作家・演出家のタニノクロウが、公募した多国籍の神奈川県民らとともに創作する『虹む街の果て』が、5月13日(土)に神奈川・KAAT神奈川芸術劇場中スタジオで幕をあける。2021年には、横浜の野毛をモデルにした飲食店街の一角を舞台とした『虹む街』を上演したが、その続編にあたる。続編といっても、10年後なのか、100年後なのか、1000年後なのか……。さまざまな「果て」を見据えた本作。上演前には観客も舞台セットのなかを歩き、その街を体感できる。タニノ氏に、その意図や、「僕の今後にすごく影響を与えるクリエイションです」と言わしめる創作のポイントについて聞いた。
前作はコロナ禍での「寡黙劇」。そこからさらに未来の「果て」の街を描く。
──タニノさんは地元・富山など、その地域の方々と芝居をつくるご経験があるなかで、神奈川で創作する楽しみや、前回に印象深かったことなどありますか?
2021年の『虹む街』の舞台は、モチーフになる場所が横浜の野毛や黄金町のあたりの雰囲気なんです。多国籍で、いろんな生活が見える街。これまでもいろんな作品をいろんな場所で作ってきましたが、やっぱりごちゃっとした街やその入り口に立つととてもアイデアが湧くんですよ。たぶんリサーチというよりは「その場所に行く」ことが重要な気がしています。誰かにインタビューしたり、実際にそこで生活をしたりするよりも、ある程度の想像の余地が大きくある中で、それでも街や人から漏れ出てくるなにか匂いのようなものが感じられる場所だと、想像が膨らむ。 だから今回は、いろんな国籍の出演者を募って、とてもバラエティー豊かで個性的な方々たちに集まっていただいた。そうして作品が成立したのは、中華街があったりといろんな文化が入り混じっている歴史的な港町だということが大きいんだろう、と思っています。
──自分がその場所に行って感じることが重要なんですね
そうですね。説明が難しいんですが、本当にリサーチしてしまうと、作品自体が分析的になっちゃうと思うんです。でも、台本を書く時にも「どこにたどり着くのかよくわからない」っていう筆の進め方の方が、やっていて楽しいんだろうな。だからプロットもまったく書いたことがないんですよ。
──タニノさんの舞台は、細部まで作り込まれた美術などによる世界観と、それによって想像力が広がる、ということが共存していますよね。でも場合によっては、作り込んでしまうことでそれ以上のイメージを限定してしまう可能性もあるかと思います。タニノさんは作り込むこととイマジネーションについてどう考えているんですか?
たぶんなんですけど……「その台本を書いている自分がどこにいるか」ということがポイントなんだと思うんです。僕は、客観的にその世界を俯瞰して台本を書いているわけではなくて、イマジネーションの世界の中にいる自分が台本を書いている、という感覚です。電車に乗って、ある街にたどり着いて、ふらふら歩きながら劇場に行って、ドアを開けたらこんな世界が広がっていて……みたいな視点で書いているから詳細な描写になるんじゃないかな。
実は、これまで書いたほとんどの台本は、劇場に辿り着く前の描写から書いているんですよ。で、俳優に渡す時にはそこはカットする。
──なるほど!だから台本を読ませていただくと、ト書きの視点が主観的だったり、どういう気持ちでその町の光景を見ているのかという感情も書きこまれているんですね。例えるなら、作り込まれたゲームのRPGの世界にいるみたいな感覚でした
そうなんだと思います。前回の『虹む街』という作品は、コロナがかなり蔓延していた真っ只中での公演だったので、その状態を逆手にとって「寡黙劇」として描きました。だから台本にも、自分のことや登場人物の内的なものやバックボーンばかり描写していて、それを受け取った俳優が、その街に息づいている人たちの迫力みたいなものとして背負って寡黙に生きている……ということを表現できるかという挑戦でもありましたね。
リメイクにあたって。多国籍な人を集めることで、多国籍感を無くしていく
──今回は『虹む街の果て』として大幅に変更するとのことで、どのような構想でスタートしましたか?
