天海祐希と鈴木亮平がW主演を務めるCOCOON PRODUCTION 2022「広島ジャンゴ2022」。蓬莱竜太が広島の劇作家と2017年に共作したものを、蓬莱自身の手で脚本をリニューアル、よりエンターテインメント性を高めた新演出で上演される。現代広島の牡蠣工場が、いつの間にか西部の町“ヒロシマ”へと舞台を移し、天海はパートタイマーのシングルマザーから流れ者のガンマン・ジャンゴに、鈴木は工場のシフト担当からジャンゴの愛馬・ディカプリオに扮していく。この異色作に、天海と鈴木はどのように挑むのだろうか。
――まずはご出演が決まって、どんなお気持ちになりましたか?
鈴木 蓬莱さんとは「渦が森団地の眠れない子たち」でご一緒していたんですが、人間性とか、稽古場の雰囲気も含めて、ぜひもう一度と思っていました。お話をいただいて、思ったよりも早くご一緒できるなと思いましたし、本当に超一流の方と一緒にやらせていただけるので、身が引き締まりますね。
天海 蓬莱さんの作品はいくつか観させていただいていて、私が拝見したものは本当に穏やかに、ごくごく日常を繰り返していくようなはじまりだったんですけれど、あることをきっかけにちょっとずつ歯車が狂っていく。そこから生まれる人間の深層心理がどんどん浮き彫りになっていくというか…こんなに世界が変わるのか、と感じて、それでいて、最後にどこかちょっと希望もあって。鋭い何かでちょっと切られるような思いがしました。いつかご一緒できたらと思っていたので、こんなふうにお話をいただけて、とても嬉しいです。それで、これだけのキャストの方とご一緒できるのは、励みにもなりますし、頼りにもなります。バカなことができたらいいな、という気持ちでいっぱいです。
――お2人はどんな役どころなんですか?
鈴木 木村という役は、広島の牡蠣工場でシフト係をしている中間管理職。そこに入ってきたのが、天海さんが演じるシングルマザーの山本さんで、山本さんが全然輪に入ってこない、残業をしてくれない。板挟みになって悩んでいます。そしたらある日、目が覚めたら西部劇の世界に行っていて、山本さんは流れ者のガンマン・ジャンゴになっていて、僕はその馬になっているという(笑)。木村は、独身男性で、山本さんが抱えている状況や背負っているものに対して想像が働いていないんです。そういう鈍感で無知な青年が、そういう世界に息づいていくという流れですね。
天海 物語としては、本当にその通り。山本さんはシングルマザーで、西部劇に行くとお尋ね者のガンマン・ジャンゴになっています。どちらにしても、割と寡黙な感じの女性ですね。自分の状況や気持ちをあまりしゃべらない。それは、後々どうだったかがわかってきます。一見、工場と西武劇でまったくつながらない世界なんですけど、その両方をくっつけて、1人の山本という人間を表現できるんです。そこがすごく面白いですね。
――今回の舞台での課題はなんでしょうか?
鈴木 歌があるので、天海さんに相談しています。天海さんからは「上手い必要はない、役として、木村という人間が歌っている歌なのであって、鈴木くんが歌っているわけじゃないから大丈夫。」と言っていただきました。
天海 そう、そうです。物語の中に入っていけばいい、それだけの話ですよ。鈴木さんはなんでもできるので、大丈夫です!私の役は、普段の私を想像するとちょっと違うかな、という感じがしていますね。山本さんという役、ジャンゴという役を、ちゃんと生きられたらいいなと思っています。
鈴木 木村という役どころは、割と翻弄される役で、お客さんと同じ目線に立って、急に西部劇になる世界に戸惑いながらも、その世界を見ていくんです。そこにリアリティを持たせつつ、緩急をつけつつ、お客さんに届けられるかというのは、一番意識しているところですね。
――ポスタービジュアルも、役衣装とはまた違った形になるかと思いますが、平凡な工場服とかなりカッコイイ西部劇姿とが撮影されています。どんな感じで撮影されたんですか?
