『STAGE CREATOR’s FILE』vol.2│音楽監督 落合崇史 インタビュー

一つの舞台が完成するまでには、様々なセクションの“プロ”が携わっている。この連載企画では、舞台を裏側から支え、第一線で活躍しているクリエイターの方々にロングインタビューを敢行。ご自身のヒストリーや創作のエピソード、仕事観などを伺い、作り手側の素顔に迫る。

第二回目に登場いただくのは、ミュージカル『スリル・ミー』をはじめとする数々の舞台作品で音楽監督や奏者を務める、落合崇史。幼少期の音楽との出会いから学生時代のエピソード、音楽監督の仕事について、そして現在の多岐に渡る音楽活動等、様々な角度から話を聞いた。

お向かいの音楽教室との運命的な出会い

――落合さんの音楽的なルーツ、音楽との出会いについて教えてください

親の話によると、幼少期におもちゃのピアノを気に入ってよく遊んでいたそうです。ちょうどその頃、向かいの家のお嬢さんが音大を卒業して地元に帰って来られて、ご自宅で音楽教室を始められたんですね。僕に習い事をさせるのにちょうどいい年齢だと両親が思ったみたいで、「これもご縁だし、やってみる?」といった感じで、その音楽教室に通い始めることになって。それが自分にとって最初の“音楽との出会い”ですね。

――たまたまお向かいのお家で音楽教室が始まって、というのも運命的な出会いですね

振り返ると本当にそう思いますね。その先生にはピアノを習っていたのですが、元々声楽が専門の方で、とても明るくて穏やかな先生だったことも大きかったです。一般的にピアノの先生って怖くて厳しいイメージがあると思うのですが、その先生は「好きな曲を弾きましょう。次は『魔女の宅急便』の曲でもやってみようか」みたいな感じだったので、高校を卒業するまでずっと楽しみながらその教室に通っていました。今思えば、好きな曲を思いのまま弾ける環境だったのがピアノを続けられた要因だったと思いますし、その経験が今の活動の原点にもなっていると感じます。

――ちなみに、当時はどんな曲を好んで弾かれていたのですか?

流行った曲は何でも弾いてました。J-POPであったり、CMで流れるクラシックの有名な曲であったり。あと、“ロンバケ”が流行ったときは、ドラマで使われる曲を弾いていましたね。木村拓哉さん演じるピアニストがかっこよくて、「自分に憑依しないかな」って思いながら(笑)。あとは、テレビゲームが大好きだったので、「ファイナルファンタジー」や「ドラゴンクエスト」の曲とか。当時は今みたいに譜面が流通していなかったので、耳コピして弾いたりしていました。

――学校生活でも、小・中学校と吹奏楽部に入って音楽活動をされていたそうですね

小学校の頃はチューバ、中学校ではファゴットといった管楽器を担当していました。僕が通っていた学校はコンクールで賞を獲るような強豪校で、運動部なみにハードで厳しかっので、かなり鍛えられたところがありましたね。高校も吹奏楽部が盛んな学校に入ったのですが、中学生までは部活で土日も休めないという生活だったので、その反動なのか、もう少し自由な生活を送りたいと思って、結局部活には入らず、高校時代はわりと自由に過ごしていました(笑)。「やっぱり自分はピアノが得意なのかもしれない」と自覚したのがちょうどその時期で、ピアノのコンクールとかに出てみようと思ったのもその頃でした。

音楽の専門学校卒業後、芸大を目指して―

――高校卒業後は、尚美ミュージックカレッジ専門学校に進学されます

音楽の道に進もうと決めたのが高校三年生になってからだったので、そこから音大を目指すというのは現実的ではなかったのもあり、専門学校を選択しました。あと、音大は学費も高いので、おいそれと行きたいと言えるものではなかったんですよね。専門学校は2年間で卒業できますし、入試もそこまでハードルが高くなかったので、自分の状況にも合っていたので進学を決めました。

専門学校では、卒業するときに業界で活躍できる人材になるように、という指導のもとで学んでいたので、在学中は「音楽って“仕事”なんだ」と強く意識していました。パソコンの授業や、社会人としてのビジネスマナーを学ぶようなカリキュラムもありましたし。音楽の実技的なところでは、専門学校で初めて作曲することを経験して、ただ演奏するのではなく、音楽をクリエイトする面白さを知ることができた期間でもありました。