リメイクにあたっては、最初から明確にどうしたいかがはっきりしていました。前回と同じく野毛や黄金町あたりの雰囲気を土台にしつつ、その10年、20年、100年、またもっとすごく長い時間が経った時にあの町の営みがどう変わっているのか、ということを描きたかった。同時に、人間の営みはどういうふうに変わっていくのかと、より遠くまで想像しました。「果て」を考えていくと、現代に置きかえることはすごく難しいんですけれど、たぶんめちゃくちゃ暇なんじゃないかなと思ったんですよ。暇になっちゃった人間はどういうことをやりだすのか、ということを想像の源泉として書き進めていきました。
さらには演劇や、劇場や、作家・演出家としての自分や、俳優や、公演プロジェクトについて……それらはいったいなんだろうかということも含めて、「果て」ということについて考え、今までの価値観をなるべく変えていく取り組みを持ちたかった。つまり、演劇そのものや、演出や、表現とはなんなのかと向き合いたかったんです。
また、今回の公演の特徴として、舞台経験が豊富な方は俳優14人中1人(赤星満さん)だけで、あとの全員は県民を中心とした一般の方たちなんです。そこにパーカッショニストの渡辺庸介さんが参加してくださる。それが一番のキモなんじゃないかな。この座組であることをベースに何ができるのかを考えています。たとえば「この状況におけるプロの俳優ってなんだろう」とか「一般の人たちってなんだろう」と考えたりもしました。演出家として、それぞれにかける言葉が変わってしまわないように、「ものすごいプロの俳優さんたちと一緒にやっているんだ」と思い込んで、接し方や自分の中でのとらえ方が変わるように意識したりもしてみました。
──これまでも地元の富山県などで市民の方を公募して舞台を作られたこともありましたが、今回の神奈川での公演の特徴は?
富山の市民劇では演劇経験のある参加者がけっこう多かったんです。でも今回は舞台経験がほとんどない人たちの集まりで、それは初めてですね。ただ、稽古をしてみると見事なものですよ。本当に素晴らしいです。とてもスムーズに稽古が進みますし、コミュニケーションもよく取れます。
そもそもリメイクするにあたって「日本語が母国語の人が読んで理解できる台本を書かない」ということをすごく注意しました。参加者全員にとってなるべくフェアにしたかったんです。なので出演者は、もともと日本語があまり流暢でない人が適しているかなとは思っていました。ただ、それだけで出演者を選んだわけではなく、かなり風変わりな作品なのでそれに乗っかって楽しんでくれそうな人がいいな、と。わかりやすいストーリーやドラマがある舞台ではないし、どんな作品になるかわからないなかで一緒に時間を過ごして創作していかなければいけない。「まず飛び込んでみよう」という思いの強さが必要でしたね。
多国籍な現場なので、言葉以外のコミュニケーションがとても大切になってきていて、僕自身、かなり新しい経験をさせていただいています。もちろんみなさん日本語で話すのですが、言葉以外に絵を描いたり、体を動かしたり、音を使ったりして「今、こういう世界観なんだ」と少しずつ吸収してもらいながら創作しています。
──そういった意欲的な方々と、日本語を重要視しない創作をおこなうことは「演出って?」「俳優と演出の関係って?」と改めて問い直す現場になりそうですね
まさに、とってもそうなりましたね。おそらく今回のクリエイションの影響は、僕の今後にすごく影響を与えるんだろうなと思っているぐらい、強いものでした。
──あえて多国籍な出演者を集めたそうですが、全員に対してフラットである創作現場にすると、むしろ「多国籍感」がなくなるのではないでしょうか?
