『ベルサイユのばら 45 〜45年の軌跡、そして未来へ〜』榛名由梨&朝海ひかる 会見レポート

1947年に宝塚歌劇団で初演された『ベルサイユのばら』(以下『ベルばら』)は、池田理代子の同名漫画を原作に、オスカル&アンドレの愛やフランス革命などを描き、空前の大ヒットと大ブームを巻き起こした。45年経った今でもその人気は衰えることがない。
初演から45年を記念し、歴代キャストらによる歌やトーク、名場面集、フィナーレナンバーなどが舞台『ベルサイユのばら45 ~45年の軌跡、そして未来へ~』で披露される。
今回出演する、初代オスカル役で後年はアンドレ役も務めた榛名由梨、2006年の公演でオスカル役を務めた朝海ひかるが会見を開き、『ベルばら』の思い出や、公演中の面白いハプニングなどを話した。

 

ーー初めに、榛名さんにおうかがいします。『ベルばら』は45周年を迎えましたが、初代で演じられたときは、ここまでブームになる予感はありましたか。

榛名「全然なかったです。宝塚にコスチュームプレイがなかった時代で、この作品がピッタリと思っているファンには満足していただけると思っていましたが、ここまで長く続くなんて想像すらしていませんでした。驚きでしたし、『ベルばら』に相当の期待が持たれているんだなと感じました」

ーー今回の公演では『ベルばら』の『愛あればこそ』をはじめ、名曲の数々が披露されます。

榛名「それまで宝塚で名曲が生まれていても、ファンの間だけで、世間ではあまり知られていませんでした。でも、『愛あればこそ』はあちこちで口ずさまれ、皆が覚えている。珍しい現象だと思いました。宝塚の作曲家の寺田瀧雄先生は多くの名曲を残されていますが、ここまで長く歌い継がれているのはすごいことだなと思いますね」

ーーお二人ともオスカルを演じて、苦労はありましたか。

榛名「劇画のファンの方々のオスカル人気がすごかったので、『生身の人では難しい役』と手紙が来たりしました。熱烈なファンはたくさんいましたし、すべてがプレッシャーでしたね。初日が開いた途端、お客様から何か言われるんじゃなかろうかと不安と期待が入り混じっていました。初日に池田理代子先生が描いた劇画の扉が開いて登場するシーンでは、ガタガタと脚が震えていましたね」

朝海「私は時が経てば経つほど、周りの方々のオスカルへの期待度が高くなっていく気がして。オスカルをやると決まったら、上級生やスタッフの方がオスカルへのこだわりを私にアドバイスしてくださったのですが、そのプレッシャーはこの上なかったです。特別出演した星組公演の劇画から登場するシーンで、私が出てきて、皆がズッコケたらどうしようと(笑)。初演の榛名さんのプレッシャーとは比べ物にならないかも知れませんが、すごかったですね」

ーー思い出深いシーンはありますか。

榛名「初演のときは、マリー・アントワネットとフェルゼンの恋とフランス革命を全面的に描いていたんです。私とアンドレはバスティーユのシーンで亡くなるので、後の出演はなく、次のフィナーレナンバーの支度をして、踊る準備をしていました。そのフィナーレ最後の大階段でオスカルの軍服を着て舞台に出て行ったら、3階からもドワーッと滝のような拍手喝采が聞こえてきた。『これは何?』というような驚きでしたね。オスカル人気のすごさと責任を改めて感じました。
お稽古中は、男役を研究し続けて、出来上がったころに、逆に女性を演じなきゃいけないというパターンでしたので、女の子の気持ちを持ちながら、男性として軍服を着て、凛々しさや、アントワネットを守る強さを出す。その狭間で、アンドレに対する複雑な恋心に揺れるんです。男役に集中していると女性の心に戻るというのは難しいんです(笑)。私自身、父からスパルタ教育を受け、男の子みたいに育ちましたので、それが役に立ちましたね。でも、どういう風にしたら女心が出るのか、声質などを色々と考えました。男の人の前では、女の人は変わりますよね?皆さんも経験ありますよね?女性に対するときと違いますよね(笑)?そこはすごく考えました」

