コンプソンズ『ビッグ虚無』金子鈴幸 インタビュー

10月16日より下北沢・駅前劇場にてコンプソンズの最新作『ビッグ虚無』が開幕する。第68回岸田國士戯曲賞最終候補作に選出された『愛について語るときは静かにしてくれ』、1月に上演され、大盛況を博した前作『岸辺のベストアルバム!!』と、近年ますます揺るがぬ個性と活躍の加速を魅せ続けるコンプソンズ。社会と世界の暗部を穿つ鋭い視点と演劇界きってのサブカルへの愛着と疑い、それらを独特のユーモアとともに炙り出す金子鈴幸の劇作はこれまでも多くの反響を呼んできた。

そんな金子が本作で新たに挑むのは、2021年に起きた小田急線刺傷事件を題材にした物語。とあるハプニングバーを舞台に、「弱者男性」と呼ばれる一人の男と彼と密接に関わる女性を主軸に据え、現代を生きる人々の様々な声の投影を試みる。キャストには浅野千鶴、江原パジャマ(パ萬)、堀靖明、安川まりの個性と実力を兼ね備えた客演陣が名を連ね、大宮二郎、宝保里実、星野花菜里、細井じゅんのメンバーも出演。岸田國士戯曲賞ノミネート後初となる新作にかける思いとコンプソンズの現在地について金子鈴幸に話を聞いた。

※本記事には電車内で起きた実際の刺傷事件への言及があります。心身の負担を感じる方は読み進めるのをお控え下さい。

今の社会や世界、実際に起きた事件をどう描き、届けるか

―本作の題材、執筆の着想からお聞かせください

金子 本格的に書き始めたのは8月初頭で、今回は出演者全員での稽古に先駆けて、劇団員のみで集まってプロットを練ったり、話し合ったりする時間を設けました。それ以前から「3年前に立て続けに起きた小田急刺傷事件と京王線刺傷事件を題材に」という思いはあり、色々と考えていたので、その意見をもらうような形で取り組みました。

―小田急刺傷事件は乗客の女子大生など10名が重軽傷を負い、犯人の言動からフェミサイドが指摘された事件ですね

金子 あの事件が起きた日、僕は新宿からの帰宅中で電車遅延のアナウンスでことの顛末を知ったんです。その時はまだ犯人が逃走中で、足取りの最後が僕の住む町の駅だったことから、家族やパートナーにすぐに電話を入れました。ネットの情報が正しければ、どうやら犯人の男は僕と出身小学校が同じだったと。彼が自分の生活圏内にいたかもしれない、ということをきっかけに色々考えるようになって、あの日自分が過ごした時間をイメージし、パッケージングする心持ちで執筆に向き合いました。事件そのものの様子を直接的に描いているわけではなく、もしかすると、言わなければ気づかない方もいるかもしれないのですが、ネタバレとして題材を隠すことに抵抗も感じているので、そういった題材やそこから派生したイメージから着想した作品であると思っていただけたら。

―金子さんはこれまでも社会や世界で起きている様々な出来事を題材に劇作に取り組んでこられましたが、今回の題材やテーマを決めるに至ってはどんな経緯があったのでしょうか?

金子 前作『岸辺のベストアルバム!!』の振り返りが一つの経緯でした。前作では最後にガザの殺戮に対するプラカードを出したんです。個人的にも気に入っている作品ですし、あの風景を成立させるための手続きを頑張って踏んだつもりなのですが、いざやってみたら「表現としては相応しくなかったかもしれない」と省みる部分もあり…。構想というよりも立ち上げ方について、その引っ掛かりから広げていくような感触がありました。「プラカード出すんだったら、デモに行けば?」って批判を言われたら、反論は何もできないし、そういう演出であったとも思ったんですよね。届く人には届くけど、そこで冷めてしまう人は冷めてしまうというか。僕自身は冷めてしまう人にも届けたいという思いであの作品を書き、劇作の中で様々なフィクションをぶつけていったので後悔はしていないのですが、最後にあれが大々的に出てきてしまうことでふっと離れてしまった人もいたのではないかと考えるようになったんです。

―ご自身が伝えたいこととその届け方、伝わり方との間で葛藤があったのですね

金子 そうですね。そんな思いから、次の作品では届けたいことを別のアプローチで届ける工夫をしたいと思うようになって…。そういうことを考えながら、実際の事件や社会や世界で起きていることと向き合っているような感じです。ここで起きていることと世界で起きていることは全部つながっているし、本作でも「戦争」という題材を避けるつもりは全くないんです。とりわけ、僕は長崎の原爆式典にイスラエルの不招待を受けてアメリカが欠席をしたことを一つのきっかけに、今、アメリカに対する猛烈な怒りが止まらなくなっていて、そういった気持ちは結構直接的に書かれています。ただ、届けたいところに届くように出し方や表現、アプローチを変える必要はあるかもしれないと思っています。逆張りの様にはならない方法をまさに稽古の中で模索しているといった状況です。

岸田國士戯曲賞ノミネートを経て得た気づきと変化

―岸田國士戯曲賞の最終候補にもなった『愛について語るときは静かにしてくれ』は、それこそ「戦争」という題材に真っ向から向き合った作品でした。ノミネートと発表を機に様々な意見も飛び交ったと思うのですが、そのことを受けてご自身の中で何か変化などはあったのでしょうか?

