岩松了、風間杜夫 インタビュー|青空は後悔の証し

岩松了の最新作「青空は後悔の証し」が、明後日のプロデュースで上演される。キャストには風間杜夫、石田ひかり、佐藤直子、小野花梨、豊原功補といった魅力的なキャストが名を連ねた。かつてパイロットだった男を中心に描かれ、男がかつて救ったという女性との再会をめぐって物語が動いていく。元パイロットを演じる風間と、作・演出の岩松に話を聞いた。

――まずは作・演出を手掛けられる岩松さんにお伺いします。今回の企画はどのようなところから生まれたんでしょうか。

岩松 最初は、風間杜夫さんと豊原功補さんとをマッチングさせて、何か生まれるものがないだろうかという相談があってはじまりました。そこから、僕が過去に思っていたことや、形になっていなかったプロットを混ぜていった感じですね。以前に、パイロットを退職した人の話を考えていたことがあったんですよ。そこに、その時たまたま読んでいた本のこととかを混ぜて、今の本になっている感じですね。

――風間さんは今回のご出演にあたってどのようなお気持ちになりましたか?

風間 僕と岩松さんは、プロデューサーの小泉今日子さん主演の舞台で、岩松さんの作・演出でご一緒しているんですよ(「恋する妊婦(2008年)」。そこから2年に1本くらいやらせていただいたんですが、10年を過ぎたところで、とんとお声がかからなくなって(笑)。今回、久しぶりにお会いできるということで、すごく興奮しました。

――今の時点で、物語の手触りをどのように感じていますか。

風間 僕の役は、今は高齢で病気を抱えている元パイロットの親父で、息子との関係がとても切ないですね。スチュワーデスっていう言葉が出てくるんですけど、今はもうキャビンアテンダントですからね。僕は昔「スチュワーデス物語」で、パイロットじゃなくて教官だったんですけど、当て書きかな? いや、違うのはわかっていますがね(笑)。でも、役の男は1949年生まれで、僕と実年齢も同じだから、実に等身大の親父なんです。その男が過去にどんな甘酸っぱい思いを持っているのかは、やっていてすごく興味深い。スチュワーデスとのかつてのロマンスというか――ロマンスでもないのかな、その彼女を自分が救ってあげたということが、今の自分の生きている意味になっているのかも知れない。愛らしくも切ないジジイの感じです。まだまだ半分くらいの手触りですが。

――セットでは大きな窓が印象的になものになると聞いています。歳を重ねたからこその孤独感というか、世間との隔絶のようなものも感じられるのですがいかがでしょうか。

岩松 退職すると、結局それまでの社会だったものから遠ざかっているんですよね。そうすると身近にいる人間にしか社会にならないので、過去に広がった世界に想いが行きがちになる。今回なぜパイロットかというと、昔、横浜の都筑区に住んでいた時、パイロットのための建売住宅がいっぱいあるという話を聞いたことがあったんですよ。実際にパイロットと知り合いになったわけじゃないんだけど、パイロットの人が床屋で昔スチュワーデスをやっていた人のエッセイを読んで…っていうプロットが面白いかな、と考えていたことがあったんですよね。

床屋って、働いているときは会社の近くとかで行くんですけど、仕事を辞めたら近所の床屋に行くようになりますよね。そこで、何か人の情報を聞いたりして、近くの社会を知っていく。そんな床屋で、昔一緒に働いていた人が書いていたものを目にしたら…って、そういう話を考えていたんですよ。

――その昔のアイデアが、今回のある種原型になるんですね。タイトルについてはどのような想いがありますか?

岩松 青空の中にあるちょっとドキッとしてしまうもの――なんか悪いことが起きるんじゃないかというような感じがあると思うんですよね。夏のきれいな青空の中に、何か事故が起こるんじゃないか、そういう不安があるはず。青空を見たときに、後悔の芽がどこかに浮かんでいる。プラスのものが見えているんだけど、自分としてはマイナスの何かがそこに紛れる可能性がある。それがもともと見えていて、消えるかもしれない。そういう感覚を持ちたい、という感じですね。