天海 私は最初の方だったので、まだほかの方のビジュアルとかも無くて。でも、面白かったですよ。どんなふうに本を表現していくのかな、って思っていたので。ポスター撮影のタイミングって、まだ事細かくわかっていない私たちも、なんとなく“こういうことなんだ”って、最初にイメージを理解できる機会なんです。
鈴木 僕は、馬なので馬の被り物を持っています(笑)。それで西部劇の方は、木村のイメージとは全く違っていいので、もみあげ付けて撮りましょう!って言われて、されるがままでした。あと、ウエスタンハットが小さくて、ほかの皆さんはしっかり深くかぶっているんですけど、僕は上に乗っている感じなんですよ(笑)。
――そうなんですね!チラシを手にした方がついそこに注目して見てしまいそうです(笑)。今回、広島が舞台になって、広島弁もふんだんに出てきますが、広島のイメージは?
天海 牡蠣…あとは菅原文太さん。厳島神社に、もみじ饅頭!でも、私は広島弁をしゃべらない役なんですよ。東から来た人なので。鈴木さんは広島弁がめっちゃお上手と聞いているので、すごく楽しみにしています。男の人が話すとカッコいいじゃないですか。
鈴木 以前演じた役はけっこう強い広島弁で、広島弁にはそういうイメージがあるんですけど。今回は、普通に男の子がしゃべる広島弁なので、そこは新しくやっていかないとと思っています。強いイメージを出さずに、どう広島弁をしゃべるかというのが、課題になってくると思います。
天海 振り回される役の方が、実は大変だと思いますよ。私たちはガンガン行けばいいけれど、それを受けていかないといけないから。すごく楽しみにしています。
――今回の稽古場で楽しみなことを教えてください。
天海 いつの間にか、自分のいろいろなものが固まってきてしまうことってあるんです。それを、新しい世界に入って毎日毎日、同じことを稽古して新しい発見をしていく。そうすることで、どんどん自分の凝り固まってしまったものを剥いでいけるような気がしています。これだけのメンバーの中でたくさん恥をかくでしょうし、いろいろ打たれながら…強くなれるような気がして。それはやっぱり、舞台の、演劇のお稽古じゃなければできないことだと思っているので、そこをすごく楽しみにしています。
鈴木 蓬莱さんの現場は、すごく恥をかきやすい現場なのがいいなと思っているんです。それで僕は、この出演者のみなさんとの化学反応で、自分のお芝居がどう変わるのか、みなさんがひとつひとつの気持ちをどんな風に伝えてくださるのかが楽しみです。もう絶対に、今僕が読んでいる本以上のものが出来上がってくると思うので、それが今から楽しみです。
――物語の魅力を現時点ではどのように感じていらっしゃいますか?
天海 西部劇の形をとっていますが、現代にそっくりつながるお話。現代が抱えているいろんな問題を全部、振り分けているように感じます。国家間の話のようにも見えたり、友達との小さな間の話にも、小さな会社にも見えたりするんです。物事の中心を突いていることが、こんなにも大きくも見えるし、小さくも見える。そういう蓬莱さんの脚本に、驚かされていますね。その世界観を壊さないように入っていけたらと思っています。
鈴木 ほぼ同じなんですが、西部劇のフィルターを通しているからこそ、現代のひとつひとつの問題が浮かび上がってくる。コミュニケーションの難しさとか、DVのこと、労働環境のこと、同調圧力のようなこと…発端としては、職場の飲み会に参加しないといけないのか、ということなんですよ(笑)。
天海 (笑)。ほんとにそうなんですよ。
鈴木 そのテーマが、西部劇になり、その問題だけにとどまらない、いろんな諸問題が浮かび上がってくる。それを木村くんがちょっと見て、どうすればいいのか――って1歩踏み出していく。ちっちゃいけれど、大きな話なんですよ。演劇でしかできない世界は、ここにあるなと思っています。
――いろいろとインパクトのある設定ですが、現代を生きていて感じる不条理さのようなものがしっかり描かれている印象です。お2人は不条理だと感じたことを、どのように解消しますか?
