高羽彩 インタビュー|タカハ劇団『美談殺人』

平均寿命が50歳まで低下した近未来。人々は死を恐れ、人生の意味を渇望し、死に様に「美談」を求めるようになった。依頼人の求めに応じて美談をつくる『美談作家』が憧れの職業になった世界を描く。
この「美談」という“物語”を扱う題材だからこそ実現したという取り組みとして、演劇の手話通訳を作品に登場させた。耳が聞こえない人が物語を理解する手話通訳でありながら、俳優として登場人物の一人を演じる。手話通訳と俳優をどう両立させるのだろう?
今作と手話通訳への取り組みについて紐解いていくと、タカハ劇団主宰・高羽彩が描こうとする演劇の未来が見えてきた。

 

――“美談作家”という職業が人気になり、死に様の美談を売買するという設定に驚きました。この題材を選んだきっかけは?

コロナのワクチンが開発される前の頃に「このまま病が常態化していったらどうなるんだろう?平均寿命がすごく下がることもあり得るのかな」と思ったんです。全世界において誰にでも起こりうる突然の人生の終わりをすごく意識しました。そこから、もし今よりも寿命が短い世界で「死ぬことに意味を見いだしたい人達が作家の手を借りて自分の死に様の物語を創作する」という設定を思いついたのが始まりです。
あと、当時は多くの人が家に籠もってSNSから情報を入手していた時。SNS上の言説によって世界がどんどん塗り替えられていく状況を目の当たりにしたんですよね。良い情報も悪い情報も、なんだかよくわからない根拠不明の空気感みたいなものがわ~っと蔓延してわ~っと引いていく。それを何度も目撃するうちに「人間って言説という概念によってこんなにも動かされてしまうんだ。人の死に方を創作することはフィクションじゃないな」と思いました。SNSって自分の人生をなんとでもプロデュースできるんですよね。それをフィクションとして極論化した時に、美談作家という職業がもてはやされる時代が来るかもしれない!とハッと思いついて「あー!これ書ける!」と。

 

――人が人生に物語を欲していたり、SNSで自己プロデュースするようなことは、コロナ以前から過剰になってきた印象です。

近代以降たぶんずっとそうなんです。夏目漱石が「人はなぜ生きるのだ?」みたいなことを延々と書いて商品になる時代があった。やっぱり、人は自分が生きる意味を常に欲しているし、それを他人から与えられたら楽だなと思っているんだろうなというのは、長年の自分の中のテーマでもありました。

 

――まさに“美談作家”という仕事に繋がりますね!設定はSF的ですが、演劇にするにあたりキャスティングのこだわりは?

不敵さのある人、ですね。ただの悪い人や良い人ではなく、腹にいちもつを抱えていそうな演技のできる俳優ばかり集めました。主人公を引っ張っていく大物美談作家役に柿丸美智恵さん。その美談作家の手を借りてのし上がっていく主人公の若手美談作家に町田水城さん(はえぎわ)。若手美談作家をずっと面倒見てきた兄貴的存在、かつ美談作家を利用している政治家を一人二役で福本伸一さん(ラッパ屋)が演じます。登場人物はみんな欲深くて、自分の目的のために美談を書いていく。だから、どこか信用できそうになかったり、なにか独自の道徳観を持っているかもしれない雰囲気がある人達ばかりですね。

 

――台本は当て書きですか?

普段は「この役者がこんな話をしたら面白そうだな」というところから台本を立ち上げていくことが多いんですけれど、今回はちょっと違うんです。
というのも『美談殺人』はこれまでにないほどフィクションが高く、かなり突拍子もない世界観ではあります。『世にも奇妙な物語』みたいなんですよ。なので、いつも心がけている生々しい会話はハマらなくて、フィクションラインが高いセリフになっていきました。珍しく、わりと大胆な台詞を言うキャラクターが多いですね。

 

――“物語”を扱う作品ですと、物語を書く劇作家=高羽さん自身が物語をどうとらえているのかが反映されるのでは?

すごく表れていると思いますね。だから「高羽が考える“物語”はこんなものか」と怒る人もいるかもしれない。また、物語に踊らされることに対する警鐘や批判も書いているので、それも人によっては「こんなにたやすく物語を扱いやがって」と怒るかもしれない。でも作家って、求められればノリで書いちゃうみたいなところもあるんです。私はずっと作家や表現者の戦争責任について考えてきたんですが、ここに書いた一文字が10年後、100年後の未来にどう影響与えるかなんて考えず、インスタントに消費される商品として生み出されている物語はたくさんあると思うんです。

 

――とくにSNSでの自己表現が一般的になってきた現代では、誰もが「物語とは何か」と考えることは大事じゃないかなと思います。

本当にそうですね。今SNSによって一億総作家のような状態ですから。誰でもインスタントに物語を描ける。だからこそ、物語には恐ろしい力があって、物語を書くことは暴力性をはらんだ行為だという“物語の悪い面”を書きたかったんです。

 

――『美談殺人』では手話通訳の田中結夏さんが、役者としても登場しますね。

もともと演劇のバリアフリー化には興味があって、いつか舞台で手話をやろうと虎視眈々と狙っていました。今回の物語を思いついた時に、物語というテーマの中で役者として手話通訳者を出すアイデアを思いつき「この題材なら手話もいける!」と実現しましたね。

 

――どのように手話を作品に取り込んでいるんですか?