金子 審査員の方の講評で結構高い評価をしていただいたこともあり、当時はある種のパフォーマンスのような感じで「なんでこの評価でとれないんだ!」とか言ってみたり、落選した時は無力感もありましたが、今振り返ると、「この結果でよかったのかも」という感触もあります。自分がノミネートされる以前から戯曲を書く際に一番参考にしていたのが岸田國士戯曲賞の審査員選評だったんですよね。なので、そこに自分の書いた作品が載って、それに応答するような言葉をもらって、ここからどうするのかを考えることができる。そのことが何よりも嬉しかったです。これまでよりもずっと考える方向がクリアに見えてきたので。

―批評を受けることで拓けた道や新たな気づきがあったと

金子 そうです。作家にとって批評の言葉って本当にありがたいんです。ああいう言葉こそを待っていたというか、ああいう言葉をどこかでもらわないと、作家はどこに進めばいいかわからなくなってしまう。昔は作家と批評家が激しく応答しあって、それが一冊の本になったり、時にはバトルして絶交したりがあったくらいですけど、そういうことが起きづらい現代において、あれだけ様々な応答をいただけるという機会は純粋に嬉しかったです。

―中でも印象に残っている言葉や、本作の執筆に影響を与えている言葉は?

金子 市原佐都子さんの「一見軽い読み応えを与えつつ、過去のサブカルネタや特異な言語感覚を通じてしか世界を捉えられない絶望がひそんでいる」という言葉は、まさに言い得て妙というか、自分がやっていることを端的に指す言葉でしたし、「それでもこの世界を肯定していこうとする作家の姿勢を評価したい」と仰って下さったことにも励まされ、純粋に伝わってよかったとホッとしました。ドキッとしたのは野田秀樹さんの「この作家の言葉は、リアリズムだけに頼っている。だから、その近未来というウソっぽいリアリティについていけなくなった。もしもここに演劇的なリアリティを持たせるとしたら役者の肉体しかない」という言葉でした。

―ドキッということは、心当たりがあったと

金子 そうです。まさに、主役の辻凪子さんの肉体に託すのだ、という気持ちで書いていたし、むしろ「役者の肉体」だけにリアリティを持たせるために割と嘘っぽく設えた部分もあったりしたので、ズバリ言い当てられていました。戯曲単体で読んだときに、その嘘っぽさに着いていけなくなってしまう実感にも気づきと納得がありました。まあ、僕は野田さんの影響を大いに受けているので、真似したところもあったんですけど…(笑)。同じく最終候補にノミネートされたダウ90000の蓮見さんが、選評を読んでさらに色々言うっていうYouTubeをやっていたんですけど、それもすごく面白かったです。今、それに似たことを自分も記事の中でやっている感じもあるのですが…(笑)。

「街に転がる肉声」と「自身への疑い」を手がかりに

―『愛について語るときは静かにしてくれ』はいち観客の私にとっても力強く、忘れえぬ作品ですが、金子さんがノミネートを経て得た実感がどんな風に今後の飛躍に活かされるのかも楽しみです。新作『ビッグ虚無』は、近年のコンプソンズ作品群と比較してどんなものになりそうでしょう?

金子 ここまで劇団で作品を作ってきて感じているのは、揺り戻しの傾向。ちょっと過激なことやったら、次はもう少し優しいことをやろうとなって、その次はまた過激になって…みたいな。その流れで言うと、近作の中では2022年に浅草九劇で上演した『われらの狂気を生き延びる道を教えてください』に近しいテイストに仕上がっている様な気がしています。ワンシチュエーションの物語で、『われらの狂気を〜』はラーメン屋が舞台だったのですが、『ビッグ虚無』の舞台はハプニングバー。そこに出入りする人々の境遇やその重なりを描いています。

―配役のこだわりや現在の稽古の様子もお聞かせいただけますか?