まったくその通りです。そこを狙いました。前作の『虹む街』ではインド料理屋さんや中華料理屋さんがわかりやすく出てきて、雰囲気や衣装も多国籍性を全面に押し出したものだったんです。でも今回は、あえてその表現を消しています。多国籍性の高い座組ではありますが、この作品の世界観の中では、それはまったく無視しています。どこの出身の人だから……ということを完全に無くすことが、国籍などについての「果て」な気がしました。また、音楽や歌は、原始的な表現のものをすごく取り入れています。
それらによって、すごくポジティブな作品になりました。そうなるには参加者の皆さんのアイディアが集まってきて、全員の作るムードのようなもので作品ができています。
「劇場」って、いろんな遊びができる場所。だから面白い
──公演では、開場時間の30分間、舞台セットの街中を歩くことができます。おそらく劇場に来た観客も、「果て」についてや、100年後や1000年後について一緒に考えて想像を巡らせる感覚になるのではないでしょうか?
そうなったら面白いですね。「劇場っていろんなことができるんだな」と思ってもらえると嬉しいです。今回はとくに「劇場ってこんなこともやっちゃうんだ」という面白さを感じられるんじゃないかな。
舞台美術の回遊は、大きな街の一角をドカッと劇場一面に並べて、その中を自由に回遊できるようにしています。劇場に来て、劇場の中で細部まで作られた街の美術セットを自由に見て回り、より街を体感しながらそのまま作品の世界に入っていく……その一連の流れの中で「果て」を感じていただけるといいですね。
あと、劇場という場所の面白さが伝わればいいなと思っています。舞台を近くで自由に見て回ることってそんなに簡単にできることじゃないですし、僕もこういう体験をしたかったなと思いながら企画していますね。
──タニノさんは「家を出てから劇場に行くまでのことも毎回台本に書いている」そうですが、そういった感覚に近いことを、観客も体験できそうな気がします
いいですね。やっぱりライブや演劇の面白さは、出かけることにある気がするんです。とくに舞台なんて、情報がほとんどなくてどんな作品なのかよくわからなくても、わざわざ電車やら車やらに乗って劇場に行く。しかも体験できるのはせいぜい多くても数千人。そんな、家の中にいたらまったく実現しない時間の流れを貴重なものとして僕は捉えているので、そういった体験全体を楽しんでもらえたらとてもいいですね。
──これまでもVR演劇や、観客も一緒にテキストを声に出す上演など、さまざまな方法で観る人を没入させる試みをされてきました。今回は、あえて何度も「劇場」という言葉を使われていますが、劇場というものをどうとらえていますか?
劇場って、機能が定まってない面白さがある気がするんですよ。とくに神奈川芸術劇場は、いろんな企画がある。演劇だけじゃなく、展示もそうですし、アトリウムで上演をしたりもする。たとえば映画館なら映画を見せるとか、美術館なら美術作品を見せるようなことだけでなく、いろんな遊び方のできる場所です。そこがなんとなく「劇場」と名前を付けられているだけな気がする。だから劇場には面白さがあるんじゃないかな。
──家から出て、電車に乗って、建物が見えてきて、中に入って……というプロセス全部が繋がっているんですね。観劇の前後に、近くの横浜や野毛を散策してみると、実際の街の景色が違って見えてくるかもしれません。100年後、1000年後の街の風景をふと感じたりするかも……
そうですね。どう感じていただけるのかすごく楽しみです。なかなかぶっ飛んでいる作品なので、野毛の街のイメージからここまでの作品ができたんだと思っていただけるんじゃないかな。ぜひ劇場を訪れた前後に、野毛の街を歩いてもらえたら面白いです。
──そうすれば、実際の街と、劇場に作られた街の違いもまた体感できるかも。「劇場」ってなんなんだろうと肌で感じることもあるかもしれないですね
そうだと思います。そういった体験が、あえてその土地で上演する面白さだったりする。神奈川県の人を中心とした形で構成されているこのプロジェクトの特色がとてもよく出るんじゃないかなと思っています。
──神奈川芸術劇場で公演される、ということの楽しみが膨らんできました。ありがとうございます
取材・文:河野桃子
撮影:田中亜紀