「30代が10代を演じるときに」玉置玲央×永島敬三×田中穂先『MUDLARKS』鼎談【後編】

9月29日(木)から10月9日(日)まで東京のザ・スズナリにて、GORCH BROTHERS 2.1『MUDLARKS』が上演される。
本作は、ゴーチ・ブラザーズの新たなプロジェクト「GORCH BROTHERS 2.1」の第1弾で、劇団「柿喰う客」の玉置玲央・永島敬三・田中穂先が出演し、演出は俳優達と同世代の「東京夜光」主宰・川名幸宏が手掛ける。
戯曲は、英国の新進気鋭の作家ヴィッキー・ドノヒューによる『MUDLARKS』。2012年にHigh Tide Festivalで初演、その後ロンドンBush Theatreで上演された戯曲を日本初上演する。翻訳は高田曜子(“高”の字の正式表記は「ハシゴダカ」)。

その稽古場でのインタビューを、前後編にわけてお届けする。後編は玉置玲央、永島敬三、田中穂先に『MUDLARKS』という作品について話を聞いた。(取材・文:中川實穂、写真:関 信行)

“共感”とは違うところで味わえるものがある

――作品の話も具体的にうかがいたいなと思います。私は脚本を読ませていただいて、登場人物たちが10代だからか、言動がすんなりとは理解できない感じを受けました。でもさっき、短い時間でしたが稽古を見学させてもらって、一気に腑に落ちたような気持ちのいい体験がありました。実際に皆さんはつくり始めて、どんな面白さや苦労がありますか?

玉置「苦労はいっぱいあるね……」

永島・田中「(笑)」

永島「僕らも戯曲選びをしている段階から、なぜ僕らがこれをやるのかを考えないといけなかったんですね。それこそなぜ16歳、17歳の登場人物を僕らの年齢でやるかとか。その答えはなんとなく自分たちの中でもあるんですけど、先日、作者のヴィッキーさんがそれにまつわるお話をされていて。登場人物三人は16歳、17歳っていう、感情的な、衝動に任せた年頃だから、それゆえの繋がらない台詞とか、ポンと出てくる会話も多いんです。それをリアルな10代じゃなくて、30代の僕らがやるというのは、もちろん俳優だから没入する感情の流れもつくるんですけど、どこかで冷静に俯瞰して、この少年たちを見つめながら演じる部分がある。だけどその作業が、この作品を演じるうえでは必要だってお話しをされていて。つまり、“ただ役になればいい”ってことだと成立しない作品なんですね」

――そういう意味で言うと、さっきのお話(前編)にあったような、皆さんのこれまでの経験と技術が、この役にはとても意味があるということですね

永島「はい。役というもの、作品というものを見つめる眼差しを培ってきた今だからこそ、この作品ができるんじゃないかなっていう。それに『そこを面白く思っていいんだ』とも思ったし」

玉置「俺も『共感できなくていいんだな』っていうのは思えた。なんかそれは、俳優として役を演じるときに、理解はしようとするじゃないですか。戯曲を読んで、読解して、なにを意図しているのかなとか、これはきっとこういうつもりで言っているんだろうなとか、これがきっとあのシーンのあの言葉に繋がるんだろうなとか、そういうのはあるんだけれども。でも登場人物たちの心情には、本当の意味では共感できないんですよね。それは僕は37歳だから。絶対にできないんです。でもなんとなく、俳優だからそれを共感できてこそ演じられるみたいなつもりで稽古をしていて。だけど、これは共感できないんだなって思った。さっきのヴィッキーの話もそうだし、稽古をしていても、なんかそれが面白いんじゃないかなと思えるようになってきて。だから、お客様も共感できなくてもいいんじゃないか……とまで言っちゃうと、ちょっと示唆しちゃうことになりますけど。なんか、なんでもかんでもわかりたいとか、全部が理路整然としていないととか、自分の範疇に収まっていないととか、そういう考え方ってあるじゃないですか。自分もそういう節があるし、そこにこだわっちゃうんですけど。でも『共感できない』っていう価値もあるんじゃないかなと思うんですよ。だから躍起になって、共感しなきゃってなったりしないといいなと思っています」

――その一方で共感は面白さにつながりやすい感情のひとつでもあると思うのですが、それができないところでの面白い芝居ってどういうものだと思われますか?