朝海「私の場合、出来上がった型を学んで、それを自分の身体に落とし込むことの難しさですね。『今宵一夜』という曲の場面では、振りを榛名さんから教えていただきました。とてもとても苦しい、ウエストがよじれた体勢の中、甘い空気を出さなきゃいけないシーンで、観客の目線ではとうてい分からないことを習得していくのが大変でした。ずっと拝見していた『ベルばら』がこんなに苦しいものだとは知りませんでした(笑)」

ーー今回の公演で楽しみにされていることは?

榛名「宝塚の歴史の中で『ベルばら』によってスターが花開き、時代を背負っていきました。そういう人たちが顔を揃えて公演をするのはめったにないことです。宝塚は来年105周年を迎え、歴史があるからこそできる構成になると思います。宝塚は上下関係があって厳しいですが、一つの舞台に一緒に立つことで、皆、気持ちがつながってファミリーになれる。これは、ほかの劇団にはないこと。そういう世界が私はすごく好きです」

朝海「私は榛名さんをはじめ、初演の方々の楽しいトークが聞けるのがすごく楽しみです。私は宝塚を卒業して12年経ちましたが、また扮装して踊るということなので、ちょっとプレッシャーです。身体を鍛え直して、皆さまの期待に応え、名場面をお見せできるようにしたいです」

榛名「私たちの時代のキャスト組は踊らないしね」

朝海「踊っていただきたいんですけど」

榛名「踊ったら皆、ガッカリすると思うよ。45年も経ったら、とてもじゃないけど踊れない(笑)。コムちゃん(朝海)みたいに元トップスターで踊れる強みはすごいと思うからね。それを観られる私たちも幸せです」

ーー榛名さんが、『ベルばら』の上演後、ファンレターをたくさんもらい、4年半かけて返事を全部書いたという記事を読んだのですが…。

榛名「それ、おとぎ話みたいになってますね(笑)。本当の話です。段ボール箱いっぱいにドンドン届いて、やっと返事を書いて送っても、住所が変わっていて戻ってきたり、雨に濡れて同封された色紙がぐちゃぐちゃになってたりして、確かに時間を要しましたね」

ーーその中で、一番印象に残ったファンの手紙は覚えていますか。

榛名「あまり記憶が…(笑)。あまりに多くて読むだけで精いっぱいでした」

朝海「私もたくさんファンレターをもらいましたが、同じくあまり記憶が…(笑)」

榛名「あの時代は、今と分量が違いますもん。想像を絶する量ですよ」

朝海「皆さまの『ベルばら』に対する思いのたけがすごく伝わりました。長文の手紙を何通もいただきましたし、ファンの方がどれほど『ベルばら』を愛しているのかよく分かりましたね」

榛名「あ、今、思い出した。女優の京塚昌子さんから筆で書いた巻紙の長いお手紙をいただきました。姪っ子さんが『ベルばら』の大ファンで、姪っ子さんのために達筆で書いてくださって。私は化粧前に飾っていましたね」

朝海「それはすごいですね。どの公演もそうですが、とくに『ベルばら』は毎日気が抜けない。いつも以上に気を張っていた期間でしたね」

榛名「楽屋の出入りが大変なんですよ。東京公演のときは、ポリニャック夫人を演じた神代錦さんと私がハイヤーに乗って寮まで送ってもらうんですが、神代さんから『頭下げて姿を隠しときなさい』と言われて(笑)。ハイヤーの窓は曇りガラスだから見えないはずなんですけどね(笑)」

朝海「髪を引っ張られたこともあったそうですね」

榛名「何本か抜けて、痛かったわ(笑)。地方公演で、新幹線で移動するときは、警察が出動して一緒にプラットホームに上がっていったんです。あのころは、グループサウンズが人気で、『あ、グループサウンズに勝ったね』と思いました(笑)」

