ちょっぴりダークで切なさが漂う大人のための寓話を紡ぎ出す劇団おぼんろが、昨年2021年8月初演の『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』を早くも再演。しかも新キャストを迎えてWキャスト&ミックスキャストという挑戦だ。8月18日の初日に先立つ8月11日には、講談社より書籍化した同作品が書店に並び、電子書籍としても販売を開始。新たなステージを拓く劇団員から、末原拓馬、さひがしジュンペイ、わかばやしめぐみをインタビュー。「この3人はパンフレットでもやっていないね、世界で初めてだ(笑)」と末原。「しゃべりやすい? しゃべってみないとわからないよ(笑)」とさひがし。物語の中心人物である「トノキヨ」を、男性のさひがしと女性のわかばやしがWキャストで務めるという俄然注目の話題をはじめ、純度の高い会話が紡がれ昇華した。
「闘病中の父を励ますために」が出発点。そこから「世界に永遠に残る物語」へ進化。
――新作を一年で再演するのは劇団としても早い決定ですか?
末原「そうですね。」
さひがし「うんうん。」
――タイミングは早くても再演したい、という特別な思い入れがあるのですね?
さひがし「昨年この作品ができた時から「夏の風物詩にしよう」という話は出ていました。自分たちも好きな作品だし、継続的にやっていきたい一本です。今回の再演だけでなく、来年、再来年……と、ずっとやっていきたいもので。」
わかばやし「昨年の稽古中から、次もやりたいね、やるんだよねって言っていたんです。」
――本作はみなさんにとってどれほど大事なのでしょう? 想いを聞かせてください。
さひがし「最初から説明しようよ。」
末原「そうだね。昨年7月4日に父(ギタリストの末原康志)が亡くなりました。僕は19歳から演劇をはじめ、二十歳で初めて自分の作品を書いたんですが、その時からずっと父に音楽をつけてもらっていました。最初は、プロの音楽家の父に対してこっちの素人感の格差もありつつ(笑)、近年では「タッグを組んでいる」と過言じゃないまでに。劇団ぜんぶが家族で、父とも親しくやってきました。その父が闘病生活に入り一年後に亡くなりました、それが昨年です。父の逝去は公開せず、劇団員の中でだけ共有しました。父はこの闘病生活中にサウンドトラックを作ってくれていたんです。だから……、曲だけを残して亡くなってしまった。実は『瓶詰めの~(※以下、リュズタン)』は劇団おぼんろにとってかつてないチャンスでした。講談社さんと手を組み、Mixalive東京(ミクサライブ東京)さんで上演する。これはもうおぼんろらしい作品、ちょっと暗くて寂しい童話にする予定でした。」
さひがし「そう(笑)。狙っていなくても、結果的に拓馬の物語のペースは基本そこ(暗くて寂しい)。」
末原「おぼんろといえば、ほの暗い怖い童話、と言っていただくので、僕らの物語を出すならそれだと僕も思っているんです。闘病中の父とは「歴史に残るこの一本を作ろう」と話し合っていました。父は亡くなる年の3月にすでに余命宣告を受けていた。なのに、底抜けに明るい曲ばかり作るんですよ。僕は冬が好きだけど、父はとにかく夏が好き、海が好き。こっちの物語が完成しないうちからどんどん新曲ができていって、だから、逆にそれらの曲を基に物語を作っていくことにしました。」
――物語先行のこれまでとは異なり、お父様の曲が先行した。
さひがし「こんなに早く亡くなるとはまったく思ってなかったもんなあ……。3月に宣告を受け、5月30日にお会いできた時は、「劇場で待っていますから」と別れました。結局、拓馬パパは劇場に来られなかった。最初こそ、おぼんろらしいダークめの話だったのが、7月の急逝からどこに向かっていいかわからなくなって。」
末原「だから、ストーリーがガッツリ真逆に振れることになったんです。最初の設定は、寝ている老人が病室で海を見る話でした。老人は、父です。でも、途中でその老人(父)はいなくなってしまった。それで、残された僕ら側に物語がひっくり返ってきたんです。物語の老人(トノキヨ)は病室の父ではなく、残った僕らが年老いた姿である、と。この変化は大きかったですね。絶対に、永遠に残る物語にしようと思いました。父の音楽がずっとずっと永遠に世界に鳴っていてほしいと思って。」
――お父様に贈る物語、そこからさらに世界へと贈る物語になったんですね。
末原「「海に行こう」と父と約束していたんですよ。それが、行けなさそうな様子になっていった。その時、僕は何を考えているんだ、自分たちはどこでも海が見られるってさんざん言ってきたじゃないか、そう思い直しました。海には行けないけれど劇場には来るから、そこに海を、本物の海を作って父に見せてやろうじゃないかと奮起して、父の曲のように底抜けに明るい物語にしてやろう!と。でも、やっぱり、もう一つ先の、その先の、痛みを乗り越えた明るさじゃないとダメだ、と気づいて。」
しっかりと大人の芝居ができる二枚看板を魅せたい。
――Wキャストも注目点で、とくにトノキヨは男女ですね。男性のさひがしさんと、女性のわかばやしさん。これはどういった狙いですか?