――専門学校を卒業後、日本の芸術系大学の最高峰である東京藝術大学に進まれます。芸大を目指そうと思われたきっかけになる出来事はあったのでしょうか

専門学校時代の作曲の専攻の先生が、たまたま芸大の作曲科を卒業した方で、その先生は僕がピアノを長くやっているクラシック寄りの学生であることを認識してくださっていたんです。学校には、音楽経験ゼロでミュージシャンを目指して入ってきた人や、バンドをやっているような学生が多かったんですね。クラシックを経験している人も多少はいましたが、その中でも自分は専門的にピアノやっていた方だったので、「ここで終わりにしていいの?もっとやりたいことがあるんじゃない?」って先生に言われて。その時に、音大に行ってちゃんと基本的なことを学びたいという想いがあることをお伝えしたんです。「でも、学費も高いしなかなか音大なんて…」と言ったら、「じゃあ、芸大にしたら?芸大だったら国立だし、目指してみたら?」って言われて。そんな道が自分に開かれる可能性があるなんて思っていなかったので、その先生が言ってくださった一言はとても大きかったですね。

――その先生との出会いも、また運命を感じますね。そこから芸大を目指す道のりが始まり…

これもご縁だなと思うんですが、そのアドバイスをくれた先生が、ご自身が芸大の受験で師事していた先生を紹介してくれたんですよ。とても高名な先生で、芸大の作曲科は合格者15人程度の狭き門なのですが、毎年5人くらい合格者を出すような方で。この先生にも、専門学校へ行っていなければ出会えなかったわけなので、振り返ってみても本当にありがたいご縁をいただけたなと思っています。

その後芸大に受かるまでに4年かかったのですが、最後の年はもうこれで受験はやめようと実は決めていて。結果的にその年に合格できたのですが、受験仲間含めて、いろんな方に助けられて叶えることができた芸大受験でした。

――念願の芸大へ進学されて、大学生活はいかがでしたか?

自分の人生の中で一番楽しかった時期でしたね。子供の頃、男子でピアノを習っている子はあまりいなかったのもあって、周りからもちょっと変わり者として見られていたところがあって。学生時代の吹奏楽部も女子ばかりの中でやっていたので、男子としての青春っぽい時間があまりなかったんです。芸大には自分と同じような経験をしてきた人たちが全国から集まってきていて、会話やちょっとした冗談の奥底にも共通するものを感じられたんですよね。音楽や芸術が好きという共通項がありながら、同年代の若者として関係性を築いていけたのがすごくがうれしかったですし、「こういうのが仲間なんだな」って初めて実感できた場所でした。今でもコンサートを続けているユニット「CePiA」を組む仲間とも出会えましたし。

――思い出深いエピソードなどはありますか?

大学に入る前は、文化祭などのイベント的なものには積極的に参加する方ではなかったのですが、僕が年長者だったのもあって、学祭などでリーダー的な立場で関わることが多くなっていったんですね。気付いたら、自分が指揮をとることやみんなで一生懸命一つのことに向かって協同していくことが楽しいと思えるようになっていて、それは自分にとって大きな変化だったなと思います。

また、ちょうどその頃の芸大には、僕が1年の時に井上芳雄さんが4年生でいらっしゃって、在学の時期が被っていたんですよ。後から知ったのですが、その頃田代万里生さんも一個上の先輩にいて、広義の意味ではお二人と一緒にキャンパスライフを送っていたんだな、と(笑)。

――その時期の芸大、すごいですね(笑)

今年の4月に世田谷パブリックシアターで上演された『メディア/イアソン』という芳雄さんが主演の作品に音楽監督として参加したのですが、その時に初めて芳雄さんとお仕事でご一緒できて、ちょっと胸が熱くなりましたね。

いきなり“芸能界”が舞い込んできた初仕事

――芸大卒業後、どのような経緯で音楽監督の仕事に就かれたのでしょうか

周りには卒業後そのまま大学院に進む人が多くて、先生にも将来の就職先を考えたら院は出ておいた方がいいと言われていたのですが、学費の問題もありますし、親からも「行きたいのであれば就職して費用を貯めてから行ってもいいんじゃない?」と言われて。就職先に関しては、地元の音楽事務所で結婚式やイベントなどで演奏するプレイヤーのバイトをやったりしていたので、いざとなったら仕事はあるはずだから大丈夫、と思ってけっこうのんびりしていたんです。そんな頃に、芸大の同期生でもあるCePiAのメンバーから、「ある舞台で、フルートとか管楽器を吹けて、かつ曲のアレンジもできる人を探しているんだけど、相談に乗ってくれない?」と連絡が来て。彼はグループを組んで一緒に演奏したりする仲間で僕のこともよく知ってくれている人だったので、「じゃあやってみようかな」と依頼を受けてみたら、ホリプロステージのプロデューサーの方から直接お電話が架かってきてびっくりしました。

