舞台作品・美術・映像を制作する団体ゆうめい、舞台『あかあか』の上演が決定!

2022.03.15

舞台作品・美術・映像を制作する団体「ゆうめい」による舞台『あかあか』が、5/28(土)より川崎市アートセンターアルテリオ小劇場にて上演することが決定した。

今作は2020年3月に『ゆうめいの座標軸』再演レパートリーとしてこまばアゴラ劇場での上演を予定していた『あか』(コロナ禍による影響で延期)をリクリエイションし、新たに『あかあか』としての上演を計画。前作『あか』は新宿眼科画廊 スペースOにて2018年に初演を行った。

『あかあか』は作・演出の池田の祖父の絵画を展示し、池田の実の父を役者として起用、本人役や祖父役、息子役、そして他者役へと入れ替わりながら三世代と別の世代が劇場で溶け合うような作品を展開していく予定。本人を演じることで生じるリアリティと、フィクション性を両立させ、再演では出演者と共に絵や目の前の事象から新たな表現を生むことを計画している。父と子、母と子、そして血の繋がりのない人々という立場を表現する場において出会い、同時に劇空間へ存在させる。家族という蔓延する形式には、生命を繋ぐ或いは共同体として存在するための理由があるかと考え、その理由とはどういうものなのか、実際に存在をなし得ているものなのかということを追求していく創作を、別々の家族と他人の視点から行なっていく予定だ。

作者が既に亡くなっている祖父の絵画から生存している父と子へ表現を繋ぐという個人的な話を、別の家族へと変化する表現によって伝染していく瞬間を表し、死から生へと向かう家族の話を別の家族が受け取ることによってどのような変化・反応が生まれるのか、そして別の家族が発したものが更なる赤の他人へと伝わっていくときに何が起きるのか何が変わらないのかを実験的に検証し続け、より自分を超える外の世界へと伝わっていく流れを観客へ紡いでいければと考えているそう。

パブリックとプライベートによって浮かび上がる空間を、同じ時を過ごす観客と共有することによって「個人と家族と赤の他人」という関係性に於いて更なる想像を引き出し、表現が変化していく物語を描く。5月には神奈川県の川崎市アートセンターアルテリオ小劇場、6月には三重文化会館小ホールにて本作を上演。 活動拠点であった東京だけでなく、4月の城崎での滞在制作期間を経て(本年度城崎でのアーティスト・イン・レジデンス・プログラム作品)、「ゆうめい」初のツアー公演を経て、神奈川、そして三重と新たな場所で公演を行うことによって、作品的にも劇場や地域に合わせた サイトスペシフィックな作品としても変動し、実体験と表現のクロスを発表し続けることによって生まれる他者との交感と反発を繰り返し、常に現代における新たな視線を見つけることを目指す。

また、今作では、初演では無かった「音楽劇」の要素を演出上加えようと検討しているおり、音楽制作は、池田の兄が所属するバンド『春日部組』に依頼しようと計画しているそうだ。

舞台写真『あか(初演)』2018年 新宿眼科画廊より

あらすじ

自由美術の先駆けと言われた20世紀の抽象画家、池田一末。自らの美意識を探究し続けた彼の絵は殆ど売れなかった。遺族からの価値も不透明で「肉親だから」という理由のみで保管されている数百点の作品群は、親族の死や老朽化が進む彼のアトリエの解体と共に処分される未来も視える。いずれ他者にとって不要となる。彼の遺品を整理する中、絵画が一度だけイスラエルの地で売れた記録があった。絵画の行方とその意味を探り、実の遺族である子(芸名:五島ケンノ介 本名:池田 靖)と孫(池田 亮)が出演する、死から生へ、三世代のドキュメンタリーから他者へと紡がれる舞台作品。

コメント(作・演出:池田 亮)

アトリエのある祖父母の家は老朽化が進み、取り壊した後に大量の絵を保管するため別に倉庫を借りるにせよ結構なお金が掛かるため「処分」という言葉が親族間に浮かび始めている最近です。そんな「(不)必要」に揺れる出来事を軸として、今作は2020年にコロナ禍での影響によって中止なった『あか』をパワーアップして『あかあか』としてお届けします。今までのゆうめい作品を成立させてくれた方々と、新たなキャスト・スタッフの皆様と共に作り上げます。ゆうめい初のツアー公演、神奈川そして三重の劇場へ是非ともお越しください。