玉置「そこは登場人物が16歳、17歳だっていうところにミソというか、ヒントがあるような気がするんですよね」

永島「うん」

玉置「例えばふらっと来てくださったお客様には、登場人物の年齢はわからないと思うんですよ。そこは芝居の会話の中から拾うしかない。でも、醸し出されるものから、お客様がふっと『あれ?この子たち、すごく若いのかも』と思えたら、おもろいことになる気がします。『故に共感できないんだ』『だからか』と思うのは面白いんじゃないかなって」

永島「それにこの登場人物たちって、実生活で会ってきた人だったり、自分というものに投影できるような人たちじゃない気がするんですよ。ヴィッキーが、ロンドンで上演したときも、最初はお客さんが『汚い』とか嫌悪感を抱くってところから始まったんですって。でも物語が進行していくにつれて、彼らにも事情があること……貧しいこととか、ものを知らないこととか、ただ衝動的にやってしまったこととか、懸命に生きている今だとか、あとは誰かを想う気持ちっていう普遍的なところもどんどん詳らかになっていって、最後はこの三人を愛おしく思ってくださったお客さんが多かったんですって。だから、共感できないってことも起き得ると思うし、自分が感情移入できなかったりすると思うんですけれども、舞台上とお客さんの間にこの作品があって、その出来事について考えてくださればいいんじゃないかなとすごく思います。作品って本来そういうものなのかもしれないですしね」

玉置「うん、そんな気がするね」

永島「シェイクスピア作品を観ていても、遠い国の昔の話だけど、なんか、ハッと思わされることがあったりするし。海外戯曲をやるときってそれが面白かったりするよね」

田中「そうですね」

永島「文化の違いもあって、知らないからこそ、なんかわからないけど自分の近くに感じるときがあったりとか。そういうことを楽しんでいただけたら面白いんじゃないかなと思います」

田中「それに、目の前で必死な人たちがいるから。それを追ってくれたらいいなと思います」

――言われてみればそうです。目の前の人たちを観ていればいいのに、なんか勝手に結論を急いじゃってるときとかあります

田中「なんかね、『これってこういうことでしょ?』とか思いたいじゃないですか。『ああ、このパターンね』とか。なんかこの作品は、そういうことじゃないものを感じてもらえる気がします。それも決して投げっぱなしじゃないので。我々がちゃんと真摯にやれば」

永島「そうね」

田中「そういう観方をしてもらえれば、きっと楽しい観劇体験になります」

背負わず、フラットに、ただの役者として立てる作品

――お三方は同じ劇団「柿喰う客」に所属していますし、それこそ今年1月には劇団公演で三人芝居をやられた皆さんです。だからこそ今できていることや面白さもありますか?

永島「やっぱあんまりなにも気にしなくていいところとかはいいですね」

――さっき稽古場で、玉置さんが上半身裸で逆立ちされているのを誰も気にしてない感じとか印象的でした

永島「それはもう日常的な光景です」

一同「(笑)」

田中「でもそういうの、お芝居でもあります。舞台ってどこか客観的に冷静でいなくちゃいけないから、こんなに感情を剥き出しにしてやってもいいのかなとか、共演者に引かれちゃうかなとか、案外それをキープすることも大事だったりするんですけど。今回は、ふたり(玉置・永島)だったら受け入れてくれるだろう、みたいな気持ちで。割と感覚的には学生みたいな、周りの目を気にしない、思いっきりやってみる、ということをできています。これは意外と外ではできないことです」