――初仕事が、いきなりホリプロの舞台から

送られてきた資料を見たら、主演が市村正親さんで、他にも藤原竜也さんや寺島しのぶさんといった錚々たる方が出演される舞台だったので、さらに驚きました。『ヴェニスの商人』(2007年)というシェイクスピアの作品だったのですが、いきなり芸能界の仕事がきた!って感じで。当時はまだ自分も学生という感覚でいたので、テレビで見ていた方々とお仕事するなんてすごいな、と思っていました。

――舞台の仕事に初めて携わった経験はいかがでしたか?

稽古の進め方も含めてわからないことだらけでしたが、その時は奏者としての役割もあったので、出演者として稽古場に毎日いる必要があったんですね。なので、毎日演出家のオーダーをその都度聞いて弾いたりしていました。今も基本的にそのやり方のスタンスで続けているので、他所の現場の音楽監督はそんなに毎日稽古場にいないという話を聞きくんですが、僕はわりと稽古場にいる方の音楽監督をやっています(笑)。

――落合さんご自身は稽古場にいたいタイプ?

そうですね、「いないと分からない」という気持ちがあって。今は動画で稽古の様子を見せてもらえたりしますが、その時のちょっとしたダメ出しや一言がオーダーにつながってくることもありますし。例えば、「ここは重い感じでお願いします」と言われたとして、その“重さ”がどういう意味合いのものなのかというのは、芝居の一連の流れや変化を観ていないとわからないですし、その過程を知らないとこちらの創作にも影響が出てきますので。

ジャンルや作品によって様々な役割が求められる音楽監督

――「音楽監督」というお仕事は、作品によって関わり方が多岐に渡ると思うのですが、具体的にはどんなことをされているのでしょうか

例えば、現在音楽監督で入っている『ラフへスト〜残されたもの』や初演から携わっている『スリル・ミー』といった翻訳ミュージカルの場合は、楽曲は元からすべて決まっているので、創作することはありません。ただ、日本初演でやる作品などは日本人の情緒に合うように、音楽を一回咀嚼して体に入れてからもう一回新たに出す作業が必要になるので、“日本版の作曲家”のような感じと言ったらいいでしょうか。音や言語的な部分も含めて、日本人が見たときに受け取りやすくなっているか、歌として観客にちゃんと伝えられているか、といったことを噛み砕いて構成し直す作業をしています。

――音楽面での“翻訳”をされているわけですね。一方で、ストレートプレイの舞台となると、また別の役割やスキルが求められそうですね

そうですね、ゼロから音をつくっていくことが多いので、仕事の中身がガラっと変わってきます。ストレートプレイの場合にも様々なパターンがあって、生演奏でやるのか、録音を流すのかでも変わってきますし、既存の楽曲から選曲するだけ、あるいはアレンジを加えるだけの場合もあれば、自分のオリジナル曲をつくる場合もあります。演出家の頭の中にある音をゼロからつくり上げるという意味では、ストレートプレイでの作曲が一番クリエイティブに感じますね。まだオリジナルミュージカルの作曲は経験がないので、ぜひいつか挑戦してみたいと思っています。

――ジャンルや作品によって、幅広い対応力が求められる職業ですね

演出家の考え方、頭の中に鳴っている音楽というのは、同じ作品であっても違う表現が生まれますから、まずはそこでしっかり相談して共有することも重要ですね。僕が関わっている演出家の方々は、最初の打ち合わせの時点で曲のイメージを具体的に話してくださる方が多いです。「この曲ちょっと聴いてみて」とか、「この映画の音の使い方が面白かったから、次はこういうものを取り入れていきたい」といった感じで、こちらが参考になるようなものを教えていただいて、そこからイメージを膨らませてつくっていくことが多いです。作品や演出家の方の意向を汲んで合わせていく対応力というのは、音楽監督に重要な要素だと思います。“芸術家”であることも必要ではありますが、「芸術家100%」では成立しませんから。

ターニングポイントになった『スリル・ミー』

――音楽監督デビュー後、数々の話題作を手掛けられていますが、落合さんといえばやはりミュージカル『スリル・ミー』を思い浮かべる方が多くいらっしゃると思います

音楽監督としては2011年の初演から、ピアノ奏者としては翌年の再演からずっと関わらせていただいている作品ですが、やはり自分の中でも転機になった作品ですね。こんなに長く付き合える作品になったことも嬉しいですし、他にそういう作品はないので。演出家の栗山(民也)さんと一緒にお仕事をさせていただく経験ができたことも大きかったです。