末原「Wキャスト自体に僕らはまだ慣れていないのですが、でも、すごくやりたいことでした。さひがしさんの裏を誰にする? と新キャストを探してもいいけれど、僕としては性別を超越したWキャストをやってみたい。キャストが男か女かで物語は変わるだろうか。いや、変わらないほうがいいと僕は思う。年老いて、孤独で、絶望しているトノキヨという老人が新たな希望をつかむこの冒険譚は、個人的には僕と父のことです。だからトノキヨはおじいちゃんということになる。で、おじいちゃんが冒険するロマンは共感されやすいというか、おじいちゃんの哀愁にきゅんとする!とかあると思うんです。これがおばあちゃんの哀愁だったらどうだろう、おじいちゃん同様にきゅんとする? 今の時代はそこが不平等のように僕は感じてしまって。作家の本能では、『リュズタン』のストーリーにはおじいちゃんがふさわしいとわかります。ただ、いくつになっても冒険をしていい権利は男性だけじゃない。僕は姉と母に挟まれて育てられましたから(笑)、性別問わずすべての人が孤独を持っていて、再生する権利があると、体感的にわかっている。セリフの語尾は多少変わるだろうけれど、脚本は変えず、男女の友情も女子同士の恋愛に似た感情みたいな感じに……。まあ、そのあたりは明確にせず任せます。でね、やっぱり、トノキヨをWキャストにする大きな意味は、うち(おぼんろ)にはちゃんとした大人の芝居ができる役者が二枚いる、そこなんです。うちはすごいんです、こんなに強い二枚看板なんですってことを魅せたい。鮮度のいい若手もいいけれど、年齢を重ねて純度の上がった役者を見てほしいんですよ。」
――さひがしさん、再演にあたりトノキヨへのアプローチは変わりますか?
さひがし「確実に違います。拓馬に要求されていることがまったく違うんです。昨年はちょっと駆け足で作った感覚がありました。あれはあれで成立させられたと思います。今回は『リュズタン』の小説(児童書)も発刊されるので、拓馬も書き上げる中で、セリフは変えずとも、確実になんらかの変容は起きたと思うんです。トノキヨってもっとこうなのかもしれないと、拓馬の中でも更新された部分はあるだろうし、それが再演の舞台に当然反映されてくる。初演ではすごく元気で頑固おやじみたいなトノキヨを、僕もそこを一点突破で突っ走った感なんですけど、今回はもっと奥のほうを……。例えば、社会に適応できない様とか、そんな老人ががんばる姿とか、もっと繊細に表現したい。今の時点でキャッチできているとは明言できないけれど、本番までにはつかみたいですね。」
――セリフが変わらないのに中身を進化させるって難しそうです。
さひがし「おぼんろにはあることですよ(笑)。拓馬の作品で僕は何が楽しいかというと、裏ゼリフ。字面で見えるセリフのバックグラウンドというか、いろいろな解釈ができる点がとにかく深くて面白い。拓馬も柔軟だから、こっちの解釈に寄せてくれることもあれば、いいやここは譲れないとちゃんと説明もしてくれる。セリフとセリフの隙間を埋めると言ったらいいのかな。すべてが書かれているようで書かれていないんです。字面通りにやると非常に薄っぺらになる危険性もはらんでいる。稽古においても、拓馬は解釈に時間をかけます。僕なんてせっかちだから、早く立ち稽古しようよなんてはやるんだけど、これが後々ボディブローのように効いてくる。頭では理解しても、演じる僕の体内に入る時間が足りないなんてこともありますが、駆け足になりつつもセリフをガンガンはいてやっていきたいですね。拓馬は確実に余白を作っているんですよ、一つセリフに多種多様に考えさせる余白がある。そこを読み取れないと難しい戯曲になるし、読み取れるとむちゃくちゃやりがいのある戯曲になる。」
――入り口は小さかったのに、踏み込んだらとてつもない空間が広がっていた、という感じですね。