――何か虚を突かれてしまったような気持ちになって印象的なタイトルだと思いました。演出家として見た、風間さんの印象はいかがですか。

岩松 役者を目指す人たちっているじゃないですか。そういう人たちは、ぜひ風間さんを見てほしいなと思いますね。“決めないで”入れるっていうのかな。役者って、こういうふうにやろうとか決めると思うんだけど、真っさらな状態から入れるんですよ。自分で自分を稽古しながら染めていく力がある。演出家からすると、バッと決められるのが嫌だったりもするんですよ。左に行こうとした人に右に行け、っていうのは結構大変じゃないですか。右にも左にも行ける、徐々に自分を染めていくことができる人だから、若い役者さんは風間さんがどうやって役を迎えているかを見ていると、結構勉強になるんじゃないかな。

変な言い方かも知れないけど、風間さんがやってきたつかこうへいさんの芝居と、僕の芝居って逆だったりするじゃないですか。この間は唐十郎さんともやっているし、落語もやっているんですよね。でも、だからいろんなことをやれ、とかじゃない気がするんですよ。自分がどこにでも出向けるスタンス、それはひとつの役をやるときも真っさらなところから始めることができるということを、若い人たちに学んでほしいですね。

風間 そうだなぁ。本から受けた印象だとかイメージとかはもちろんありますよ。でも、それを材料にしてこうやってやろう、ああしよう、というような、あらかじめ始まる前から作っていくようなことはないですね。何度も繰り返してセリフを読んでいくうちに、この音が正解かな、とか言い回しを探ることはありますけどね。でも、稽古場で演出を受けて気づくこと、そこから常に修正できる…ギアをニュートラルにしておいて、求められればトップに入れる、そういう心づもりでは常にいますね。

僕の恩師っていうのは、やはりつかこうへいということになっているんですけれどね、彼の元で長いことやってきましたし、つかさんの稽古場がそうでしたから。もともと台本がないところから芝居を作っていくわけで、セリフを音で、耳で覚えていくので瞬発力がいるんです。ほかの現場でもそうですね。唐十郎さんの本を読んでよくわからないんだけど、演出をつけてくれるわけだから(笑)

岩松 それが不思議っていうかね。つかさんの芝居って、モノローグがすごく多いじゃないですか。その人にピンが当たっているというか。僕の芝居って、どっちかというとピンが当たらないし(笑)、関係性というか、人と人の間の空気を作ろうとしている節がある。真逆なのに、風間さんが対応できるというのが、最初から割と不思議だったんですよ。風間さんがつかさんの芝居に出ているときはしっかりピンが当たっているのに、どうして僕のあいまいな芝居ができるんだろう?ってね。

でも、柔軟なだけじゃなく風間杜夫という役者のイメージもしっかりあったんですよね。「恋する妊婦」を再演したときに、初めて風間さんに出てもらったんですけど、実は初演のときから風間さんを想像して書いていた役だったんですよ。

風間 え、そうだったんですか?

岩松 大衆演劇の座長という役で、役者というイメージもそうだったんだけど、演技の質として満遍なくできるというのが、本当にすごいと思いますね。

――岩松さんから見ても、風間さんの柔軟な演技力は不思議に思うほどなんですね。風間さんから見た、演出家としての岩松さんはどんな印象ですか。

風間 岩松さんは、ご自分で書かれた本ですから一番よくわかっているはずなんですけど、ポーズとして、僕にもよくわからないとかおっしゃるんですよね。それが非常に不親切(笑)。ガイドを求めているんですけど、自分で考えてみたら、とおっしゃるんですね。以前、別の岩松さんの作品で、僕が初っ端に上手から下手に歩いて出てくるんだけど、どこに向かってなんで出てくるんですか?って聞いても、わかんない、と。とにかく懐かしそうに歩いて、とかそういうふうにね、言ってくるんです。そうやって、ちょっと不親切なことを何回も繰り返していると、だんだんとわかってくるんですよ。それが正しいんです、この現場は。言葉で説明するよりも、回数を重ねて、あぁそうか、と体が気づく瞬間がある。あ、これなんだ、というのを発見できた喜びが、ほかの演出家の方とは違う気がしますね。

岩松 僕の芝居はね、繰り返しやらないとダメな芝居なんですよ。多分、稽古して一度出来上がったらもう稽古しなくていいよ、って人もいる。でも、僕は今日できたからって、明日はダメだろう、っていう理屈だからね。僕が楽しいだけで、役者の人は楽しくないのかもしれないけれど(笑)