――栗山さんとは、『太陽に灼かれて』(2011年)という舞台で初めてご一緒されていますね

当時、『太陽に灼かれて』と同時期に『スリル・ミー』の制作も並行して行われていたんです。『スリル・ミー』に音楽監督として携わることになったのは、『太陽~』のプロデューサーさんが栗山さんに「落合さんに入ってもらいましょうよ」と提案されたことがきっかけだったのですが、そこで栗山さんにOKのお返事いただけたということは、その短い期間でも少し認めていただけたのかなと思って、嬉しかったのを覚えています。栗山さんの作品に入った当初は、これまでとは違う現場の難しさを感じたりもしていましたが、『スリル・ミー』の現場で栗山さんの精神に触れ、核となる部分を演出の中から感じられるようになったのは大きな経験でした。2、3年のペースで再演しているので、今では楽しくお話をさせていただく間柄になれたのも嬉しいです。

――落合さんから視た、『スリル・ミー』という作品の持つ魅力とは?

実際に起きた猟奇的な事件をテーマにしていて、衝撃的な部分がクローズアップされがちな作品ですが、その奥にある人間と人間の関わり方の本質をとことん二人芝居で追求していく、“あっという間の100分”であることが最大の魅力かなと思います。そこにあるのはシンプルな舞台美術とピアノ、そして照明や削ぎ落とされたSEのみ。スタッフとしても、本質が丸裸になってしまう恐ろしさがありますね。自分にとっては舞台の仕事をやっていきたいと思うきっかけにもなった、大切な作品です。

――『スリル・ミー』で同じく奏者として参加されてた朴 勝哲さんとのユニット「underscore」としても活動していらっしゃいます。作品ファンの方だけでなく、音楽好きの方も楽しめるライブが好評ですが、今後ユニットとしてやってみたいことはありますか?

これはunderscoreの活動の範囲には収まらないかもしれませんが、2人とも舞台に関わっているピアニストなので、連弾で生演奏するスタイルの演劇やミュージカルの作品があったらいいなと思っていて。ソロでピアノを生演奏する演劇作品というのはありますけど、ピアノを二人で連弾するものってなかなかないと思うので、いつかそういう公演に出られたら嬉しいですね。

――ユニット活動の他に、ご出身である栃木県さくら市での文化事業にも携わっていらっしゃいます。地元ではどんな活動をされているのでしょうか

毎年「氏家雛めぐり」という、さくら市内の街の各所に飾られた雛人形を観て回るイベントがあるのですが、そこでコンサートを開催したり、夏に行われる納涼彩という行事でライブ演奏をしたりしています。また、昨年は地元の中学校から依頼を受けて、学校行事の芸術鑑賞会として朗読コンサートを実施しました。自分が中学校ぐらいの頃は、ファンタジーや冒険ものを面白く感じていたなと思い、新海誠監督が描くボーイ・ミーツ・ガールの物語みたいな、普通の少年少女が世界を救うような話だと没入感があっていいかも、と着想を得てつくっていきました。また、新海監督はご当地のものを物語に取り入れていくのが上手い方なので、そういったものをこの作品でもやれたらと思い、地元に残る昔話を元にして、実際にある神社や跡地などがたくさん出てくる作品にしてみました。

――生徒さんたちにとっても、自分たちの街を舞台につくられたオリジナル作品を学校で鑑賞できるのはとてもいい芸術体験になったのではないでしょうか。皆さんの反応はいかがでしたか?

その公演では、生演奏で笛を吹いたり、楽器を3種類くらい持って行って演奏したのもあって、楽しんで観てもらえた印象がありました。衣装にも凝ったり、プロの照明や音響スタッフなどいろんな方にご協力をいただいて、学校の体育館を劇場のように創り上げることは大変ではありましたが、やっぱり喜んでもらえると嬉しいですし、やりがいを感じますね。作り手側としては、そういった手応えを感じられることがとても重要なんだということを改めて実感しました。

シンプルなアレンジだからこそ歌声を楽しんでほしい、『ラフヘスト〜残されたもの』

――7月に上演が控えているミュージカル『ラフヘスト〜残されたもの』でも音楽家督を務められますが、本作の楽曲についての魅力はどんなところに感じていらっしゃいますか?