朝海「ビートルズみたいですね」

榛名「宝塚大劇場の千秋楽では、警察官に両脇抱えられて、駐車場まで行ったんですよ(笑)。ファンの方々が殺到して、ケガをすると危ないからね。」

朝海「初演ならではの話ですね。そのフィーバーぶりは今では考えられないですね」

榛名「今ではポールを立てたりして前もって準備するからね。コムちゃんたちの場合もそうだった?」

朝海「いや、ファンの方の立つ場所が決まっていて、皆さん、それを守ってくださっていました」

榛名「時代が違うのよね。東京ではファンの方が車を追いかけてきて。「危ないですよ」と言いたいけど、窓が開かないし(笑)」

ーー今だから話せる公演の失敗談を教えてください。

榛名「いっぱいあります(笑)。バスティーユの場面では、当時ドライアイスの白いスモークをいっぱい出したんです。そのドライアイスの油で、ツルーンと仰向けにひっくり返って、スケーターみたいに転がった。でも、スモークがかかっていて客席からは見えにくいので、何事もなかったように、スッと立ち上がりました(一同笑)。あれは怖かったです」

朝海「昔のドライアイスは滑りましたよね」

榛名「また、アンドレを演じたときに、サーベルを持って「稚児の剣法、見せてやる」という決闘のシーンで、リノリウムの床にサーベルが縦に突き刺さってビョンビョンと揺れた(笑)。敵がジワジワと近づいて来るのに、全然抜けなくて、サーベルはビョンビョンとなったまま。大事な場面なのに、皆、大爆笑で、何とも締まらないシーンになりました(一同笑)」

朝海「本当はアンドレの格好いい場面だったんですよね(笑)」

榛名「でも、ハプニングがあっても、ファンの方々が愛情深く見守ってくださった。それが宝塚のファンですから」

朝海「私はオスカルがペガサスに乗って空を飛ぶシーンでは、楽しく、歌を歌いながら、お客さま一人ひとりの表情を見ていました。楽しそうな方やあぜんとした表情の方がいて、毎回、毎回、しっかりと見ていましたね。また、オスカルはバスティーユのシーンの後、死んで天国へ行く。そのときにバラードを歌うんです。バスティーユの場面は本当に息が上がってしんどいんですが、そんな中でアンドレへの想いを込めて、幸せに歌わなきゃいけない。『苦しいわ、これ』という気持ちで、天国ではなく地獄に行くような苦しさで歌っていました(笑)」

ーーお二人にとって『ベルばら』とは何ですか。

榛名「コスチュームにしろ、スターが生まれる過程にしろ、宝塚にふさわしい作品ですね。今や教科書やバイブルのようです。これを開くと、コスチュームプレイや役者の動き、ラブシーンの夢々しい場面、闘いの場面、凛々しさ、はかなさなど色んなノウハウが詰まっている。愛すべきバイブルです」

朝海「本当にそうですね。男役、娘役ともに大事なことを教わる教科書ですね。椅子の座り方、マントの翻し方など、『ベルばら』から教わることがたくさんあって。池田理代子先生の素晴らしい絵があるからこそ、宝塚の様式美が映える。これ以上ない、宝塚の代表作だと改めて感じています」

ーー最後に、この公演を楽しみしているお客さんにメッセージをお願いします。

榛名「初演のときに生まれた人が45歳と考えると、長い年月だなぁとつくづく感じます。老若男女問わないファンから認めていただける、素晴らしい作品です。私たちは歌とトークで、平成のスターは踊りと芝居で一生懸命頑張ります。これを見逃す手はないでしょう。是非ぜひ、足をお運び下さい」

朝海「こんな豪華な宝塚のOG公演は今まで経験したことがありません。昔ファンだった方はもちろん、宝塚を見たことがない方にも劇場に足を運んでいただいて、歴史を感じて楽しんでほしいですね」

 

取材・文 米満ゆうこ