというのがあるので、元気さと秘めた想いのギャップを出せたらいいのかなと思っています。元気がありつつ乙女心があるのは自分と似ているのかなと。看板娘ということで、サービス精神を持って皆さんを盛り上げるというところも、自分なりに+αしていきたいです。

撮影・インタビュー・文/吉田 沙奈