芸術をテーマとして、静かに、時に激しくストーリーが進行していく中で、キャストやお客さまの心にスッと寄り添うような優しい曲調の音楽が多く、楽曲と向き合っているとついつい癒されてしまうぐらいです。一般的なミュージカルというと、壮大でドラマチックなオーケストラサウンドや、大きなスピーカーから聴こえるド派手なバンド演奏、といったものが想像されますが、今回の作品はピアノをメインとした静かでシンプルなアレンジだからこそ、4人のキャストの声の表現をふんだんに楽しめるものになっていて、そこが一番の魅力となっています。

――奏者としては、作品を彩るにあたりどのようなところを意識されていますか?

とても繊細なアレンジが多いので、ピアノで一音一音打鍵する際のエネルギーの使い方にかなり気を配って弾いています。同じぐらい弱い音だとしても、打鍵のスピード等によって与える印象が変わります。弱い音の表現にどれくらい幅を持たせられるか、それがこの作品での自身に課すミッションとなりそうです。

また、舞台の醍醐味でもある、日によって微妙に異なる表現も、生の伴奏だからこそ引き出せるかも、と音楽監督兼奏者の立場として楽しみです。同じ演奏は二度できませんので、毎日の公演を楽しみたいと思いますし、お客さまにもその日その日の公演を100%楽しんでもらいたいと思います。

――芸術家たちが描かれた作品ですが、物語や登場人物に共感される部分はありますか?

詩人のイ・サン(相葉裕樹)のストーリーには共感するところが多いです。身勝手とも取れる行動のすべてに理解ができてしまいますね。スタッフからは「なんてヒドい男」と言われているようですが…(笑)。芸術のために身を削った人生だったと思いますが、悩みながらとは言えこれだけ自分の思うままに行動ができるからこそ、革新的な作品を残すことができたのだろうと思います。でも、巻き込まれた人はたまったものではありませんよね。共感するのはイ・サンですが、人生としては華やかな画家のファンギ(古屋敬多)が良いですね(笑)。

――主演のソニンさんが訳詞に挑戦されていることも話題です。本作での日本語の歌詞についてはどのような印象をお持ちでしょうか

すべての時間軸に関わる存在であるヒャンアン役を演じるソニンさんが訳詞を担当するということで、歌の持つ説得力がさらに増したように思います。ソニンさんは、実際に歌ってみた時のその役の気持ちの流れ、フレーズのつながりといったミュージカル俳優ならではの視点や、聴いた時にどう受け止められるか、耳馴染みの良い節回しはどんなものかといった“聴かれる音楽”としての視点の両方を持っていて、そういった取り組みがどのようにお客さまに伝わるか、今から楽しみです。

――お話をお聞きして、さらに楽しみになりました。最後に、落合さんが今後挑戦してみたいこと、抱負についてお聞かせください

海外留学をしたことがないので、まだ柔軟性があるうちにぜひ経験してみたいと思っています。最近、周りの人にも「海外行った方がいいよ」ってよく言われるんです。自分の中でも今、いろんな音楽を見聞きしたい欲求が高まっています。舞台の場合、思いもよらない楽器の音が、効果音として作品を引き立たせることがあるんですよね。なので、自分の知らない楽器や音を探しに行って、いろんなことを吸収して持ち帰ってこれたらいいなと思います。

――さらに深みを増した落合さんの音楽、ぜひ聴いてみたいです。長時間に渡り貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました!

インタビュー・文/古内かほ

POIFILE】
落合崇史(オチアイ タカシ)
尚美ミュージックカレッジ専門学校卒業後、東京藝術大学 音楽学部 作曲科 卒業。『ヴェニスの商人』、『太陽に灼かれて』、『スリル・ミー』、『プラトーノフ』、『エレファント・マン』、PARCO PRODUCE 2024『ハムレットQ1』等、幅広い舞台作品の音楽監督・監修を務める。また、音楽ユニット「underscore」、出身地の栃木県での文化事業等、多岐に渡り音楽活動に取り組んでいる。

【お仕事情報】
<音楽監督>
belle waves #1 ミュージカル『ラフヘスト~残されたもの』
 7月18日(木)~28日(日) 東京・東京芸術劇場 シアターイースト
<コンサート>
CePiA Concert 2024「Healing Summer」
芸大同期生と組んだヴィオラ・チェロ・ピアノのクロスオーバートリオCePiAが送る、夏恒例のコンサート。
 8月10日(土)17:00開演 東京・代々木上原ムジカーザ