さひがし「そんな感覚です。だから、初日を迎えてから本番中の発見も多い。お客様の思いがけない反応に驚かされるんですよ。ここで泣いてくださるのか、ここでこんな空気になっちゃうのかと、稽古ではキャッチできないものが本番にある。こんなシーンとした中でこのセリフを言うのか!という時なんて、稽古とは違う感覚が下りてきて自分でもわからないうちにぽろっと涙が出ていました。」
しわ一つが、あなたが育てた大切な一つだよ。そんな人間賛歌の場所を。
わかばやし「はじめ、女性のわたしがトノキヨをやるというところでわからなくなってしまいました。サンゴの姫から見たトノキヨ像が結構残っていたからだと思うんですけど、立ち稽古で途中まで通した時、ぜんぜん違う!ここも違う!と思ってしまって。拓馬くんの込めたいろんな思いや解釈がぶわーっとわいてきて、どうしよう、おぼんろの過去作品をもう一度感じてみようとシフトチェンジすることにしました。トノキヨだけに邁進するのではなく、拓馬くん作品、おぼんろ作品というくくりで没頭したら、少し見えてきました。性別は関係ないといってわたしをキャスティングしてくれたことはわかっていたのに、自分が一番こだわっていたんですね。そこに気づいたらパっとやりやすくなって、さっきさひがしさんが言われたように、セリフの裏側や隙間が感じられてきました。トノキヨはトノキヨであって、ここは女性も共感するはず、ここは男女問わず老人なら感じること、というのがわかり始めました。こうなると楽しいんです。歳を取るってこういうことなんだな、表では明るくても心はこうなんだなと、そこが見つかったら、トノキヨ男性バージョン、トノキヨ女性バージョンの両方が成立する。人は誰でも生まれた瞬間から老いに向かい、老人になれば歳はいっそう堪える。けれど、救いの瞬間はもらえるんだと気づけば、男女の違いも、老いも若きも関係なくなります。」
末原「めぐさん、最初は、男性っぽい女性を演じているのが強かったんだよね。現代の女性の社会進出みたいに、男に負けない女性、男にとって代わる女性だった。今は本当に女性のトノキヨが誕生しつつありますよ。僕も、最初に衣装をイメージした時、かわいいパジャマで、髪も長くて、ピーターパンのウェンディが歳を取っただけのようにしようと思いました。ネグリジェを購入して着てもらったんですが、やってみたらなんか違うなって。これじゃむしろ女性であることやかわいらしさを強要してしまう。で、ネグリジェはやめて、おばあちゃんが普通に着ていそうなパジャマにしようかと。」
わかばやし「いい歳の取り方をしたね、と言われるようにがんばります。」
末原「しわ一つが、あなたが育てた大切な一つだよ、それが人間だよと、そうした人間賛歌の場を一つでも作りたいよね。」
わかばやし「そう、最終的に見つかるのは、人間、なんですよね。奥、深いっすね!と思って楽しんでやっています。サンゴの姫も一日だけやらせてもらいます。サンゴの時はさひがしさんのトノキヨが見られて、自分がトノキヨの時は別キャストのサンゴが見られてと、すごく贅沢なんですよ。わたしも年齢を重ねてきて、今がちょうど全力で芝居ができるところ。実はわたしも昨年末に母を亡くしました。昨年の『リュズタン』の後に、老いた人(母)を見届けるという経験ができた。これも縁だなあと思いました。」
末原「めぐさんに電話したよね。さひがしさんとWキャストをやる? 僕は父が死んで書いた本だけど、親を亡くした者同士でやってみない? と。そうしたら、挑戦したいと言ってくれて。」
