伝説の舞台『ピサロ』、1年ぶりのリベンジ公演に挑む渡辺謙が心境を語る

昨年春、新型コロナウイルスによる感染の影響で公演が途中で中止となってしまった『ピサロ』が、2021年5月に再び上演される。16世紀に、167人の寄せ集めの兵を率いて2400万人のインカ帝国を征服したことで知られるスペインの将軍ピサロの物語を、壮大なスケールで大胆に描いたこの舞台。ピサロを演じるのは、1985年の日本初演時にはインカ帝国の王アタウアルパを演じていたこともあり、今作に思い入れが深い渡辺謙だ。このたびの再降臨に向け、改めて作品への思いを語ってもらった。

 

2020年1月に開場した新生PARCO劇場のオープニング・シリーズの第一弾として上演された『ピサロ』。しかしコロナ禍の影響で初日が延期となり、その後開幕はできたものの結果的には10ステージのみの上演で公演は中断することになってしまった。渡辺は、それまでもリニューアル前のPARCO劇場の舞台には何度も立っており、そのたびにステップアップにつながり、自分にとってエポックとなる仕事ばかりだったように感じていたという。
「ですから『ピサロ』への出演のお話をいただいた時、今回はどういう舞台になるだろうという思いでいたのですが、とんでもないエポックになってしまいました(苦笑)。実際、こんな風に自分の出演する舞台が中止になってしまうことは経験上初めてでしたし、しかも初日も遅れたし上演回数も少なかったこともあって非常に未消化のままで、終わってしまったんです。自分は映画でもテレビでも作品をひとつの“旅”にたとえることが多いんですが、この舞台の場合は出演のオファーを受けた瞬間から千穐楽まで、いろいろな紆余曲折やアップダウンがありながら進んでいく旅でもありながら、物語自体も旅だったんですよね。ある種の冒険をしながら、自分の終焉の地までを旅するみたいなお話なので。だから一回の公演ごとにどんな旅ができるかということを考えながら上演に臨んでいたんですが、少し見えかかってきた頃に中断してしまったので、そういう意味でも未消化でした。そんな思いもあって、中断したあとすぐプロデューサーに「これ、もう一回やろうよ」と直談判したんです。そうしたらたまたま、劇場を押えることもできた。それ以降、僕ら的には“リベンジ公演”と言っているんですけれども、おかげでこうして早い段階で再び公演することができることになりました」

そうやって“リベンジ公演”が叶ったいきさつを語る渡辺の目は、生き生きと輝いている。たとえ10ステージだけだったとはいえ、本番を経験できたことを振り返る語り口も熱い。
「僕がこのピサロという役と向き合うことによって何を得て、僕自身は何を喪失していくのかが、とにかく楽しみだったんです。それを今回、パルコがもう一回やらせてくれることになったので、改めて見つけてみたい。85年の日本初演時、僕はアタウアルパ役だったので、その時ピサロを演じていた山﨑努さんは役を通して果たして何を見て何を感じていたんだろう、ということにすごく興味がありました。それを実際に自分が体感できるというのは、面白い経験でしたよ。やっぱり山﨑さんは山﨑さんで感じるものがあっただろうし、その一方で僕はあの時の山﨑さんの年齢をはるかに越えてしまっていますからね、逆に違う境地が見えたかもしれないなという気もします。今回は昨年の舞台の再演ですが、舞台構成は一緒ですし、キャストも主要メンバーはほとんど変わっていませんから、きっと稽古が始まれば立ち上がるのはすぐだと思うんです。とはいえ、またちょっと違う旅になるのではないかという期待もします。ですからもし、前回ご覧になっていただいた方でも「今回はちょっと違うな」と思ってもらえるような舞台になるのではないか、という期待感も抱いています」

演出はもちろん昨年に続き、英国ロイヤル・バレエでも活躍しダイナミックかつ繊細な演出で知られるウィル・タケットが手がける。その稽古の様子を「とてもアグレッシブな稽古場だった」と、渡辺は振り返る。
「85年の舞台では、最後にピサロとアタウアルパがロープに繋がれるシーンがあったんです。老いたピサロが自分の残っているエネルギーをすべて注ぎ込んで、アタウアルパを荒馬を調教するみたいに引きずり回したりするんですけど。あのシーンをウィルはどう演出するのかなと楽しみに思っていたら、彼は「僕はロープは使わない。見えない何かを使うほうが面白い気がするんだ」と言っていて。その言葉には、僕も同意できました。ただそこで見えているものだけではなく、もしかしたら他の人には見えない何かも含めて、ものではないもので繋がっている姿というのが、僕にとっては非常に新鮮だったので。それがうまく表現できたかどうか、お客様にしっかり伝わったかどうかは別として、僕の中ではすごく腑に落ちたし、あのシーンは僕の中でものすごく好きなシーンになりました」