ミザンス(立ち位置)が通常の演劇よりもすごくシビアなんですよ。たとえば、手話は胸から上が見えてないと伝わらない。出演者の一人が常に胸から上が見えているって状態を作るって大変です。視覚的に飽きず、他の人達が自由に動き回っているかのように見せて、でも手話の動きはちゃんと視認できるミザンスを作るために「じゃあ、この時はここに立っててもらって。このタイミングで振り向いて、ここに移動して、ここで手話をやったら見える!そのためには移動する動機を作らないと!」みたいな作業をやらなきゃいけない。こんなに大変だとは思わなかった!

 

――ダンスの振り付けのように動きを細かく決めていかないといけないんですね。

そうなんです。でも、その中でもやっぱり役者の生の感情を大事にしたいから、役者の動きを優先します。それと、手話がきちんと見えるかどうかのせめぎ合いですね。
あとは「聞こえない人が何を頼りに物語を理解していくのか」を演出家として意識していることがとても大切だなと思っています。というのは、役者の動きで状況が理解できる場合には、あえて手話を見せなくていいんです。手話を見せないといけないのは、動きを見ても内容がわからない時。でも「この瞬間は手話よりもこっちを見てほしいな」ということがあったり、「セリフのテンポに手話のスピードが追いつかない」ということもあるので、そういった時に、すべてのセリフを手話通訳するのか、または間引くのかを考えます。
忘れてはいけないのは、手話って異なる文化を持つ人との触れ合いなんだ、という感覚。音の無い世界で培われた文化なんです。演出では、聞こえる人間の思い込みを排除しながら、手話通訳者の存在が違和感をあたえないようにしないといけない。耳が聞こえる人にとってもそこに手話をする役者が存在することに意味がないといけません。

 

――舞台で手話の役者がどう存在するか、調整が大変ですね。単純に舞台端に立って手話通訳をしているのとは全然違う。

すごく大変なことに手を出してしまいましたね……。これまで手話通訳者が役者も兼ねている舞台って、ほぼ無いですよね。事前に耳が聞こえないモニターの方に稽古を見ていただいたりするんですけど、そもそも答えがないことなので、試行錯誤しています。最終的には「失敗だ」と言われるかもしれないけど、バリアフリーということが小劇場の間口を広げるきっかけになれるといいな。今回はたまたま手話とモニター字幕、事前舞台説明会や劇場までのアテンドを採用していますが、託児サービスや、外国語翻訳によってお客さんのアクセスが良くなることがある。そうやって「こんな小劇場があるんだ」と知っていただけることで、いつか劇場に来てくれるかもしれない。そこから広がっていくことは重要だなと思っています。

 

――観劇しづらかった人が来やすくなるだけでなく、他の観客も「門戸を開いているオープンなところに自分も参加している」という感覚を感じられるといいですね。

そう思っていただけると嬉しいですね。客席だって多様化した方が良いんですよ。演劇好きな人はもちろん、いろんな人に劇場に来ていただきたい。劇場はパブリックな場所なので、そこが多様性のある社会の縮図になったらとても豊かだなぁと思います。客席を変えることが緩やかに世の中を変えることに繋がっていくのが理想で、観終わった後に、隣の席の人の気持ちを一瞬でも思いやったり、ちょっとだけ優しくできたりすることが、世の中を変えていく。その積み重ねで、今日観たお芝居が100年後の世の中をちょっとだけでも良くするきっかけになればいいな。他人に対する想像力を刺激する物語を書きたいです。

 

――今回はギフトチケット(※)や、U25割引、U18無料などもありますね。
(※チケットをプレゼントされた人が自分で日時指定できる)

やっぱり若い観客が増えないと演劇文化は先細りするし、コロナで学生さんが大変な生活をしているというお話を聞いたので、少しでも安くしたかった。それにつられて大人が一緒に来てくれれば(笑)。願っているのは、うちの劇団のお客さんだけが増えることだけじゃなくて、演劇という文化全体を楽しんでくれる人が少しでも増えたら嬉しいです。テレビや映画やYouTubeや音楽LIVEや読書と同じように、演劇という選択肢もあって、楽しみ方がひとつでも増えたら生きやすくなるんじゃないかな。

 

――その中で、高羽さんはなぜ演劇を?

好きなんですよね、やっぱり。演劇を創っているときが一番楽しい。アニメやゲームの脚本の仕事もしますし、それも面白いですが、私にとっては演劇が一番表現できることの幅が広い。というのも、人間って情報を食べる生き物だと思うんです。情報量が多い物が好きなんですよ。もっとも人間に与える情報の量が多いのが生(なま)だから、演劇って楽しいんですよね。

 

――作品そのものから五感で感じる情報量も多いですし、客席から感じる情報も多いですよね。それこそ、耳が聞こえない人も物語を“体感”できる。

そうそう。舞台上で起こってることだけじゃなく、その空間に来ることが刺激的ですよ。今回は耳が聞こえない方がどう楽しんでくださるのかまだ未知なところはありますが、幸せな空間になればいいな。観客が多様であることで、本番中にイレギュラーな事態が起こるかもしれない。お客さんがギョッとするような出来事が起こるかも。でも演劇って、実はいつだって何が起こるかわからないんですよね。その上で私達はなるべく良い空間になるように試行錯誤しているので、最後に良いカーテンコールになるといいなと願っています。

 

取材・文・写真:河野桃子