永島「できないね」

玉置「あとさ、『空鉄砲』のときにも話さなかったような、パーソナルな雑談をしてるよね」

永島・田中「ああ~!」

玉置「なんでだろうと考えると、“プライド”って言うとちょっと違うけど……」

田中「でもわかります! プライドわかります」

永島「関係性のね」

玉置「外の現場って、例えば僕は直近の現場が『パンドラの鐘』だったんだけど、そのときは演出の杉原邦夫さんとの関係性だったり、野田秀樹戯曲への自分の思い入れもあったり、役としてやらなきゃいけないことだったり、他のキャストとのコミュニケーションだったり、そういうことでものすごく『やってやるぜ』『俺が小劇場トップだぜ』みたいなプライドと自負があって。杉原邦夫さんにも頼られたいし、白石加代子さんにも安心してもらいたいし、お客様にも『さすが玉置玲央』と思われたいし、『野田戯曲の体現者』と思われたいし、いろんなプライドがあって、だからこそ突き進めた部分とか、変な話、ちょっとしんどいことがあってもその気持ちでやれた節があったんですよ。そういうのは柿にもあって。『柿喰う客の看板背負ってる』とか『この公演で失敗できない』とか、一応もう古参メンバーだから『下手なところ見せられない』とか。そういうこだわりみたいなものがある。でも今回の企画ってそれがないんです。背負ってるものがないっていうのとは違うけど、自分がなにかを引っ張らなきゃとか、なにかの体現者でいなきゃとか、その辺の重責があんま、本当はあったほうがいいのかもしれないですけど、なくて。それに伴って、比較的いつもよりもプライベートな話が出てるのかなって」

田中「なるほど~」

永島「そうだね」

玉置「それが、今までやってきた外現場とか劇団公演とか、ゴーチのプロデュース公演ともまた違う、このメンバー、この企画、この始まり方をしたからできてることなのかなって最近思う。だって背負うじゃん。自分の性質的にも、それは楽しいし好きなんだけど」

永島「わかる」

田中「めちゃめちゃ背負いますよね。絶対自分が一番おもろくなきゃいけないとか、あります。小劇場から来てるんだから、笑いのシーンを振られたらもう……!」

一同「(笑)」

田中「それは別に、俺はおもろい奴だぜってことじゃなくて、そこはもう確実に仕留めないとって気持ちで」

永島「(背後を指して)ここにいるからね、いろんな人たちが。背負っちゃってるから」

田中「そうなんですよ。ここ(背後)の人たちは背負われたいと思ってるかわからないけど、でも、先輩たちがその枠をあけてくれたから僕らはそこをやれてるし、みたいなのがある。それはそれぞれのね、例えば歌手の方は歌手の方で背負うものがあるだろうし」

永島「わかるわかる」

田中「だからそういう意味では、我々をずっと役者として応援してくれているお客様が観てくださったとしたら」

玉置「今回楽しいだろうね、きっと」

田中「他にない状態で舞台に立つかもしれないから」

――“ただの役者”として

田中「ほんとにそうですね」

玉置「俺けっこう過去一でポンコツだもん」

永島「へえ!」

玉置「でもいっかと思ってる」

永島「それがいいよね」

玉置「それは、甘えようって意味ではなくて、今回はそこを気にしてもしょうがないしなっていうか」

田中「でもそれも、この中で一番若い僕ですら、10年くらいのキャリアがあって、いろんなところで経験を積ませてもらってきて、その自負がある状態で『じゃあ自由にやってみようか』ってできているものだから。決して馴れ合いにはならないし」

永島「役を演じるのと一緒だね。情熱的な部分と冷静な部分を兼ね備えてるのと同じで、ここでは自由でいようとかプライドなく居ていいんだという気持ちと、この公演を成功させるための自分の一番いい立ち回りの感覚、その両輪がちゃんとあるからいいのかもしれない」

玉置「そうかもね。だから心地いいのかもしれない。そんな三人です」

――本番、めちゃめちゃ楽しみです

永島「あ、あとこの作品というのもあるかな。幼馴染三人っていう役の設定もあるし」

田中「たしかに」

永島「翻訳の高田曜子さんがね、この作品は日本初演なんですけど、現在の日本人の俳優でこれ以上いい三人はないかもしれないって言ってましたよ」

玉置・田中「ええっ!?」

玉置「それ、自分で聞いたの?」

永島「……違うよ! 曜子さん、この前言ってたじゃん!? みんないたはずだよ!?」

一同「(笑)」