金子 江原パジャマくんにいわゆる「弱者男性」と呼ばれる男性を、浅野千鶴さんに「価値観のアップデートに付いていけない女性」を演じてもらい、その二人を中心に物語を組み、広げていくという構想で進めています。上演期間中に映画『ジョーカー・フォリ・ア・ドゥ』が公開されることもあり、なんとなくイメージはつきやすいかもしれないのですが、ジョーカーとそのパートナーかなんなのかわからない狂気の女性という感じに図らずもなっている感じでしょうか。台本はあてがきで進めていて、浅野さんをはじめ、堀靖明さん、安川まりさんは、やはり流石の手練れでいらっしゃって、立ち上げる力が早く、なおかつアイデアが豊富で稽古の度に刺激を受けています。

―他の登場人物たちはどんな風に物語に関わってくるのでしょうか?

金子 中心となる男女に限らず、基本的に登場人物は社会における様々な局面で「弱者」とされる人々で、その人たちを巡るお話になります。舞台がハプニングバーで、そういうところではネット上では出てこない言葉も相当飛び交っているのだろうな、ということを想像しながら、それぞれのセリフを書いています。ネットやSNSで盛んに発信を行なっている人といない人では使う言葉も違うはずなので、そういうことも意識しつつ…。

―金子さんはその作風からも伝わるように、世の中に対するアンテナが鋭く、SNSで発信されていることなどにも敏感なイメージがあります。そういった意味では、ご自身とは異なる生き方をしている人々を描こうとされているのかとも思ったのですが…

金子 街の中で聞こえてくる言葉に糸口を見出しているような気はします。「女子高生の会話っていまだにこんな感じなんだ」と思った話とか、カフェにいる主婦らしき人たちが聞こえてきたえげつない話とか、そういうネットでは聞こえてこない肉声の数々。「今どきそれはどうなの?」という表現って、実は街の方が転がっていたりして、かつ、そういう人たちが持っている独特の強さみたいなものも感じたり…。様々なことにアンテナを張り、色んな意見を吸収してからネットに叩き出した言葉よりも、ある意味すごく日常に根差した言葉な気もするんですよね。その場で生きて、その場で会って出てきている言葉だから、良くも悪くも実感があるというか。そういう感触が発端になっている気がします。小田急の事件にしても、事件そのものというよりも、当時の駅員のアナウンスがやたら記憶に残っているとか、僕がその時に感じた街の空気感から着想を得たシーンが多いです。そんな風に、なるべく日常から聞こえてくる言葉や見てきた風景を反映させて作りたいと思っています。一方で、自分の邪な感情に向き合うこと、自身を疑うことも本作の一つのテーマになっている気がします。

―それは具体的にはどういう感情や疑いなのでしょう?

金子 戦争に対する思いやアメリカへの怒りの話もしたのですが、「なんで自分はこんなに世の中や政治に対して怒っているのだろう?」とふと考えることがあるんですよね。というのも、今までの作品では「自分が正しいと思ったことをとにかく言う」みたいな感じがあったのですが、「僕がぶつけているこの怒りや感情は果たして本当に自分のものなのだろうか」、「たまたま自分がこの環境で、こんな人に囲まれて、こんな風に育ったからこういう風に思っているだけなのではないか」とも考えるようになって…。本作ではそういう自分への疑問や提起も強く込められているような気がしています。

―なるほど。タイトルにもある“虚無”や、本作のキャッチコピーでもある「自分の選んだ悪夢に忠実でありましょうや!」という言葉に繋がるお話がお聞きできたような気がします

金子 本作はもしかすると、これまでのコンプソンズ作品の中で最もやりたい放題やっている作品になるかもしれません。ワンシチュエーションなので演出はオーソドックスですが、作品に込めるメッセージやテーマはやりたいことを全部詰め込んだ一作になりました。そういう意味では、ここ最近の作品ともまた違う、それでいて、劇作家としての自分がやりたいことにもう一歩近づいたような。そんな作品になると思います。

―コンプソンズお馴染みのサブカルネタもやはり満載ですか?

金子 出てはきますが、いつもよりは少なめかもしれません!そういったコンプソンズらしからぬ新たな変化も楽しんでいただけたら…(笑)。客演の舞台と重なって出演できないメンバーがいることもあるのですが、今回は1年以上ぶりに4名の劇団員メンバーも集結しました。ちなみに、一番はじめに思いついて、以降全くブレなかったのがメンバーの大宮くんが演じる役ですが、結構なパワープレーが展開されます。一見、本筋に関わらないところにいるように見えて、思いもよらぬ形で主旋律に入ってきそうな役柄をメンバーそれぞれに担ってもらいます。素晴らしい客演陣の皆さんとともに盛り沢山の公演にしますので、ぜひご期待いただけたらと思います。

取材・文・撮影/丘田ミイ子