鈴木 僕はもう、1回寝ますね。寝るとクールダウンするので、怒りそうになったら寝ます。もし、今の自分の状況を変えたいとか、そういう不条理さだったら何か戦略を考える必要がありますけど、通りすがりの人にされたような不条理は自分で処理するしかないので、寝ちゃいます。
天海 自分が動いてどうにかできるものであれば、その方法を考えたり改善したりはしていくかな。周りが関係することであれば、自分ひとりが突っ走ってもいけないから相談もするし、自分ひとりで処理すればいいことは、自分だけでやるし。それでもどうにもならないことは、忘れるか、大したことないや、と思って寝るかですね。
鈴木 ふて寝、ってやつです(笑)。でもまずは、どうすればその状況を良くできるかを、冷静に考えないといけないですから。
天海 年齢が上がってくると、相手の立場とか反対の立場にも立って考えられるようになるじゃないですか。若いころは、ワーッと湧き上がってきた怒りだけで進んでいたものが、それだけではいけないな、っていう勉強はしていきますよね。
鈴木 そうなんですよね。こちらから見たら不条理でも、相手からみたら不条理じゃないことだってある。
天海 相手が理解できれば、自分の怒りが収まることもあるかもしれないですからね。
――蓬莱さんはこの作品の中で、「女性が闘う」ことをえがくことが、大きな意味を持つと考えていらっしゃるとコメントされていました。現代女性の大変さについて、なにか考えるところはありますか?
天海 現代だけじゃないですよね、女性が闘わなきゃいけないっていうことは。もっと昔のほうが不条理なことがあったでしょうし、声を出せなかった部分もある。でも反対に現代は、ちゃんと自分の意見を言わなければいけない。自分で矢面に立たなきゃいけないこともあるから、それが大変って思うことはありますね。でも今も昔も、大変なことは同じだけあると思います。
鈴木 どの時代においてもつらいことはあるし、生きづらさってあると思います。歴史的に見ても女性の人権が欠けている時代は男性よりもはるかに長く、女性が闘わなきゃいけなかったことがたくさんある。ただ、闘わなければいけないことの種類が、現代ではいろいろ変わってきている気がします。同時に木村という役の立場から言えば、性別に関わらず、シンプルに相手の状況に想いを馳せられるか、その想像力が問われているんだなと思いますね。
――エンターテインメントを楽しんでいるうちに、心の深いところに何かが刺さってくる作品になりそうな気がします。公演を楽しみにしている方にメッセージをお願いします。
天海 コロナ禍になってから、皆さんの気分が沈んでいたり不安と隣り合わせだったりしている中で、ドラマを見たり、お芝居を観たりして「本当に楽しかった」「心から笑えた」と言っていただけると、この仕事をさせていただいて本当によかったなと思います。やっと、私たちが皆さんの役に立てる番がやって来たと言うか、そんな気持ちです。いろいろなものを経て劇場に足を運んでくださったお客様の前で、今日ここで人生が終わっても構わないと思うくらいの熱量で演じることができる。そういう状態になりつつあることをすごく嬉しく思っていますし、すごく楽しみにしています。
鈴木 自分がやった作品が顔の知らない誰かに届いて、その人に何かいい影響を与えられたときのことを伝えてもらった時と言うのは、一番やりがいを感じられる時です。大河ドラマをやらせていただいた時には、自分の地元が好きになりましたというお手紙をお子さまからいただいたり、何か媒介することがあったりすると、やっていてよかったと思いますね。舞台だと、それをカーテンコールのお客様から感じられたりするので、生でお届けできる状況というのも、今回のお芝居で楽しみにしていることです。ぜひ、足を運んでいただけたらと思います。
取材・文:宮崎新之