わかばやし「『リュズタン』は、ちゃんと生きて死んでくれ、という話なんですよ。たとえ病気になっても最後まで生ききる。自殺だけは絶対にダメ。わたしの母の場合は最後意識が無かったので、どう考えていたかはわからないけれど、でも、老いを全うして、生を全うして、亡くなっていったんだということを目の当たりにしました。作品内の響くセリフがより鮮明に理解できるようになったと思うんです。」
――先ほどの話にも出た、余白のあるセリフだからこその豊かさですね。
わかばやし「シンプルなんですよ。拓馬くんのセリフはとことんシンプル。ちゃんと生きて死んでくれとか、生きているって楽しいとか、普通にいくらでも簡単に言いますよね。だけど、わたしたち役者がどう言うかで、お客様の受け取り方は変わっていく。役者にとってはおいしいセリフなんですよ。おいしいけれど、難しいの。前後の流れにもよるし、人と人との関係性もあるし、そういう要素によってもシンプルなセリフは変化するからの大きさや深さがものすごいことになっていく。お客様にドン!と届けられるようがんばります。」
――役者冥利に尽きますね。
さひがし「そうなんです。」
わかばやし「長い説明ゼリフを朗々と語るのもすごいですけれど、ぽんと一言でドカン!と響く台詞というのが拓馬くんの本なんです。」
物語に魔法が宿るには、物語られ続けなければならない。600年先も物語られるために。
――以前のインタビューで末原さんはシェイクスピアを例に挙げ、いつまでも語り継がれる物語のお話をされました。
末原「シェイクスピアはかれこれ600年でしょう? 物語に魔法が宿るためには、物語られ続けることが大事、必要だと僕は思う。でも600年後まで自分が生きているとは到底思えないし、だから今、なるべくたくさんの人に先に渡したいんです。これまでは、誰にも渡したくない!という気持ちのほうが強かったけれど、今はできるだけ早く『リュズタン』を日本全国に行き渡らせたい。そう、例えるなら、誰が歌っても『イマジン』はいい歌だから聞きたい、という感じかな。おぼんろは「物語が世界を変える」と言い続けていますが、それは大風呂敷を広げた夢物語ではなく、現実のことなんです。現実的に「物語で世界を変える」にはどうすればいいかを考えるんです。数えたんですよ、僕らが一日に2回昼夜365日上演したとして、10年後までに何回できるか。ロックフェスなんかに比べたら圧倒的に少ない。もっとたくさん届けるには日本全国、世界で同時多発的にやらなくちゃ。」
――全国の高校生演劇部でやられている情景を想像してしまいました。
末原「それ、理想ですね。」
わかばやし「夏休みの話だし、ぴったりな気がする。」
――オープンにして初めて価値がわかる、初めて喜ばれるとわかる、その段階に来ている気がします。
わかばやし「拓馬くんの物語は、繰り返し紡がれて残っていくべきものだと思います。そのうち全国から「おぼんろの作品をやらせてほしい」と連絡が来るんじゃないかな。全国各地で新しく誕生していく様子をこの目で見たいですね。すぐにでも見たい、世界でも見たい(笑)。」
末原「葛藤もあるけれど、広げていくことで僕ら自身の純度も上がり、コアの部分が何なのかもわかりやすくなっていくと思うんです。もっと強くならないといけない部分もあるし、僕はどんどん新作を書きたいほうだから、日本全国、世界で再演しつつ、僕らは新しいものを作っていきたいんです。」
――再演されるたび、Wキャストで変わるたび、なおのこと純度が上がっていきそうです。
末原「この度の再演は毎日毎日キャストの座組が変わるから、一度の観劇では足りないかもしれない。」
わかばやし「できれば全ステージ見ていただきたいくらいです。キャストの組み合わせによって違うものが感じてもらえるはず。」
さひがし「僕ら役者も毎回の本番が発見の連続で、変化し続けていきますから、ぜひ回を重ねて観てもらえたらうれしいです。劇場でお待ちしています!」
インタビュー・文/丸古玲子