さらにウィル・タケットが、そもそもは振付出身の演出家であることから、“肉体”を使ってどんな表現をするかという点にもとても注目していたそう。
「僕も新劇出身のはしくれなもので(笑)、演技をする際にどう表現するかをロジックでついつい考えがちなんですけど。ウィルの場合は振付出身だということもあるから、俳優の肉体を使ってどう表現をするかということに非常に長けているんです。つまり変な感情の流れだけで舞台を作ってはいないところが、僕は好きなんですよ。まあ、僕もはしくれではありながら、ただ流れていくようなきれいなものではなく、そこからまるで滑落しているかのような表現もアリだと思うので。そういうところも非常にうまくすくい上げてくれますし「じゃあ、それをこういう風に表現してみたら?」というような提案も、いつもすごく的確だと思いますね」


もちろん映画やテレビドラマなど映像作品での活躍も顕著な渡辺ではあるが、演劇に対する思いもとても深い様子が伝わってくる。舞台ならではの魅力については、こう語った。
「舞台だけではなく、テレビでも映画でももちろん観客がいないと成立しないものではあるんですけれども、その観客に作品をぶつけた時に何が帰ってくるかということには違いがあると思うんですね。映像作品の場合は、観客の身体の中に入っていく時に初めて作品が生まれるというか、ちゃんとした形になるような気がするんです。だけど演劇の場合は日々のステージで、作品が一回ごとに生まれて死んでいくわけじゃないですか。“LIVE”ってうまく言ったなと思いますが、その作品の中で生きて、終われる。昨年の『ピサロ』では、まず初日が1週間延びてしまったんですが、でも稽古しないわけにはいきませんから、衣裳をつけてメイクして本番と同じスタイルで無観客で舞台稽古をやったんです。まあ、虚しかったですね。稽古だからそこは割り切ってやっていたつもりだったのに。やはり、僕らが発信するバイブレーションを目の前のお客さんが受け取って、それを投げ返し、僕らがまた受け取る。そういうやりとりがないと、演劇は成立しないんだなとしみじみ思いました。逆に言うとそれこそが、舞台という表現の一番の醍醐味なんだと思います」

そして、85年版で渡辺が演じたアタウアルパを今作で演じるのは宮沢氷魚。同じ役柄を演じた彼の存在は、その目にどう映っていたのだろうか。
「たぶん山﨑さんもこんな風に俺のことを見ていたのかなって思いながら、見ていました(笑)。幕開きの瞬間、舞台のセンターに立って待機している彼に向って、僕はいつも舞台袖から”行くぜ”と合図を送っていましたね。やっぱりアタウアルパというのは常に光り輝き、若さに満ち溢れていて、透き通るみたいに純粋な役。氷魚はまさにそう見えましたし、そう考えるとやっぱり自分は年を取ったなあ、なんてことも思いました(笑)。決して頭でっかちではないし、フィジカルも感覚的にも非常に優れている役者だなと思います。インパクトのある役ですし、今回のリベンジで新たに見えるもの、感じるものも人一倍あると思うので、共演者としては生意気な言い方になってしまうんですが、彼の横でその成長していく姿を見られることはとても楽しみでもあります」

1年前、やり切れなかった想いにここでリベンジできる喜びを感じつつも「あまり気負う必要はないと思っているんです」、とも。
「やり足りなかったこと、やり切れなかったことは、もはや全員が抱えてることだと思いますからね。ただ1年前の社会状況では、客席にしてもステージ上の僕らにしても、まったく未知なるものにひたすら怯えているだけの状態だった。でも、それと今とは明らかに違いますから。コロナウィルスが収束していないとはいえ、あの時期に感じていたようなイヤな緊張感とは少し変わってきているといいますか。先が見えないのは一緒ですが、当然いろいろな対策はとりますから。PARCO劇場も、僕らもできる限りの対策を講じますし、お客さんも協力してくださると思いますし。だから、去年の3月よりはもう少し落ち着いた状況で幕が開いて、いいものを届けられるのではないかなという気はしています。なにしろ、ここまでスケール感のある舞台も他にないですからね。しかもスケールだけではなく、二幕ではものすごく繊細な心のひだみたいなものが織りなされていくドラマでもあるので。まあ、それが言ってみれば、ピーター・シェーファー作品ならではの魅力だとも思いますし。とても壮大な物語ではあるんだけれども、実はこんなにもちっぽけな人間たちの話、みたいなね。その両極に針がふれる、とても面白い舞台になるはずです。どうぞ、ご期待ください!」

 

取材・文 田中里津子