風間 いや、岩松さんの稽古場はほかの人がやっているのを見ているのも楽しいですよ。以前だったら、4~5ページを1週間くらいやるんですけどね。だから、途中から出る人は半月くらい見ているだけになっちゃう(笑)。だからって来なくていい、ってことじゃないんだけどね。

岩松 いや本当に…昔は1シーンを2週間くらいやって、ほかの人いつ出てくるの?って感じになりますからね。本当に申し訳なかったね。もうダメ出しの連続で、役者ももうやれることが無くなってきちゃって、入りのあいさつの声がどんどん萎んできちゃうくらい(笑)

風間 でも、プロデューサーともさっきちょっと話したんだけど、この現場は意外と早く進んでいるんですよね。

――それは期待が高まりますね。お2人が考える「芝居の持つ力」ってどういうものだと思いますか?

岩松 言葉を選ばずに言うと、演劇は世の中でドロップしたと感じている人にこそ力になると思うんですよ。役に立つ人は、社会にはびこっていくじゃないですか、偉い人とかね。その中で、落ちこぼれてしまう人も出てしまう。そういうひとたちを救えるような気がしているわけ。芝居を観て「そんなバカな!」って言う人に、そんなバカなもんじゃないよ、っていうものを見せたい。そういう人を救うもの、文化ってそういうものだと思うんですよ。

風間 僕自身が芝居で救われたからね。今はこうやって図々しくもインタビューに答えたりしているけれど、若いころは人前に出るっていうことが苦手で、自分の言葉も持てないし、非常に内向的な青春だったんですよ。中学ぐらい、自我に目覚めてからはずっとね。

でも、自分が今ここにいるっていうことをどこかで証明したい。そのためには、僕には演劇が必要だった。演劇という通路があって僕は社会と関われたし、自分を主張できるのは演劇だけだった。大げさに言うと自己救済だったんです。だから、芝居についてお客さまのことを考えて何を届けようとか、どう思ってくれたらいいかとかじゃなかった。僕が演劇に救われていたんです。芝居の中で自分が解放されたり、自分がいることを実感できたりしていたからね。そのためには、虚構という枠が必要だった。作りごとの世界だと、自分が自在に、自由になれる。それがずっと未だに…もう73歳になろうとしているのに、そういう青臭いことを思っているんですよ。

岩松 やっぱり、生粋の役者なんですね。

――今回の作品も、そういう芝居の力をかんじさせてくれるものになるかと思います。最後に、今回の芝居で描きたいものとは、どういうものでしょうか。

岩松 そもそも、こう見てほしいとか僕がやろうとしたことが、違う印象で伝わる可能性もあるんですよね。その上で、僕はいわゆる“よくできたお話”が好きじゃないというか、僕がやる役目じゃないような気がしているんです。僕の言う“よくできた話”は基本的に過去の話。過去だから、俯瞰してよく描ける。でも、僕は現在を描きたいんですね。現在っていうものは“わからない”もの。過去のことはわかるんですけど、現在はどんなに頭のいいひとも悪い人も、みんな一緒にわからない。その時間、時間の突端を描きたいんです。

だから、わかりにくいとか言われてしまうことは、甘んじて受け入れるよ、という気持ちもあるんです。だって、今というわからないものをやっているんじゃないか、ってね。その時間が一番ドラマチックだと思うので、過去のことは自慢話にしか見えないんです。みんな一緒にわからない、そういう時間を僕は演劇にしたい。もちろん、よくできた話だって素晴らしいものですよ。でも、僕の役目じゃないんですよね。

風間 非常に難しいお芝居ですからね、軽々しく言えないんですよ。でもね、この世界に参加できている喜びは感じていますから、今日聞いたお話を肝に銘じて、明日からの稽古に臨みたいと思います。

――誰もが等しくわからない“今”を捉えた作品にしていきたいということですね。その世界に触れられるのを楽しみにしています!

1900年代に書かれた戯曲の中からデビュー作、岸田國士戯曲賞受賞作を含む珠玉の6作品が収録された傑作選。
『岩松了戯曲集 1986−1999』(リトルモア刊)が5月25日全国書店にて発売。『青空は後悔の証し』公演劇場にて先行発売。

取材・文:宮崎新之